αー10
あたしは迷っていた。昼休みの手前部室にはとても行きづらい。しかし行かないのもなんだか逃げたように思われる気がするし。
放課後になってもあたしは校舎内をうろうろしていた。
予想通りというか予想以上というか、やはり成瀬はすごいやつだった。あたしは何も言ってないのに結構深いところまで見抜かれている。これ以上一緒にいたら全てを見抜かれてしまうかもしれない。
いっそのこと、全てを話し、助けを求めれば、最高の形で解決してくれるかもしれない。でも成瀬には甘えちゃいけない気がする。これからもこう言った関係を続けていく上でとても大事なことに思えるからだ。
だからとは言え、逃げるつもりも毛頭ない。あたしは全てを見抜かれようと絶対に逃げない。何を言われても、そんなことはない、って誤魔化してやるんだ。
しかし今すぐ部室には行けないな。確固たる覚悟ができるまでしばらく校内をぶらついていよう。
あたしはもう何度目か解らないが、教室の前を通った。するとさっき通ったときには誰もいなかったはずの教室の中に人影が見える。あたしがとっさに、あたしの机に何かしているのだろう、と思った。
気付かれないようにそっと教室に近づき、ドアの隙間から中を覗いてみると、案の定その人影はあたしの机に何かしていた。ただ、していた『何か』というのはあたしが考えていたのと全く逆のことだった。そいつはあたしの机をきれいに掃除していたのだ。
「あんただったんだ」
あたしはそいつに近づいて声をかけた。そいつはあたしがこんな時間までいると思わなかったのか、ものすごい驚いていた。そいつの名前は斉藤一貴。うちのクラスの学級委員をやっているやつだ。
「ひ、日向さん!何でここに?」
「それはこっちのセリフ!何でこんなことしてるの?」
「そ、それは・・・」
彼は顔を赤くしている。
「実は僕、キリスト教徒なんだ」
「え?」
いきなり何を言い出すんだ?まああたしはアメリカ暮らしが長いからあまり違和感を感じなかったが。それにしても質問の答えになってないんじゃないか?
あたしのそんな疑問は直後に解決されることになる。
彼は恥ずかしそうにしゃべり始めた。
「アメリカにいた日向さんに胸張っていえるような信者ではないんだけど」
宗教に疎い日本人がはっきり自分がキリスト教だと言える時点で、半端な信者ではないと断言できる。中途半端な信者ならこんなにはっきりと言い切ることはできないだろう。
「口に出すのも恥ずかしいんだけど、人との出会いって神が起こした奇跡だと思うんだ。だからきっと日向さんとこの高校で出会えてのも奇跡だと思う。だから何とか助けてあげようと思ったんだけど・・・」
彼は言葉を区切り、うつむいた。泣いているのかと思ったが、再び上げた顔は恥ずかしそうにはにかんでいた。
「でも僕は弱虫だからこんなことにしかできないんだけど」
夕日に染まる教室で、彼は窓を背にしていて、あたしからは逆光だったけど、彼の表情は輝いているように見えた。
あたしは胸が苦しくなった。彼は、こんなこと、と言っていたが、彼が机をきれいにしてくれていたおかげであたしは授業を受けることだできているんだ。あたしの居場所が確保できているんだ。
「あたしは神様なんて信じてないんだけど、今日はちょっと信じたくなったよ」
意味の無い行為なんて一つもないんだ、きっと。
「今日あたしがここに来たことも、きっと、斉藤の行為を見ていた神様が導いてくれた、一つの奇跡なんだね」
斉藤一貴は顔を赤くしていた。
「そう言ってもらえると、冗談でも嬉しいよ」
もちろんあたしは冗談のつもりなど少しもない。本当にそう感じたんだ。そう伝えたかったけど止めておいた。あたしにこんなこと言われても困るだけだろうし。
「ささ、あとはあたしがやるから。今日は帰って」
「ぼ、僕も手伝うよ!」
「いいから。こんなとこ見られたらあんたもいじめられるよ」
あたしがそう言うと彼は突然動きを止めた。そして帰る支度を始めた。やはりこれ以上は無理か。いじめは怖いらしい。
ちょっと残念に思っていたら、彼はドアの前でくるっとあたしに振り向いて、
「脅迫されているだけでみんな日向さんのこと嫌いじゃないよ。もちろん僕も!」
と、言った。最後のほうは声が小さかったけどちゃんと聞こえた。
「早く帰りな。じゃあね」
あたしは彼に背を向けたままそう言った。にやけている顔を見られたくなかったから。
今度ミサにでも行ってみようかな。