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Dragon of heartbreak  作者: 有智 心
∞第7章∞ Persona
31/31

竜の魂

 暖炉に焚べた薪がパチパチと音を立てている。

 炭になった薪が微かな音をたてて崩れ、火の粉が一瞬立ちのぼり舞う。

 チビは暖炉の前に陣取っていた。

 よほど気持ちが良いのか、お腹を上にして伸びをしている状態で寝ている。

 時折後ろ足をピクピクと痙攣させる姿が笑いを誘う。


 私と丸岡さんは大きなツリーにオーナメントを飾りつけ直していた。

 徐々にドレスアップし輝きを増していく……しかし、その横には壊れたオーナメント、引きちぎれたモールがゴミ箱の中で無残な姿を晒している。……それを見ると心がチクリと痛んだ。


 最後に星のオーナメントをてっぺんに飾り完成。

 LEDライトのプラグをコンセントに差し込むと、更にツリーは美しくその存在を主張した。まるで何事も無かったみたいに輝いている。


 私はゴミ箱を抱え応接室をでると目の前に彼が立っていた。そして、〝余計な仕事をさせてしまいましたね″と申し訳なさそうに言うと、壊れたオーナメントを手に取り、〝哀しいね″と言って中へ入って行った。

 ……寂しそうな声が耳に残って私の心をしめつけた。


 応接室に戻ると丸岡さんの姿は無く、彼がツリーの前に立って美しい輝きを見つめていた。幻想的な光は点滅する度に彼の横顔を海底にでもいるみたいに青白く浮かび上がらせ……美しいと…でも、やはり哀しそうだった。

 カーテンの隙間からチビが顔を出した。……いつの間に起きたのだろう……何か引っ張り出してきた。前足で触れては身構え、また飛びついたりしている。よく見ると拾い忘れたオーナメントだった。


 彼もそれに気づき拾い上げると、目の高さに掲げて辛そうに眉を動かしソッとツリーに飾った。

 チビはおもちゃを取り上げられて恨めしそうに彼を見上げたが、直ぐに足元に身体をすり寄せ甘えだしたので、抱き上げ暖炉の前に置かれた椅子にゆったりと身を沈めた。

 ……声を掛けたくとも言葉が出てこない…覗くことのできない心に見えない壁を作り拒絶しているような気がしたからだ。


 私は溜息をつき視線を窓の外に移した……庭も木々もその向こうに見える景色も全て白一色に埋もれ、太陽の光が当たると眩しくて目を細めてしまう程だった。


 ずいぶん積もったな……ホワイトクリスマスだわ。


 私は今日までの数日間を思い出してみた。




 ◆◆◆◆◆




 未来ちゃんとの出会いで見えかけてきた心の内は、別れという喪失感から今度は自ら孤独の鎧を身にまとい頑なに周りを拒絶していった。

 最初に現れた時のように冷たくて底知れない暗さを宿した瞳で私たちを見下し、人の心を逆なでするような言動、そしてゾッとする笑みを見せて暴虐武人に振る舞った。


 あんなに可愛がっていたチビさえも次第に寄せ付けなくなり、ますます孤立し張りつめた糸のようで触れるのが恐ろしなり、リュウの本当の姿が知りたいと大きな口を叩いたのに、私は踏み込む事に二の足を踏んでいた。


 主人格である東條竜也は鳴りを潜め、出てくる事がめっきり少なくなっていた。

 其れはおそらくリュウを理解して欲しいという彼の願いで、わざと傍観者となっているのではないかと思う。


 しかし其れにも限度というものがある。


 五日前……


「こんにちは〜」


 突然明るい声が応接室に響いた。

 ゆりなさんがアポ無しでやって来たのだ。

 まぁ、妹だからいつ来ても問題はないけど、タイミングが悪すぎる。


「お兄様いる?」


 一連の事は何も知らない彼女の訪問は私たちを慌てさせ困惑させた。


「ゆりな様!…いかがなされたのですか?」

「あら?何かなきゃ来ちゃいけないの?」

「いえ、突然のお越しだったので……」


 ゆりなさんはいたずらっ子みたいな笑顔を見せて部屋を見回した。


「お兄様は……んん〜二階?」

「あ…いえ…はい。しかし……あの」


 しどろもどろの丸岡さんを訝しげに見つめると〝なんか悪い物でも食べたの?″と言って笑いながらソファへ腰をおろした。


「ねぇ、いるんでしょう。久しぶりに妹が会いに来たんだから、呼んできてくれる」


 そう言って部屋の隅に置かれた車椅子に目を留めた。


「何で車椅子がそこにあるの?」


 忘れいた……使わなくなった車椅子を置いたままのことを…突然過ぎて頭が回らなかった。


「あの…新しい」

「必要ないからに決まってんだろ」


 私の言葉をさえぎる声。

 マズイ!……リュウが来てしまった。


 ドアに寄りかかり腕組みをしながら二本の足で立っている姿を見て驚き、目を数回瞬くとみるみる喜びの表情へと変化し、兄だと思ってリュウの側へ駆け寄り抱きついた。


「いつの間に?どうして教えてくれなかったの!」


 嬉しそうなゆりなさんを冷ややかな瞳で見つめ、そして何か思いついたみたいに卑しい笑みを浮かべた。


「報告が遅くなって悪かった。歩ける様になったよ……今まで心配かけたね」


 頭を撫でながら彼のフリをして見せたが、次の瞬間ゆりなさんの髪をひっぱり顔を近づけるとニヤリとして言った。


「なんてね……」

「おにい…様…」


 髪を引っ張られる痛みにたえながら、瞳を震わせ表情を歪ませている。


「残念!…あんたのお兄様じゃない」


 面倒くさそうにゆりなさんの腕を振りほどき冷たく笑った。


「どういう事……なに言っているの?」

「面倒だなぁ…丸岡、教えてやれよ」


 いつもと違う態度で、兄じゃないと突き放し冷淡な笑いをあげる姿に、ゆりなさんは訳がわからず不安な表情をして丸岡さんに視線を向けた。


 丸岡さんはこの状況を楽しんでいるリュウを睨みつけ、動揺する気持ちを落ち着かせる為か、こめかみに浮き出た血管をおさえた。


「なんだよ、話せよ。いつまでも隠しておけないだろ」

「丸岡さん…」

「…………」

「ほらほら…お嬢様がお待ちだぞ」

「リュウ!」


 私は思わず名前を言ってしまった。


「リュウ?……薫さん、何故リュウと呼ぶの?」

「あ…それは」

「丸岡さんが話せないなら薫さんでもいいわ、なにを隠しているの?ちゃんと説明して」


 丸岡さんが何も言わないのに私が話す訳にはいかなかった。

 ゆりなさんはイライラと溜息をついた。


「……どっちでもいい、話しなさい」

「ゆりな様…」

「丸岡!…命令よ、説明しなさい。

 ……兄はどうしてしまったの?」


 真っ直ぐに腕を伸ばし指差したその先にリュウの妖しく光る瞳があった。


「こんな……こんな形で……」


 絞り出す声は、怒りなのか其れともいいように振り回されている事への屈辱からなのか震えていた。


「ゆりな様、全てお話し致します」


 リュウ以外の私たち三人はソファに座り、少し間をおいて丸岡さんが話し始めた。


 それは長い長い話だ……アメリカの事件を知っているゆりなさんであっても、順序よくこと細かに話す必要があった。


 ゆりなさんは自分が思っている以上に兄が傷つき悲しみ、自分を責めていたことを知り、そして苦しさ故に別人格を作り出してしまった事に声を押し殺して涙を流した。


「私……何も気づかないで、お兄様に甘えてばかりいた……」

「ゆりなさん…其れは仕方ないです。本人だって最近まで知らなかったんですもの」


 丸岡さんも優しく頷きゆりなさんを見つめ、其れからリュウの事を話し出した。


 自制心がなく粗野で粗暴、その犠牲になったのが佐々井さんである事も悔しそうに話した。其れでも彼の中でおとなしくしていれば良かったのだが、とうとう身体を乗っ取り自分が主人格になろうと画策した。


「……記憶を取り戻し弱っていた竜也様は簡単に身体を明け渡してしまいました」


 ゆりなさんは暖炉前に置かれた1人掛けの椅子に王の様に座っている姿に眉をひそめ見つめた。


「お兄様はそれからずっと……なんて言うの……現れないの?……まさか消えたなんて言わないわよね」

「それは大丈夫です。安心して下さい」


 ホッと胸をなでおろすゆりなさんに話を続けた。

 チビと未来ちゃんとの出会いと別れ、そして最近の様子を……たまに私が補足しながら現状に至るまでを正確に語り終えた。


 丸岡さんは深く息を吐いて疲れたように肩を落とした。

 微動だにせず身体を硬直させ聞いていたゆりなさんも、ふっと力を抜きソファにもたれかかった。


「なんか……頭の中がパニックだわ。

 そんな事ってあるのね……ドラマや映画の中だけの出来事だと思っていたけど……」

「今まで報告もせず隠していた事をお許しください」

「そんな……黙っている事の方が辛かったでしょ…」

「しかし、ご家族にはもっと早く話していれば、この様な事態にはなっていなかったかもしれません」

「そんなこと……分からないわよ」


 沈んだ空気の中、沈黙していたリュウが間延びした声をあげた。


「おわったぁ?長すぎて途中寝ちゃったよ……まぁ、そういう事なんで、俺のやりたいようにやるから」


 ゆりなさんは立ちあがるとリュウに近づき〝あなたの勝手にはさせない″とキッパリとした口調で言った。しかし、リュウは肩を小刻みに震わせながら馬鹿にしたように笑っているだけだった。

 何が可笑しいのかと突っかかると、更に声をあげて笑う。私たちは心を逆なでするような態度に三人三様表情を歪ませた。


「あんたみたいなお嬢様に何にもできないさ……俺の一挙手一投足にオロオロするだけだ」


 ゆりなさんの手がリュウの頬にヒットする。

 打たれた左頬をさすり鋭い目を向けて立ち上がり、ゆりなさんの首を掴みわざとらしく悲しげな表情をした。


「酷いなぁ…兄貴に手を挙げるなんて……

 竜也が悲しんじゃうよ」


 慕っている兄を打ってしまった事にハッとして目をそらす。


「ふっ…俺の一言でそんな顔してるようじゃあ、やっぱり何もできないな。

 ……帰れ。これ以上竜也の信者が集まって来るのはごめんだ」

「ここは……お兄様の家よ」

「だから俺の家だ。中身は変わっても入れ物は東條竜也」

「入れ物って…そんな言い方」


 ゆりなさんは悔しそうに唇を噛んだ。


「返して……お兄様を返して!」


 手をあげたその手首を掴み憐れむような顔を近づける。


「可哀想に……あんたの大好きなお兄様は、孤独な牢獄に閉じ込められて出て来れない……」

「そんな事ない!」

「リュウ!やめて!」

「うるさい!」


 側にあった椅子をおもいっきり蹴っ飛ばし血ばしった目を剥いて私を睨んだ。

 チビが近づき澄んだ瞳で見つめ、たしなめるみたいにひと鳴きした。


「お前もあっちへ行け!」


 私はチビまで蹴るのではないかとヒヤリとしたが、足で床を高く鳴らし脅すだけに留まった。チビは驚いて跳びのき何処かへ行ってしまう。

 リュウは突きとばす様にゆりなさんを解放すると、まるで汚いものでも見るように一人一人に視線を向け〝どいつもこいつも″と言って出て行った。

 ゆりなさんはその後ろ姿を悔しそうに見つめていた。




 ◆◆◆◆◆




「随分と積もりましたね」


 丸岡さんは暖炉に焚べる薪を台車に乗せ入って来た。


「そうですね。いちめん銀世界です」


 心の中もこんな風に真っ白な雪に覆われ隠してくれればいいのに……

 でも、溶けてしまえばその下にある真の姿が現れてしまう…結局、向き合わなくては進めない。


「夕方からまた降るようです」


 暖炉の横に運んで来た薪を積み上げながら静かに言い、そして椅子に座っている彼を見つめ複雑な表情をした。


「寝ておられるようですね」

「……いらした時とても哀しそうにしてました」

「何か話されましたか?」

「余計な仕事をさせたねと……」

「そうですか」

「私……何も言えませんでした」


 丸岡さんはぎこちなく無理に微笑んでいる。

 私は心に引っかかっている事を思い切って聞いてみた。


「丸岡さん…もしかしてリュウがどうしたいか知っていたんじゃないですか?」


 薪を所定の位置におろし終わると台車を押し私の前で立ち止まる。

 当たり前みたいに〝はい″と答えると穏やかに微笑み部屋を出て行った。


 何時から知っていたのか、其れとも本人から聞いていたのか……今更その事を聞くつもりはない。ただ喉に引っかかっていた小骨を取り除くみたいにスッキリしたかっただけ……これで丸岡さんの態度に納得がいった。




 ◆◆◆◆◆




 三日前……


 朝日田さんから電話がきた。

 二重人格と知って以来マメに連絡を寄こしていたが、丸岡さんはほとんど詳しい事は話さず当たり障りのない報告をしていたので、朝日田さんも現状を把握していなかった。


 携帯の画面に朝日田さんの名前を目にし、丸岡さんは難しい顔をして直ぐに出る事が出来ないでいた。

 躊躇していると切れてしまった。

 少しホッとしたように携帯をしまうと、また朝日田さんからの着信を知らせる音が内ポケットから響いた。


「……でない訳にはいきませんね」


 そう呟くとフッと息を吐いて電話に出た。


 私は本当の事を話すのか緊張しながら耳を傾けた。もしかしたら、ゆりなさんから現状を聞いて連絡を寄こしてきたのかもしれない。

 しかし、受け応えを聞いていると何も知らないようで、丸岡さんも言葉に窮している感じが見てとれた。


「朝日田様、こちらへ来て頂けますか?電話では……直接お会いして話したいのですが……」


 どうやら話す覚悟を決めたみたいだ。


「お忙しいのに申し訳ございません……お待ちしております」


 電話を切り私に向かって朝日田さんが来る事を告げると、疲れたように目頭を押さえた。


「大丈夫ですか?」

「えっ?……ここまできたら話さない訳にもいかないでしょう」

「そうじゃなくて…丸岡さんお疲れみたいだから心配なんです」

「ありがとうございます。骨の折れることばかりですが、其れも役目です。

 竜也様を思えば疲れたなど言ってはおられません」


 丸岡さんはパンと手を鳴らし、朝日田さんは飛んで来るから早く仕事を片付けてしまいましょうと、まるで季節外れの台風でもやって来るかのように大急ぎで取りかかり始めたので、私もつられてバタバタと動き出した。


 一時間後、朝日田さんはいつものおおらかな表情とは異なりやや緊張した引き締まった顔をしてやって来た。


 応接室へ迎え入れるとタイミング良く丸岡さんが紅茶を差し出し、急な申し出にもかかわらず足を運んでくれたことに礼を述べ深く頭を下げた。

 朝日田さんは小さく頷いて向かいに座るよう私たちにソファを勧めた。


「こんな風に呼び出したって事は、かなりまずい状態…そういう事ですね」

「はい。……朝日田様に任せてくださいと言っておきながら、今だに何も変わっておりません……むしろ悪化したとも言えます。

 ……とうとう、ゆりな様も知ってしまわれました」

「彼女来たのか……そうか……ショック受けただろうな…いや、そんなもんじゃないか」


 それから丸岡さんは現状を話し始めた。

 朝日田さんは出来事ひとつひとつに表情を変化させ、話し終えるまで口を挟む事なく静かに頷きながら聞いてくれた。


「……なんだって竜也は表に出てこないんだ。入れ替わろうと思えばできるんだろ?」

「はい。リュウは自分が封じ込めていると勘違いしていますが、おそらく竜也様の意志かと……」

「全く…なに考えているのか……薫さんはどう思っているの?」

「…リュウの事理解して欲しいと言っていました。その機会を私たちに与えているんじゃないかと思います。私も理解したいと思っていますが、リュウはそれを拒むように傍若無人な態度で寄せつけません」

「理解など不可能です。リュウ本人もそんな事は望んでいないでしょう」


 能面みたいな顔は冷たくてなんだか怖かった。

 その時ドアが開き片手にチビをぶら下げるようにリュウが入って来た。


「こいつ勝手に……あれ…来客中……まぁいいや、こいつ部屋に進入しないように見張ってろよ」


 私にチビを押し付けると、朝日田さんをチラリと見て鼻で笑うと何も言わず出て行こうとした。


「待てよ」


 肩を掴み、リュウが振り向いた瞬間朝日田さんの拳が頬にめり込んだ。

 学生時代とは言え、高校・大学とボクシングの学生チャンピオンにもなっているパンチはひとたまりもない。簡単にリュウの身体は吹っ飛んだ。

 私も丸岡さんも突然の出来事で声も出せず呆気にとられ立ち上がったまま動けずにいた。


「立てよ」


 厳しい表情で見下ろす朝日田さんの右の拳は、強く握り締めている為なのか其れとも怒りや、悔しさからなのか震えていた。


「……いっ、いってーな」


 リュウは口を切ったのだろう唾を吐くように血を出した。

 それからのっそりと起き上がり唇に手の甲をあて血を拭った。


「そりゃあ痛いだろう……殴られたんだからな」


 リュウはヘラヘラとした笑いを浮かべ、目だけは冷たく光っていた。


「あんた誰だっけ?」

「ああ?」

「……んん……ああ〜思い出した。朝日田って言ったな」

「お前……竜也を出せ」

「はっ?ふっ……ヤダね」

「竜也聞いてんだろ?こんな奴早く追い出して元に戻れよ」


 朝日田さんの声は彼に届いているのか……


 リュウは面倒くさそうに頭をかいた。


「いい加減にして欲しいね……竜也、竜也って…聞きあきたよ」


 朝日田さんが怖い顔をしてリュウの胸ぐらを掴んだ。


「いい加減にするのはお前だ」

「何、また殴る?…殴れよ。本気だせばあんたなら殺せるんじゃねぇ……そうすれば俺は消える。……竜也もだけど」

「お前…」

「ほら、やってみろよ」


 狂ったような目を剥いて挑発するリュウを、忌々しそうに顔を歪め朝日田さんは悔しそうに手を離した。


「ふん……だらしねぇな。

 結局あんたらは何にも出来ない。ただ指くわえて見てるだけさ。そうやっている内に竜也の意識は消えてゆく……俺じゃない、あんたらが竜也を殺すんだ。クックク…可哀想に見捨てられて…孤独の中死んでゆくんだ」

「やめてリュウ!」


 金切り声を私はあげた。


「うるせぇ!」


 血走った目、上下する肩、まるで極度の飢餓に陥った獣のようだ。

 のどの渇きと飢え……それはひび割れた心と孤独で、生き残るために全てを壊そうとしている様だった。


「さあ!どうする?

 どうやって竜也を取り戻す。それとも諦めて俺を受け入れるのか?」


 喚き散らすリュウの腹部に朝日田さんの拳がめり込み、悶絶してその場に倒れた。


「すまん竜也……少しこの獣と寝ててくれ」

「朝日田さん」

「……竜也の顔してあんなに喚き散らす姿見るに耐えない」


 朝日田さんは床に伸びているリュウを抱き起こしソファに寝かした。


「どうしたらいいんだ……」


 こんなに顔をしかめた朝日田さんを見たことがない。

 それと……リュウが部屋に入ってきてから一言も話さない丸岡さんが気になった。

 口を挟むタイミングがなかったのか…それにしては成り行きを見つめているだけの傍観者みたいだった。


「丸岡さんはどうしたらいいと思いますか?」


 暫く考えた末でた言葉は主人をおもう執事らしいものだった。


 丸岡さんは朝日田さんと私を沈んだ瞳で交互に見つめたあと、天井を仰ぎ目を閉じると肩の力を抜いた。


「お小さい頃からお世話をしておりました。離れていたのはアメリカ留学中だけでございます。心配で何度も様子を伺いに行き…竜也様は半ば呆れたように笑っておられましたが、いつも私を優しく迎え入れてくれました」


 ソファに横たわっているリュウに視線を落として辛そうに表情を動かした。


「竜也様がこのような苦しみに遭われたのは私のせいで御座います」

「どういう事ですか?」

「留学先にもついて行くべきだったのです。

 常にお側近くに控えていればあの様な事件に遭うこともなく、記憶をなくす事も、ましてや二重人格になどならなかったはずです」

「それは……そんな事わからないです。

 未来に何が起きるのか予測は出来ないのだから…丸岡さんのせいじゃないですよ」

「薫さんの言う通りだ……丸岡さんが近くにいても事件は起こったかもしれない」

「そうかもしれませんね……しかし最悪は避けられたでしょう」

「自分を責め過ぎてませんか?」


 ゆっくりと首を横に振り、いつもの穏やかな瞳は哀しく沈んでいた。


「主人を守るのが執事の役目。

 それを私は怠ったのです。……もう二度と竜也様をお辛い目にあわせまいと誓ったのに……

 リュウを竜也様の中から排除する事は私の使命なんです」


 使命だと言った丸岡さんの表情に私は得体の知れない不安を感じた。


「丸岡さんはどうするつもりなんですか?」

「何も…」


 朝日田さんと私は顔を見合わせた。


「何もって…」

「今、表だってする事はありません……いづれ自滅していくでしょう」


 自滅?……そんな事があるだろうか?

 あのリュウが自滅するなんて考えられない……

 それに何もしないとは……使命だと言っておきながら?


「丸岡さん、〝今″って事はその時がきたら何か行動を起こすと思っていいんですか?」

「あゝ…」


 朝日田さんの指摘に〝今″と言った事を思い出して思わず声を出してしまった。


「すみません。何でもないです」


 私に向けた視線を丸岡さんに戻し続けた。


「…どうなんですか?」


 その問いに丸岡さんは静かに微笑んでいるだけで何も答えてはくれなかった。

 そんな態度に朝日田さんは少し苛立ちを見せたが、そこは長い付き合いで培われた信用というものがある為か深く追求はしなかった。


 その後、リュウが目覚めるとまた突っかかってくるかもしれないという丸岡さんの判断で、朝日田さんは渋々腰をあげた。

 帰り際、私の耳元で〝大丈夫だとは思うけど注意を払っていて″と囁いてから軽く手をあげ〝また来る″と言って玄関を出て行った。


 それから間も無く目を覚ましたリュウは、朝日田さんがいない事に〝つまんねぇ″と言って、自分だけがやられたまんまなのが不満だったのだろうブツブツと文句を言いながら応接室を出て行った。


 これが三日前の出来事。




 ◆◆◆◆◆




 暖炉の暖かい温もりに包まれ眠っている姿は何も無かったみたいに穏やかで静かだった。

 私はブランケットをソッとかけると、彼の腕の中にいたチビがガラス玉のような瞳を私に向けた。

 口の前に指を立て微笑むと、チビは大きな欠伸をしてまた目を閉じた。


「薫さん、門から玄関まで除雪して来ますので」

「あっ、私がやります」

「ご心配なく、小型の除雪機が有るので直ぐに終わります。それより…竜也様の側についていてください」

「はい」


 厚手の防寒着に帽子と手袋という出で立ちで出て行った。


 私は手持ち無沙汰でソファに腰をおろすと彼の横顔がよく見えた。

 もう、その表情にリュウの影は見当たらない……クリスマスを迎える前に消えてしまったのだ。


 1日前……最後の夜。


 夕食の片付けも終わり応接室に行くとリュウがクリスマスツリーを眺めていた。

 私に気づくと視線を窓の外に移した。


 吸い込まれそうな暗い空から舞うように落ちる雪が、庭に薄っすらと静かに積もりだしていた。


「雪遊びってやった事ある?」


 突然の問いに私は聞き返した。


「やった事ないんだよね」


 何故そんな事を言い出したのか気持をはかりかねた。


「明日、出来るかな……」

「……出来るんじゃない。一晩降り続くみたいだから…」

「やりてぇな……」

「すればいいじゃない」


 私の言葉に微かな笑みを見せた姿が儚く思えた。

 圧倒的な存在を示しているいつもと違う事が私を動揺させ、何か起こりそうで頭が痺れる感覚に襲われた。そしてその時は直ぐにやってきた。


「……丸岡呼んできて」

「えっ…ええ」




 ◆◆◆◆◆




「何のようなのでしょうね……」

「……いつもと様子が違うんです」

「ほう」


 ドアの前で立ち止まりピシッと伸びた背筋を少し丸め考える様な仕草をした。

 その時部屋から怒鳴り声と何かが倒れる音がした。私たちは慌てて中に入ると、こめかみ辺りを掌で叩きながらリュウがウロウロ歩き回っていて、クリスマスツリーが倒れていた。


「リュウ!何してるの!」

「うるさい!うるさい!命令するな!」


 私の言葉など耳に届いていないみたいで頭を押さえ雪が積もるテラスへ飛び出しっていった。

 膝をつきうるさいと何度も叫んでいる。

 近づこうとすると後ろから肩を掴まれ、振り向くと丸岡さんが目を細め首を横に振っていた。


「黙れ…分かったような事を……もう決めたんだ。誰も……いいから今は引っ込んでろ!」


 肩で息をして汗が額から流れている。

 フラつきながら立ち上がり雪のように真っ白になった顔を私たちに向けた。


「どけ!」


 私と丸岡さんの間を押しのけ転がる様にソファに座った。そして全身に力を入れ身体を丸め地の底から這い出すみたいな声をあげた後解き放たれ様に身体を緩めた。

 ゆっくりと深呼吸をしている。

 会話をしてしていた……東條竜也に間違いない。

 リュウに何を訴えていたのだろう?

 あんなに苦しむ姿は初めてだ。


 丸岡さんがコップに水を入れてリュウの前に置いた。

 刺すような目を向けぶっきらぼうにコップを手に取ると一気に飲み干した。


「随分苦しそうでしたね」

「ふん…あれくらい何でもない」

「そうですか?…そうは見えませんでしたが」

「どうにもならないのにグダグダと……面倒な奴だ」

「リュウが大人しく消えればそんな面倒は無くなりますよ。その苦しみからそろそろ解放されては如何ですか?」


 リュウは嬉しそうな表情を見せた。


「いいねぇ…丸岡のブレないところ。嫌いじゃない」

「褒め言葉と受け取っておきます。

 ではサッサと消えなさい。もうあなたの役目はとっくに終わったのです」


 リュウは無表情でテーブルの上にあったコップを払いのけ、勢いよく飛んで床に落ち割れてしまった……欠片に暖炉の炎が揺らめいて映っている。


「そんな態度を取っても無駄です。潔く自分を終わらせるのです」


 冷淡な言葉と態度に私は丸岡さんから目が離せないでいた。

 リュウの表情が一瞬かげり眉間に皺を寄せた。


「ふん……思い通りなんかにさせない」

「あなたの言葉は飽きました……もう全ての事から解放するのです」


「解放ねぇ」


 俯いたまま立ち上がり蛇が鎌首をもたげるように顔をあげると丸岡さんを冷んやりと見た……と思うと一瞬のうちに首に手を当て壁に押し付け締めつけた。

 丸岡さんは表情を微かに歪めリュウを蔑む様に見ている。

 リュウは奇妙に顔を引きつらせ口角がヒクついて異様ほど目が光っていた。そしてゆっくりと掴んだ首を締め付けていく……蛇が獲物をジワジワと絞め殺す様にゆっくりと楽しむみたいに…丸岡さんは更に顔を歪めたが蔑む目の表情は変わらなかった。


「やめて!死んじゃう!」


 私は腕にしがみつき止めようとしたが呆気なく蹴り飛ばされ床に転がった。


「その姿でそんな事しないで!」


 もう一度しがみつき首から手を引き離そうとしたが、全身から伝わる力でビクともしなかった。

 リュウは異様に目を剥き私に顔を近づけると悪魔みたいに微笑んだ。


「そんなにやめて欲しいのか?」

「やめて…」


 ふっと手を緩める。


「なんてな」


 また私は蹴り飛ばされ転がった。

 そして嘲笑うみたいにこちらを見てゆっくりと手に力を入れていった。


「俺を止められるのは竜也だけだ……あいつにその勇気があればだけどな」


「お願いやめて!……やめさせて!」


 私は見ていられなくて顔を覆って叫んだ。

 高笑いが部屋に響いている。


 ……お願い。

 やめさせて…リュウを止めて。


 心の中で繰り返し叫んだ。


「ダッセ……おい竜也、このままでいいのかぁ。ホント殺しちゃうよ。……ハッ…ハハハハハハ……ハ!」


 耳障りな笑い声が突然途切れた。

 私は恐る恐る顔をあげると、丸岡さんの首から手が離れリュウは苦しそうに片膝をついていた。

 解放された丸岡さんは壁にそってズルズルと座り込み首を押さえながら咳き込んでいる。

 駆け寄り助け起こす。

 私たちはリュウから離れ肩で息をしながら必死に痛みを振り払おうとしている姿を眺めた。


「やっと……お出ましかぁ…おせぇんだよ」


 立ち上がるとフラフラと歩き出し倒れたツリーの前で立ち止まった。


「さあ、どうする?俺はここに居るぞ…………黙るな、答えろ!

 このままだと同じ事の繰り返しだ。いつか本当に誰かが犠牲になる…いいのか?

 答えろ!……竜也ぁぁ!!」


 突き刺されるような悲痛な叫びが部屋に響きそして私の身体にこだました。


「…………リュウ。

 どうして自ら壊そうとする。僕は望んでない……別人格でもお前は一部で欠けていては僕ではない」

「……冗談じゃない。もうお前の為に存在するのは御免だ」

「確かにそんな存在だった。でも今は違う……苦しさや悲しみから逃れる為引き離された……引き離した人格、感情は元の場所に戻る。

 リュウは僕で、僕はリュウ…お互いが一部で全部なんだ」


 ころころと人格が変わる。

 ……ジギルとハイドという小説を思い出した。確かあれは善悪を持ち合わせていたジギル博士が、自ら開発した薬によって悪の部分を切り離す事に成功しハイドという人格を生みだした。……そんな話だったはず。

 全部当てはまる訳じゃないけど、二重人格者のもがく姿は同じだと思った。


 小説の最後はどうだったろう…………


 全身に鳥肌がたった。

 そんな事には成らない…絶対にあってはならない。

 私は小説の結末を頭から追い出す為に左右に首を振った。

 そして独り芝居みたいに喋り続けている姿をただ見守るだけの自分の無力さが腹立たしかった。


「お前が何と言おう決心は変わらない……一部だと…笑わせるな。切り離された時点で別もんなんだ」

「……恐れるなリュウ。お互いを受け容れれば孤独に成らない……僕は大丈夫…もう何も恐れない、目を背けたりしない。だから自分を破滅させるのをやめるんだ」

「うるさい!」


 ヒステリックに声をあげ立ち上がるとオーナメントやモールを狂ったように踏みつけ引きちぎり滅茶苦茶にしていった。


 その姿は怒りというより、何か悟られてしまう事を恐れているみたいで、必死に誤魔化す為にしている様に見えた。


「リュウ!」


 ピタリと動きを止めて声のする方に視線を向ける。

 その瞳には厳しい表情をした丸岡さんが映り、力が抜けたような笑みを浮かべると、暖炉の前に割れたまま放置されていたコップを手に取り首筋に当てた。


「ふっ…無駄だよ竜也。まだお前を抑え込む気力は残っている」

「やめてリュウ!」

「近づくな……如何する薫…これを突き刺せば竜也は死ぬ。俺は永遠にあいつから解放される…こんな嬉しいことはないよ。

 ……俺も死ぬってことだけどね……ふっ…」

「落ち着いて…」

「……凄く冷静だ。こんなにも心が穏やかなのは初めてだよ。きっと痛みも感じないで死ねる…そんな気がする」


 本当に穏やかな表情をしている……全てから解放され孤独も何もない世界へ踏み出すのを喜んでいるの?…自ら壊すとはこう言う意味なのリュウ。


「薫…答えろ。これを突き刺す前に俺が消えなければ竜也は死ぬ。

 俺を理解しようなんて甘いんだよ…悠長なこと言っているからこう成るんだ。

 さあ如何する…薫……言えよ」

「……消えて……」

「聞こえねぇよ」

「消えて……お願い」

「お願い?…笑わせるね。そんなんで簡単に消えるか」


 さっきまであんなに穏やかな表情だったのに、いつもの暗く冷たいリュウに戻っていた。


「情けねぇな……じゃ、さよならだ」


 リュウは尖った欠片を首筋に強くあてると真っ赤な血が滲み出した。


「駄目!リュウやめて!」


 アルカイックな笑みを浮かべ私を見ている。


「やめて…」

「聞こえない……」

「……どうして……お願いやめて……」

「はっきり言え!」

「リュウ…」

「言え!」


 血が筋となって首から胸元へ流れていく。

 ……死なせたくない…そんなの嫌…絶対に嫌だ。


「消えて…消えて…消えて!……あんたなんかどうでもいい彼の中から出て行って!…出て行け!!」


 叫んだ……喉が潰れそうなくらい大声で叫んだ。


 首筋にあてたコップの欠片が手から滑り落ちる。


「……やっと言ったな…その言葉が俺を解放する。礼は言わない……さよならだ」


 呆れたように、そしてホッとしたように微笑むとその場に気を失って倒れた。

 私は何が起きたのか直ぐには理解できないでいて、倒れたリュウを馬鹿みたいに見ていた。


 丸岡さんが駆け寄りリュウの脈をとり安堵した表情をしている。


 死んでいない……良かった。

 涙が溢れてきた……何の涙?……彼が生きている事に安心したから?…リュウの恐怖から解放されたから?それとも自分の言葉がリュウを消してしまった後悔?

 ……分からない…それなのに涙が止まらない。




 ◆◆◆◆◆




 涙が頬をつたう……慌てて拭っている所に丸岡さんが、ゆりなさんと朝日田さんを連れて入って来た。

 二人が一緒に来るという事は丸岡さんが連絡したって事だろう。


 ゆりなさんは私の顔を覗き込み心配そうに言葉をかけてくれた。泣いていたのがバレていたのかもしれない。

 朝日田さんは静かな寝息を立てている彼を確認し安心したように微笑んでいた。

 ゆりなさんも穏やかな表情で見つめ、乱れた彼の前髪をなおしてやっていた。


 丸岡さんが別室で報告するといい三人で出ていった。


 また二人っきりになってしまった。


 彼が気を失ってから丸岡さんは朝までずっと付き添っていた。交代すると言っても首を縦に振らず一睡もしていない……私も眠れるはずもなく自室でまんじりともせず夜を明かした。


 ……瞼が重くなってくる。

 暖かい部屋が睡魔を誘い身体を包んでいく。

 数分後私の瞼は完全に閉じられた。


 何もない真っ白な世界に立っている……遠くに誰かの後ろ姿を見たような気がした。……徐々に周りに色が浮かび上がって……私は洋館の裏にある森林公園へ続く道に立っている事に気づいた。

 やはり離れた所に誰かがいる……私は駆け出しその姿を追う。

 突然強い風が吹き顔を伏せてやり過ごそうと全身に力を入れた。


 チビの鳴き声が聞こえる……いつの間にか風が止んでいて、顔を上げると山の稜線がくっきりと浮かび上がり広大な景色が私を迎えてくれた。

 穏やかな自然の姿が心地よくて深呼吸をしてみる。……鳴き声が聞こえた。

 ……チビ?

 何処にいるんだろう?

 それに前を歩いていた人が見当たらない。


 キョロキョロしていると私を呼ぶ声が聞こえた。

 ……誰?


「薫……」

「誰なの?」

「薫のおかげで孤独から解放された。

 ……やっぱり君を洋館に来させたのは正解だったよ。後は頼むからな……じゃあ」

「リュウ?」


 耳を澄ませたが返事はない。


「リュウでしょ……洋館に来させたって…どういう意味?……リュウ…リュウ……」


 チビの鳴き声が耳元で響く。

 また強い風が吹いて私は怖くて目を閉じた。


「薫さん…薫さん……」


 この声は……彼だ。


 ザラリとした何かが頬をくすぐる。

 目を開けると彼の顔が間近にあって驚いて声を上げてしまった。

 頬をくすぐっていたのはチビで私の声に驚いて床にとび下りていた。


「あ、あの……」

「大丈夫ですか?……名前を呼んでました」

「えっ…」

「リュウ…と」


 吸い込まれそうな美しい瞳が優しく私を覗き込んでいる。


「夢を……夢を見てました」

「はい……」

「それでリュウが出てきて言ったんです。……洋館に来させたのは正解だったって……どういう事でしょうか?

 ああ、でも夢だから意味ないですね。すみません…変な事言ってますね……忘れてください」

「少しも変ではないですよ。リュウの言葉は事実ですから」


 少年のような笑みを浮かべ私の隣に座った。

 心臓が音を立てる…私はどぎまぎして肩がふれそうな距離を座り直すフリをして間を空けた。

 彼はその行動に首を傾げたが直ぐに表情を弛め小さく笑った。


「薫さんを見つけたのはリュウです」

「えっ?」


 彼は懐かしそうにそして少し恥ずかしそうに話してくれた。


 彼が深い眠りにつくとリュウは洋館を抜け出していたようで、その際私を見かけたという。二度目に見かけた時はコッソリ家まで後をつけたという。

 ……まるでストーカーだわ。


 親友の美保と呑みに行った帰り、酔っ払ってふざけた彼女がぶつかった相手もリュウで、やはり私の様子を伺っていたらしい。


「…何故そんな事……なんで私なの?」


 私の純粋な疑問に彼は少し表情を引き締めて理由を教えてくれた。


「薫さんは……エレノアに似ているからです」


 天地がひっくり返るほど驚いた…と言っては大袈裟かもしれないけど、意外な言葉はそれに近いものがあった。


「あの……顔が?」

「んん〜そこは似てません」


 少しがっかりする自分がいた。

 彼が愛した女性に顔が似てるなんて言われたら嬉しいから……多少複雑な心境にはなるだろうけどね。

 じゃあ、どこが似ているというのだろう?


「……じゃあ、何処が?…って顔しているね」

「はい……」


 彼は自分に言い聞かせるみたいに小さく頷いて遠い目をした。


「エレノアは思いやりがあって…誰かが悩んでいれば真剣に考え一緒に悲しんだり、悩んだり、解決すれば共に喜ぶそんな女性だった」

「私、そうでしょうか?」

「ええ。……僕も他人の悩み……やっかい事って言っているけど、どこか冷めていて好奇心を満たしているだけでね……彼女とは全く違う。でも、薫さんは同じだ……僕に持ち込まれるやっかい事を真剣に考え、悩み、相手に共感して腹を立てたり、悲しんだり……エレノアそっくりだ。好奇心もある…そんな所も似ている」


 自分の事を言われているのに何だかピンとこないのは私が自分を知らないだけなんだろうか?


「……誰だって友人や周りの人が悩んでいたら真剣に考えますよ…別に特別な事じゃないと思います」

「そうかなぁ……

 確かに話は聞くけど一体どれだけの人が深く考えているか疑問です。聞くだけなら誰でも出来るからね。

 つまりどれだけ相手に共感しているかだと思いますよ」


 其れは彼も同じだと思う……でも、共感するのでも私とは次元が違うんだ。


「…とても似ている。

 リュウは薫さんを見かけて一瞬で見抜いたんですね。……彼自身は会った事はないのに……僕の記憶を引き受けた事で、もしかしたら自分の思い出のように感じて、死んでしまったエレノアを求めていたのかもしれません。

 僕も記憶から消えている女性なのに無意識に求めていたのかも…それがシンクロして薫さんをここに導いたのだと……」

「丸岡さんが私の家に来たのはリュウが命令していたんですか?」

「それは私です……シンクロした事でリュウが見た薫さんを僕も見たと思ったのです。

 彼が心に働きかけたのかも知れませんがね」


 何だか不思議な話だ。そんな偶然に似ている人間に出会えるものなのか…ありえないような気がする。


 しかし彼は私の心を読むようにあの言葉を言った。


「薫さん、世の中に絶対はないのですよ。

 ありえない事が起きるそれが私たちがいる世界なんです。

 僕はそう思うんです」

 

 穏やかな春の陽だまりみたいな表情をしている。

 彼がそう言うのだから間違いはない……

 では、例え偶然だとしても私を見つけたリュウに感謝しなくてはならない。

 彼に会わせてくれて、この数ヶ月今まで味わった事のない経験をさせてくれたのだから……そう思うとリュウとあんな風に別れてしまった事が残念で悔やまれる。


「薫さん……大丈夫ですよ」

「えっ?」

「リュウはちゃんと僕の中で生きています。

 彼は消えたのではなくて僕と融合したと言ったらいいのでしょうか…戻るべき場所に落ち着いただけで、ちゃんと皆んなを見守っています」


 私は吹き出してしまった。


「薫さん?」

「すみません……だって、リュウが私たちを見守るだなんて…らしくないって言うか、どちらかと言えばひねくれた顔して冷ややかに私たちのやる事なす事文句つけている方がリュウらしいかなって…」

「フッ……そうですね。その方がらしいかな……」


 彼も私につられて声をたてて笑った。

 どんどん可笑しくなって目尻から涙が滲んできた……それが徐々に雫となって溢れ出てきた。


 ……あれ?…なんでこんなに涙が出るの?

 私変だ……


「薫さん……」


 彼の笑い声が止まり切なそうに私を見つめていた。


「やだ…涙が止まらない。可笑しすぎて涙腺まで笑っているのかな……ハハ」

「……涙腺は笑いませんよ」

「もう、そんな真面目にとらないでください。例えばの話なんですから、ヤダなぁ…」


 彼はそっとハンカチを差し出してくれた。それを受け取り涙を拭うと、ふわりと彼の腕が私の身体を包み込んだ。

 優しくて温かくて、彼の胸の鼓動が心地良くて波だった気持ちが落ち着いていく。


「……リュウはあなたに迷いを断ち切って欲しかった……最期をあなたの手で押して欲しかった。それが薫さんに重荷を背負わせる事になって……すみません……僕が情けないばかりに泣かせてしまいました。許してください」

「……でも、リュウがちゃんと貴方の中にいるなら大丈夫…気持ちが軽くなりました」


 彼の腕の中から顔をあげ離れると、少しぎこちなかったかも知れないが笑顔で〝ありがとう″と伝えた。

 そしてその時見せた彼の顔は忘れないだろう……すべての魂を浄化するみたいに包み込む光の様な表情…でも憂いが見え隠れする表情……一生忘れる事はない。


「竜也!」


 後ろから大声で呼んだのは朝日田さんだった。


「竜也様……お目覚めになりましたか」


 丸岡さんの目が潤んでいるように見えた。


 彼は立ち上がると親友に歩み寄り心配かけた事を詫びた。

 朝日田さんは大きな身体をプルプルと震わせ子供みたいにおいおい泣きだしたと思ったら彼をガッシリと抱きしめた。

 私は彼の骨が折れるのではと少し心配になった。


 彼はいつまでも泣きながらしがみついている親友に少しへきえきしてきたのか顔を顰め、手のひらを顔に強く押し当て〝いい加減に離してくれ″と言って腕から逃れた。

 後ろにいたゆりなさんに視線を移しやはり心配かけた事を詫びる。

 ゆりなさんも彼にハグをして〝良かった…お兄様が戻ってきて″と心から安堵したように言った。


「竜也ぁ〜」


 朝日田さんが今度は後ろから抱きついた。


「浩輔、お前しつこいぞ!離れろ、男に抱きつかれても嬉しくない」


 皆んな二人を見て大笑いした。

 こんなに心から笑ったのはいつ以来だろう。


 今日はクリスマスイブ……心やすく迎えられる。




 ◆◆◆◆◆




 チラチラと天から舞うように雪が地上に降りていく。

 彼は庭の真ん中に立って空を見上げていて、そこだけが異空間のようで近寄ることも話しかけることも躊躇われた。


 彼の頬に落ちた雪が儚く消えて涙のように伝っていく。


 丸岡さんにどうしたのかと声をかけられ、空を見上げている彼の姿を目の動きで教えた。


「……もう少しそっとして差し上げましょう」


 その言葉に頷き窓を閉めた。


 ……1月1日


 めまぐるしかった一年に別れを告げ、新しい年を迎えた朝だった。




 ◆◆◆◆◆




 午後になると雪はやみ気持ちのいい青空が広がっていた。


 私は暖炉の前で本を読んでいる彼にホットココアを差し出した。

 甘い香りと温かに立つ湯気……彼は両手で包み込むように受け取ると、息をフゥ〜と吹き一口飲むと穏やかな笑顔を見せた。


「美味しい…薫さんも一緒にどうですか?」

「そう思って持ってきました」


 私はラグに腰をおろし同じように両手でカップを持ち一口飲んだ。


「……どうです美味しいでしょ」

「私がいれたんですよ」


 顔を見合わせて笑った。


「……丸岡は?」

「大量に送られてきた年賀状を仕分けしています」

「ああ…恒例行事だ。毎年任せっきりにしている」

「あんな大量の年賀状初めて見ました」


 ココアをもう一口飲んだ。

 視線を感じ彼を見上げると吸い込まれそうな美しい瞳に私が映っている。


「……」

「……リュウの事でまだ聞きたいことがあるのではないですか?」

「えっ……」


 確かに心の隅にある……聞きそびれている事が……


「遠慮は無用です」


 柔らかな声に誘われるみたいに私は口を開いた。


「最初現れた時は記憶を戻さない様に……佐々井さんを襲ってまで隠そうとしていたのに、途中から自分が貴方にとって変わろうとしたりして……そして後半はわざと私たちを怒らせて初めから消える事を望んでいたみたいにいなくなった。

 一体リュウの本心は何処にあったのでしょうか?」


 彼は両手を合わせ祈る様に唇に軽くあてると目を閉じた。

 静かなその姿を見つめながら私は言葉を待った。


 ……ふ〜っと息を吐く。


「どれも本心だと思います」

「どれも?」

「ええ。……リュウは僕が記憶を戻してしまう事を恐れた。それは精神の庇護者としての責任や優しさからです」

「……それなら何故途中から主人格になろうとしたんですか?」

「それは薫さんにも心当たりがあると思いますが」

「えっ?」


 ……〝孤独は心を冷たくする″

 私はリュウの言葉を思い出した。


「……孤独」

「そうです……僕も記憶を戻し心を閉ざした時初めて知りました。存在しているのにそれを認めてもらえない寂しさ、孤立感。

 なのにもう一人の自分はたくさんの人に囲まれ人生を楽しんでいる。

 ……自分だってその権利はあるはずだと…そう思ってもおかしくはないでしょう」


 そうだった……孤独と言ったリュウの気持ちが知りたいと思った。

 でも結局理解する前に彼の中に戻ってしまった……私は何もできていない。


「……では何故自ら存在を消そうとしたのか、それを薫さんに託したのか……」


 哀しげに微笑み私を見つめる。


「おそらく僕がリュウの存在を認めたからだと思います。そして、好きな女性が自分を理解しようとしたから……」

「……好きな女性?」

「薫さんのことですよ」

「私?……冗談はやめてください……そんな絶対あり得ないです」


 彼はクスクスと笑った。


「薫さん……世の中に絶対はないのですよ」

「あっ……」

「リュウは記憶だけのエレノアが好きだった。そして薫さんを見つけ好きになっていったのでは……」

「まさか…そんな素振り微塵も見せなかった」

「天邪鬼のリュウが簡単にそんな素振り見せると思いますか?」

「そうだけど……」

「存在を意識された事で、そして未来との出会いと別れも大きかったと思います。

 どんなに孤独だったとしても理解してくれる者が近くに現れたら自分のルーツに帰っていく……

 リュウも理解したんです…自分が何者なのか……

 でも、自由を手に入れられる現状を自ら放棄する勇気が無かった。だから周りから怒りをかう様な態度をとって背中を押して欲しかったのだと思います」

「それが、私」


 彼は静かに頷いた。


「本当は僕がどうにかしたかったのですが、薫さんを選んだ。

 ……同じ身体を共有している僕では癪に触るから拒否したんでしょうね…らしいです」


 しんみりとした表情をして目を伏せる。長い睫毛が憂いを含んで震えているように見えた。

 もしかしたら彼はリュウをもっと自由にしてやりたかったのではないかとフッと思った……どうすればそれが叶うか模索しながらも、何も出来なかった事が口惜しく思っている。

 ……そんな気がした。


「……最後まで訳のわからない奴でした」

「皆んな同じですよ……心なんて全て読めない。だから人間は知ろうとし、そこから色んな感情が生まれ複雑に絡み合っていく。人は誰でも孤独な部分を持っていると僕は思います。だから他人と関わることで自分の存在を確認し、その意義を理解していくのかも知れませんね…」


 それが出来なかったリュウ。

 それを思うと今自分がこうして居られるのを当たり前だと思ってはいけないと感じた。


「リュウは僕の中でちゃんと生きている……孤独から解放され存在した意義を理解して僕の魂とこれからも生きていく」


 彼は顔をあげて何処か遠くを見る様な目をした。

 私はそれを隣で見つめる……これからもずっとそうしていたい。




 ◆◆◆◆◆




 日が落ちる頃、賑やかな二人が洋館へやって来た。

 彼は新年早々迷惑だと言わんばかりに渋い顔をしてアポなしの来客を応接室で迎えた。

 私はその態度に笑いを堪えながら丸岡さんが用意した豪華なおせち料理をテーブルに並べる。


「おお…うまそう」


 抜けがけして伊達巻を口の中に放り込む。


「おい!浩輔行儀悪いぞ」

「本当よ。丸岡さんも薫さんも席についてないのに」


 ゆりなさんが口をモゴモゴさせている朝日田さんを呆れたように見つめている。


「いえ、私と薫さんは後でいただきますのでお気遣いなく」

「あら、一緒に食べましょう。大勢で食べた方が楽しいわ」

「丸岡、薫さんも今日は皆んなで食べよう。一人迷惑な奴がいるけどな……」


 冷たい視線を朝日田さんに送っている。


 口いっぱいに頬張った伊達巻をやっと飲み込み朝日田さんは苦笑いをした。


「そんな冷たくするなよ…長い付き合いだろう」

「知るか」

「つれないな……まぁ…いいか。

 ……うん、丸岡さんも薫さんも座って…今日は一緒に食べよう」


 困惑する丸岡さんに彼も更に席に着くように勧めるので恐縮しながら了承した。


「では薫さん、お言葉に甘えましょう」


 私が返事をした所でインターホンが響いた。


「おや?…どなたでしょう?」


 新年早々洋館にやってくる者などこの二人以外思いつかないのだろう…丸岡さんは不思議そうに首を傾げた。


 嫌な予感……いいえ、これはワクワクする感じた。

 私は彼に視線を移した。

 方頬を吊り上げ目を細めている。

 チビが軽やかに彼の膝に飛び乗りビー玉のような瞳をくるりと動かした。


 私の視線に気づくとニヤリとして両手を合わせ唇に軽く当てる…その瞳は少年みたいに好奇心で輝いていた。


 あら…新年から〝やっかい事″


 私もニヤリとした。









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