アリア編、その11
『○○の沼のラミアの討伐。各金貨1枚。複数可。証拠の品は首』
近年、子供が攫われては食い殺される被害が出ているとのこと。
その日もギルドで掲示板を眺めていた和也は、1枚の新しい貼り紙に目を遣る。
そして僅かに眉をしかめると、その場を後にした。
昨日、始めてアリアに給料を支払った。
オリビアから貰った金貨をそのまま差し出し、給与の額は毎月金貨1枚だと告げると、首を傾げ、それから何かを思い出したかのように笑った。
『ああ、そういえば、そんなこと言ってたわね。私としては、もうあなたの妻のつもりでいたから、給料と言われてもピンとこなかったわ。これからは生活費と言ってくれる?』
堂々とそんなことを言ってくる彼女を庭に連れ出し、訓練の成果を見てやろうと告げて、模擬戦を開始する。
彼女の攻撃を避けながら、紙のハリセンで何度も尻を叩いて、思い違いを訂正してやる。
ふてくされた彼女は、『今に見てなさい』と捨て科白を吐いて、自分を風呂場まで引っ張って行った。
先日の、オークの集落があった森とは町を挟んで反対側、湿地や沼地の多い、樹木より多くの草が生い茂る林。
和也がざっと透視した中に、ラミアは6匹。
ただ、少し距離を置いた所に、1匹だけ離れて存在しているものがいる。
先ずはそちらからどうにかしに行く和也。
すぐ目の前に転移した相手は、上半身は女性の身体、下半身は蛇という魔物だ。
裸の身体に、胸を覆う布を巻いているが、何だか全身に引っ掻かれたような傷が多い。
顔は比較的綺麗だが、人間より口がかなり大きい。
いきなり目の前に現れた和也に、驚いて襲い掛かって来る彼女。
蛇独特の動きで素早く近づいて来て、その鋭い爪で和也を引き裂こうとするが、何だか少し勢いが足りない。
とりあえず腹に1発蹴りを入れて、相手を吹っ飛ばす。
相手はそれだけで戦意を喪失してしまった。
「人の言葉が理解できるか?」
倒れ伏したまま、諦めたように動かない彼女に、和也は一応の接触を試みる。
すぐ殺されると思っていた相手は、意外だったのか、ゆっくりと身体を起こし、自分の顔を見て頷いた。
「今の所、こちらに君を殺す意思はない。
だから少し話をしないか?」
再度彼女が頷く。
「人の子供を攫って食べているのは君か?」
「!!」
彼女が大きく首を振る。
どうやら理解はできても話すことはできないようなので、和也は相手の思考と直接会話する。
「これからは、言いたいことを頭に思い浮かべてくれ。
それだけで、こちらに通じる。
・・何でそんなに傷だらけなんだ?
どうして他の仲間と離れている?」
半信半疑であったようだが、彼女はやがて、頭に言葉を浮かべてきた。
『体の傷は、他のラミアから付けられたものです。
私があいつらと戦ったから。
あいつらは、私が保護していた人間の子を、私が餌を取りに行っている隙に攫って食べた。
だから怒って戦ったけど、向こうの方が数が多くて負けた』
「子供を保護していた?
君達の好物は、柔らかい肉だと理解しているが?」
自分の思考が理解されていることに目を見開いた彼女は、その後も同様に言葉を浮かべる。
『確かにそうです。
でも、魚や果物だって好んで食べます。
私は人間の子供を食べたことはありません』
「何故人間の子を保護したのだ?」
『・・私には、子供がいました。
私達ラミアには雄がいないため、雌同士で子供を作ります。
番の相手は人間に殺されましたが、私は生き残り、子を産みました。
ですが、不幸にもその子は他の魔物の餌食になり、・・死にました。
傷心の私は、ある日、林の中で人間の赤ん坊を拾いました。
ここの林は人間の町からそう遠くなく、極たまに、口減らしなどの理由で、親が生まれたばかりの子供を捨てに来ます。
普通は私達に見つかれば、先ず食べられてしまうでしょう。
でも私は、自分に向かって懸命に小さな手を伸ばしてくるその子を、どうしても食べることはできなかった。
そのままそこに置いておけば、すぐに他の魔物に食べられてしまう。
私はその子を抱え、自分の巣で、失った子の代わりに育て始めました。
幸いにも、私は子を産んだせいで母乳が出ましたし、私達の乳は人の子にも適したようで、1年程、他から隠れて暮らしていました。
ですが、私が自分の餌を取りに行っている間に、私を探して巣から這い出たその子を、他のラミア達が見つけてしまったのです。
私が帰って来た時、その子はもう、・・・無残に食べ尽くされた後でした』
俯いて、悲し気に笑っている彼女。
「それで、君は戦って負けたと。
・・よく殺されなかったな?」
『その代わり、散々に犯されましたけどね。
私が人間を食べないので、嫌がらせに、周囲の他の食べ物も、ほとんど彼女らに取られてしまいますし』
そう言った途端、彼女の腹が、空腹に耐え兼ねたように音を奏でる。
彼女の話す、ある単語を聴いて、和也の顔が一瞬無表情になるが、その音に僅かに頬を緩めて、尋ねる。
「鶏肉と豚肉だが、生と焼いた物のどちらがいい?」
『?
・・もしかして、頂けるのですか!?』
「ああ」
『できれば、その、生で・・』
「分かった」
和也は、以前とある男を助けた際、大量に買って保存しておいた3割引きや半額の肉を、木の大皿の上に山盛りで出してやる。
慌てて食べて喉につかえないように、果物のジュースも添えてやる。
「全部食べていいぞ」
いきなり目の前に現れた大量の肉に、喉を鳴らす彼女にそう言うと、自分は少し離れて後ろを向く。
暫く、彼女が食事をする音だけが流れた。
「足りたか?」
『はい、久しぶりに食事ができました。
有難うございます』
「・・君はもし、こことは違う世界があると言ったら、そこに行きたいと思うか?
争いのない、食べ物に困らない、だが陽の光だけは当たらない闇の世界。
闇といっても薄暗いだけで周りが見えないわけではないし、魔族や魔獣しかいないが、お互いに、好きなように生きていける」
『・・そうですね。
ここに居ても、同じ種族からも、人間からも嫌われる。
もう疲れてしまいました。
そのような所があれば、行ってみたいですね』
「なら連れて行ってやろう。
だが、その前に・・」
和也は、彼女の身体の傷を全てきれいに治してやる。
そして、少し眉を顰めた。
「どうやら、君の腹には、新しい命の芽があるようだ。
まだ生命とは言えないし、嫌な相手とのものだろうから、ここで消すことも可能だが、どうする?」
『!!!
・・・産もうと思います。
死んだ子の代わりに、静かな場所で、育てていきたいです』
「そうか」
親に愛されずに育つ子は不幸だが、事実を知って、なおそう言える彼女なら大丈夫だろう。
「では、送るぞ?」
和也の掌に、黒い球体が現れる。
『色々と有難うございます。
ご恩は決して忘れません』
そう告げて、彼女は球体に吸い込まれていった。
『新たな住人が来たようだな』
ガルベイルは、己の背中の上で遊ぶ火狐達に、そう話しかける。
彼らはピタリとじゃれ合いを止めると、一目散にその場所まで駆けて行く。
姿を現したラミアが、自分を待ち構えていたような火狐の子供達に挨拶する。
『今日は。
仲良くしてね』
嬉しそうに彼女の周りを駆け回る火狐達を見ながら、ラミアは微笑む。
『まさか本当に異世界だったなんて・・。
あの方、一体どなただったのかしら』
陽の差さない、見知らぬ風景に驚く彼女の呟きに、誰かが反応する。
「わたくしのお父様。
とっても素敵でしょ?」
彼女を見送った和也は、もう一方の、ラミア達が固まって存在している場所に転移する。
彼女達は、丁度昼寝の最中で、音もなく転移してきた和也に気付かない。
「ジャッジメント」
和也の眼が、片方だけ紅に染まる。
和也は掌に真っ赤な球体を浮かべると、そこに居たラミアの3体を吸収する。
「おまえ達は自分のダンジョンで敵と戦うがいい。
己の命を懸けてな」
そう呟くと、和也は残りの2体には目もくれず、さっさとその場を後にした。
場所は変わって、ここは日本のとあるスーパー。
その食肉売り場では、以前和也に助けられた男が働いていた。
前の店が閉店した後、一旦は別の職種に就いていたが、高齢に差し掛かった男の身には、工場での生産ラインで何時間も動き詰めの仕事はきつく、内容よりスピードと体裁を重視する仕事にも馴染めずに、またこの仕事に戻って来た。
だがやはりこの店でも、どうしても売れ残りの問題は出る。
最近は、コンビニのような小型店形式で、数だけ増やして営業する大手もあり、相変わらず競争は厳しい。
豊富な品揃えと、丁寧な下処理、確かなさばきの技術で対抗しているが、以前の店程ではないにせよ、やはり日々廃棄処分となる肉はある。
己が老後に貰える年金の額を考慮すると、これからは少しでも預金に回したい男は、もう自腹でそれを購入する余力はない。
溜息しか出なかった男の下に、和也は再度現れた。
黒服のVIPの再来に喜ぶ男に、今度は仕事を持ち掛ける。
この店の廃棄予定の肉を全て自分が買い取るので、それをある程度の量になるまで冷凍保管して、溜まったらまとめてある場所に送って欲しいと。
肉の買い取り代金は事前に50万円まで渡され、毎月減った分が足される。
男の報酬は月額10万円。
店に知られないように、全ては秘密裏に契約された。
そして毎月彼から送られてくる肉を、包装容器などの余分なごみを取り除いて、和也は魔獣界へと転送させる。
魚や果物は豊富だが、肉は存在しなかった魔獣界。
今回、ラミアのような、生肉を好む魔族が増えたことで、和也は、ある程度の肉を供給してやることにする。
魔獣界の住人が増えて、もし男の店だけでは足りなくなれば、他からも買い取るつもりでいる。
住人に、互いに殺し合って肉を得るという手段を禁じている以上、そのくらいのことはしてやるつもりの和也であった。
その時、和也は風呂に浸かっていた。
相変わらず、アリアも一緒に入っている。
「ねえ、たまには体を洗ってあげる。
だから私の背中もお願いできないかな?」
湯船から出たアリアが和也にそう言って、彼の方を振り向いた時、その和也は、顔からいつもとは異なる汗を流していた。
「・・どうしたの?」
「・・不味い。
この世界のラスボスが来る」
「え?」
逃げようとした和也の頭に、その相手から念話が送られてくる。
『あなた、逃げたらどうなるか分かりますね?』
湯船から動けない和也の視線の先に、脱衣所への扉を通して、転移してきた人物の姿が映る。
その人物は、こちらを見て、ゆっくりと衣服を脱ぐと、扉を開けて、徐に中へと入って来る。
「・・エリカ、起きたのか?」
「ええ、つい昨日。
あなたが隣に居ないので、城の中を探してしまいましたわ。
駄目ですよ、情事の後の妻を独りにして、ご自分だけ何処かに行かれては。
もっとピロートークを大切になさいませんと・・あら?」
自分が十日以上も寝ていた自覚のないエリカは、ここで初めて、傍らで呆然と自分を見つめるアリアの存在に気付いたように目を見開く。
「御免なさい、どなたかしら?」
女性同士だし、取り立てて身体を隠す仕草も見せずに、エリカが問う。
もっとも、和也が居る以上、自分の裸身を他の異性に見せることは有り得ないので、その辺りのことには、割と無頓着なエリカである。
「・・・綺麗」
暫しエリカに見惚れていたアリアは、やっとそれだけを口にする。
「フフフッ、有難うございます。
あなたも凄くお綺麗ですよ」
そう言われて、慌てて自分の身体を隠そうとするアリア。
何だか顔が少し赤い。
「それで、この方はどなた?」
俯いてもじもじしているアリアに代わり、和也に改めてそう尋ねるエリカ。
「自分がこの星で雇った助手だ。
・・既に自分の正体を教えてあるので、眷族に迎え入れるつもりでいるが・・」
エリカがアリアの指に目を向ける。
「まあ、新しい妻の方なんですね!?
初めまして、わたくし、彼の妻の1人でエリカと申します」
左の薬指にはめてあるリングを見て、エリカはそう笑顔で挨拶するが、そこであることに気付く。
自分がここまで飛んできた魔法陣があった玉座の間には、まだ新たな椅子が存在しなかった。
それに、妻のリング特有の、素材の変化が現れていない。
「妻というのは、今の所彼女の自称だ。
自分はまだ、彼女に何もしていない」
エリカの疑問を察した和也が、そう付け加える。
「酷い、ちゃんと約束したじゃない!」
我に返ったアリアが、そう和也に抗議してくる。
「何だかよく分かりませんけど、まだ人間なのね?
でしたら、よく温まって、身体を洗った方がよろしいのでは?」
そう言うと、自身はさっさとかけ湯をして、和也の隣に入って来る。
それを見たアリアがとりあえず身体を洗い出すと、エリカは和也に尋ねた。
「何故お一人でここに?」
和也からの愛情が最大の喜びでもある彼女は、和也が自分をからかうことへのお返しに、プロテクトを完全に外して臨んだ行為にさえ、嬉しさ以外の何の感情も湧かない。
体力の限界まで追い詰められ、何度意識を飛ばされても、そこに彼からの愛が感じられる限り、喜んで身を任せる。
彼の妻達とは、そういう存在なのだ。
だから、和也が気まずくて、ほとぼりを覚ましに来たなどとは、彼女は考えもしない。
「・・おまえに与える星だから、その前にざっと下見と下準備をしておこうと思ったのだ」
嘘は言っていない。
「有難うございます。
ですが、やはり隣で寝ている妻を放っておいて、お一人で、行く先も告げずにいなくなるのは駄目です。
目が覚めた時、真っ先にあなたのお顔が見えませんと、抱かれた後の幸せが半減してしまいます」
頭を和也の肩に凭れさせ、そう言ってくる。
「すまない。
今後は気を付ける」
彼女が何日も眠っていたことは伏せ、そう謝る和也。
「・・ところで、彼女、何て仰るの?
どんな出会いを経験したのかしら。
あなたが眷族になさろうとするくらいだから、きっと素敵な方なのでしょう?」
気まずいのか、それとも2人の醸し出す雰囲気に口を挿むきっかけが見つからないのか、珍しく黙ったままのアリアに、エリカが気を遣ってそう和也に尋ねる。
「アリアという。
画家志望で、戦闘では格闘系だ。
もっとも、まだまだ実践では心許ないが。
ただ、その人間性に関しては、おまえの言う通りだ。
出会いはともかく、親しくなったのは、彼女にナンパされたからだな」
「ちょっ・・」
アリアが抗議しようとして、また口を噤む。
「ウフフッ、旦那様は、相変わらずお持てになること。
あなたの周りも、随分と華やかになりましたよね」
「そうだな」
和也は一旦湯から出て、アリアの背中を洗ってやる。
自分が言い出したにしては、凄く恐縮していた彼女にタオルを返すと、再びエリカの隣に戻る。
「そういえば、わたくし、あなたに身体を洗ってもらったことないですわ」
「おまえには、もう必要ないだろう?」
和也の行為を羨ましそうに見ていたエリカの言葉に、照れ隠しにそう突き放す和也。
「こういうのは気持ちの問題です。
必要かどうかは関係ありません。
それを言ってしまったら、お風呂に入ること自体が無意味になってしまうでしょう?」
身体を洗い終えたアリアが、申し訳なさそうに、和也のエリカとは反対側の隣に、静かに浸かって来る。
「ねえアリアさん、よろしかったらこの後2人だけでお話しませんか?」
「え?
私とですか?」
和也の身体越しにそう言ってくるエリカに、少し戸惑うアリア。
「心配しなくても、エリカにそちらの気はないぞ。
おまえはどうか分からんが」
湯中りとは思えない顔の赤さに、訝し気にアリアを見る和也。
「私だってないわよ、・・多分」
何だかエリカを見て自信なさげである。
「あの、私のこと、怒ってませんか?
あなたの知らない間に、こそこそ彼に近づくような真似をして・・」
恐る恐るそうエリカに尋ねるアリア。
「大丈夫、わたくし達は皆平等な存在。
彼の妻となる時点で、そういったことも全て了承しています。
この人は神様、唯一神で創造神。
独り占めになんか、最初からできないことは分かっています。
だからあなたも、わたくし達に遠慮する必要なんてないのですよ?」
そう告げて微笑むエリカに、アリアは見惚れたように頷く。
「・・はい。
是非ご一緒させてください」
「言っておくが、エリカは自分のものだからな」
念のためにそう口にする和也を、エリカが嬉しそうに見つめる。
「大丈夫、私だって異性はあなたしか興味ない。
でも、エリカさんはそれとは別なの。
何かこう、憧れていたお姉様に出会ったような感じ」
「やはりその気が・・」
「ないわよ!
・・恐らくね」
この後、湯から出た2人は、和也をのけ者にして、朝まで楽しそうに何かを話し合っていた。
そしてそんな2人を、和也は穏やかに受け入れる。
エリカにまた1人、良い友人ができた。
そんな、深い喜びと共に。