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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

或る女奴隷の話

作者: 四方

 男とその婚約者は、幼いころから将来を誓い合った、仲の良い恋人達だった。

 昔からお互いの家を行き来し合う、いわゆる幼馴染という間柄で、互いの家族もその婚約を祝福していた。

 二人は互いが将来夫婦になることを何一つ疑うことなく信じていたし、周りの者達も当然にそうなるものだと思っていた。

 互いに互いを良く知る二人は、どんな大きな喧嘩をしても三日もすれば矛を収め、元の仲睦まじい間柄に戻っていた。

 彼ら自身も、周りの者達も、これ以上に相性の良い二人がいるものかと、口々にその仲の良さをからかい、賞賛していた。

 しかし、そんな二人の間で初めて、大きな意見の不一致が生じた。

 それは戦火に巻きこまれた彼らの国が打ち出した強兵策によるものであり、一市民である彼等が無視を決め込むことのできない問題だった。

 男の従軍である。


 婚約者の少女は男が軍に参加する必要は無いと頑なに主張し、男は男で、絶対に従軍すると言って聞かなかった。

 婚約者の少女は、男が生きて帰ってこないことを恐れるが余りの主張であり、男は男で、敵国が侵略してきた場合に少女が殺されることを危ぶむと同時に、少女がずっと「従軍を拒否した臆病者」の妻だと後ろ指さされて過ごすことになることを恐れるが故の主張だった。

 互いが互いのことを思いやったが故の意見の相違に決着が着くことはなく、結局、険悪なやり取りで喧嘩別れした後の、男の沈黙の軍入りによって中断された。


 軍内の者と外部との書簡のやり取りは、一般兵のレベルでは強く規制されていた。

 このため、少女と男は喧嘩別れをしてしまったことを悔やみながらも連絡を取り合うこともできず、戦争の一日も早い終結を願っていた。

 或いはその願いが神に聞き届けられたのだろうか。

 戦争は数ヶ月の小競り合いの後、男の参加する王国側の勝利という形で比較的速やかに幕が引かれた。


 男は戦時にそれなりの手柄を上げていた。

 日頃から意識して体を鍛えていたことや、婚約者の趣味だった物語創作の影響で先読み能力、想像力が人並み以上であったことがプラスに働いたのかもしれない。

 上官たちの覚えもめでたく、筋が良いから中央の軍属にならないかなどという誘いまで賜るほどだった。無論、丁重に断ったのだが。

 これで婚約者の少女に胸を張って会いに行ける。そうしたらおれは今度こそちゃんと、求婚の言葉を告げるんだ。

 男はその決心を胸に、帰途を急いだ。

 そんなごく当たり前の思いが決して実らないことを、その時の男が知る由は無かった。

 喜び勇んで故郷に帰った男が見たのは、病に倒れた婚約者の姿だった。

 家族の看病虚しく、衰弱していく一方だという少女の姿。

 必死に生の淵にしがみつく、記憶にあるよりずっと細くなってしまった、男にとって何よりも大切な存在の、今の姿だった。

 男の帰りを涙を流して喜んだ少女は、男の帰郷からわずか数日後、泣きじゃくる男の腕の中で静かに息を引き取った。

 

 婚約者を失った男は荒れに荒れた。

 少女の担当医だった老人に掴みかかり、あわや殺人となる一歩手前で家族の者達に取り押さえられた。

 そこに、かつての婚約者の娘と笑顔で語らっていた好青年の面影は無かった。

 「婚約者の死を受け入れ、落ち着くまで」実家の家に閉じ込められることになった男は、婚約者の葬儀以降、家を出ることが無くなった。

 生産性のある行いなど、その時の男は微塵もやる気が起きなかった。

 そして、誰にとっての幸いか、或いは誰にとっての不幸か。

 その家の中には、戦時の勲功に対する恩賞として王国から下賜され、男の所有物となった、やり場のない怒りと悲しみをぶつけるに絶好の存在があった。

 それは、稲穂のような金色の髪の上に、鋭角に突き出た狐の耳を載せている、一人の獣人。

 それは、今は男の奴隷として、男と同じくらいに虚ろな目を宙に彷徨わせていた小柄な女。

 かつて男を婚約者と離れ離れにする遠因を作った、敵国の兵であった者がいた。

 

 男は、収まることのない苛立ちと怒りを、暴力の形でその女にぶつけた。

 自分でも何を言っているのかわからない罵詈雑言を浴びせかけながら、拳を振るい、鍬で打ちのめし、杖で突き下ろした。

 女の耳はその片方が失われ、第二関節から先が折れたまま治療のなされなかった手の指は使い物にならなくなった。

 折れたまま治癒魔法でも戻すことができなくなった鼻は、美しかった女の外見を損なうものになった。 

 下顎からも幾本もの歯が抜け落ちており、黒く染まった片方の目は、既に光を失っていた。

 獣人の娘は従容としてその暴力を受け止め続け、生だけが保障された生活を、男の傍らで過ごし続けた。


 暴力を振るう男と、振るわれる女。

 二人の関係性は、そのままずっと変わらないかに思えた。

 しかし、そうはならなかった。

 魔力と体力を奪い続ける奴隷の枷を嵌められ、男に散々に痛めつけられた女は、ある日気づいた。

 涙を流しながら自分を痛めつけて来る男のことを、いつの間にか好いていたことを。

 それは、異常な恋愛だったろう。自分を害する者に恋をすることなど、誰が有り得ると思うものか。

 けれど、女は自分の底から沸き上がってきたその気持ちを受け入れた。

 耳にこびりつくほどに聞き飽きた女性の名を咽ぶように叫びながら襲い掛かって来る孤独な男が自分に振るうたびに傷ついていく拳に、愛おしみさえ覚えるようになった。


 そして“その事件”は、奇しくも男の婚約者の少女が死んだ日、そのちょうど一年後に起きた。

 いつものように女を痛めつけ終えた男は、親に贈られた酒を盛大に女の顔にぶちまけた後、亡き婚約者の少女を偲んで静かに涙を流し始めた。

 男が涙を見せる度に優しく抱擁してくる女を常のように乱暴に突き飛ばした後、気まぐれに質問を投げかけた。

 それは、本当の意味で男が女に初めて呼びかけた瞬間だったかもしれない。

 それまで、女がどんな悲鳴を上げようと、懇願をしようと、何も聞こえていないかのように振舞い続けた男が、初めて「女」を言葉を交わす、意志ある対象として扱った瞬間だった。

 男がそれを意識していたのかは定かでないが。 


 男の問いはこうだった。

「何でお前はまだ生きてんだよ、さっさと死んだ方が楽になれるんじゃねえの?」

 吐き捨てるように述べられた、何かをこらえたような、悲しみの感情に塗れた問いかけに、女はこう答えた。

「悲しそうにしている貴方を、一人残させたくないのです」

 怪訝な顔をする男に、女が続けた。

「わたくしは、貴方を愛しております故、その顔に浮かべる悲痛な表情を、どうにかして取り払って差し上げたいと思うのです」

 

 愛を告げる女の言葉に、男は劇的な反応を示した。

 男の奥から沸き上がってきた、熱湯より熱い、胸を焦がすほどの憤怒の感情がそれを成した。

 男の両手が、女の首筋に回される。

 そして、感情の猛りのままに全力で締め上げ始めた。

 それはいつもの暴力とは似て非なるものだった。

 男は、それまで決してすることなく踏みとどまってきた「女の命を奪う」ことを試みていたのだった。


 今の言葉を取り消せと男が凄み、女が決してそれだけはしてやらぬという覚悟で、ゆっくりと首を横に振った。

 男の手が一層強く握りしめられ、たまらず女が意識を失った。

 女の全身の力が抜け、あと僅かで女の命が失われるという所で、男の手から力が抜けた。

 男はひどく激しい拍動を刻む自分の心臓と、それ以上の震えをみせる両手に困惑を覚え、慌ててそれ以上に気にかかるものを確かめた。

 焦りの表情を浮かべながら女の生を確認した男は、大きく安堵の息を吐いた。

 そして、気づいた。 

 自分が目の前の奴隷女を失いたくないと思っていることに。

 先ほどの愛の言葉に、幼馴染の死への悲しみを侮辱されたように感じて憤ると同時に、確かに喜びを感じていた自分が居たことに。

 女の方でなく、男の方もまた、相手を自分にとって必要な、大事な存在であると感じていたのだった。

 男は女の前で両の膝をつき、涙を流した。

 それは、婚約者を失った悲しみの涙でも、ふがいない自分に嘆き、怒る涙でもなかった。

 男は意識を失った女の胸元に顔をうずめ、盛大に咽び泣いた。


 その日以来、男と奴隷の関係性は変わった。

 男が女に手を上げる回数は減っていき、床を共にし、男が女に甘える日が増えていった。

 二人は、男の親達も含めた町の皆に気づかれることなく愛を育み、やがて、女の胎に、二人の愛の結晶が宿った。

 

 町での出産は考えられなかった。

 亜人への偏見の強い街であったし、まともな助産師がつくとは思えなかった。

 二人が愛し合っているという事実が露わになれば、男の幼馴染の両親への不義理になる事も二人は理解していた。

 男は初恋の少女の墓前で地に頭をつき、故郷を離れることを深く詫びた。


 「町を出よう」


 男の提案に、お腹を大きくした女はコクリと頷いた。


 男が女を連れて転がり込んだ先は、従軍時に世話になった、とある貴族の次男坊のところだった。

 男の「剣士」としての腕前と目端の効く優秀な兵としての能力を買っていたその次男坊は、男の事情を汲み取り、万人平等主義を教義とする、とある教会傘下の孤児院を女の働き口として斡旋し、亜人差別をしない優秀な助産婦まで紹介してくれた。


 男はその生涯を、次男坊の家臣として捧げることを誓った。

 それは、戦時の将官としての成り上がりを夢見る次男坊に自分の命を預けたも同然の行いだったが、男に後悔は無かった。

 大きくなっていく妻のお腹を見ながら、平和の続く王国で、男は兵としての力を磨いていった。


 そして星の瞬きが美しい、ある満月の夜。

 男と女の血を分けた一人の赤ん坊が、母となった女の腕の中で元気な産声を上げた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 喧嘩別れは悲しいですね。それでも会えない間、お互いに想い合う男と婚約者の関係は美しいと感じました。 そして女奴隷……男の憧れですね(笑) しかしいくら惚れちゃったとはいえ、あそこまでやられて…
[一言] あ、忘れてた!久しぶりにポイント評価をしたいと思った作品なので、付け加えときます。 たびたび、失礼しました。 また、フラリと立ち寄ります。 では、執筆頑張ってください!
[一言] なんか、悲しく哀しい話が前半にありました! ちょっと切ない物語だったような気がします。 奴隷の女が優しすぎる!待ち人の女が死んで、荒れる男。その男の内なる心情を女性が見透かしているようでし…
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