表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Dragon of heartbreak  作者: 有智 心
∞第7章∞ Persona
28/31

変化

 気絶したリュウを朝日田さんがソファに横たえ、その静かな姿を眺めていると別人格になっているなんて信じられなかった。


 丸岡さんがブランケットを持ってきてソッと掛けた。


「目覚めた時……竜也様に戻っていると嬉しいのですが……」


 現状では望みの薄い思いを言葉にし力のない笑みを口元に浮かべている。


「……丸岡さん、これからどうするつもりですか?」

「実のところわからないのです」

「しかし、このままって訳にはいかない。どうにかしてリュウを竜也の中から追い出さないと一生戻らないかも知れない」

「でも、無理に追い出そうとすると、さっきみたいに逆上して何をするかわからないわ……とても怖い」


 私たち三人の視線が横たわっているリュウに集中する。


「最善の方法は何なのか……」

「丸岡さん、悠長に構えている訳にはいかないでしょ…」


 朝日田さんは表情を曇らせる。……浅黒い顔が更に濃くなった。


 確かに……ただ待っているだけでは何時になるかわからない……でも何をどうしたら良いのか見当もつかない…下手にリュウを刺激するのは逆効果に思える。


「専門医に診てもらってはどうだろう……催眠療法とか。」

「それも一つの手ですが…心を閉ざしてしまった竜也様が果たして応えてくれますかどうか……」


 朝日田さんは丸岡さんの言葉に納得していない様子だったが無理に押し通そうとはしなかった。その代わり小さく溜息を吐いた。


「……あの…もう少し様子を見てみませんか?……リュウに大きな態度取られるのは癪に触りますけど……」

「様子を……」

「待つというより、リュウが何を考えているのか観察してみる……そこからこの状況を打開できるヒントが見えてくるかもしれません」

「こんな奴の考える事なんて決まっている…自分の事以外ないさ……」


 腕を組んで酷く渋い表情を見せたが、ソファに横たわっている本人に視線を移すと戸惑う様に頭を掻いた。


「そうですけど……私ずっと違和感を感じていて……最初は過去を知られる事に反対していたのに途中からどうでもよくなったというか…むしろ面白がっている様に振舞って……リュウの真意が知りたいんです」


 朝日田さんと丸岡さんが顔を見合わせた。


「こんな奴の真意なんか……と思うでしょうが、二人はひとつの身体を共有してる訳だし、記憶を全て思い出した今お互いの心を往き来出来るんじゃないかなって……

 だからリュウを知る事は鍵になる様な気がします」


 丸岡さんはふっと解放されたみたいに表情が和らぎ優しい目を私に向けた。


「薫さんのおっしゃる通りかも知れません。

 様子を見る事に致しましょう」

「しかしなぁ〜」


 朝日田さんはまだ納得がいかないみたいで唸っていたが結局賛成してくれた。


 考えがまとまると丸岡さんはリュウが目覚めるまで待つという朝日田さんの申し出を断り仕事に戻るよう言って、不満そうな表情で抵抗するのもお構いなしに玄関まで追い立てた。

 ブツブツ文句を言う声も聞こえないフリをして背筋を伸ばして立っている。

 玄関を出る前に心配だから出来るだけ毎日様子を見に来るという申し出も、〝かえって不審に思われるので大丈夫です…お任せ下さい。″…と断ってしまった。

 ことごとく丸岡さんに断れるので情けない顔をして帰って行く姿は少し可哀想だったが、ドアを閉める寸前、何かあったら連絡すると声を掛けられ目が少し嬉しそうだった。




 ◆◆◆◆◆




 其れから二週間が過ぎた。

 朝日田さんは様子を見に来る事はなかったが、一日置きに電話を寄こしその度に丸岡さんは呆れた表情をして受けこたえしていた。


 リュウは相変わらず横柄な態度でダラダラと過ごし、時には何も言わず車を出し何処かへ行ってしまい私たちを苛々させた。


 或る日少し探ってみようと思い、機嫌が良さ気な時話かけてみた。


「ねぇ、長い間表に出る事が少なかったのに急にずっとこうして居るのは疲れないの?」


 私から話し掛けられたのが意外だったのか目をまん丸くして驚いていた。


「別に答えたくなければいいけど……」


 私がそう言うと今度は目を細めた。


「なによ……」

「いや…………別に疲れない。」

「そう」

「……そろそろ疲れて竜也と人格変わらないかと期待してる?」


 鼻で馬鹿にした様に笑う。


「そうしてくれると有難いんだけど…」

「残念!……無いね。……情けなくて脆い竜也は目覚めたりしないさ…怯えた仔猫みたいに震えて隅の方で蹲っている。ははは……弱い奴だよ本当に……」


 身体を縮ませ震える真似をして大声で笑っている。


 全身に力を入れ睨みつけた。そしてそんな私を見て指を差しながら更に笑い続けた。


 ……ホント憎ったらしい。

 その口をガムテープでグルグル巻きにして笑えない様にしてやりたいわ。


 そんな進展もない毎日が繰り返されていたある日の事だった。

 その日は朝からどんよりと厚い雲が空を埋め尽くして、洋館から見える山々の紅葉を暗く沈ませていた。


 そんな不安定な天気の中リュウは何も言わず外出し、雨風が酷くなった頃びしょ濡れで上着に何か包んで大事そうに抱え戻ってきた。


「……何其れは?」

「うるさい!……お前には関係無い」


 ひと睨みすると急いで二階へ上がって行った。


「何なのあの態度……出来るならボコボコにしてやりたい」


 ふくれっ面をしている横で丸岡さんが不安そうに二階を見つめている。


「上着に包んでいたのは何だったのでしょう……随分大事そうにしていましたが…気になります」

「……何でしょうね。知られたくないみたいだけど……」


 その時階段上にリュウが現れてホットミルクを持って来るように言った。


「ホットミルク?」

「あっ…超ぬるめな」


 何時もはコーヒーなのに意外な飲み物を要求されて丸岡さんと顔を見合わせた。

 そんな私たちの態度が感に触ったのか方頬を吊り上げると怒ったように、〝早くしろよ″…と言って引っ込んでいった。


 さすがに冷たい雨風にさらされて身体が冷えてしまったからホットミルクなんか頼んできたのだろうか?

 其れでもらしく無い気がする……それに超ぬるめって……猫舌だったかしら?

 なんか秘密があるわね。

 これは探る必要があると思い私がホットミルクを運ぶと丸岡さんに言った。


 マグカップをトレーにのせ部屋をノックする。

 ……返事が返ってこない。

 ソッと開けるとシャワーを浴びる音がする。


 なんだ……


 中に入りカップをテーブルに置き部屋を見回した。濡れた上着が床に落ちていてそれを拾いあげポケットを探ってみたが何も入ってはいなかった。


 何か包んでいた……

 しかしこれと言って不審なものもない。

 床に這いつくばって見てみる。


 シャワーが止まって出てくる音がしたので慌てて立ち上がろうとした瞬間頭を思いっきりテーブルに打ちつけてしまった。


 私は大声でホットミルクを置いといたと言いドアの開閉する音をさせてウォークインクローゼットの中に入り部屋が見えるように少しだけドアを開け息をひそめた。


 リュウがバスローブを羽織りタオルで頭を拭きながら出て来た。

 テーブルのホットミルクに視線を落としてから部屋を見回している。……警戒しているようだ。

 すると可愛らしい鳴き声が耳に飛び込んできた。


 …………?……猫?


 リュウは自分の足元に視線を移して、見た事のない優しい顔をしてかがみ、声の主を抱き上げた。


 仔猫だ……仔猫を拾ってきたのね。


 優しく抱いて椅子に座りテーブルに仔猫を置いた。


「……カップじゃ飲みにくいよな…仕方ない持って来るか……」


 リュウは仔猫に〝おとなしくしてろよ″と声を掛け出て行った。

 私は見つからなかった事に胸を撫で下ろした。

 いない内に此処から抜け出そうとドアノブに手を掛けたが、フッと…仔猫に見せた優しい表情がチラついた。


 ……彼奴もあんな表情するんだ。


 ノブから手を離し隙間から仔猫の様子を伺った。

 よっぽどお腹が空いていたのかカップの周りをウロウロして、等々顔を突っ込んで舐め始めた。


 …ああ……顔が奥に……


 仔猫も自分の状況に気付いたのか……どうかは疑問だけど、カップの縁に前足をついて顔を抜こうとした……が、どうやら奥に入れ過ぎて抜けなくなったみたいだ。

 頭を振ったりしてもがいている。


「ああああ…何やってんだよ!」


 ボウルを手にしたリュウが部屋に入るなり慌てて駆け寄りカップを外してやった。

 仔猫の顔はミルクまみれになっていて、それを見るなりリュウは吹き出し本当に可笑しそうに声を上げた。


「馬鹿だなぁ……そんなに腹減ってたか」


 仔猫が可愛らしい声でひと鳴きした。

 その声に癒されたように穏やかに微笑み、ボウルに残りのミルクを注いだ。


 ボウルに顔を寄せペロペロと舐め始める。

 その様子をテーブルに両手を重ね顎を置き目線を同じにして嬉しそうに眺めている。


 心臓の鼓動が大きく音を立てた……

 隙間から見える表情はまるで東條竜也で……人格がリュウに成ってから見せた事のない少年のような笑顔。

 そこにいるのは彼ではないかと錯覚してしまいそうだった。


「……おいチビ、お前どっから来たんだ?

 親は?迷子か?……それとも、捨てられたか?」


 ミルクを飲み終わると前足で顔を撫でていたがリュウが質問すると不思議そうに目を合わせひと鳴きした。そして何だか自分が捨てられたみたいな表情をしてしなやかな身体をさすった。


「……どっちでもいいか……独りぼっちには変わりないからな、俺と一緒だ」


 仔猫の喉の辺りを指で撫でる…ゴロゴロと喉を鳴らし気持ち良さそうに目を細める姿を見て寂しそうな笑顔を見せた。


「孤独は……心を冷たくする。その中にどっぷりと浸かってしまうと、そこから抜け出せなくなって……」


 言葉を切ったリュウの手を仔猫がまるで慰めるみたいに舐め始めた。


「なんだよ……言っていること分かるのか?

 ハハ…ザラザラしてんなお前の舌」


 優しく抱き上げると額と額を合わせた。

 仔猫がまたひと鳴きする。


 突然ドアがノックされた。


 リュウは仔猫をベットの中に隠すと返事をした。

 ドアの向こうから丸岡さんがお茶の用意が出来たと声を掛けてきたので、ミルクがあるから要らないと面倒そうに言った。しかし、折角だからとくい下がるので、部屋に持って来るように言うが、それなら自分で運ぶようにあっさり断られ面白くなさそうに部屋を出て行った。

 ドアが閉まる寸前丸岡さんが隠れている私を見たような気がした……これは部屋から出るチャンスを作ってくれたのだと理解した。

 ……私はクローゼットから出ると真っ直ぐにベットの所に行き布団の中でモゾモゾしている仔猫を抱き上げた。


「ねぇ、チビ……本当のリュウはどんな奴なの?あんな表情初めて見た。

 孤独が彼奴をあんな風にしてしまったの?」


 仔猫は抱き上げられてるのが嫌なのかクネクネともがいて私の手からすり抜けた。

 そして、ベットの上で小さく一回廻るとひと鳴きした。


「……チビにはきっと見えてるだろうね……」


 頭を優しく撫でて部屋を出た。




 ◆◆◆◆◆




「……何かわかりましたか?」


 キッチンに戻るとハーブティーを手渡され聞かれた。


「…仔猫……」

「えっ?」

「上着に包んでいたのは仔猫でした……」


 丸岡さんは口に運びかけたカップを持つ手が止まって意外そうに眉を吊り上げた。

 しかし私は猫のことではなくリュウが見せた表情と言葉を考えていた。


「……薫さん?」

「……えっ?……あっ、はい」


 丸岡さんは一口ハーブティーを飲むと首を傾げ穏やかに微笑んでいる。


「あの…私、リュウの横暴で粗野な言動にばかり注目していて心情を知ろうとはしていませんでした……六年間どんな気持ちだったかなんて……」


 また眉を吊り上げ、そして小さく唸り視線を落とすと〝何かあったのですか?″と聞いてきた。

 私は仔猫相手に語っていた内容を教えた。


「……表に現れているリュウとその内側は違うかも知れないって思いました」

「優しいですね薫さんは…六年も辛い記憶を引き受けてくれた事には感謝していましたが、リュウの存在は嫌悪としか感じられませんでした。それは今も変わりません……むしろ竜也様の身体を我が物顔で占領している事でその気持ちは強くなったと言っていいでしょう」


 幼い頃から見守り続けたのだから、付き合いの浅い私とはその思いは天と地程の違いはあるだろうけど、あんなリュウを見ると隠れている心の内を知るべきなのではと思ってしまう。

 ……私は甘いのだろうか?

 意外な一面を目の当たりにして心が揺れてしまうことは……

 ……東條竜也…彼ならばこんな時どうするだろうか?

 ……彼ならおそらく……


「丸岡さん……私、知りたいです。

 孤独と言ったリュウの内側がどんなものなのか」


 困ったような表情で微笑む丸岡さんを真剣な目で見つめた。


「わかりました……思うようになさって下さい。でも、例え同情すべき点があったとしても竜也様の中からは消えてもらいます。その事だけはお忘れなきように……宜しいですか薫さん」

「はい……」


 満足そうに頷いた丸岡さんは両手をポンと合わせ、それではと言いスタスタと二階のリュウの部屋へ向かった。

 私がどうするのかと聞くと、こっそり猫など飼っては色々問題が生じると言い、階段を上りきったと所でとても渋い顔を見せた。


「猫の排泄物は特に臭いがキツイのです。」

「ああ……」

「ベットや絨毯などにされてはたまりません。バレている事を話してきちんと躾をしなくては……」


 ノックをして返事を待つ事なく開けると、リュウは慌てて立ち上がり仔猫を後ろに隠し怒り出したが、それを無視し拾ってきた猫がいる事は知っていると言った。

 初めは惚けていたが、仔猫がジッとしていられる訳もなく手からすり抜け足元で可愛い声で鳴いたので、言い逃れができなくなり、仏頂面で何か文句あるかと開き直ってしまった。


 丸岡さんは自分で面倒を見れるのかと聞き、出来ないなら別に飼ってもらえる人を探すと言った。それに対して、私たちに手は借りない、口出しするなと苛ついたように言葉を返してきた。


「わかりました…信じましょう。躾はして下さい」

「ふん……わかってるよ」

「本当に?……猫なんて飼った事ないでしょそれでわかるの」


 突っ込んで聞くとリュウはムッとした顔をしたが直ぐに小鼻の横をかいて考え込んだ。


「ほらぁ…知らないくせに」

「う、うるさい!どうにかなるさ」

「……どうにかでは困るのですが……仕方ないですね……薫さんリュウと一緒にペットショップへ行って必要な物を購入してきて下さい」

「わかりました」

「お前だってわかるのかよ」


 不満そうに突っかかってきた。


「昔飼ってたから大丈夫よ。一緒にしないで欲しいわ」


 私は勝ち誇ったように微笑んだ。

 上から目線で言われ続けていたのでちょっとだけ気分がいい。逆にリュウは面白くなさそうにプイッと横を向いた。


 町内にはペットショップがないので、車で30分程の市内中心部まで走らせた。

 ……それからが大変だった。


 初めてのペットショップで物珍らしく、猫のコーナーに足を向けると、必要のないものまでカートにドンドン入れてきてその度に私が棚に戻す…そんな事を繰り返した。


「ねぇ!……いい加減にしてよ。猫じゃらしこんなに必要ないから」


 私はカートの中に二本だけ残しあとは棚に戻してくるように突き返した。

 リュウは舌打ちして乱暴に猫じゃらしを受け取り背を向けた。

 ……ウロウロと棚を探す姿を見つめながら、この状況が現実なのが残念に思った。


 ……こうやってリュウが自分の身体を占領し、他人と言葉を交わしたり歩き回っている事を感じ取っているのだろうか?……そう……歩き回って…彼が出来ないでいた自分の足で何処へでも行ける身体。


 心の隅でうずくまり目を背けているのなら、どうか……どうか顔をあげ両腕を伸ばし自分を取り戻して欲しい……下を向いて膝を抱えている貴方は本来の姿ではないのだから……

 全てを解き放ちありのままの自分を受け入れて……私たちが待っているんです。


 思いにふけっているとリュウが身体を折り曲げ私の顔を覗いてきた。


「なっ……なに?」

「なあ、此れも買っていいか?」


 手に持っていたのは小さなボールで中に鈴が入っている玩具だった。


「えっ……ええ。」


 小さくガッツポーズをしてカートの中に入れた。


「でも…後ろに隠し持っている同じボールは駄目よ。返してきて!」


 目を細め口元をひん曲げると〝ケチくせぇ女″と呟いた。


 どうとでも……私はレジに向かってカートを押した。




 ◆◆◆◆◆




 土曜の昼下がり、ソファで昼寝をしていたリュウはチビがいつの間にか外に出てしまった事に気付かずにいた。

 私と丸岡さんはキッチンで後片付けやら夕食の献立の相談などをしていて気付くはずもなく、目を覚ましたリュウはチビの名を呼びながらあちこち探し始めたのに首を傾げ、どうしたのかと聞いた。


「チビがいない……お前らも捜せよ…」


 偉そうな言い方に腹が立った。


「そのうち現れるわよ……猫なんて気まぐれなんだから…きっとどこかの部屋に紛れ込んでイタズラでもしてるわ」

「いいから捜せよ。……俺が呼んで顔を見せないなんておかしい」


 ……言われればそうだった。

 何処にいてもリュウが呼べば必ず戻って来ている……

 こんな広い洋館の中でも…………ん?


「ねぇ、まさか外に出たんじゃない?」


 リュウは慌てて玄関の方に走って行ったがドアはしっかり閉めてある。

 勝手口や使われていない部屋も確認したが何処も窓は閉まっていた。


「あっ……」

「どうました?」


 私はキッチン隣の部屋の前に立った…少しドアが開いている……そこはランドリー室で小窓が全開になっているのを見て、後から来たリュウにその窓を指差した。


「……もしかしたら此処から外に出たのかも知れない」


 怒鳴られると思ったがリュウは玄関に走って行き庭を探し始めた。


「……そんなに心配しなくともお腹が空けば戻って来ると思うのですが……」


 丸岡さんは窓から見えるリュウの姿をのんびりと眺めながら言い、そしてやや呆れながらキッチンへ戻って行ってしまった。

 探す手伝いをする気はないみたいだ。めんどうはリュウがみると言う約束で飼い始めたのだから手伝う義務はないのだけど、窓を閉め忘れていた私はほんのチョット申し訳ない気持ちがあった。


「丸岡さん、私も一緒に探してきます」

「……わかりました。此方は大丈夫なので行って下さい」

「すみません……」


 しかし何処を探しても姿を現さず鳴き声さえ聞こえてこない……こうなるともう敷地の外に出た可能性が高いと考え、二人で門の外を名前を呼びながら探し始めた。


 わかれ道の前で立ち止まった。

 まっすぐに下れば町に出て、左は森林公園に続く道だった。


 リュウは無言で左へ歩き出した。


 樹々に囲まれた細い道を抜けると目の前に色鮮やかに染まったもみじや楓、そして高く澄んだ青空が広がりその見事なコントラストに目を奪われた。


 50メートル程登った場所に少女がポツンと座っている。ゆっくりと近づいて行った……膝の上にチビが丸くなって寝ているのが見えるとリュウは更に歩みを速めた。


 子供に怒鳴ったりしないわよね……やりかねないと思いすぐ後ろに付いて行った。


「おい!……それ俺の猫」


 少女はチラリとリュウを見上げまたチビに視線を戻す。


「返せ……」

「ちょっと、そんな言い方…」

「なんて名前?」


 長い髪がサラサラと風に揺れ黒目がちの丸い瞳を向けてきた。


「教える義務はない……いいから返せ」

「小ちゃくて可愛いね……ねぇ、名前教えて」


 少女は自分の膝の上で気持ち良さそうに寝ているチビの身体を優しく撫でながらもう一度聞いてきた。


「うるさい…いいからチビを返せ」


 少女はニッと白い歯を見せた。


「チビって名前なんだ……可愛い」


 思わず口にしてしまった自分の迂闊さに顔をしかめイライラと頭を掻いた。


「でも……大人に成ってもチビって名前じゃ変だよね」

「うるさい…いい加減渡せ」


 リュウが膝から取りあげようと手を伸ばすと少女はチビを抱き上げサッと身体を捻って其れを阻止した。

 リュウは伸ばした手を引っ込め首の後ろを摩り面倒くさそうに溜め息をついた。


 私はリュウに向かって小さく首を振ると少女の隣に座った。今度は私に取り上げられると思ったのかビクッと身体を固くした。


「大丈夫……取り上げたりしないから」

「本当?」

「うん……私は松本薫、この恐い顔をしたお兄ちゃんは……リュウ。貴方の名前はなんて言うの?」

「……前島未来まえしまみらい

「未来ちゃん、いい名前だね」


 前島未来と名乗る少女が悲しそうに私を見つめる……何故そんな目をするのか不思議に思った。


「……この名前嫌い」

「どうして?」

「だって、私に未来なんて無いもん……」


 その言葉を聞いてリュウは眉をひそめ仕方なさそうに隣に腰を下ろし少女の腕で気持ちよさそうに寝ているチビの額の辺りを撫でた。


「チビはお兄ちゃんの飼い猫なんでしょ」

「ああ……」

「私に頂戴……独りぼっちは寂しいから…」

「ひとり……」

「未来ちゃん、その……」

「いるよ……お父さんもお母さんも……妹もいるし」

「なら、独りぼっちじゃ」

「馬鹿かお前は」


 リュウが呆れたような視線を向けてきた。


「どんなに周りに人がいようとそいつらの意識に自分が存在しなけりゃ孤独なんだよ」


 ドキッとした……それはリュウ自身の事を言っているようで……チビを拾ってきた日の言葉を思い出した。


「リュウ……あなた」

「何だよ……」


 見つめられるのに戸惑ったのか不貞腐れた表情を見せたが、誤魔化すみたいに今度は笑い出した。


「薫……すげぇブスな顔してるぞ」

「はぁ⁈」

「ほら、もっとブスになった!……未来もそう見えるだろ?」


 少女はクスクス笑い〝そんなことないよ″と言ってくれた。


 何だか私の顔で二人の距離は縮まったみたいだ……チビの顔を突きあって笑っている。

 釈然としないけど…まぁ、良しとしよう。


「お兄ちゃん、チビくれないよね」

「悪いな、俺にとってこいつは唯一の友達なんだ」

「そうなんだ……」


 それから目を覚ましたチビを相手に小一時間程遊ぶと時間を聞いてきたので、四時を過ぎたと教えた。


「帰らなきゃいけない」

「家まで送るわよ」

「大丈夫、ひとりで帰れるから……じゃあねチビ」


 名残惜しそうに抱き上げると愛おしそうに頰ずりした。

 そして想いを断ち切るみたいに駆け出していった。


「未来!……チビに会いたくなったら何時でも下の洋館にいるから遊びに来いよ」


 嬉しそうに頷くとクルリと背を向けて2、3歩進んだ所で立ち止まり少し寂しげにリュウを見つめた。


「……お兄ちゃんも独りぼっちなの?」

「えっ……」


 風が強く吹いて落ち葉を巻き上げ私たちの髪をも乱した。

 ……でも、乱れたのは髪だけではない。

 少女の言葉はリュウと私の心を乱したのだ。


「ごめんなさい……変なこと聞いて」


 少女は慌てて頭を下げ風に押されるように走り去った。

 周りはだいぶ薄暗くなっていて色鮮やかだった樹々も眠りにつく準備をしているみたいに深く色をおとしていた。その中でリュウがどんな表情をしているのかよく見えなかったのが残念でならなかった。




 ◆◆◆◆◆




 其れから毎日少女……前島未来ちゃんは学校が終わるとランドセルを背負ったままチビに会いに来た。


 初めて来た時は中々門から入れずチラチラ覗いては考え込んでいた。

 最初に気づいたのは丸岡さんで、見た事のない女の子が門の前でウロウロしていると首を傾げていた。


「あの子……」

「知っているのですか?」


 森林公園でチビと一緒にいた少女だと教えた。


「あの子が……」

「チビに会いに来たんですね」

「薫さん、此方に案内してあげて下さい。私はリュウを呼んできます」


 私は走って門の所まで行き未来ちゃんの手を引き案内した。


「良くいらっしゃいました前島未来様。」

「様?」


 様などど呼ばれたのは初めてだったのだろう…キョトンした表情で丸岡さんを見て、其れから恥ずかしそうに肩をすくめ照れ笑いを浮かべた。


「よぉ未来…早速チビに会いに来たんだな」


 リュウは未来ちゃんにチビを渡した。


「チビ…元気だった?」


 ひと鳴きすると未来ちゃんの腕から肩へ登ろうと前足をバタバタさせ始めた。


「ふふ……チビはもふもふしてて気持ちいいね」


 こうして未来ちゃんは毎日欠かさずチビに会いに来るようになり親交を深めていった。

 リュウも其れを楽しみにしているのか少しドゲトゲしさがなくなったが、横柄な態度は相変わらずで、やはり日に何回も腹を立てては丸岡さんにグチる私がいた。

 其れでも穏やかな表情のリュウを見ているとこのまま良い方向に向かうのではと……甘い考えが頭の中でフワッと浮遊する。




 ◆◆◆◆◆




「未来ちゃん、もうすぐ四時になるからそろそろ帰った方がいいよ。お母さん心配するから……」

「えっ、もうそんな時間?」


 猫じゃらしを左右に振っていた手を止めてつまらなそうに時計を見上げた。

 チビはピクリとも動かなくなった猫じゃらしを恐る恐る前足で突く……そして一気に押さえつけじゃれつくが、反応が無いのに飽きてしまいプイっと横を向いてソファに上がり丸くなって目を閉じた。


「……もう少しだけ駄目?」

「好きなだけ居ればいいさ」


 無責任な事を言うリュウを私は睨めつけた。


「ダ〜メ……学校終わってから家に帰らず来ているんだから少し早めに戻らないとね」

「良いじゃん…未来は帰りたくないんだろう」

「リュウ、遅くなって叱られるのは未来ちゃんなんだよ」

「融通きかない女だなぁ……」

「そういう問題じゃ無いの!」

「……わかった……帰る」

「お家まで送っていくから…」


 未来ちゃんは小さく頷いてソファで丸くなっているチビの身体を撫でた。


「じゃあね…チビ」


 片方の目を薄っすらと開けたが興味なさそうに直ぐに閉じ眠りに就いた。

 素っ気ない態度に未来ちゃんは口を尖らせたが、愛しそうにまた撫でると小声でバイバイと言って部屋を出た。




 ◆◆◆◆◆




 外は日中の穏やかさとは反対に風が強く吹き荒れていた。

 夕食を終えたリュウとチビはソファにダラリと横になっている。


 ……いい御身分ね。

 自由気ままなリュウとチビを冷ややかな目で見つめた。


 インターホンの音が響く。

 こんな荒れた日に誰かしら?


 丸岡さんが珍しく慌てた様子で玄関へ走って行った。


「誰がいらしたんですか?」

「未来様です」

「えっ!」


 私も後について玄関を出た。思わず風の強さに身を固く丸めた。

 明るいうちは門扉は開放しているが夜になると閉じてしまうので玄関までたどり着くことが出来ないのだ。


 未来ちゃんは飛ばされないよう必死に柵にしがみついていた。

 私たちは急いで通用口を開け中へ引き入れると、三人で風に煽られながらやっとの思いで洋館へ逃げ込んだ。


「み…未来ちゃん……どうして……」


 私は息も切れ切れで聞いた。


「…………」


 真っ青な顔でブルブルと震えている……姿をよく見ると上着も着ないで薄着のままでサンダル履き…慌てて飛び出してきた感じだ。

 私は頬に手を当てた……氷みたいに冷たい。


「冷え切ってるからお風呂入ろっか……風邪ひいちゃう」


 唇を震わせながら未来ちゃんは頷いた。




 ◆◆◆◆◆




 お風呂から上がった未来ちゃんは私のスウェットの上下を着てソファに座ると近づいて来たチビを抱き上げ頬ずりした。


「……サイズ合わないけど我慢してね」

「ううん……ありがとう」


 私は丸岡さんと顔を見合わせた。


「未来、家で何かあったのか?」


 膝を立てギュと身体を固くして背を丸める……孤独に耐えているような感じがした。

 いったい何があったのだろうか?

 私は隣に腰を下ろし背中に手を回し摩った。


「何があった」

「…………」


 イヤイヤをするように首を振った。

 リュウは話そうとしない態度に苛ついたように溜め息をついて足を組んだ。


「……話す気がないなら家に帰れ」

「いや!」

「リュウ…もう少し落ち着いてからでいいじゃない」


 私は面白くなさそうに唇を歪めるリュウをたしなめた。


「……未来様…ホットココアです。お飲み下さい」


 柔らかな湯気を揺らしているマグカップを手渡された未来ちゃんは小さな声で礼を言うとゆっくり口をつけ、そして目を閉じた。


「……美味しい」

「それは良かった」


 穏やかに微笑む丸岡さんにつられるみたいに未来ちゃんも微笑んだ。


 私たちはココアを飲み終わるまで黙ってその様子を見守った。

 チビが膝から飛び降りカーテンで遊び始める……爪を引っ掛けよじ登ろうとしては落っこちている。


「駄目だよチビ」


 私は笑いながら立ち上がり抱き上げた。

 少し開いてしまったカーテンから外に目を向けると雨が降りだしている事に気づく。


「雨だわ……」

「降ってきましたか……」

「はい、降ってきました。……少し冷えてきましたね」


 チビを未来ちゃんに預けるとエアコンの温度設定を上げた。


「…………ごめんなさい…何処にも行く所なくて来ちゃった」

「いつでも歓迎しますよ……でも、何があったのですか?」

「話してみて……私たちで出来る事があれば力になるから」


 未来ちゃんはマグカップをテーブルに置いた。


「……私は透明人間なの」


 透明人間……そう言って語り始めた内容は小さな身体で孤独に耐えると言うには悲しすぎた。


 母親が3歳になる未来ちゃんを連れて今のご主人と再婚しその後妹が生まれた。それまでは新しい父親もそれなりに可愛がってくれたが、自分の血を引いた赤ん坊が出来るとそちらばかり可愛がり、徐々に冷たい態度に変わっていった。

 母親もまた手がそちらに掛かりっきりになり放ったらかしにされた。

 それでも妹は可愛く側に行って眺めたり、ほっぺや小さな手に触れたりしていた。しかしその行為を父親に酷く叱られたと言う。

 〝汚い手で触るな、バイキンが感染る″……泣き出したのであやそうと近づくと〝私の娘に近づくな、あっちへ行け″と追い払われる。

 妹がつかまり立ちが出来るようになり、おもちゃを取ろうとバランスを崩し額をテーブルの角にぶつけてしまった時は、未来ちゃんが転ばせたと怒りだし叩かれたと言う。

 そんな父親に怯えながらそれでも血の繋がった母親を頼りにずっと耐えていた。……が、その母親さえも再婚相手の顔色を伺い庇ってくれなくなっていった。どうやら離婚した相手…つまり未来ちゃんの父親というのがどうしようもない男だったようで随分苦労したみたいだ。その為今の幸せを失う事、再婚相手に嫌われるのを極度に恐れ実の娘に冷たく当たってしまうようだ。

 そんな孤独な家庭環境の中更に追い討ちをかけたのが学校でのイジメだった。

 何がきっかけだったのか、何が悪いのかわからないまま突然無視され孤立していった。

 母親に話すと〝気のせいよ″と取り合ってくれず、登校拒否をすると父親には怒鳴られ無理矢理ランドセルを持たされ家から出される。……〝食わせてやって、教育を受けさせてやっているんだ。恥をかかせるな!学校へ行け″……そんな言葉を投げつけられたそうだ。大人しくしていれば何も言われず、まるで存在していないみたいに無視され続けた。

 自分が此処にいると思っているだけで、誰の目にも映ってない透明人間、誰にも認識されない独りぼっちの世界……何処にも逃げ場のない世界。


 そして今日家に入ると母親に毎日何処を遊びまわっているのかと問われ、答える事もしないで部屋にこもってしまったそうだ。

 しかしそれがいけなかった…母親は帰宅した夫に様子を話してしまい父親の言葉の暴力が始まった。それでも頑として口を開かない娘に苛立ち胸ぐらを掴み〝外で私に恥かかせる事でもしているんじゃないだろうな!″……あまりにも強く締めつけられ殺されるのではないかと恐ろしくなり等々〝丘の上の洋館″と言った。


「2人とも不思議そうにしてた」


 締めつけられ時の恐怖を思い出したのか首の辺りをおさえる。


「それから…何しに出入りしているんだって聞かれたの…でも話したらもう此処に来れなくなりそうで…怖くて……だから飛び出してきた」


 話し終わると未来ちゃんは静かに涙を流した……その涙は温かく此処に生きている…存在している……そんな無言の訴えのようだった。


 どんな慰めの言葉を掛けたらいいのか……私は強く抱きしめてあげる事しか出来なかった。

 リュウは未来ちゃんの前に腰をおろし膝を抱えていた手を取った。


「未来……誰も埋めてくれない孤独も心の痛みも全て、君を強く優しいそんな人間にしているはずだ……痛みを知らない者は他人の辛さや悲しさに気づいてあげる事が出来ないからね。悲しみは悪いことばかりじゃないんだ……自分を成長させてくれるんだよ」

「でも……独りぼっちは寂しい」

「そうだね。誰だってひとりは嫌だ……でも今は違うだろう……ここに3人君の事を心配している人間がいる。大丈夫…未来は一人じゃない」

「一人じゃ……ない」

「そう……それにチビもいるしね」


 優しく微笑んで未来ちゃんの太ももの上で丸くなっていたチビを抱き上げた。


 なんて優しい言葉と笑み……まるで……


「竜也様……」


 丸岡さんが声を震わせて言った。


 彼が戻ってきた……

 目の前にいるのはリュウではなく正真正銘の東條竜也。


「丸岡……」


 少年のようなあどけなさが残る笑顔。

 私たちはつられるように自然と笑みがこぼれた。


 インターホンが激しく鳴り響く。

 全員が狂ったような音に眉をひそめる……

 丸岡さんがモニターに向かって相手の名前を聞くと前島洋子まえしまようこと名乗り、娘が来ていないかとヒステリックな声をだしていた。


 未来ちゃんは電気でも走ったみたいに身体をピクリと動かした。


「お母さん……」




 ◆◆◆◆◆




 応接室に丸岡さんが母親の前島洋子を連れて来た。

 広い屋敷内に豪華な調度品など物珍しそうに見回したが、私の後ろに隠れるように座っている娘を見つけると、目を吊り上げてブツブツと何が独り言を言いながら未来ちゃんの前までやって来た。


「未来!こんな所で何やってんの!…帰るわよ」


 嫌がる娘の腕を掴み引っ張ると引きずるようにドアへ向かって行く。


「帰りたくない!」


 母親の腕をおもいっきり噛んだ。

 顔を歪め突き飛ばすとその手を挙げた。未来ちゃんは顔に手をあて避けるような仕草をしたが、手が振り下ろされる前に彼がその手首をおさえた。


「この手を振り下ろしたら一生後悔する事になりますよ」

「あなた誰よ」

「私は東條竜也……娘さんの友人です」

「そう……あなたが……町の噂じゃ車椅子に乗ってるって聞いたけど、噂ってやっぱりあてにならないわね。

 ……邪魔しないで下さい。これは我が家の問題ですから口を出さないで……」

「口を出すなと言われても、娘さんは私の家に避難して来ている。子供に手をあげるような親に簡単に引き渡せる訳がないでしょ…」


 母親はヒクヒクと顔を痙攣させ私たちを見回した。


「……し、失礼したわ。こんな立派なお屋敷に入って興奮しちゃって……娘が大変ご迷惑をおかけしました……後は家に帰ってよく話し合いますので連れて帰らせて頂きます」


 まるで大根役者の棒台詞みたいな感情のない声に表情……このまま一緒に帰したら何をされるかわからない。


「さあ未来、帰るわよ」

「いや……絶対帰らない!」

「駄々をこねないで、お父さんも心配してるから……」

「嘘!……私の事なんか心配しない。してるのはお父さんの立場だけでしょ!」

「なんてこと言うの!血の繋がらないあなたの面倒みくれてるのよ…有難いと思いなさい」

「家に置いてやってる事が面倒を見るってことなの?……あんな人お父さんじゃない!

 …………お母さんも…大っ嫌い!」


 母親の顔が真っ赤になり思い通りにならない娘を前に怒りに身体を震わせ、等々娘の頬を叩いてしまった。


「未来!」


 彼の表情が微かな音をたてて凍っていくみたいに冷たい怒りを浮かびあがらせた。


「母親だろ……」

「えっ…な、何よ」

「あんた母親だろ!」


 母親の胸ぐらを掴んだその表情は東條竜也ではなかった。




 ◆◆◆◆◆




 一瞬にしてリュウの人格に変わってしまった……目の前で前島洋子を恐ろしく冷たく睨めつけている表情は到底彼とは言えない。

 ……あれは幻だったのだろうか。


「は……離して……」

「あんたの旦那も未来をこんな風に締めつけたんだ。どうだ苦しいだろう……でも心の苦しみはこんなもんじゃない。」

「ゆ…許し……許して」

「誰に言っている。許しを請う相手は俺じゃない……」


 リュウは更に締めあげ苦しがる母親の背中を壁に押しつけた。

 ほつれた前髪から覗く目は恐怖に震えている。

 そしてリュウの瞳が怒りから狂気に変わろうとした瞬間小さく呻き頭に手を当てると母親からフラフラと離れた。


「……う…うるさい……命令するな!」


 ……苦しそうに頭を抱え身体を投げ出すようにソファへ座った。


「なんなの……この人」


 母親は呼吸を荒げながら乱れた髪を直しきみ悪そうにリュウを見た。


「とにかく…未来は連れて行きます」


 未来ちゃんの手を掴もうとする母親の前に私は立ちはだかった。


「すみません。お一人で帰ってもらえますか」

「なに……今度はあなた?」

「いいえ、ここに居る全員が同じ考えです」


 丸岡さんの律するような声が響いた。


「帰れ……母親の資格のないあんたに未来を渡さない。早くこの屋敷から出て行け!」


 汗の滲んだ額を押さえながら掠れた声でリュウが叫んだ。

 母親はゴクリと唾を飲み込み、娘の怯えた顔、そして自分を刺すような冷たい目で見る私たちを見回し唇を噛むと〝明日迎えに来る″と言った。


 丸岡さんが早く帰れと言うかのようにドアを開けた。


「……わかったわよ!」

「玄関までご一緒致しましょう」

「結構です」


 ツンと澄ましてそそくさと部屋を出て行った…その後ろ姿に丸岡さんは〝お気をつけて″と言って頭を下げた。




 ◆◆◆◆◆




 未来ちゃんはホッとしたような、でも母親が何も理解してくれなかった事に悲しんでいる様にも見えた。


 丸岡さんは直ぐに部屋を用意すると言ったが、未来ちゃんは一人は嫌だと言うので私のベットで一緒に寝る事にした。


「私はまだやる事があるから先に部屋で休んでて……寂しいならチビを連れて行っていいから……構わないわよね…えっ…と、リュウ」


 まだ頭痛から解放されないのかこめかみを押さえながら頷いた。


 私は呑気にクッションの上で丸くなっているチビを抱き上げ渡した。


「部屋……案内するね。……行こ」

「うん……リュウ、丸岡さんお休みなさい」


 リュウは辛そうに薄っすら微笑み頷いた。


「お休みなさいませ未来様」


















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ