孤独
いつもより早く目を覚ました。
隣にはかすかな寝息を立てて未来ちゃんが寝ている。頬に涙の跡……どんな夢を見ていたのか、それとも起きていたのか啜り泣いていた。
…………可哀想に。
そっとベットから抜け出し身支度をして部屋を出る。
一階におりて窓を開け放った。ひんやりとする空気に一瞬身震いするが、その刺激が頭をスッキリとさせた。
外はまだ薄暗けど、やけに空が高く感じる。
昨夜の強い風も雨も嘘のように晴れて気持ちがいい……ただ落ち葉の掃除は厄介だわ。隅の方にはこんもりと山になっていて、焚き火をしながらサツマイモを焼いたら美味しいだろうな……口の中に唾液が溢れてきた。
……でも、雨で濡れているから無理ね。諦めよう。
さて、朝食の準備にはまだ早い…丸岡さんが起きてからでいいわね。とりあえず玄関前にたまった落ち葉でも掃除しよう。
私は箒とちりとりを手にして外に出た……あらためて高い空を見上げ大きく深呼吸した。
◆◆◆◆◆
「このベット使って」
コクリと頷き部屋を見回した。
「薫ちゃんはどこで寝るの?」
「ここに布団引くわ」
ベットのすぐ下を指差し微笑んだ。
未来ちゃんはチビの頭を撫でながら首を横に振った。
「えっ?」
「一緒の布団で寝たい……」
不安そうな瞳をむけてきた……おそらくずっと冷たい布団の中、孤独にたえながら長い夜を過ごしてきたのだろう。
……つきなみな言い方だけど、不憫に思ってしまう。
「わかった。……ちょっと狭いけど、今夜は冷えるから2人でくっ付いて寝たほうが暖かいわね。」
ホッとしたような笑みを浮かべて頷いた。
「でも少しだけ待ってて、まだ仕事が残っているから……1人でいれる?」
「大丈夫、チビいるし」
「そうだね。……チビ、未来ちゃん宜しくね」
私の言葉を理解したみたいに両目を1度つむり鳴き声をあげた。
応接室に戻ると、リュウは頭痛から解放されたようだったが、そのかわり苛々と小刻みに足を動かしていた。
子供みたいに爪を噛みボソリと何か言った。
「はっ?」
「だから、酒!」
丸岡さんは苦虫を潰したような表情をした。
「お酒を飲んでも状況は変わらないと思いますが……」
「うるさい!いいから出せよ」
「いいわよね…大人は。腹が立っても悲しくてもお酒で一時的ではあるけど忘れてしまう事ができるから……」
せわしなく動かしていた足をピタリと止めて私を睨んだ。
「子供はただ耐えるしかないのに……あなたじゃ未来ちゃんを救えない。でも…彼なら出来る」
「彼……竜也に関係ない。情けないあいつは何も出来ない」
「でも……さっきリュウに代わって未来ちゃんに優しく話しかけたわ」
「うるさい……すぐに追い払った」
「そうかしら…頭が痛み出した時〝命令するな″……とあなたは言ったわ。その相手は彼だったんでしょう。暴走を止めるため話しかけたんだわ」
「黙れ!」
こめかみに青筋を浮き上がらせ勢いよく立ち上がった。
「その口…縫い合わせてやろうか?」
私に顔を近づけた。ゾッとするような冷たい瞳……
人格が違うだけでどうしてこんな表情になるのか……いいえ…違うからなんだ。
私は負けじとリュウを見つめた。
「二人ともおやめなさい。……未来様をどうするか考えるのが先決です」
私とリュウはお互いひと睨みしてからそっぽを向いて離れた。
「考える必要なんてない。あんな親に返したら、この先もずっと孤独のまま過ごすことになるのは目に見えている」
「確かに…このままでしたら、そうなりますね」
「だから未来はここに住めばいいんだ」
「しかし…向こうは保護者です。義務があります」
「あれが義務を果たしていると言えるか?」
「そうですねぇ……正直そう言い切る事はできないでしょう」
丸岡さんの一歩引いたような態度が気にいらないのか片方だけ口角をあげて目を細めた。
「……とにかく、未来は返さない。明日、迎えが来ても追い返せ…いいな!」
議論をするのが面倒になったのか、それとも…………不安なのか……リュウは〝絶対追い返せよ″…と捨て台詞を残して応接室を出て行った。
丸岡さんは額に指をあて呆れたような仕草で軽く首を振った。
「まるで子供です……感情のままに生きていますね。自分に正直と言えば聞こえは良いですが、なんの解決にもならない」
「……リュウは……未来ちゃんを自分と重ねているんじゃないでしょうか?
孤独という共通点が……そうさせる。チビだって独りぼっちで鳴いてたから連れて来た。未来ちゃんも孤独を抱えてた……リュウも…長い間影の人格として丸岡さん以外誰にも認識されず…身体を共有している相手さえも自分の存在を知らない……寂しい。
本当は一番彼に自分を知って欲しかったんじゃ……でも、知ってしまう事は自分が生まれてきた意味がなくなる」
何だか悲しくなってきた。リュウのことは嫌いだけどその孤独には同情する。
誰だって独りぼっちは嫌だ……ああ、彼が未来ちゃんに言っていた。あの言葉はリュウにむけて言ってもいたんじゃないかと、フッと思った。もしかしたらリュウの事を今一番理解しているのは彼なのかもしれない。
「薫さん……前にも言いましたが同情すべき点があってもリュウには消えてもらう。忘れていませんよね」
「忘れていません……けど」
「けど、何ですか?」
「……消えれば…それでいいんでしょうか?」
宿題を忘れ言い訳をする小学生みたいに丸岡さんの表情をうかがった。
「……話になりませんね。
もともと存在しなかった一時的に発生した人格です……竜也様はすべてを思い出したのです。ひとつの身体に二つの人格などあってはならない」
リュウに対しては一欠片の同情もみせない……何があろうと主人を守るため最善を尽くす。執事の鏡なのかも知れないが、私は納得できなかった。
「……薫さんは不満のようですね」
「不満というか……」
何を言っても意思は揺るがないような気がして口籠った。
「よろしい…この話はあらためてしましょう。明日の事を考えるのが先決です」
「はい」
やっかい事は彼がいれば上手く解決してくれるのだけど、今の状況でそれはほぼ叶わない。さっきみたいに出てきてくれる事は期待できないのだから……私たちで何とかしなければ、本当にひとりの少女の未来が悲しいものとなってしまう。
「明日、母親が迎えに来たら話をするしかないですね。すぐに理解してもらえないかも知れないけれど、そこから始めないと……」
「そう致しましょう……分かってもらえるまで未来様はここで預かりましょう……それで宜しいですか?」
「はい。……ヒステリックにならない事を祈ります」
◆◆◆◆◆
集めた落ち葉をごみ袋に押し込む。玄関前だけでも大きな袋がふたつ……敷地全部集めたら何袋になるのか……かなりの労働になるわ。
うっすらと滲む汗を手の甲でおさえフッと息を吐いた。
「早いですね」
振り向くといつの間にか丸岡さんの笑顔があった。
「おはようございます」
「おはようございます。早く目が覚めてしまって……」
丸岡さんは庭の方に視線を移した。
「これは……午前中いっぱい時間が取られそうですね。集めたら焚き火もいいかもしれません…お芋でも焼きますか」
私はクスリと笑った。
「雨で濡れているので無理かと思います」
「……今日は天気もいいようなので夕方まで広げて乾燥させれば何とかなりませんかね……」
「どうでしょうか……」
顎に手をあて真剣に考えているのが可笑しくて声をあげて笑った。
急に笑い出したので丸岡さんは不思議そうに首を傾げている。
「すみません……さっき私も焼き芋したいなぁ…って考えて、まさか丸岡さんも同じこと考えるなんて……可笑しくって」
「なる程……しかし、これだけ落ち葉があれば誰でも考えるのではないですか?」
「んん〜……くいしん坊が考えつく事…かなぁ」
丸岡さんもつられるようにクスクスと笑いだした。
「うわぁ!凄い落ち葉」
サイズの合わないスウェットの上下をダラリと着た未来ちゃんが、明るい声をあげてサンダルをひっかけ出てきた。
「焼き芋しようよ」
私と丸岡さんは顔を見合わせ吹き出して笑った。
未来ちゃんは何か変なことでも言ったのかと心配そうに目を向けてきた。
◆◆◆◆◆
リュウは10時過ぎに一階へ下りてきた。
私たち3人は庭の落ち葉集めに精をだしていた。チビは箒の動きに反応して戯れてくるので、その度追い払らうがそれでも邪魔をしてくる。飽きると今度は集めた落ち葉に突進し仕事を増やす。
未来ちゃんに首ねっこ捕まれたしなめられるが、〝文句あるか″っといった表情してひと鳴きする。
そんな光景をテラスから自分で入れたコーヒーを片手にリュウは眺めていた。
「優雅に見てないで手伝いなさいよ」
箒を片手に仁王立ちで声をあげた。
「なんで?……主人がする事じゃないないだろう」
偉そうな態度にニヤけた表情。
「主人?…よく言うわ」
顔をしかめて睨んでやった。
チビはかまってくれそうな相手が現れたので、ターゲットをそちらにシフトし近寄って行った。
リュウはチビを抱きあげ〝お前も俺も邪魔みたいだから退散しよう″…と言って逃げていった。
初めから期待していたわけではないが、少しも働こうとしないリュウに溜め息がでる。
「……薫ちゃん」
振り向くと先程までの笑顔は消え、力なく箒を動かしている。
「どうしたの?」
「お母さん、迎えに来るんだよね」
「そうね……未来ちゃんは一緒に帰りたい?」
大きく首を振った。
「もう、独りぼっちは嫌……でも……」
「でも?」
「……私が帰らないとお母さん酷いことされるかなぁ……」
「えっ?……酷いことって…お父さんが?」
「……」
「今までそんな事あったの?」
小さく首を横に振ったが何処か怯えているように見えた。
「……前のお父さんがそうだったから」
「憶えているんだ」
「うん……」
「辛いね……色んな思いずっと胸にしまって苦しかったよね。」
私は未来ちゃんの前にかがみ黒目がちの丸い目を見つめた。
どんなに冷たくされても、母は母なのだろう。それに再婚するまでは普通に愛情を注いでくれた親だという事をわかっている。だから身を案じる。自分のせいで立場が悪くなるのでないか、前の父親のように虐められるのではと心配する。
……いじらしくて胸が熱くなる。
「お母さんが来たらちゃんと話し合うから、未来ちゃんも気持ち我慢しないで正直な思い話してみよう。」
「うん……」
「分かってくれるまで此処に居ていいから」
私の首に両手を回し抱きついてきた。
背中を優しくさすると〝ありがとう″と小さな声で言った。
遠くから丸岡さんが声をあげている。
「お二人さん。サッサとやってしまわないとお昼になってしまいますよ。サボらないで下さい」
「はーい」
二人で肩をすくめペロリと舌を出し顔を見合わせ笑った。
◆◆◆◆◆
午後1時を少し過ぎた頃未来ちゃんの母親は夫と共にやって来た。
母親は昨晩とは違いおどおどした様子で、おそらく…娘を連れ戻せなかった事を責められたのだろう……しきりに夫の顔色を伺っていた。
「いらっしゃいませ。……本日はご主人も一緒ですか。……どうぞ中へお入り下さい」
父親はジロリと丸岡さんを睨めつけると、フンと鼻をならし神経質そうな薄い唇を曲げて屋敷の奥へ目を向けた。
「娘を引き取りに来ただけです。中に入る必要はないでしょう。未来は何処ですか?……返していただこう」
「困りましたね……言われるまま引き渡すことはできません。それでは未来様がここへ逃げてきた意味がなくなります」
父親は鼻の頭に皺を寄せ面倒くさそうに短く息を吐いた。
「逃げてきたなんて大袈裟な…ちょっとした親子喧嘩ですよ」
「親子…… ですか……」
「さっきから何なんだ!」
丸岡さんの言い方が気にさわったのだろう、言葉を荒げた。
「あんたがこの家の主人なのか?いい歳して失礼だな」
「これは失礼しました。執事をしております丸岡と申します」
「執事……はっ、あんたじゃ話にならない主人を出せ!」
リュウが応接室から脇腹をポリポリと掻きながらダラリと姿を見せた。
「うっせーな……」
執事の身なり受け応えからは想像もつかない主人の姿に、父親は驚き目を丸くした。
そして胡散臭そうに顔をしかめた。
「あんたが?」
リュウは品定めするみたいに視線を上下させた。
「このおっさんが未来の父親……へぇ、ショボ」
だらしない姿のリュウに言われたくないとばかりに頬をヒクつかせ咳払いをした。
「父親の前島宏之といいます。娘がご迷惑をかけたようで……連れて帰りますので、呼んでもらえますか」
「迷惑?…別に……あんた達のほうが迷惑だ」
相変わらず他人に対して上から目線で偉そうだ。この父親にはいい気味だと思うが、あまり神経を逆なでして話し合いができなくなるのは困る。
「あの、此処ではなんですから中にお入り下さい。未来ちゃんも待っていますので」
未来ちゃんの母親が夫の袖を遠慮がちに引っ張ると、苛ついた表情で仕方なく頷いた。
そして〝では、邪魔させてもらう″と言い、憮然とした表情で玄関を上がった。
◆◆◆◆◆
ほのかな良い香りが応接室に広がっている。
そのおかげで、ピリついていた部屋の空気が少し和らいだように感じる。
応接室に入るなり、父親が未来ちゃんを見つけると大股で近づき腕を掴み〝帰るぞ″と睨めつけ引っ張った。リュウはそれを阻み軽く突き飛ばしてしまった。
よろけた父親は怒りの目を向けたが、丸岡さんがリュウをたしなめ、失礼を詫び腰をおろすようにすすめると、妻に顎をしゃぐり仕方なさそうにやっと座った。
そして、心を落ち着かせる為に丸岡さんがハーブティーを出してくれたのだ。
一同が落ち着いたところで丸岡さんが胸の前でポンと手を合わせ〝それでは、これからの事話し合いましょう″と言った。
未来ちゃんの両親は顔を見合わせ表情を曇らせた。
「…先ほども言いましたが親子の問題です。他人のあなた方に介入されたくない」
「娘を返していただけたら直ぐに退散します。立ち入らないで下さい」
揃いも揃って話し合いを拒むなんて…そんなに自分たちを守りたいのか。
呆れてしまう。
未来ちゃんは俯き、隣で静かに目を閉じているチビの背中を撫でていた。
その横顔からはっきりとした意思を、まだ感じ取ることはできない。
「お二人はどうして未来ちゃんがこんな行動を起こしたと考えているんですか?」
「……だから、ただの親子喧嘩ですよ」
「いつまでそうやって誤魔化す気ですか?」
「誤魔化す……何を指してそんな事を言うのかわからないですね……」
動揺を悟られない為にか無表情でこたえる父親に怒りのバロメーターが少し上がった。
それでも、冷静にと言い聞かせ私自身も表情を隠し話しを続けた。
「未来ちゃんがこれまでどんな気持ちでいたのか、ちゃんと耳を傾けて下さい」
「全く……他人のあなた達がどうしてそこまで立ち入るのか理解できない」
「未来ちゃんに笑顔でいて欲しいからです」
「まるで私たちが娘から笑顔を奪っているように聞こえますが……」
「本当よ。悪い事すれば叱りもしますし、四六時中笑顔でなんかいられないわ」
母親は引きつった笑みを浮かべた。
「何か勘違いしていませんか?」
部屋に入ってから口を出さなかったリュウが、鼻の前で軽く手を合わせ澄んだ瞳を二人に向けた。
「薫さんが言っているのは心の笑顔の事です。……どうもあなた方は娘から心の笑顔を奪っているという認識が無いようですね」
なんでも見透す瞳が真っ直ぐ射抜くように前島夫婦をとらえている。
久しぶりに見る仕草と表情に、私は泣きそうになった。
「な、何を……親としてやる事はやっている。娘に……心の笑顔?…がないと言うなら、それはあの子が捻くれているからだ。私たちのせいではない。言い掛かりはよしてもらおう」
父親は後ろめたそうに視線を逸らした。
彼は残念そうに短く息を吐くと今度は母親に瞳を向けて少し首をかしげ見つめた。
「お母さんはどうなんですか?」
「私?……私は」
テーブルを挟んだ向かいに座る娘に目をやり、それから隣に座る夫の顔を伺い、唇を噛む母親の姿はとても情けなく私の目にはうつった。
「お母さん、ご主人と違ってあなたは血の繋がった親です。再婚し、新しい子供が生まれてからの未来はどんな風に見えてましたか?」
「そんな……変わりはないと思いますけど」
「本当に?」
「しつこいわね……変わりないわ」
あきらかに動揺している。
下瞼を小刻みに震わせ膝に置かれた手をせわしなく握り返している。
「妻が言っているんだ。間違いないだろ」
彼はサッと手の平を父親の方に向けて言葉をさえぎった。
「黙っていて下さい……あなたには聞いていません」
「なんだと!」
「いいから黙って」
一瞬だけとても冷たい瞳をむけ父親を黙らせると、一拍おいて息を吐いた。
「母親として本当にそう思っているとしたらとても残念な事です。
何も見えていない……しかし、僕は見えてないのでは無く、見ないふりをしているのだと思っています」
ハッとして顔を上げおびえた目を見せた。
よく見るとやはり親子だ…黒目がちの瞳がそっくりだ。
母親は助けを求めるように夫に視線を向けるが、憮然と腕を組み口を出す気はない様子に、ガックリと肩を落とした。
夫の顔色ばかり気にして自分の考えを口にしない母親を彼は憐れむように見つめ、そして身体の力をぬくようにソファに寄りかかった。
「貴女はいつまで娘から目を逸らし続けるつもりですか…まやかしの生活にどんな幸せがあると言うのか、その事に気づかなければならない」
「わ…私は……幸せよ。未来だって」
「それはあんたの自分勝手な言い分だろ!」
勢いよく立ち上がりテーブルに両手をついた。そして首を伸ばし恐ろしい形相を母親の顔に近づける。
……リュウ。
冷静さを欠いた突然の変貌に母親は奇妙な声をだし、肩を丸め恐怖で首を引っ込めた。
「自分の立場が安泰なら未来がどうなろうと知ったことじゃないんだろ!」
「そ…そんなこと……」
更に顔を近づけ不気味な笑みを見せる。
「ずっとそうしてろよ……ロクな死に方しないからさ」
「なっ…」
肩を震わせ低く笑い出したかと思えば、その声が次第に大きくなり、のけぞりながらソファにドサリと座った。
「ハッハハ……ハァ…………うぅ……」
両手で顔を覆い喉を大きく上下させた。
「……失礼しました」
覆った手をおろした。
血色の悪い顔をしていたが彼に戻っていた。
「驚かせてしまいましたね」
「あんた変だ……」
前島夫婦は異形のものでも見るかのように彼を見ている。
「……僕は、二重人格なんです」
「竜也様!」
彼はゆっくりと瞬きをして首を小さく振った。
「ある事を受け入れられず、そこから逃げる為にその記憶をもう一人の人格に押し付けてしまった」
「おやめ下さい」
「丸岡、いいんだ」
優しく少年のようなあどけない笑顔。
「長い間僕は、もう一人の人格の上に胡座をかき、多少の不自由はあったが周りに助けられ幸せに過ごした。僕の精神を護る為じっと孤独に耐えるもう一人の存在に気づかず……いや、気づかない振りをしていたのだと……幸せを失いたくない一心でね。
……今の貴女と一緒です」
とても悲しい声が私の胸を締め付ける。
「そして、そんな自分勝手な幸せはまやかしなんだと、もう一人の人格が教えてくれました」
瞳の奥に悲しみが見えた。
「リュウは……言葉も悪くて、冷たく残酷な所があるが、そうさせているのは全て僕を護るためなんだ……それに気づいた時、弱い僕の精神は表から引く事を選んだ。
そして心の底で小さくうずくまっていると、次第にリュウの計り知れない孤独を感じて……顔をあげた」
彼はふっと口元に笑みを浮かべた。
「今、僕の中でリュウが〝余計なこと言うな″って、怒っている。〝早く入れ変われ″とも……でも、もう少し喋らせてもらうよ」
父親が顔をしかめて〝二重人格って…頭、大丈夫なのか?″と妻に話し掛けたが、妻は不安そうに首を傾げるだけだった。
「リュウの孤独を感じるきっかけになったのが、チビと未来との出会いでした」
ジッとしていたチビがのっそりとした足取りで彼の元に行くと、身体を擦り付け甘えだした。
彼は丸岡さんにミルクを与えるように言うと話を続けた。
「表にでてきてもリュウの孤独は変わらなかった。丸岡や薫さんは受け入れてくれないからね……かえって孤独を感じたんだ」
「竜也様、それは」
「わかっているよ。二人は僕を大切に思っての態度なのだと……」
「リュウが自分勝手で酷いことばかりするから……」
「そうだね。やり過ぎな所もあるけど、本当の姿は違うんだ。
……すこし話がズレてしまったけど、孤独を嫌という程知っているリュウは、未来の悲しみ寂しさを敏感に感じ取ることができた。それは未来も同じで、だから強く惹かれあい親睦を深めていったんだ。
……そうだろ」
黙って聞いていた未来ちゃんの顔を覗き込み微笑んだ。
「うん。私と一緒だと思った。きっとわかってくれるって、ちょっと口悪いけど優しい人だって」
会って直ぐにリュウを理解するなんて……私たちは、たくさんの情報や表面ばかりにとらわれリュウの本質を見ようとはしなかった。
真っさらな心と目で判断しなければならないのに……愚かだった。
「未来、僕はリュウじゃないけど、ちゃんとこの中であいつも聞いているから…もう言えるね」
未来ちゃんは少し緊張した表情をしていたが、力強く頷いた。
そして深呼吸すると話し始めた。
「新しいお父さんができて、妹が生まれて凄く嬉しかった。でもお父さんはどんどん冷たくなって、私が悪い子だからなんだって思って良い子になろうと頑張った。けど……受け入れてもらえなくて……お母さんも私から離れていって、悲しかった。寂しかった。お父さんもお母さんも私のこと見てくれなくて、だんだん透明人間になった。学校でも意味なく無視されて、周りにいっぱい人はいるけど、私はずっと独りぼっち……誰も気にしてくれない」
膝に置いた手がスカートの裾をギュッと握った。
「あの日…森林公園でチビに初めて会った時、私、遠い所に行こうと思っていたの……私が居なくなったって誰も悲しまないし、本当に一人になろって」
「遠い所…それはどこか知らない場所に行こうしたのか、それとも……死というものを考えたのか」
「そんな!十歳の子供が死だなんて」
私は悲鳴に近い声をあげた。
「珍しいことではないです…悲しいことに」
「……死。そうなのかなぁ?よく分からないけど、楽に成りたかった。
もしかしたら、チビやリュウに会わなかったら、そうしていたかも知れない」
母親は怯えた目をして口に手を当て息をのんでいる。
「お前って娘は……冗談じゃない!そんな事されたら家族がどんな目で世間から見られるか……それとも死ぬことで私に復讐するつもりだったのか!なんて根性の曲がった子供なんだ」
「あなた、やめて!」
「うるさい!お前は黙ってろ!」
「死まで考えた未来を責めないで!お願いします」
初めて母親らしいことを口にした……怯えながら必死に夫にしがみつき懇願している。
「わからないか、この子は困らせようとしているだけだと……死なんて事も口から出まかせかもしれない。そう言えば同情してもらえると思っているんだ」
「未来はそんな子じゃない!お願い…もうやめて下さい」
「黙ってろ!」
彼の瞳が冷たくひかり、怒りを抑える為なのか拳にギュと力を入れていた。
「貴方はまだ自分の非を認めようとはしないのですね。
ここまで追い詰めたのは父親である貴方です…血の繋がった娘だけを可愛がり、連れ子は邪険にし…たくさんの傷を心につけた。
もう……ずっと以前に未来の心は貴方によって殺されていたのかも知れない。
死んでしまった心を抱えながら生きるのは辛いのですよ……わかりますか?
肉体だけでは生きるバランスが取れない。そこに心がなくては……人間はただの動くおもちゃでしかなくなる。
……いい加減自分の非を認めて謝ることをお勧めします」
父親は顔をしかめ悔しそに唇を噛んでいた。
「お父さん、可愛がって欲しいなんて贅沢は言わない。ただ、妹と遊んだりする事や無視することだけはしないで……私は透明人間なんかじゃない。ここにいるの、お父さんとお母さんの前に存在しているの……もうこれ以上ひとりは嫌……お母さん見捨てないで……」
最後の言葉は絞り出すように、頼りなく震える声だった。
そして、黒目がちな目から大粒の涙がひとすじ流れると、後はとめどなく涙が溢れだしてきた。
母親は泣きながら未来ちゃんの所まで這うように近づいて抱きしめた。
「ごめんね…ごめんね。お母さん自分のことばっかりで、未来に寂しい思いさせて……ごめんね」
「お母さん」
久しぶりに抱きしめられたのだろう……泣いてはいたけど、表情は嬉しそうだった。
「前島さん、奥さんは非を認めたようですが、貴方はどうなんですか?」
「私は……確かに厳し過ぎた所は…あったかも知れない」
ここ迄きてもはっきり認めない。プライドなのだろうか?…そんなものは捨ててしまえば楽なのに……
「そうですか……
さて、どうしますか未来。ご両親と一緒に帰りますか?」
「いえ。もう少しこちらで娘を預かって頂けますか?」
答えたのは母親の方で、覚悟を決めた表情で夫を見つめると更に続けた。
「今連れて帰っても駄目だと……夫とよく話し合わないと同じことの繰り返しになるような気がします。ですからご迷惑とは思いますが、預かっていただきたいんです」
「お母様、迷惑ではありません。そうでございますね竜也様」
「ええ、喜んで預かりますよ」
「ありがとうございます」
涙を手で押さえながら頭をさげた。
「お母さん……」
「未来ごめんね。ちゃんとお父さんと話してから、必ず迎えに来るからそれまで待っててね」
「お母さん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。心配しないで」
これが本来の姿なんだ……お互いを思いやっている。
これからどうなるか分からないけど、今の二人の姿を見ると大丈夫だと思える。
丸岡さんが彼に声をかけている。
疲れた顔をしているが、笑みを浮かべて大丈夫だと言っている。でも、明らかに無理をしているのがわかり、丸岡さんはしきりに休むことを勧めていた。
「おい、帰るぞ」
父親は気まずいのだろう……立ち上がるとさっさと応接室を出て行った。
母親はもう一度未来ちゃんを抱きしめ、そして立ち上がり、私たちに深々と頭を下げて夫の後を追って出て行った。
私はホウ…と息をついた。
未来ちゃんは心配そうに母親の出て行ったドアを見つめていた。
「大丈夫……お母さんを信じて未来は待っていればいいんだよ」
優しい声が部屋に柔らかく響いた。




