過去があっての今
パーティーが終わり丸岡さん、ゆりなさんが部屋に戻って来たのは夜九時を少し回った頃だった……ゆりなさんから話しを聞いた朝日田さんも心配して彼の様子を見に来てくれた。
ベットルームでぐっすり休んでいる姿を見て一同ホッと胸を撫で下ろしたが、一様に表情は重苦しかった。
何故急に気分が悪くなったのか、ゆりなさんが聞いてきたので、佐々井さんという留学時代の友人と会いその頃の話しを始めたら徐々に様子がおかしくなったと話した。
私以外の三人は顔を顰め目を合わせると意味あり気に頷いた。
やはりアメリカでの事件が関係していると確信する。
佐々井さんと話した事でその時の恐怖……確か一緒に監禁された人が一人亡くなったとネットにあった……彼も死を覚悟したかもしれない。……死を身近に感じ絶望した記憶……フラッシュバック……
なんて言ったかな……そう!…心的外傷ストレス障害…PTSD、なのかも知れない。
私以外は皆んな詳しい事を知っている……付き合いが長いのだから当たり前だけど……
きっと私が聞かなければ三人は何も話してはくれない……最初は次の仕事が見つかるまでの繋ぎ程度の軽い気持ちでこの仕事を引き受けたけど、今では此れからも側にいて役に立ちたいと思っている。一体何が有ったのか聞く必要がある…また同じ様な事があった時何も知らないでは対処のしようがない。
私は重い空気の中思い切って口を開いた。
「……丸岡さん、さっきネットで調べたんです。彼は留学時代生死に関わる事件に巻き込まれてますよね。」
三人は身体に痛みでも走った様な表情をして顔を見合わせた。
「詳しく教えて下さい。」
「……執事の私が許しも無くお話しする事は……できかねます。」
「そんな……」
丸岡さんの辛そうな表情は他の二人にも伝染する。
「私、ただの興味本位や好奇心から言っているじゃありません……此れからも役に立ちたいと思っているから知りたいんです。」
丸岡さんがゆりなさんに視線を向けると、彼女は決心したように頷いた。
「……そう言ってくれてありがとう薫さん。
お兄様は確かにアメリカで銃を持った男に監禁される事件に巻き込まれました。
その時一緒に監禁された同級生が亡くなり、お兄様も左足と背中を撃たれて重症を負い生死の境を彷徨った。
随分長い間何もできず…心も壊れて……酷い状態だったの……その時の事が心の傷になって……」
ゆりなさんは唇を噛んで俯いてしまった。
私はとても辛い事を話させているのだと心が痛んだ。
「……心的外傷ストレス障害…PTSDになったんですね。」
潤んだ瞳を上げて私を見ると小さく頷いた。
丸岡さんが〝ここからは私が話しても宜しいですか?″と、ゆりなさんに了承を得て話しを引き継いだ。
「……銃で撃たれた傷は時間は掛かりましたが完治しました……でも心の傷はとても深く、退院してからも何もする気が起きないのかただ一日中車椅子に座り何処か遠くを見ていらっしゃいました。……夜中にうなされ真っ青な顔で目を覚ます事も度々あり……私はお父上の範之様に気分を変える為に環境のいい場所にお連れしたらどうかと進言し了承を得て三年もの間南フランスで過ごしました。」
「三年も……」
「はい。……その甲斐あって徐々に昔の竜也様に戻っていかれたのですが……」
珍しく丸岡さんが言葉に詰まった……自分の心の傷をえぐるみたいに苦しそうに顔を歪めている。
「……竜也、あの事件の記憶が無いんだ。」
今度は朝日田さんが言葉を継いだ。
「違うな…全く無いわけじゃない。
一部抜け落ちてる……でもそうしないと竜也は生きて行けなかったと思う。」
「……私は其れで良かったと思ってるわ……
全て記憶していたらお兄様は生きる屍になってた。……じゃなければ自ら命を絶ってたかも知れない。」
其れだけ恐ろしく残酷な状況下に置かれ何とか生還した。
身体が痺れる……脳も心臓も流れる血も私の中で痺れる様に哀しく震える。
……少年っぽい優しい笑顔、悪戯っぽい表情、真剣な眼差し時折りつく憎めない悪態。
今の彼から想像もつかない経験を……心に大きな傷を負っていた。
……ああ、だから彼は慎吾少年達にどんな状況になっても強くなる事をあんなにも望んだ。正面から人生を受け止められる心の強い大人になって欲しいと……
今、ようやく理解できた。
そして私は又自分の浅はかさを思い知る……彼の事をなんでも持っている幸せな人種だと思ってしまっていた事、お金や地位じゃない……人として大事にしたい心や記憶を彼は例え一部だとしても生きる為に自ら消し去ってしまう……記憶を拒まなければ成らなかったなんて、きっと私の想像以上に辛くて苦しいのだと思った。
「……すみません。私の我儘で皆さんに辛い話しをさせてしまって……でも教えて貰って良かったです。」
「薫さんにはもっと早く話しておくべきでしたね……竜也様が気に入った方なのですから……」
そう言えばまだ何故私なのか聞いてなかった……体調が戻ったら聞いてみよう。
其れともう一つ聞きたいことがあった……
「あの…………いえ、何でもないです。」
佐々井さんが言っていたエレノアと言う女性の事を聞こうかと思ったが止めた。
知りたいけど……知りたく無い様な変な自分がいた。
留学先で付き合っていた女性……おそらくあの事件があって会わなくなったのかも知れない……
四人で悶々と日付が変わる頃まで目覚めるのを待っていたが、その夜彼は起きる事はなかった。
◆◆◆◆◆
本当なら今日は午前中にホテルをチェックアウトし帰る予定だっが丸岡さんの判断でもう一泊する事になった。
まだ彼の体調が戻らない様で朝食も摂らず眠り続けているみたいだった。
〝日曜日なので薫さんは休んで下さい。折角都内にいるのだから久しぶりにお友達にでもお会いになったら如何ですか?″……と気を遣ってくれたが、元気な…そこ迄いかなくとも起きている姿を見るまでは出掛ける気にならず部屋に籠っていた。
昼過ぎに様子を聞きに行ったら一時間前に目を覚ましルームサービスをとり軽く食事を摂ったそうだ。
会えるか聞いたけど丸岡さんは申し訳なさそうに首を振り暫く誰にも会いたくないと言っていたと聞かされた。
「……竜也様の事は私に任せて薫さんは気分転換なさって下さい。」
「でも……心配で……」
「大丈夫です……何かありましたら連絡しますから……」
「はい……」
そう言って仕方なく部屋に戻ったがやはり何処にも出掛ける気にはならなかった。
心が重いと身体も重く感じるのかぐったりとソファに身を投げる様に座った。
……そう言えば、美保に連絡すると言ってすっかり忘れていた。
……メールしなきゃ
〝遅くなってごめん…色々あって連絡するの忘れてた。本当ごめん。″
直ぐに返信がきた……おそらく連絡をずっと待っていたんだと思う。
〝忙しいのに悪いけど、やっぱり今日会えない?……夜でもいいから″
夜か……丸岡さんの話しでは誰とも会う気は無いみたいだから…美保の事も心配だし。
〝じゃあ、二十時頃どう?″
美保からお礼の返信と場所の指定が送られてきた……泣きの絵文字と一緒に。
私は放ったらかしにしていた美保への連絡が済んで少し気が楽になり何だか瞼が重くなってきた……夜も殆ど寝ていなかったせいもある。ほんのちょっとだけ仮眠しようかな…彼も取り敢えず起きて食事を摂ったようだし……私よりきっと寝ていない丸岡さんには悪いけど……十分位……寝ます……
私は自分が思った以上に深い眠りについてしまった。
身体が痛くて目が覚めた……首の後ろに違和感があって手をあて回しながらショボついた目をパチパチと瞬きしてベット横の時計を見た……!
窓のに視線を移すと外は暗くなっていた。
美保の約束の時間まで後三十分しかない!
私は簡単に化粧を直し部屋を出るとスィートルームにいる丸岡さんに出掛けることを伝え慌ててエレベーターに乗り込んだ。
少し遅れる事メールしなきゃ……
ホテルの外に出るとタクシーを拾って急ぐ様に頼んだ。
……時間まで十分も無い。
こんなに熟睡してしまうなんて思わなかった…仮眠しようなんて思った自分を後悔した。
急いでいる時に限って道路が混む…ホテルから二十分もあれば到着すると計算していたが、その倍近くかかってしまった。
待ち合わせの場所に着いて店内を見回すとカウンターに見知らぬ男性と話している美保を見つけた。
美保も私に気付いて店内奥の席を指差している。
「……ごめん遅れて。」
美保は何時から呑んでいたのか結構酔っているようだった。
「ああ、気にしないで……カウンターの男の人と話してたから……」
カウンターの客をチラリと見て言った。
店の中なのにパーカーのフードをまぶかに被り顔が見えない…なんか胡散臭い印象を受けた。
「……知り合いなの?」
「全然知らない人…でも、私の旦那の愚痴嫌な顔しないで聞いてくれて嬉しかった。」
……何処まで話しをちゃんと聞いていたか怪しいと思うけど……
席に着くと生ビールを二つ頼んだ。
「……美保待っている間随分呑んでたんじゃない?……大丈夫?」
美保は顔の前で手を振り平気だと笑った。
今回は私から切り出した…
「其れでご主人とはどうなの?」
「どうもこうも八方塞がりよ。実家の両親には頼むから我慢してくれって頭下げられるし、向こうは離婚なんて見っともない。会社に知れたら息子の評価が下がるとか何とか……
三十過ぎて母親の言いなりの方がよっぽど見っともないと思うけどね。」
お酒が入っているせいもあるのか投げやりな言い方をして鼻で笑っている。
「もう……疲れた。」
テーブルに片肘をついて頭に手をやり酷く疲れたように俯いた美保の顔は何だか一気に老けてしまったように見えた。
「美保…」
「……誰も周りに助けてくれる人がいない。
実家からも、彼の親からも責められて、全部私の主張は間違っているって言われ、たまに本当にそうなのかも知れないって思ってしまう自分が居るの……誰も私は間違って無いよ。……って言ってくれる人が居ない……
世界中から批難されてるとさえ感じる時があるの……笑っちゃう。」
辛そうな笑顔を見せる美保はとても孤独なのだと思った……たった一人で戦って傷付いて泣いて…如何したらこの孤独から私は救ってあげられるのか。
「ごめんね。会う度こんな話で……愚痴言えるの薫しかいなくって……」
「愚痴なら幾らでも聞くよ。
ねぇ、美保私に何が出来る?……何かして欲しい事ない?」
「ありがと……聞いてくれるだけで充分。」
「……でも。……ご主人と二人だけで話し合ったりした?実家や向こうの親に言われた事だけしか聞いてないけど、ご主人は離婚の事なんて言ってるの?」
「……あの人は自分の意見なんて言わないわ…母親の隣に座ってただ黙っているだけよ。
本当情けない。」
「……美保は……実家の借金とか、お姑さんの事とか無しにしてご主人の事どう思っているの?……愛はあるの?」
美保は目を大きく開いて私を見た。
「……それ、カウンターの男の人にも聞かれた。愛はあるのかって……」
私達は男性客が座っているカウンターに視線向けたがそこには既にいなく店内を見回しても見当たらなかった。
いつの間にか帰ってしまったみたいだ。
……酔っぱらい女の愚痴だからまともに聞いていないだろうと思ってたけどちゃんと聞いてたみたいね。
「……其れでどうなの?」
「うん……マザコンで情けない旦那だけど、愛して無い訳じゃない。」
「愛してはいるんだ……其れならもっとご主人と話し合った方がいいよ……離婚とかそういう事じゃなくて、美保がどう思って、どうして欲しいか…そしてご主人はどう美保事思っているのか……母親に言いなりだけど本音は如何なのか……じっくり話したら?」
「でも……」
美保は不安そうに爪を噛んだ。
「怖いの?……もしご主人が世間体だけで離婚を渋っていて愛は無いと言われたら…そう考えると二人で話すのが…怖い。」
「……怖い…よ。」
そうよね……愛情も無くなって離婚って言っているわけじゃ無いし、本当に世間体だけだったらより傷が深くなっちゃう。
目の前で目を赤くしてビールをカブ飲みしている美保は離婚を持ちだしながらその相手と今だに一つ屋根の下で暮らし、お姑さんもよく顔見せに来る毎日は神経をすり減らす地獄の様な日々だと思う。
せめて決着が着くまで実家で暮らす事が出来ればいいのだけれど…ご主人の実家から借金していては頭が上がらず娘に悪いと思いながら味方が出来ず心を痛めていると思う。
……どうしたら良いか?
東條竜也…彼ならどうす?……相談したら一緒に方法を考えてくれるだろうか……
今は無理ね……あの状態ではとても言えない。
「……美保、私はやっぱり冷静に二人で話し合った方がいいと思う。
こんな事しかアドバイスできなくて情けないけど……どう?」
気持ちを落ち着かせる様にフゥと息を吐いて額に手を当て考えている。
店内には洋楽が流れ、それぞれのテーブル、カウンターで客が楽しそうにお酒を仲間と呑み交わし会話も弾んでいる。
音楽も人の声も耳には届いているけど聞こえない……私達の周りだけシャボン玉にでも包まれた不思議な空間。
「……薫。」
シャボン玉が弾けた……音楽と店内のざわめきが一気に耳から身体へ入って来た。
「……旦那と……話してみる。」
不安そうな小声だったけどはっきり聞こえた……
「うん……何かあったら……ううん、何もなくても連絡頂戴。」
「わかった……薫、ありがとう。」
何に乾杯かわからないけど、ジョッキを掲げて二人で喉に流し込んだ。
◆◆◆◆◆
二泊三日洋館を離れていただけなのに到着してその変わらない姿を見ると安心する。
小さな町には似つかわしくない様に思われる丘の上に建つ洋館は、永年町を見下ろし誰一人として住む者が居ない間お化け屋敷などと冷やかされながらも町を見守って来た。
町の住民にとってはあたり前の景色の中に組み込まれた建物になっている。
あるべき物がそこに変わらず存在しているという事はなんて安心するのだろう…
振り返ると町が一望できる……この景色も変わらない……真夏の湿った風が吹き抜けていった。
車から降りた彼を見ると我が家を見上げ安心した様に微笑んでいる……もしかしたら私と同じ様に感じているのかもしれない。
……少し頬がこけやつれた顔。
この二日間はとても長く感じる……慣れない場所で見知ら人々に会い。おもわぬ彼の過去を知る事になって心が痺れる様に震えて……
美保の悩みも何とかしてあげたいと思いながらありきたりな事しか言えない自分が情けなく感じたり……とても濃い二日間だった。
屋敷の中に荷物を運び入れ、閉め切っていた窓という窓を開けると新鮮な空気が籠っていた部屋を浄化していく。
彼は早速テラスにでて美しい庭を眺めて深呼吸をしている。口元には薄っすら笑みを浮かべ、何時もの場所で何時もの自分を取り戻していくのを身体中の細胞一つ一つで感じ取っているように見える。
……でも、今迄私が見て来た姿が彼本来の姿なのかは過去を知った事で分からなくなった……もっと早く出会いたかったと思う、そうすれば彼の事を今よりずっと理解出来たかも知れないのに……神様は意地悪だわ。
……風が彼の髪をサラサラと揺らす。
大きく開け放たれた窓の奥に見えるのは一枚の絵画で窓枠は額縁の様に見え、青々とした空と美しい庭の景色に彼が溶け込む様に存在していて触れてみたくなった。
丸岡さんがハーブティーを運んできた。
久しぶりに三人でゆったりとした時間を共有した様に思う。
「……やっぱり自分の家は良いね。」
沁みじみと感じたまま言葉にする表情は何の緊張もなく穏やかだった。
「今回は父の頼みとは言え面倒を掛けたね…特に薫さんには……ご苦労様。」
……私の好きな少年っぽさの残る笑顔。
「いいえ……何もしてません…ただ其処に居ただけで……」
「そんな事御座いませんでしたよ。とても堂々としてお綺麗でした。」
「ヤダ、丸岡さんお世辞言わないでください。」
綺麗なんて言われ恥ずかしくて身を縮めた。
「……丸岡の言う通り綺麗でしたよ…あの場の誰よりも……」
呟く様な彼の言葉に驚いて縮めていた身体の背筋を伸ばし横顔を見つめた。
……そんな事を言うなんて初めて…何だか心臓の鼓動が早くなって身体が熱くなってきた。
「……薫さん、もう一杯如何ですか?喉が渇いているのではないですか。」
意味ありげな笑みを見せて私のティーカップにハーブティーを注いだ。
彼はチラリとこっちを見たけどその表情から冗談なのか本心で言ったのか読み取る事は出来なかった。……と言うよりもしかしたら言った言葉さえ忘れているのでは無いかと思う位平然とした表情で、赤くなっている自分が滑稽に思える。
恥ずかしさや、物足りなさが心の中を走り回っている……どう対処して良いか分からず落ち着かないでいると、次第に会話のないこの瞬間が居心地悪く感じてきて何か話さないといけないと思い、美保の話しを思わずしてしまった。




