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Dragon of heartbreak  作者: 有智 心
∞第5章∞ 闇の中の記憶
19/31

もう一人……いる

 佐々井さんの説得が失敗に終わり真っ直ぐ帰る気になれず、わざと幾つもの電車を乗り継ぎ時間を稼いでいた。


 親に叱られ家を飛びたした子供みたいだ……

 ガラス越しから見える太陽は少しずつ傾いて、流れていく街並みを照らし拡散する光が私の目を刺す。

 電車の窓から景色をこんなに長く見ているのは随分久しぶりだわ……幼い頃は刻々と変化していく窓の外が面白くて、座席に立ち膝をしガラスに額をひっつける様に見ているのが結構好きだった。

 さすがに今はそんな事しないけど……


 そんな昔の自分を思い出しながら吊り革につかまり揺れに身を任せて過ぎゆく景色を見ている。

 しかし時間が経てば経つほど心も頭も重く沈んできて、さっきまで目に映っていた景色も流れる線の様に見えるだけで、幼い頃の様なワクワク感はない。


「はぁ……」


 何だかとても大きく溜息をついた様な気がして口に手を当て周りをキョロキョロと見た。

 誰も私の事など気にする人もなく、比較的空いている車内の乗客の半分はスマホに夢中で、せわしなく指を動かしている客や中にはニヤニヤ笑っている客もいる。


 私はバックから自分のスマホを取り出した。

 メールも電話も来ていない。

 ……話しが済んだら電話をする様にとは言われていないけど、東條竜也は連絡を待っているだろうか?

 次に電車を降りたら掛けようか……

 でもなんと言えばいいのか……〝今から戻ります″…其れとも〝話しは聞けました″……どれもピンとこない。

 おそらく電話で詳しい事なんて聞いてこないと思うけど、勘のいい彼は私の声で上手くいかなかった事を察するはず……。

 また大きく溜息をつきスマホをバックにしまった。


 何時迄もこうしてはいられない……覚悟を決めて報告に戻らなきゃ……


 電車が駅に着いて止まる。

 建物の間からだいぶ西に傾いた太陽が私を照らし目を細めた。


 ……次の駅で降りよう。




 ◆◆◆◆◆




 結局洋館に戻ったのは夕食の準備をする時間を少し回った頃で、私は部屋にいる彼に帰宅した事だけいいに行き、丸岡さんの手伝いをする為逃げる様に退出した。


 ……こんな態度じゃ説得は徒労に終わったと言っている様なものね。

 ……情けない。

 しかしキッチンに行ったら行ったで丸岡さんと顔を合わせるのもなんとなく気まずくて胃が痛くなりそうになった。

 何か聞かれるかな……


 しかし遅くなった事を詫びると何時もの穏やかな笑顔を見せて〝休みなのですから良いですよ″と言われただけで何も聞かれなかったのでホッとした。


「……休みは終わりました……手伝わせて下さい。」


 エプロンを締めいつも通り夕食の準備を始める。何かをやっていた方があれこれ考えなくて済むのでその方が有り難かった。


 何時もの食事風景……繊細に盛り付けられた料理を彼の前に出し、丸岡さんが簡単に説明し其れに頷き口へ運ぶ……

 たまに思うのだけど一人で食べて美味しいのだろうか?……勿論プロ級の料理の腕を持つ丸岡さんが調理するのだから味は最高に違いないのだけど、一人というのは味気なくはないのかと思ってしまう。

 私の家は今でこそ父と母そして兄夫婦の四人だが、嫁いだ姉や亡くなった祖父母がいた時は食事は何時も賑やかで、温かみが感じられて私はその方が好きだ。


「……ご馳走様。美味しかった。」


 その声で丸岡さんはお茶の用意をする為一旦下がる。そして私が食器を下げている時、後で書斎の方に来るようにと言われた。


 …………とうとうその時が来た。


 どれだけ必死に考えてもテストの答えが導き出せない時の様な脳の痺れに似た感覚になる。


 私は平静を装いながら返事をした。




 ◆◆◆◆◆




 佐々井さんの言葉を正確に伝えて、まずは自分の感情を挟まない事……そう何度も心の中で呟き私は書斎のドアをノックして中へ入った。


 彼は何時もの様にデスクの前にいたが私の顔を見るとソファに座る様に言い自分もデスクから離れ向い側に車椅子を固定させた。


「ご苦労様……其れで佐々井はなんと言ってましたか?」


 ここへ来るまできちんと話そうと何度も言い聞かせたのに、彼の前に出ると満足のいく結果を持ち帰れなかったのが情けないし悔しくて、直ぐには口を開けないでいた。


「……話した通りに教えて下さい。」


 無機質な表情で真っ直ぐに私を見ている……結論は察しているのだと思う……では一字一句間違わずにそして佐々井さんの様子を話そう。

 私は一度小さく息を吐き顔を引き締め目を合わせた。



「……そうですか……やはり丸岡が佐々井に会い話していたんですね。」

「はい。」


 全ての話しを聞き終えた彼はやや前屈みになっていた姿勢を直し車椅子の背にもたれかかり身体を沈めた。

 勿論、エレノアさんの話しの部分は省いた。


 結局なんの進展ももたらす事の出来なかった訪問に不満な顔をするでも無く心理学者のように冷静に私の言葉を分析している感じに見えた。


「しかし佐々井も律儀だな…そんな昔の助けられた事を憶えていて借りを返そうなんて……僕はすっかり忘れていたよ。」


 やや呆れたみたいに口元を歪め、思いがけない友人の気持ちに触れ目を白黒させている。


「とても感謝していました……だから調査中止を決めたんです。」

「……佐々井の…気持は嬉しいけどね。

 ……今の僕には有難迷惑かな…そんな昔話は記憶の底にしまっておいてくれてれば良かったのに……全く厄介だ。」


 いかにも忌まわしそうに眉を寄せ首を振る。


「……そんな風に…言わなくても……」

「えっ?」


 私の声は小さ過ぎて彼の耳には届かなかった。


「……助けて貰った御礼をしたいという気持ちを迷惑だなんて、大切な記憶だから感謝しているからじゃないですか。

 自分だって記憶が大切だと思っているから、こうやって取り戻そうとしているんじゃないですか?」

「……薫さん。

 いつでも引き出せる記憶と失った記憶は違います。……失ったと言う言葉は適切じゃないかな……もしかしたらずっと奥にあるのかもしれないが其れを引き出す術が見つからないし……開ける鍵も持っていない。

 僕のはそういう記憶なんですよ……一緒にしないで欲しい。」

「あっ……」


 私は口に手を当て目を伏せた……一緒にした訳ではないけど彼にはそう聞こえたのだろう……


「でも、どんな人の心にも寄り添おうとする薫さんの優しさは好きです。」


 突然の優しい言葉に目を丸くし、そして私は肩を落とした。


「……傲慢ともいえませんか?……心に寄り添うだなんて……

 何も出来ない自分を隠す為にそんな風にしているだけで、ただ良く思われたいとか、こんなに思っているのよと誇示したいだけの恥知らずな人間なんじゃないでしょうか。」


 口に出してみて初めて知ったように思う……自分が自分をどう思っているのか。

 ……やな女。


「いいえ…そんな事ないです。

 傲慢なのはむしろ僕の方ですね。

 きっとその傲慢さ故に記憶が戻らないのかと思う。

 だいたい他人の持ち込んでくる〝やっかい事″に嫌な顔をしながら結局は話しを聞く。

 解決する自分に酔って優越感に浸っている……傲慢以外何ものでもないですよ。」


 火種がチリチリと燃え始めるみたいに心が痛み出した。

 ……記憶が戻らないのは傲慢だからじゃない。

 最愛の恋人が自分を庇ったせいで射殺され、それを救えなかったのが許せないからなんだと言ってあげたかった。

 ……教えたら記憶を取り戻すかもしれない……でも、その現実に耐えられるのか、耐えられないから記憶を消したのだから其れを知った時心が壊れてしまうのでは……丸岡さんは其れが怖いのだと思う。

 ……そして私も……怖い。


 自分こそが傲慢な人間だという彼がとても寂しそうに見えた。

 付き合いの浅い私には知らないたくさんの人が貴方を慕っているはず……こんな小さな町に引っ込まずその人たちの世界に入ればもっと人生が楽しく賑やかでもっと輝けるのに、其れを自ら拒絶している……とても孤独だ。

 引っ張り出せない記憶が貴方を孤独にさせ其れを甘んじて受け入れている姿はやはり寂しい。

 貴方をそこから救い出せるのはいったい誰なんだろう……私であったら嬉しいけど、なんだかとても不可能に思う。

 自分がちっぽけな存在で非力で迷ってばかりいる事に腹が立つ。


「……話しが少し逸れてしまったけど……さて、どうしたものか……いっそ現場に赴いてみるのもいいかもしれない。」


 急に何を言い出すのかと馬鹿みたいに口を開いて彼を見た。


「そんな顔をし無くとも……」


 クスリと笑われたので慌てて顔に手を当て目を瞬いた。


「……現場って…佐々井さんが転落した駅前にですか?」

「そう。……調査を中止してくれと言われたが、別に個人的に興味があって調べる事で誰かに迷惑がかかる訳じゃない。

 うん、明日にでも行ってみるか……

 薫さん……付き合ってくださいね。」


 まるでその辺に散歩でも行くみたいに気軽に言うので、私は戸惑いながらそんな事を許す訳がない丸岡さんをどうするか聞くと、彼はまた軽く〝別に本当の話しをし無くてもいいさ…丸岡には留守番してもらう。″……と子供みたいに笑って言った。

 しかし、出かける時は何時も同行する丸岡さんが其れで納得するとは思えない。

 だいたい私と二人で出かけるなんて言ったら今日の事もあるし直ぐに悟られ止められるのに決まっている。


「……上手くいくとは思えません……」


 不安そうな私の言葉に彼は顎へ手をやり思案顔をした。

 少しするとデスクに置いてあった自分のスマホを手にした。


「……ゆりな、ちょっと頼みたい事が有るんだけど……」


 ……ゆりなさん

 何を頼むつもりなんだろう?


 この後私は彼の言葉に驚いて軽い目眩を起こす事になる。




 ◆◆◆◆◆




 次の日ゆりなさんは突然洋館に車でやって来て二人っきりで話しがあると言い半ば無理矢理に丸岡さんを書斎に引っ張って行った。

 応接室に居た彼と私は急いで来客用の駐車場に止めてあるゆりなさんの車へ向かった。

 彼が後部席に座るのを手伝い車椅子をトランクにしまい、そしてハンドルを握り付けっぱなしのキーを回し車を出した。


 バックミラーを覗く……どんどん離れて小さくなっていく洋館。

 しかし…よくあんな言葉を信じてゆりなさんも引き受けたと思う。


 …………私と二人っきりで遊びに行きたいから少しの間丸岡さんの注意を逸らして欲しいなんて……そんなあり得ないこと疑わなかったのかしら?…でも元々ノリのいいゆりなさんなら〝面白そう″とでも言い理由なんかどうでもよくて引き受けるかな……


 でも幾ら命令だと言ってもこんな事に手を貸してまずいわよね…ゆりなさんを巻き込んで車を用意させて…もっといいやり方を考えるべきだった。

 そんな私の罪悪感に気付きもしない彼は、巧く洋館を出られた事に満足しているのか口元に笑みを浮かべている。


 そういえば昨日もそんな表情をしていた。


「……気付かれない様にここを出るなんて無理です。車はどうするんですか?鍵は全部丸岡さんが管理しているから車出せませんよ。」

「心配しなくても大丈夫……ゆりなの乗って来た車を使う。話しは付いている。」


 自分の計画に自信があるのか目を細め微笑んでいる……彼がやると言ったら必ず実行するだろう…………私は溜息を吐くだけで強く反対はしなかった。


 車は快適に目的地へ向かって進んで行く……助手席に置いたバックから着信を知らせる音が鳴っている…おそらく丸岡さん。

 私は心の中で謝りながら其れを無視してハンドルを強く握り直した。




 ◆◆◆◆◆




 陽はすっかり落ち暗い空にはぼんやりとした儚げな月が浮かんでいる。


 佐々井さんが転落した日と同時刻。

 私は車椅子を押しながら少し離れた場所から会社帰りのサラリーマンやOL、学生達が駅から黒い塊の様に出てきては急ぎ足で階段を下りていく風景を彼と一緒に眺めていた。


 この場所に到着した時はまだ太陽も沈んではなかったが、今は街灯やネオンの灯りが夜の暗闇をほんの少し明るくしていた。

 駅を出ると間もなくある階段は、多くの人間が一斉に下りるとなると足元が不安になる暗さだと思った。そして行き交う人たちを観察していると他人のことなど全く気にする者が少ないのに気がつく……昨日乗った電車でも思った事だけど、スマホに夢中になっている人、イヤホンをして音楽でも聞いているのか自分の世界に入り込んでいる人、疲れた表情で家路に急ぐ人……皆んな自分の事で手一杯で他人の事など無関心で視界から排除でもしている様に見える……此れではどんなに大勢の目があっても佐々井さんを突き落とした犯人を見た人がいるとは思えなかった。


「凄い人ですね。此れでは故意に押されたのか、たまたまぶつかったのかよく分からないのでは……」

「そうかな……」


 彼はそう言って自分で車椅子を私の後ろに移動させ腰の辺りを押してきた。

 私は突然の事だったのでバランスを崩し足を一歩前に踏み出しとどまった。


「……どう?…そこが階段だったら薫さんは確実に踏み外して下へ落ちている。其れと押された時の感触は?……身体がぶつかったとか、荷物なんて論外だ。そう言うのとは違って感じると思うけど……」


 ……階段に目を向けた。

 確かにたまたまぶつかったのとワザと手で押すのでは身体に伝わり方が違うかも知れない。


「……偶然と故意は別に感じますね。

 悪意をもって押すとなると其処に意思の力が入って……こう…グゥと……なんて言えばいいのかしら…うまく表現出来ないけど違うと思います。」


 自分が感じた事を説明できない語彙力の無さが恥ずかしかったが、それ以外に今の私には表現できなかった。


「すみません……とても稚拙な言い方しかできなくて。」

「いいえ……分かりますよ。」


 小さな子供を見守る父親みたいな表情する彼を見て身体の体温が上昇し顔が熱くなってしまった。


「……同じ一瞬の事であっても其処に意思というものが存在するならば触れられた人間には分かるはずだ…其れが故意なのかどうか……」


 彼は階段に犯人がいるかの様にジッと刺すような目で見つめている。


 怖いと思った……自分の知らない所で憎まれ、そして悪意をぶつけられるなんて。

 今回は骨折や打撲だけで済んだけど運が悪ければ死んでいたかもしれない……その恐怖ははかり知れない。


 ……全身に鳥肌が立ち皮膚が冷たくなっていくのを感じた。


「大丈夫ですか?顔色が悪いですよ。」


 心配そうに覗き込まれ私はぎこちない笑みで頷いた。


「どうして…………悪意というものが存在するんでしょう…よく分かりません。

 私だって嫌いな人や苦手な人はいます。

 自分のこと純真無垢な人間だとは思ってないけど、悪意をもって他人に怪我させるなんて理解できない。」

「……悪意は心の影。人は善も悪もどちらも心の中に抱えているけど、大抵の人間は理性によって感情をコントロールして日々過ごしている。…が、ちょっとしたきっかけで其れが表に現れてしまい、社会のルールを無視した行動を起こしてまう事がある。此れは誰にでも起こりうる事です……薫さんだって……僕にだって…これから先絶対にないとは言えない。

 ……理解できないのは薫さんが此れまで周りの人に恵まれ、幸せな人生を歩んで来たという証拠なのではないですか?」

「……そうなのかもしれませんね。

 でも、何だか綺麗ごとの様に感じます。」

「綺麗ごと……」

「はい。……誰かを強く想うって膨大なエネルギーを使うと思うんです。それが愛でも憎しみでも…………今迄私はそんなエネルギーを使ってまで人を強く想った事がない……理性という綺麗ごとのオブラートに包んで本心を誤魔化して生きて来たんじゃないかと思えて……」

「自分に厳しい事を言いますね。理性を綺麗ごとのオブラートとと言うのなら、それは誰かに対する優しさではないですか?……自分を優先しないで相手の事を考えて引いてしまう……まぁ臆病とも言えますが、それが綺麗ごとだと言うのなら其れはそれで良いと思います。」

「そうでしょうか……」


 彼は今夜の月の様な穏やかで儚げな表情で私を見上げている。


「…でも残念な事に……悪意や憎しみの裏には愛情が存在する事が多いです。…深い愛が裏切られた時とかね。〝可愛さあまって憎さ百倍″…なんて言葉もありますが、過剰な想いは時に人を狂わせる……」

「…憎しみが芽生える程誰かを想う事が怖くなりますね。」

「……さっきも言ったけど絶対はない。今怖いと思っていてもそんな日が来るかもしれません。」


 彼は一瞬フッと心を何処かに飛ばした様なぼんやりとした表情をしたが、派手に鳴り響いたクラクションで我にかえり目を瞬き人が行き交う階段に視線を移した。


 駅からまた溢れだすように人の波が押し寄せてきた……統制のとれていない足音は疲れ果てた殉教者みたいで重く聞こえてくる。


「……佐々井さんはどんな理由で突き落とされたんでしょう。」


 車椅子の彼に視線を落すと、俯き少し丸まった背が小刻みに震えているのが分かった。

 気分が悪くなったのかと思い顔を覗くと両手で覆った指の隙間から見える瞳が笑っていた。


「……だ…大丈夫ですか?」


 微かな笑い声が漏れてきた。

 私は言いようのない恐怖を感じ身体を引いた……あの時と似た……いいえ同じ。

 朝日田さんからの電話を受けた時の見た事のない東條竜也。


 私は怖くなって立ち上がってしまった。

 次第に笑い声が大きくなり覆った手を下ろし顔を上げたその表情はまるで別人の様だった。


「……貴方は……誰?」




 ◆◆◆◆◆




 これは後からゆりなさんから聞いたのだけど、……私たちが丸岡さんを出し抜き洋館を出た後割とすぐにバレてしまい、ゆりなさんは謝ったそうだが、説教される事もなく二人は何処へ向かったのか聞かれただけだったと言う。


 しかしゆりなさんは丸岡さんを引き留める役を引き受けただけで私たちがどこへ行くかまでは知らされていなかったので、分からないと答えると丸岡さんは酷く難しい顔をしたと言っていた。


 そして時間になると人数分の食事の用意を始め、落ち着かない気持ちを習慣行動をする事によって紛らわしている様で、ゆりなさんは其れがかえって自分は落ち着かなかったと溜息を吐いていた。


「……ホント、居心地が悪かったわ。」

「すみませんでした……」

「薫さんが謝る事じゃないわよ……二人ともお兄様に頼まれてやっただけなんだから……

 でも…あんな丸岡さん見たの初めてかも……」


 丸岡さんは随分心配していたそうだ。

 日が落ちても戻らないし、連絡も無い……冷静を装っていたけど明らかに何時もと違い、固い表情で何度も時計を見たり、着信がないか確認したりして顔を曇らせていたという。

 ゆりなさんが私も一緒だからそんなに心配する事はないと言っても更に考え込み〝…まだ一人の方が……″と呟き、何故そう言うのか首を傾げたと言う。


 今から思えば丸岡さんのそんな呟きは頷ける……〝彼″を私に会わせたくなかった…その口から事実を知られたくなかったから…………




 ◆◆◆◆◆




 街灯も当たらない薄暗い場所で駅を眺めてた私たちを照らしていた月が雲に隠れ辺りが一段と暗くなった。


「……誰?」


 私の問いに東條竜也の顔をした別人は目を見開き口角をキュッと吊り上げた。そして首のコリでもほぐす様に左右にゆっくり動かしダルそうに息を吐いた。


「……しかしずっと聞いていたけど…くだらない事を何時までもダラダラと…永遠に続くんじゃないかとウンザリしてた。」

「……誰?……彼じゃない……」

「ああ?……誰って…あんた俺が誰に見えるわけ?」


 挑戦的な目をして私を睨みそして笑い出した。


「……ふっ…ははは……見た目は竜也だよなぁ…でも、あんたには別人に見える。

 その通りさ。俺は竜也じゃない。」


 妖しく闇を思わせる瞳を向け不気味に白い歯を覗かせその男は言った。


「俺はこいつの中にいるもう一人の人格……名前は〝リュウ″……宜しく松本薫さん。」


 もう一人の人格……って…何?

 思ってもみない。…あり得ない状況に思考がついて行けず私の脳は停止寸前になった。


「……」

「なに?……なんか言う事ないの?

 クククッ……信じられないって顔だね。こんな事あり得ないって思ってる?……でも世の中には絶対なんて無いんだよ。

 竜也もよくそう言うだろ。はっははは……」


 その笑い声は街の光をのみこみ完璧な闇に変えて狡猾な黒いベールとなって私を覆ってくる様に感じた。


 ……怖い……危険だ。…のみこまれては駄目……

 脳で赤いランプが点滅する。

 本能的に後ずさった。


 リュウはそんな私を面白そうに見つめながら立ち上がり腕を掴んだ。


「俺の事怖いんだ。」

「!!……うそ……足…」


 しっかりと大地を踏みしめ真っ直ぐに立っている足を見つめそして少しずつ視線を上げていった。


「ハァ……またあり得ないって?

 だから言っているだろ世の中に絶対は無いってさぁ……あんただって聞いているだろ丸岡から…医者はもう足は治っていて歩ける筈だと言っている事。

 歩けるし、走る事もできるよ俺でいる時はね。」


 私は二本の足で立っている姿を見て、此れが東條竜也の人格で有るならどんなに嬉しい事かと思ったが、視線の先のその表情や雰囲気が全く別物だと再認識すると、何だか有罪判決を受けた罪人みたいに心が沈んでいってしまった。

 そんな私の心の中を読みとったのか薄く浮かべていた笑みを引っ込め、今度は見下す様な冷たい表情に変わり階段の方を指して言った。


「……佐々井をあそこから突き落としたのは俺だ。」


 何を言っているの……私の脳は完全に考える力を失い停止してしまった。


 雲の切れ間から月が顔を出し一瞬だけリュウの表情が照らされた……悪魔。


 そしてまた月は雲に隠れた。















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