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Dragon of heartbreak  作者: 有智 心
∞第7章∞ Persona
26/31

真実

 彼は丸岡さんの言葉を一字一句聞き漏らさぬ様に真剣な表情で耳を傾けている。


 何気なく窓に目を向けた。

 外は荒れ始めている様だった……しかしこの堅牢な建物の中にいると気付き難い。

 元が贅沢にお金に糸目をつけることなく建てられた洋館で、外がどんなに荒れようとも部屋の中は静かなものだった。ただ窓ガラスに激しく打ちつける雨粒と空中に巻き上がる葉っぱや小枝が風の強さを教えてくれる。

 ……この天気の変わりようは此れから明かされる事への暗示の様で不安になる。

 そんな負の感情を振り払う様に私は小さく左右に頭を揺らし声に集中した。


 丸岡さんは私に話してくれた時の様に…いいえ、もっと丁寧に言葉を選びながら、よく通る声で…しかし時折り躊躇い、言葉を切りながらアメリカでの出来事を彼に話している。


「……エレノアとジェレミー。」


 彼は眉根を寄せて絞り出すような苦しげな声を漏らし額に手を当てた。

 表情から二人の名前を聞いて思い出した様子は見受けられなかった。


「エレノア……」


 愛した女性の名をもう一度つぶやくと深い溜息と共に両手で顔を覆った。


 私と丸岡さんは目を合わせ、其れから視線を彼に戻す。

 リュウに奪われた記憶……この言い方は正確ではないわね。心のバランスを保つ為に無意識に別人格をつくり預けてしまった記憶。其れを今度は取り戻そうともがいている。


 ……もしかして話す順番を間違えたのではないか……そんな考えがフッと頭をよぎった。別人格のことから話し其れに至るまでの話しを聞かせた方が良かったのではないだろうか?……今更遅いのだけれど……

 さざ波の様な心の乱れを押し込め彼に視線を戻した。

 覆った手の隙間からチラリと見える苦悶の表情……リュウはこの状況を彼の中で感じているのだろうか?

 今までこうなる事を邪魔してきていたのに、何故出てこないの?……おかしい。

 辛い記憶を引き受けて東條竜也という人格を守ってきたのに……取り戻そうとする事は裏切りだと怒り狂うと思うのだけれど……おかしい……何か意味があるの?其れとも諦めてしまった。そんな筈はない簡単に諦める様なリュウではない。……嫌な予感がする。

 私はとてつもない間違いを犯しているのではないかと漠然とした不安が湧いた。そしてジンジンとした痛みが脳を重くする。

 全てを明らかにした方がいいと決心と覚悟をしたのに、この後に及んで心が揺れるなんて……更に波立つ心。


 ……私は俯き胸をおさえた。


「……思い出せない。」


 彼は覆った両手から顔を上げた。何処にも焦点が合っていない目、時間が足踏みして表情を失わせている。


「愛した女性の顔さえ浮かんでこないなんて……」


 自分に絶望するかの様に再び顔を覆った。


 リュウが記憶を解放しなければ思い出す事は叶わないのかもしれない。


 ここで今まで考えもしなかった疑問が頭に浮かんだ。

 ……彼の記憶が戻ったらリュウはどうなるのだろう?

 役目を果たしその人格は消滅してしまうのか、其れとも此れからも彼の中で生き続け時折り顔を見せるのか……

 もし、消滅してしまうとしたら……リュウ自身も分かっているとしたら……必ず阻止するに決まっている。……此れまでの様に。

 でも……未だに現れない。

 ……何故?

 まだ記憶を失うきっかけとなった事件を話していないから?

 いずれにせよ邪魔をしに出てくる筈。


「丸岡……」

「はい。」

「話しの続きを……そう、あの事件の事を話してくれ。」


 丸岡さんは私に視線を向けてきた。…どこかまだ迷いのある瞳の色…強張った表情で私は頷いた。

 丸岡さんはゴクリと唾を呑み込み少し間を空けて話し始めた。




 ◆◆◆◆◆




「……今からお話しする事件の内容は、後から警官や友人、関係者から聞き及んだのを私なりの解釈と事実をまとめた話です。」


 あの悪夢の様な一夜。

 大学のホールでは卒業生たちが此れからの未来に夢を膨らませながら、良き日を祝いおおいに楽しんでいた。


 その中に彼とエレノアも歓びに満ち笑顔が弾けていた。


 しかし、そのパーティの輪の中にジェレミーの姿は見当たらなかった。でも、そんな事は誰ひとりとして気づく者もなく、人とはこうやって忘れ去られるものかと侘しさを覚えたと丸岡さんが痛ましそうに言った。

 彼もそんな言葉を聞いて唇を軽く噛んで拳に力を入れ辛そうな表情をした。

 希薄な存在のジェレミーへの憐れみと、彼を思い出せない悔しさがそんな顔をさせているのかも知れない。


 会場から離れたジェレミーの自宅では、父親も母親もパーティに出席しない息子を訝しく思いながらリビングでテレビを見ていたという。そして、当の本人は薄暗い部屋でタキシードに着替え、両親の寝室からサイドボードの奥にしまってある拳銃を手に取り気づかれない様に家を出た。


 大通りでタクシーに乗り込んで大学のホールへと向かった。

 後でタクシーの運転手に話を聞くと、車内では行き先を告げると一切言葉を交わす事もなく、ただ一度低く笑い声を上げたのでルームミラーで覗き込むとにら目つけられたと……

 〝……なんだかイっちゃっている感じでドラックでもやってるんじゃないかと恐ろしかったよ。″ と引きつった笑いを浮かべ警官に話していたそうだ。


 目的地に着くと真っ直ぐホールに歩いて行く。その様子を外で酒を飲みながら騒いでいた数人が目撃していた。

 その中の一人が声をかけたがまるで他人でも見るように一瞥し行ってしまったと言っていた。

 そして大きく開け放たれたドアの前で立ち止まり暫く中を眺めてから、窓ガラスに映る正装した自分の姿を不思議そうに見つめていたそうだ……


 会場は最高潮に達していて、タキシードや華やかなドレスに身を包んだ卒業生たちが、笑い声を上げ、踊り、酒を飲みながら騒いでいる。その姿はジェレミーにとって不快で……本当なら自分もその輪の中にいるはずなのに、この違いを呪い更なる憎悪を膨らませたのではないかと言葉をきった。


「……自分が幸福だと、他人の不幸は目に映らないのか?

 少なくともその時の僕はそうだったのだろう……」


 思い出せない過去の自分に苛立ちを含んだ渇いた声。そして……表情が歪む。

 私は否定も肯定も、気の利いた言葉一つ出てこなかった。


 丸岡さんは何か言いたそうに唇を動かしたけど、言葉をのみ込み代わりに息をフッと吐いて続きを話し出した。


 ジェレミーはホールの一角に目指す相手を見つけると血走った目をして真っ直ぐ歩いて行き……そして最初の一発を天井に向けて撃った。

 静寂と困惑する人々の目。

 銃を掲げているジェレミーの姿が全ての人間に認識されるとその目が恐怖の色に変わる。


 そして……銃を彼に向け〝お前のせいだ…自分の存在を呪え″と言い二発目が発射され足を撃ち抜く。


 彼は今撃たれたかのようにピクリと身体を反応させた。

 その様子を心配そうに見ながら丸岡さんは続けた。


 女性の金切り声があがる……それはエレノアのものだったのか、別の女性のものだったのか分からないが、その声が合図となり会場はパニックを起こし我先にと逃げて行った。


 三人を残して…………


 そして三発目が彼の腰を撃ち抜く。


「自分の存在を呪え……」


 彼は顔を上げ呟いた。

 蒼白で何処かに感情を忘れてきた……白痴めいた表情。

 ……思い出した?

 両肩を抱えるように腕を交差させ身体を丸めて小刻みに震え始めた。


「……僕のせいだ…全ては愚かで浅はかな僕のせいであんなひどい事が起こってしまったんだ。」


 何故か立ち上がろうとして車椅子から転げ落ちた。


「竜也様!」


 慌てて助け起こそうとする私達を手で制して、自力で上体を起こしテーブルの端を両手で強く握り更に上体を起こした。


「…………お前さえ現れなければエレノアが俺の元から去る事もなかったし、選手としてもエリートの道を進んでいたんだ。

 なのに…何もかも狂ってしまった。

 全部お前が奪った……エレノアも輝く未来も全て俺から奪い取ったんだ。許さない……だから今度は俺がお前の全てを奪い取る。

 死というプレゼントと引き換えにな……

 お前が死ねば元通りになる。

 無様に殺される自分の存在を呪え、そして地獄に堕ちるがいい。」


 テーブルを支えにしていた両腕の血管が浮き出る。

 震えた片方の手でこめかみを押さえつける…


 ……頭の中へ一気に記憶が呼び起され狂気と混乱と恐れそして懺悔……色んな感情と場面が重なり合いひとつずつ異なる形を作り、そのピースが頭の中ではまっていく。

 完成したパズルは彼を打ちのめす……


 喉を上下させ其れに合わせる様に身体も動き吐きそうになる口を押さえている。


 手を伸ばした丸岡さんの手を振り払い、血の気が失せた顔に見開かれた瞳が異様なくらい大きく見えた。


「……僕はジェレミーに何も言ってやる事が出来なかった。恐怖からだけじゃない…自分の愚かで思い上がりによって彼の人生と心を歪んだものにしてしまった事への後悔と懺悔……当事者の僕が何を言っても彼には耳障りな音としか聞こえないと……かえって気持ちを逆撫でるだけだと口を開く事をしなかった。そんな僕をエレノアは必死に庇ってくれた。」




 ◆◆◆◆◆




「ジェレミーやめて!……竜也は何も悪くない。ただ相談にのってくれただけ。貴方との関係が上手くいく様にアドバイスをしてくれたのよ。

 でも、貴方は変わらなかった。どんどん酷くなって、だから私は別れたの……竜也が悪いんじゃない。」

「信じられるか……今のお前達を見せられて納得なんか出来るものか!

 こいつを殺して君を取り戻す。」

「やめて!」

「エレノア…君は騙されているんだ。こいつを殺せば目がさめるさ……」

「ジェレミー……目を覚まさなきゃいけないのは貴方よ。お願い、銃をさげて……」

「……何を言っても今の君には届かないみたいだ。悲しいよ……でも、こいつが居なくなれば気づくはずだ。」

「ジェレミー!」

「……わかった。」

「竜也?」

「そんなに憎いのなら殺せばいい、この胸を撃ち抜け……でも、彼女…エレノアの事は自由にしてあげて欲しい。

 彼女の人生を壊してしまう事だけはしないでくれ……頼む。」

「何を言っているの…竜也、バカな事は言わないで……」

「いい覚悟だ。じゃあな竜也……地獄へ堕ちるがいい。」



「……ジェレミーの血走った目は狂気の中で楽しそうに笑っていた。

 引き金をひくジェレミー……僕は目を閉じた。そして発射音とほぼ同時にエレノアの身体が僕の腕に倒れこんだ。

 白いドレスが徐々に真紅に染まっていった。

 僕が叫ぶと彼女は震える手を頬に当て、か細い声で〝よかった…愛している。″そう言って永遠の眠りについてしまった。

 信じられなくて何度も何度も揺り動かした……でも、二度とその目は開いてはくれなかった。」


 彼の頬をひとすじ光るものが流れていく……


「そしてジェレミーは愛するエレノアを射殺してしまった事への恐怖と彼女の居ないこれからに絶望したのか、何かブツブツと呟き最後に引きつった笑みを浮かべ自ら頭を撃ち抜いたんだ。……もしかしたら…死を選ぶ事で、違う世界で一緒になれると思ったのかも知れない。」


 今まで誰も知る事が出来なかった三人のやりとり……何故だか私は現実にあった事のように思えないでいた。其れでも彼の悲しみや苦しみは心の奥深く刻み込まれ、その痛みを分かち合いたいと思った。


 彼は深く沈んだ瞳で宙を見つめ話を続けた。


「……これは夢ではないかと思った。腕の中で息絶えているエレノアと、こめかみに黒い痕を残し倒れているジェレミー……その二人から少しずつ流れ出してゆく血……

 夢なら早く覚めて欲しいと、誰か自分を眠りから引きずり出して、この悪夢を終わらせてくれないかと祈った。

 その内…心臓が止まってしまう様に思考が停止してしまい、目の前の惨劇のあとを見ているはずなのに何も映していない感じで……そして真っ白になった。」


 一気に話し終えると、疲れた様にうな垂れ動かない足を見つめた。……そして力なく笑い声をあげる。


「忘れてはいけない事なのに、僕は何年もそこから目を逸らし、のうのうと生きて来たのか……なんて情けない人間だ。吐き気がする。」


 肩を震わせてまた笑った。


「そのように御自分を責めないで下さい。そうしなければ竜也様は正常ではいられなかったのです。」

「だから!其れに吐き気がするんだ。

 いっそ狂ってしまった方が良かった。そうすれば少しは死んでしまった二人の懺悔にもなった筈だ。」


 強く握った拳がテーブルを何度もたたいた。

 止めようと丸岡さんが腕を掴むが、それを拒み苦しそうに表情を崩す。


「あの時、僕が死んでいれば良かったんだ……そうすればエレノアは幸せになっていた筈……どうして庇ったりしたんだ。…どうして……」

「そんな事……決まっているじゃないですか。」

「えっ……」

「愛していたからです。

 そんな事も分からなくなったんですか?」


 強い口調の私に少し驚いたような目を向けた。


「……どんな過去の記憶でも受け止める覚悟をして、今まで必死に主人の事を思い隠し続けた丸岡さんに辛い話しをさせているんです。自分が死ねば良かったなんて軽々しく言って欲しくないです。」


 彼は丸岡さんに顔を向け、そして何も言わず頭を下げる。


「あの状況で生き残った……生かされたんです。其れが真実でそこにはきっと意味がある筈です。」

「意味……」

「……生きるべき意味です。」

「こんな僕にどんな意味があると言うんだ。」

「沢山の人の相談を聞き助けてあげてるじゃないですか…」

「そんな事……誰にでも出来るさ……」


 私は大きく頭を振った。


「いいえ、貴方にしか出来ない事です。話しを聞き、最善の方法を見つけ出し導いていく。……エレノアさんの相談に対して間違ったと思っているなら…尚更真摯に向き合い最善の努力をする。其れがエレノアさんに生かされた命の使命だとは思えませんか?」

「……エレノアに……」

「自分を犠牲にしても守りたかった命。その想いを無駄にするような事言わないで……」

「……生かされた。」


 深く沈んだ瞳にほんの少しだけ光が戻ったように見えた。


「丸岡……生きて……良いのだろうか?」

「当たり前でございます。薫さんがおっしゃる通りです。……大丈夫、何があっても私も薫さんもお側におります……竜也様はお一人ではないのですよ。」


 ……久しぶりに見る丸岡さんの穏やかで誰もがホッとしてしまう笑顔が心に沁みてくる。


「一人ではない……」

「はい……お一人では御座いません。」


 其れは彼もきっと同じように感じていると思う。……だって、少し疲れた様ではあったけど、あの少年っぽさの残る優しい笑みを浮かべていたから……


 床に座り込んでいた彼は車椅子を引き寄せ、丸岡さんの手を借りて座った。


「少し休憩致しましょう。ハーブティーでも入れてまいります。」


 そう言ってキッチンに向かう姿を見送り、改めて彼の様子を伺った。

 一気に取り戻した記憶に疲労の色を隠せない……こんな状態の時リュウに入れ替わりやすい。此処まで話しが進んでも全く現れる気配も見せないのが不気味だ。

 何か企んでるいるのではと思うと落ち着かない。


 丸岡さんがワゴンにハーブティーを乗せて戻って来た。

 この香りは……レモンバーム。緊張が解けてゆく……

 彼はカップを手にしてレモンバームの優しい香りを吸い込みリラックスした表情……ところが突然カップをひっくり返した。中身が絨毯を濡らし広がったシミは何かの警告に見えた。


 ……そして……背筋を凍らせる。

 リュウが現れた。


「嫌いなんだよねハーブティーって……アルコールの方がいいんだけど、丸岡出してよ。」


 丸岡さんは全身に力を入れているのか手を握りしめ眉間に深い縦皺を刻んでいる。

 そういう私も下まぶたを小刻みに震わせ唇を引き締めていた。

 リュウはそんな私達を見てゾッとする様なアルカイックの笑みを浮かべ、車椅子は座り心地が悪いと言いながら蹴っ飛ばすと空いているソファにどっさりと腰を下ろした。


「やっちゃってくれたね。……とうとう話してしまって、俺があんなに反対していたのに、同意見だと思っていた丸岡まで、この女に乗せられて簡単に意志を曲げちゃうなんて予想外だったよ。」


 記憶が戻った事になんの焦りも見受けられない…むしろ喜んでいる様に見える。

 不気味な態度に違和感を覚え、真意をつきとめるべくその表情を観察し始めた。


「……まだ話しは半分ですが懸念していた事態には至ってません。

 リュウ、君の役目は終わったのです……これ以上竜也様の中にいる必要はなくなったのです。」


 ジロリと睨みつけ手元にあったクッションを投げつけた。其れが見事に顔に当たるが丸岡さんは表情ひとつ変えず強い眼差しを向けていた。


「ハッ……ははは…何ねごと言ってんの?

 俺の役目が終わった?そんな訳ないじゃん……むしろ此れからだよ。」

「記憶を取り戻した今、存在する理由は何処にあると言うのです。竜也様の辛い部分を受け入れ精神を護ってくれた事には感謝しますが、やはり一人の人間に二つの人格は必要御座いません。」


 リュウの瞳が一瞬汚泥の様に濁って見えた。


「この俺が要らない人格だと言うが、紛れもなく一つのの人格だ……軽く扱うんじゃない。……好きなようにさせて貰う。」


 深海魚みたいな得体の知れない空気を漂わせている。


「どうするつもりですかリュウ。」

「さあ……其れは此れからのお楽しみってとこだな……

 さて、俺の事はどんな風に話して聞かせるのか、その時竜也はどんな顔をするのか見ものだな……

 あっ……ちゃんと佐々井の事件の事も正確に伝えろよ。自分の手で友を突き落としたと知ったら……ククク。

 じゃあ…な。……健闘を祈るよ。」


 狡猾な笑いを見せ、そして眠るように目を閉じた。


「待って!何をするつもり?」


 私は声を張り上げたけど閉じられた目はピクリとも動かず、リュウは中に戻ってしまった。

 何も探る事もできず奥歯を噛み締め、力無く座っている姿を見つめていると、彼は死の淵から蘇生するみたいに大きく胸を膨らませ、目を開け一気に息をはいた。

 目を何度も瞬いてこめかみを押さえさっきまで座ってた車椅子を見ている。


 ぼんやりとした表情……状況が掴めないでいる。

 交互に丸岡さんと私に視線を向け徐々に意識がはっきりしてくる。


「どうして……」


 いつの間に自分が移動したのかわからず、ソファから投げ出すように伸びた足を凝視している。


「竜也様……説明を…話しを聞いて頂けますか……」

「……どうしてここに座っているんだ。」

「説明を…」

「何か……誰だ?……この感覚、今まで感じた事がない……いや違う。

 何度もある。気づいて…気づかないフリをしていただけ?……」


 まるで未知の生物でも見るかのように両手を開き、得体な知れない感覚に戸惑っているみたいだった。


 ……どんな感覚なんだろう?

 経験した者にしか分からない……私には到底理解は不可能で、虚無感が身体をずっしりと重くしていく。


「自分がわからない……僕は誰なんだ。

 身体の奥で誰かが笑っている……」


 ヒタヒタと迫る真実の足音が不安を掻き立てているのか言葉が頼りなく震えて響く。


 もう一つの真実の扉が開かれる。

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