人格
留学中の抜けていた記憶を思い出し、愛した女性を元恋人によって射殺されるという事実に、全ての元凶は自分だと責め、こうして生きている事を厭わしく思い、生きる意味を失いかけていたが、其れでも一筋の光を見出し前を向こうとしていた。
……其れなのに彼奴が出て来た。
私たちの気持ちを引っ掻き回し狡猾な笑い声をあげ、しっかりと爪痕を残していった。
其れは別人格が存在するというもう一つの真実を、主人格の東條竜也に明確な違和感としてスタンプでも押し付けるみたいに残したのだ。
そして彼は、いつの間にか自分の中に巣食っている何かに怯える様に背中を丸め、ヒクヒクと口角を動かし両腕を強く掴んでいた。
「竜也様、どうか気持ちをしっかりとなさって下さい。」
「丸岡……僕の中で笑い声が止まらない。……誰かが笑っているんだ。やめさせてくれ……とても……気持ち悪い。」
両手で耳を塞ぎ固く目を閉じる。そして笑い声を払う為なのか狂ったように何度も頭を振っていた。
私はいたたまれなくて車椅子の横に膝をつき抱きしめた。
「お願い……落ち着いて…大丈夫。私たちがいます。一人で苦しまないで……」
ピタリと動きを止めて大きく開いた目の奥を小刻みに震わせこっちを見た。しかし、その瞳には私の姿など映っていない……
心に潜んでいた者に驚き、おののき、歪んだ笑みを浮かべてどこか高揚感さえ漂わせる表情だった。
「そう……一人じゃない。別の僕がいる。」
両手で強く頭を押さえる。
「いつから……長い間一緒にいる感じもする。……リュウ…これがリュウなのか?
ゆりなと話した。」
「竜也様、どうか……どうかお心を鎮めて下さい。」
彼は狂気に満ちた目を丸岡さんに向けて〝早く話してやれよ″と、乱暴に言葉を吐いた。
私は息を呑み、まわした腕を離した。
そして彼は立ち眩みでも起こしたように頭を揺らすと、疲労で窪んだ目をカッと見開いた。
「僕は……今…誰だった?……別人が……」
「其れが別人格のリュウです。」
「リュウ……。
二重人格……どうしてこんな事になったんだ。丸岡教えてくれ。」
身震いをすると身体をかたくした。
「竜也様、アメリカの事件の後身体もそして心も深く傷つかれました。でも、身体は多少不自由になっても癒されますが、心はそう簡単ではございませんでした。」
長い間秘密にしていた話しを語り始めた。
眠るたび魘され、うわ言で後悔と懺悔を繰り返し、一時はこのまま狂気の世界へ籠ってしまうのではないかと、恐ろしく、取り除く事のできない自分を呪ったと丸岡さんは言った。
彼は血色の悪い疲れた顔をして頷いた。
そして、そんな主人を深い憂の色をその顔にあらわし話を続ける。
車椅子の不自由な生活にはなってしまったが、心の傷を癒す為環境を変えるべく二人でフランスに渡り別荘で療養を始めた。
暫くは夢でうなされる事もあったが、ある時から其れがピタリとやんだ。
「驚きました。……徐々に昔の竜也様に戻っていったのです。」
しかし、その代償にエレノアの事、それに関わる全てを消し去っていた。
事件の事は憶えているが射殺された者も犯人もただの同級生だと記憶を差し替えていた。
「余りの苦しさに……言葉にすると簡単ですが……苦しさに心が別人格を作りご自分を守る事を選択したのでしょう。
其れがリュウです……今まで隠していた事をお許し下さい。」
丸岡さんは深く頭を下げた。
でも、誰も責める事はできない。丸岡さんもまたあの事件によって悩み苦しんできたのだから……
「……憶えている。
眠るたびに得体の知れない恐怖と狂気そして何処からか聞こえる悲痛な叫び。訳もわからず怯え目を覚ますと涙が溢れた。
……自分を守る為逃げた。そして別人格が誕生したんだ。」
「逃げただなんて、そんな……」
「結局そういう事なんだ…薫さん。」
「竜也様……」
「丸岡……謝る必要は無い…全て自らが招いた事だ。……リュウはよく入れ替わっていたのか?」
「いえ…滅多に御座いませんでしたが、佐々井様にお会いしてから回数が増えました。」
「佐々井……か……」
私は佐々井さんの名前が出てきてドキッとした……彼は眉を少し寄せて何か考えているみたいだった。
「確か…事件の前に帰国していた。直接関係ないのに、何故佐々井がキッカケになったんだ。」
「……推測ですが、竜也様をよくご存知の方々は事件の事を口にされません……勿論エレノア様の事も皆様避けておいででした。
しかし事情を知らない佐々井様がエレノア様の事を口にされたので、何かタガが外れたと申しますか……刺激になったのではないでしょうか。」
そう……穏やかな水面に小石を投げられ波紋が広がっていくように心が乱され、落ちていった小石は底に潜む悪夢を呼び覚ました。
そして、刺激されるように粗悪で粗暴なリュウが表に出でくる。
〝佐々井の事件正確に話せよ″言葉が頭の中で連呼する。
……怖い。
冷静にリュウの事を受け止めようと必死な彼に、例え別人格の行動であっても友を突き落とした事実は、彼を深く傷つかせ苦しめる。
……出来れば伝えたくない。
でも、リュウが話してしまう事はもっと最悪な結果を招く恐れがある。それならば私たちの口から真実を伝える事の方がよっぽどいい……
でも……一体どう言ったらいいのだろう。
どう伝えたらいいか悩んでいる私は丸岡さんに視線を向けた。すると深呼吸をし覚悟を決めように姿勢を正した。
「竜也様、もう一つお伝えしなくてはならない事が御座います。」
不安そうにしている私に小さく頷く。
「この事は言わずに済めばそうしたい所ですが、ここ迄きてそうもいかないと覚悟を決めました。」
「…………」
「……リュウは、竜也様の身体を使ってある傷害事件を起こしてしまいました。
正確には事件ではなく事故として処理されていますが……ある人物を…………階段下へ…突き落としたのです。」
彼の表情がみるみる変化していく。
窪んだ目が徐々に大きく見開かれ、黒い瞳が恐怖と戦慄で震えている。口を奇妙にヒクつかせ血の気のない顔は蝋人形を思わせた。
何か言葉を発しようとしたが上手く声が出ないのか喉元を押さえている。
「無理に言葉にする事は御座いません。……今、竜也様の頭に浮かんでおられる方です。
……なんの慰めにもならないとは思いますが、突き落としたのはリュウで竜也様はご存知無かったのです。」
守る為に長い間口を閉ざし、そして今は守る為に口を開いた丸岡さんの悲痛な表情に私の胸は締め付けられる。
「そっ……それでも…………それは僕だ。
別人格であっても…僕の中の一部であるリュウが起こしてしまった事は……僕の罪だ。
……知らなかったでは済まない。」
自分を責める彼がこのまま心を閉ざし内に籠ってしまうのではないかと怖くなって来た。
「エレノアやジェレミー……佐々井の事件全て、心の弱さから引き起こした僕の大罪だ。
僕は他人の人生を狂わせる……ジェレミーの言ったことは当たっていた。
……自分の存在を呪うよ。」
「竜也様いけません!しっかりなさって下さい。」
自己否定……自己崩壊していく……
「ダメです!…そっちに行っては駄目……戻れなくなる。」
私は叫んだ……でも声は届いてない。
心許ない目が終日を告げる夕闇の様に少しずつ光を失なってゆき、そして彼は消えてしまいそうな儚い笑みを浮かべた。
完全なる闇にのみ込まれ彼が消える……
東條竜也は深い眠りについた……小さく…まるで赤子の様に丸くなって……
私と丸岡さんは彼を揺り動かし、何度も名前を呼んだ。でも、なんの反応もない。
泣きたくなった……
それでも涙を流す事をおさえ、名前を呼び続けた。
「お願い…目を覚まして……見失っては駄目、自分が何者であるか思い出して……戻って来て……」
私の声は届かなかった。
そして、とうとう現れた…勝利に満ちた表情でリュウが目覚めた。
◆◆◆◆◆
今……目の前でガツガツと野生の肉食動物の様に食事を喰い散らかしている、見た目は東條竜也で中身は全くの別人リュウを、私と丸岡さんは嫌悪感たっぷりの表情で眺めていた。
あの日……自己否定の末心が崩壊し、深い深い底に潜ってしまってから五日が過ぎていた。
それから一度もそこから戻ってくる事はなかった。
その代わりにリュウが我がもの顔で生活し好き勝手にやりたい放題だった。
私はそんなリュウを冷たく時には憎悪さえ抱きながら日々淡々と仕事をこなしていた。
ある時…〝そんなに嫌なら何時でも出て行っていいよ。″……と卑しい笑みを浮かべて言ってきた。
私は腹が立って仕方なかったが、丸岡さんは〝……いえ、いつ竜也様が戻られるか分かりませんのでこのまま働かせていただきます。″と言い、その態度が気に入らなかったのか手元にあったコーヒーカップを投げつけて立ち上がり、テラスに続く窓を開け放ち出て行った。
二人で割れたカップを片付けていると、いつの間にか壁にもたれながら意地の悪い表情でこっちを見ていた。
〝馬鹿かお前ら……竜也はもう出て来やしない。完全に俺が身体を乗っ取ったんだからな……諦めろ。″……そう言って高笑いをした。
…………リュウの笑い声と勝ち誇った表情が頭の中でリプレイされる。
それを払いたくて頭を左右に振った。
そして、ナイフとフォークを押しつけガチャガチャと音を立て、下品極まりないリュウの姿に眉をひそめる。
……必ず戻って来る。
そう信じて今は耐えてその時を待とう。
「食ったぁ〜〜」
口の横についたドレッシングを親指で拭き取りそれをペロリと舐めた。
私たちは無言で食べ散らかったテーブルを片付け始める。
その様子をつまらなそうに見てから、何か思いついたのか勢いよく立ち上がった。その拍子に椅子が倒れたが、そんなことは御構い無しに私の顔を覗き込んできた。
「……薫、暇だからどっか遊びに行こう。」
「はあ?……いえ、まだ仕事が残っているので無理です。」
そう突き放すと子供みたいに口をまげ、そして私の手首を強く握りドアの方へ引っ張っていった。
「痛い!…離して!」
「うるさい!命令に従え!」
手を振り払おうともがいていると丸岡さんが止めに入ってくれた。
「リュウ……社長から今度の企画がまだ届いてないと連絡が有りました。」
「はあ?俺には関係ないだろ。其れは竜也の仕事だ。」
「そうは参りません。別人格になっている事は我々しか知らないのですから…やる事はやってもらはなくては困ります。
其れが嫌なら竜也様を返して頂きたい。」
……あの日から丸岡さんの表情は一変した。
今までの穏やかな顔から神経を研ぎ澄ました様な険しい顔……
無理もない。私だって始終眉間に皺を寄せ仏頂面をしていた。
「面倒くさい……竜也の親父には体調が悪いとか適当に理由つけて言っとけよ。
俺は仕事なんて御免だ。」
そう言って高飛車な態度でダイニングを出て行った。
……蹴飛ばしてやりたい。
掴まれた手首をさする…少し赤くなっている。
「嫌な奴…」
「今は辛抱致しましょう…必ず、その日は来ます。」
その言葉に頷いた。
再び後片づけを始めるとドアホンが鳴った。
私たちは顔を見合わせる。
モニターを覗くと彼の母方の従兄弟、朝日田浩輔がモニターの向こう側で人懐っこい笑顔で手を振っていた。
「朝日田さん…ですね。
……どうしましょう。」
「んん〜……」
丸岡さんは顎に手を当てて困った様に唸った。
「仕方ないですね。」
緊張した面持ちでドアノブに手をかけ一度大きく息を吐いてから開けた。
◆◆◆◆◆
久しぶりに会った朝日田さんは変わらずガッシリとした身体に人懐っこい笑顔を見せて、当たり前のように靴を脱ぎだした。
「あ…朝日田様、申し訳御座いません……竜也様は本日お会いする事が出来ないのです。」
「えっ?……なんで。」
「それは……」
「もしかしてまた体調崩しているのか?」
「えぇ……まあ……」
歯切れの悪い言い方に違和感を感じたのか目を細め丸岡さんを見つめる。
「……いつもと様子が違うようだな……
なんかあった?」
私の知っている朝日田さんはおおらかで優しい性格だか、物事の機微には疎く、簡単に言えば鈍感な方だと思っていた。しかし今日に限って感が鋭いのに驚いた。
「何も……御座いません。
ただ、竜也様は少し風邪をこじらせてお休みになっているだけです。」
「風邪……相変わらずひ弱だなぁ。」
朝日田さんは呆れながらも心配そうに階段上を見たが、急にニヤリとした。
「なんだ、起きてんのか。」
私と丸岡さんは驚いて振り返ると、階段上にリュウが見下す様な目つきをして立っていた。
……どうして出てくるのよ。
心の中で舌打ちした。
そんな私を嘲笑うみたいにゆっくりと下りてくる。
「風邪こじらせ…………!」
そこで言葉が途切れると目が飛び出るほど大きく開き口をポカンと開けてリュウを穴が開くほど見つめていた。
……しまった!…車椅子!
でも、もう遅い……
「た……竜也……お前……」
「なんだ……あんたか。」
「歩けるように……」
少し泣きそうに表情をくずし、この洋館では誰も発しないような大きな声を出して一気に階段を駆け上がり、リュウをその筋肉質な大きな身体で抱きしめた。
「なんだよ竜也歩ける様になったなら早く教えろよ!」
嬉しそうな表情に声……これが本当に彼ならば一緒に喜び涙も流すだろうけど、残念ながら目の前に立っているのは人格の入れ替わった東條竜也で、私は複雑な気持ちで喜ぶ後ろ姿を見つめていた。
「……いつまで抱きついているつもりだよ……気持ち悪い。」
喜ぶ友に冷たい視線と言葉を向ける。
「…ああ……悪い。……体調崩してたんだな……」
「竜也様、起き上がってはまた酷くなりますのでお部屋にお戻り下さい。」
「はぁ?」
バレてしまう前に二人を引き離したい丸岡さんは何時もより早口だった。
リュウは階段を下りながら珍しいオモチャを与えられた子供みたいな表情をした。
「もうだいぶ楽になったよ……」
「しかし……」
「丸岡、応接室にコーヒーの用意を頼む。」
「油断は禁物です。もう少しゆっくりとお休みにならなくてはいけません。」
朝日田さんは二人のやり取りを腕を組み口をへの字にして聞いている。
「……どうもタイミングが悪かったみたいだ。」
「そんな事ないさ……大歓迎だよ浩輔。」
含みのある笑みを見せて大袈裟に両腕を広げて見せた。
リュウの態度は私をイラつかせた……そして朝日田さんはと言うと、ニッと白い歯を見せて〝じやあ、遠慮なく。″といい階段を下りた。
これ以上強引に引き止めるのも怪しまれると思ったのか丸岡さんは口元をやや引きつらせ応接室へ先導していった。
……何を企んでいるのリュウ……と言うか、この状況を面白がっている。
どちらにしてもバレない内に朝日田さんには早々に帰って貰わなくてはならない。
そんな事を考えながら最後に応接室に入ると丸岡さんが私の耳元で言った。
〝妙な言動をしない様に見張っていて下さい。″…そしてお茶の用意をしに出て行った。
頷きリュウに視線をうつすと向こうもこちらを挑戦的な目で見ていて、私はそれに負けないように睨み返してやった。
「朝日田さん、お久しぶりですね。
そうだ……その後歩さんとはどうなんですか?」
「どうって……まぁ、昔と変わらずって所だよ……今は秘書みたいな仕事して貰っている。」
「秘書…じゃあ朝日田さんといる時間が多くなって喜んでいるでしょうね。」
「ははは……参ったな…でもあの格好にはまだ慣れないけど…」
困った様に頭をポリポリと掻いている。
「でも、女性になったんですから其れは当たり前の姿じゃないですか?」
「そうなんだけどな……」
「早く慣れてあげないとね。」
私はリュウか口を挟まないように必死に喋りかけた。
そこへ丸岡さんかコーヒーをワゴンに乗せて戻って来たので少しホッとした。
「お待たせいたしました。
……朝日田様、本日はお仕事お休みなのですか?」
コーヒーを受け取り〝ちょっとサボリ″と人懐っこい笑みを見せて言うと、リュウの方に顔を向けて私たちの心臓を一瞬止める様な言葉を言った。
「…で……お前は誰だ。」
「!!」
「お前竜也じゃないよな……」
「へぇー」
ニヤニヤするリュウを見つめ朝日田さんの表情は険しく曇っていく。
「あ…朝日田様……何を仰しゃるのです。」
「丸岡さん…こいつに聞くから……」
「ふん……ただの脳天気な筋肉バカでもなかったみたいだ。」
「それは期待を裏切ってしまったな……」
「ふふ…で、どこで分かった。」
「車椅子に座っていなかった……まぁ…一瞬喜んだけど、よく考えてみれば歩けるようになったら俺の所に連絡がこないのは変だからな。」
「そう?……竜也が自分でそんな連絡するとも思えないけど?」
「竜也はな、でも丸岡さんは違う、必ず竜也の親父さんには連絡するしそこから俺の耳にもはいるさ。」
リュウは上唇を面白くなさそうに引き上げて組んだ足に右肘を付きそこへ顎を乗せた。
「それだけで確信したの?」
「いや、お前の態度と言葉だ。
竜也は〝大歓迎″なんて言わない…渋い顔して〝何しに来た″と言うはずだし、腕を広げるような芝居じみた態度はとらない。
余りにもらしくない……竜也の顔した別人だと思った。」
「長いつきあいも馬鹿にできないな……」
「ああ、ガキの頃からの仲だからな……」
朝日田さんは勝ち誇ったようにニッと笑った。
「ふん……いいさ…そう、俺は竜也じゃない。……別人ではなく別人格と言ってくれ。
名前はリュウ……宜しく。」
差し出された手を冷たく一瞥し朝日田さんは鋭い目をリュウに向けた。
無視された自分の手をゆっくりと握り引っ込めると馬鹿にしたように肩を軽く上下させた。
「どうしてこうなったか知りたい?」
「だいたい想像はつくが、聞いてやる…話せ。」
他人に命令される事が嫌いなリュウは朝日田さんの口調に険しい表情を一瞬見せたが、直ぐに口を横に広げ笑みを浮かべた。
「長々と話すのも面倒だから簡単に言うと、竜也はエレノアの死に心が耐えられなくて、自分を守る為別人格をつくりあげ辛い部分だけを俺に預けた。」
「……今までお前の気配など感じた事など無かった……我が物顔でどうしてここに居る。」
「其れは、そこにいる二人が全部話しちゃったからさ……」
後ろに控えていた私たちに顔を向けてきた。
「丸岡さん……」
「……はい、全てお話ししました。」
「知っていたんですか?竜也が…その…つまり二重人格だって事は……」
「存じておりました。」
心痛な面持ちで答える。
「私も……知っていました。……時々様子が……変に思って丸岡さんを問い詰めて……」
朝日田さんは溜息を吐きながら額に手を当てた。
「そんな大事な事どうして教えてくれなかったんですか……」
「……申し訳ございません。」
「あの、丸岡さんを責めないで下さい。六年間ずっと悩んで苦しんでいたんです。此処にお世話になって一年も経たない私が言うのも何なんですけど、毎日一緒にいるからわかるんです……その辛さが……」
「薫さん有り難う御座います。」
「……という事さ。俺はずっと反対してたんだ。本当の事を知ったら竜也は耐えられないと分かっていたからね。
でも、話しちゃった。……それで俺が代わってやったんだ。
クックク……精神を病んで生きるなんて辛いだろ本人も其れを見る周りの奴らも……そうならない様にした俺に感謝して欲しいね。」
人の不幸……苦しみ悲しみ嘆きをからかう様に楽しんでいる姿は、つい最近までこの状況になる事を阻止しようとしていたとは思えない。
……少し前から感じていた違和感が大きく膨らんで破裂しそうだった。
「……お前、本当に竜也を思って止めようとしてたのか?」
「はっ?」
「俺は丸岡さんや薫さんにお前がどう言っていたのか知らないが、どうも此処までの言動は薄っぺらくて信じられない。」
「酷いなぁ……六年も竜也を守ってきたのに……でも、あんたにはそう思われても仕方ないかもね。別人格が主人格の様にこうしているんだから歓迎されはしないと理解できるよ。……まぁ、無理に認めろとは言わないけど……竜也が自分の殻に閉じこもってしまったからには、この身体は譲ってもらう。
別人格であっても一部には変わりないんだから権利はあるだろ……それを行使させて貰う。」
「リュウ……竜也様を守ってくれた事には感謝します。しかし、やはり竜也様を戻しなさい……表に出てくるなど思い上がりも甚だしい事です。」
地の底から這い出したみたいな暗い目をして丸岡さんを睨んだ。
「そんな風に睨んでも無駄です。
元の場所……いえ、消えなさい。竜也様は大丈夫、私たちがいます。」
リュウは荒々しく立ち上がり丸岡さんの胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。
「消えろだと……」
瞳の奥に青白い炎が浮かび上がったみたいに見た。
「この身体は俺のものでもあるんだ!
使用人のお前がどうこう言う方が思い上がりなんだよ!二度と言うな…今度言ったら殺す。」
「……何度でも言います。消えなさい。」
リュウの目が血走り今度は腕で首を圧迫していった。
丸岡さんは苦しそうにしていたが、決して折れる事がない決意を表した目をずっと向けている。
「やめて!」
私はリュウの腕を外そうと引っ張ったが逆にもの凄い勢いで蹴っ飛ばされ、床におもいっきり腰を打った。
しかし、次に床に転がったのはリュウの方だった。
朝日田さんが肩に手を当て振り向かせると、左の拳が腹に深く食い込んで、声にならない呻きをあげるリュウに今度は右ストレートが顔面をとらえ意識を失って倒れたのだ。
ボクシングの元学生チャンピオンの拳をまともに受けて立っていられるわけないわよね……
朝日田さんは複雑な表情で倒れている姿を見ながら拳を摩っている。
「……竜也、許せ。」




