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Dragon of heartbreak  作者: 有智 心
∞第7章∞ Persona
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混沌

 あの日以来東條竜也は丸三日間眠り続けている。

 時折打つ寝返り、呼吸で微かに上下する布団の動きを確認すると、生きていると安堵し、それと同時にこめかみが痛む様な不安が表情を曇らせた。


「今日もいいお天気です。風も心地良くて散歩日和ですよ……」

「……」


 言葉を返してくれるのを期待しながら毎日事あるごと話し掛けていたが、優しい言葉でも憎まれ口でも何でもいいのに、閉じられた唇は応えてくれなかった。


 開け放った窓から風にのって金木犀の香りが部屋に運ばれてくる。

 幾らか散った花弁か木の根元をオレンジ色に染めているが、株全体にはまだ可愛らしい花をたくさん咲かせていた。


 もう1箇所の窓も開けてからベット脇にぽつんと置かれた車椅子の所に行きグリップ部分を摩る。

 毎日ここを握り押していたのが三日も触れる事なく、彼の身体の一部だった車椅子はヒヤリとしてただの置物みたいになっている。

 ストッパーを外し押してみると軽く進み重さを感じられない事が更に淋しさを深くした。


「早く起きて下さい……主人が何時までもベットにへばりついていたら、私たち使用人は仕事が無くて時間を持て余すんです。

 まだ秋なのに冬が来たみたいに寒くて……淋しいです。」

「……」


 何も言ってくれない。


 私は肩を落とすと車椅子を元に戻し部屋を出ようとした。


「薫さん……」


 空耳かと思う。……でも、ずつと聞きたかった声。

 懐かしく感じる声が私を呼び止めた。


 ゼンマイが切れたおもちゃみたいに立ち止まりぎこちなく振り返ると、さっきまで閉じられていた目が戸惑う様に天井を見つめていた。


「薫さん。」


 今度は私の方に顔を向けて呼んだ。


「は…はい。」


 あまりの驚きに直ぐに駆け寄る事ができず、木偶の坊のようにドアの前で返事をした。


「……凄くお腹空いているんだけど。」


 情けない顔をして訴えてきた。


「はい、直ぐに用意します。……あの、丸岡さんに知らせてきますね。」


 私は追い立てられた猫みたいに跳び上がり……本当に跳び上がった訳じゃないけどね。

 ……そんな感じで部屋を出てスリッパをバタバタと鳴らしながら階段を急いで駆け下りた。

 慌て過ぎて途中踏みはずしそうになり前のめりになったが、咄嗟に手すりを掴み何とか転げ落ちるのを免れた。


 こんな風にドタバタと音を立てる事など此処ではあり得ないので、聞きつけた丸岡さんが何事かと不快な皺を眉間につくりながらキッチンの入口から顔を出した。


「騒々しい…何事ですか?」


 廊下に出て来た所に、嬉々とした表情を浮かべた私は息を弾ませながら、やや裏がえった声を出した。


「丸岡さん!」

「そんなに慌てて…もう少し静かに、」

「お腹が空いたって……」

「……?」

「あの…目を開けて……お腹が空いたって言ったんです。」

「……目を開けた?」

「はい。……やっと目を開けてくれました。」


 これ以上ないって位大きく目を見開き皺も伸びて消えてしまうのでは無いかと思う位驚いた表情をした。そして二階を見上げ今度は丸岡さんが慌てて階段を駆け上がって行った。


 二人で部屋に入ると彼は上半身を起こし大きく伸びをしている所だった。


「竜也様!」

「丸岡……なんだか身体全体が凝ってる感じがする。」


 首を左右に曲げたり背筋を反らしたりと渋い表情をしながら動かしていた。


「ああ…ようございました。」

「よくないよ。」


 身体が凝っている事がいいと言われたと思ったのか、不機嫌そうに目を細め上半身をひねっている。


「失礼致しました。……後でマッサージでも致しましょう。」

「頼む……それと…食事は?」

「あっ!すみません。直ぐにお持ちします。」


 私は再度慌てて下へ降りていった。


 キッチンについてから考え込んでしまった……何を食べさせたら良いのか。

 お腹が空いているとは言え、三日も胃に何も入れていない状態で……いきなり肉は負担がかかるだろうし……そうだ!…昨日作ったコンソメスープがあったのを思い出し、冷蔵庫から取り出し温めた。しかし幾ら何でもこれだけでは満足しないと思い、ヨーグルトにフルーツをカットし、オレンジジュースを添えて二階へ持っていった。

 彼は不満そうに〝これだけ?″と嘆いたが、丸岡さんが胃が空っぽの状態なのだから仕方ない、私の用意した食事はベストなものだから我儘を言わず食べる様に言い、彼は渋々頷き三日ぶりの食事を始めた。


 私は嬉しくてニコニコとしながらその姿を見ていた。きっと丸岡さんも同じだろうと思い視線を向けて見ると、予想に反して探りを入れる様な目つきをしていた。


「ご馳走様。」

「お代わりは宜しいですか?」

「ああ、もう充分だよ。……でも、夜はもう少し食べ応えのある物を頼むよ。」

「かしこまりました。」


 私が食事の後片付けをしていると、彼は外の空気が吸いたいと言い置物状態にあった車椅子に座り三人で下へ降りた。


 テラスへ出ると大きく深呼吸をして久しぶりの美しい庭と高い空を眩しそうに目を細め眺めた。


「二人とも正直に答えて欲しいんだけど……」


 ……キタ!


 私もそして丸岡さんも何を聞かれるか大方の予想がつき緊張で表情筋が鈍っていくのを感じた。


「ゆりなが来た日、僕がどうしたのか……全く憶えていないんだ。」


 首だけ此方に捻り、陰を落とした睫毛が空白の時間を怯えるみたいに僅かに震えて見えた。


 私は……おそらく丸岡さんも…三日間この質問をされた時どう答えたら良いか考えてはいたが明確な答えは出せないでいた。

 ありのまま正直に話すか其れとも都合の悪い部分だけ適当に繕い話すか……その質問を投げかけられた今もどうしたら良いか迷い脳が重く鈍る。

 しかし、何時までも二人して押し黙っているわけにもいかない……

 ……答えが出ていないのにも関わらず、兎に角何か言わなくては彼が不信と不安に駆られると思い口を開きかけた。


「ゆりな様のお話を聞いている途中に気分が悪くなりお倒れになったのです。」


 先に丸岡さんが口を開いた。


 斜め後ろにいた私は丸岡さんの冷静で何ひとつ嘘のない……しかし肝心な事は何も触れていない言葉に喉を上下させた。


「……たったそれだけの説明で僕が納得すると思う?」

「そう言われましてもこれ以上説明しようが御座いません。」


 なんの迷いも感じられない丸岡さんの表情は彼の言葉を弾き飛ばした。

 彼はクルリと車椅子を反転させ、背筋を伸ばし堂々としている執事を鋭く見つめた。


「もう一度聞く……何があった。」

「答えは先程と一緒でございます。」


 双方一歩も引かぬとばかりに目を逸らさず視線を絡ませている。


「正直に話せない程酷いのか?」

「ありのままを申し上げています。」


 風の向きが変わった……樹々をざわつかせ庭の花も儚く散っていく、風に花弁が舞い彼の膝に降りた。其れを手に取りジッと見つめていたかと思うと、花弁を持つ手を掲げ指を離す。風に翻弄され不安定に吹かれていった。


「……あの花弁みたいだ。」

「えっ?」

「本体から引き離され風に乗って彷徨う。自らの意思など関係無く何処かへ運ばれ…風がやめば落ちた場所にとどまり、また吹けば彷徨う。

 …まるで、僕の様だよ。」


 風に乗ってあっという間に視界から消えた花弁の行末を悼む様に、暗い影を落とした瞳を閉じ、口の前で祈るみたいに手を合わせている。

 ……抜け落ちている記憶。不安と恐怖……

 本当の事を知ってしまう事と一体どちらが苦しいのだろう?……今日まで同じ事を何度も考えてきたけど、私だったら……如何する。


 ……怖いけど空白のままは嫌だ。

 自分の事だもの知りたい……どうなってしまうか分からないけど、知らないよりはマシなように思う。


 丸岡さんもリュウも本当の事を知ってしまった彼は正気では居られないと言うけど……

 確かに最初は苦しむかもしれないが、信じても良いんじゃないだろうか?

 ……必ず立ち直ると

 昔は耐えられなかったかもしれないが、今は……乗り越えるだけの精神力を彼は持ち合わせていると思う。そして私たちも支える事が出来るはず。


 覚悟は決まった。

 相談もなしに今此処で話す事は長い間悩み隠し続けた丸岡さんを裏切る事になるけど、此処で伝えなければ一生彼はあやふやな世界で彷徨い続ける様な気がして……そんなの彼の本来の人生とは思えない。


「あの日、ゆりなさんと会話していたのはリュウです。」


 私は早口で言った。


「薫さん!」


 冷静な丸岡さんが取り乱し声を上げた。


「リュウ…?……誰?」

「竜也様、誰でも御座いません。」

「そんな訳ないだろう。リュウって誰なんだ……丸岡も知っているんだろう。」

「いえ…私は……」


 絶対の信頼をおいている執事を今まで見た事のない様な疑い目で見上げ詰め寄った。


「誤魔化すな。」

「…本当に……薫さんは何か思違いをしているのです。」

「……其れは聞いてから判断する。

 丸岡が言えないのなら、薫さんに話してもらうよ。」


 いつも穏やかで優しい笑みをたたえている主人に忠実な丸岡さんの表情が悲しそうに歪む。

 彼の決意を誰も動かす事など出来るはずはない。

 彼の意思であり、そうではない…押しやられた記憶を知りたいという当たり前の感情。隠そうとしても真実への欲求の前に偽りの言葉など、金メッキのように簡単に剥がれてしまう。


「……出来れば丸岡の口から真実を聞きたい。」

「……」


 鋭く見つめる中にある何処が温かい深く澄んだ瞳。其れに吸い寄せられるみたいに彼の前にかがみ、痛みに耐える目元を震わせ視線を合わせた。


「……知らないで幸せで居られる事も御座います。」

「……其れは……僕にとって幸せではない。」


 幸せではないと言う主人に此れまでの自分を否定されたと感じたのか、ありとあらゆる不安を集めた瞳が見た事のない位悲しい表情を作った。


 彼はそんな長年使えた執事の表情を目にして一瞬狼狽え瞳を揺らしたが、気を取り直すみたいに口をキリッと一文字に結び、何者にも侵される事を拒む強い意思を表した顔つきになった。


「例え此処で丸岡が話してくれなくとも薫さんがいる。彼女は僕の願いを断りはしないだろう。……ですよね。」


 丸岡さんに目を合わせながら確認するように聞いてきた。


「私の知っている全てをお話しします。」


 ……ごめんなさい…丸岡さん。


「だそうだ。」


 静かに息を吐き立ち上がると、彼の背後に回り車椅子のストッパーを外した。


「長い……とても長い話しになります。中に入りましょう。」

「そうか…………すまない丸岡。」


 彼は背を向けたまま懺悔でもするかのような声で言った。


「おやめ下さい…最後に謝罪しなければならないのはきっと私で御座います。」


 三人で応接室へ戻った。


 窓を閉めようと振り返り空を見上げると、遠くからどんよりとした雲が此方へゆっくりと風に押し流されてきていた。

 樹々も先程と違い大きく揺れ始めている。


 ……秋の天気は変わり易い。雨でも降るかな?……酷くならなきゃいいけど……


 私は奥に居る二人を振り返り一時見つめた…其れから窓を閉める。

 心の中は風に翻弄された木の様に徐々に大きく揺れ始めた。


 テーブルを挟み私と丸岡さんが向かい合う形で腰を下ろし、その間に彼の車椅子は固定された。


 中々丸岡さんは口を開かない……其れはそうだろう。ずっと隠し続ける事に必死になって使えてきたのだから、そう容易に語る事は出来ないと思った。

 その心中を察しているのか彼もじっと待っていた。


 窓ガラスをポツリポツリと雨粒が濡らし始めた。遠くに見えていた雨雲はいつの間にかこの洋館の上空に辿り着き、秋晴れの美しく穏やかな庭の景色を薄暗く不安を掻き立てる色へと変貌させていった。


「……三日前の事をお話しする前に話さなければ成らない事が御座います。」


 重い口を開いた声は躊躇いがちで少し掠れていた。


「アメリカでの事だね。」


 彼は緊張した面持ちで澄んだ瞳を向けて言った。

 丸岡さんは小さく頷くとゆっくりと話し始めた。


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