βー8
「成瀬さんは先に部室に行ってて下さい」
ホームルームが終わるや否や、岩崎は俺にこんなことを言った。部室に行くことがもはや日常となってしまった今では、その岩崎の言葉になんら疑問を感じない。
「で、昼休みの釣果は?」
「ボウズでした」
岩崎は少し残念そうに答えたが、直後、眼に力を宿し、付け加えた。
「ですから、放課後また探してきます!」
「今から探しても無駄だろう」
前にも言ったが、普通放課後に校内に残っているやつは何らかの用事があり、それなりに忙しいやつだ。暇なやつはさっさと帰っている。つまり俺たちにかまってくれるような暇なやつはもういないということだ。しかし岩崎は意外なことを言った。
「いえ、大丈夫です。当てがあるので」
「当てだと?」
妙なこと言いやがる。その当てとやらがよほど当てになるようで自信満々に教室を出て行った。
うむ。とても嫌な予感がするな。まさか本当に見つけてくるのではないだろうか。とりあえず、俺は部室に向かった。
部室に着き、鍵を開けて中に入る。思ったとおり、日向はいなかった。おそらく遅れて来るということもないだろう。予想通りというか、予想以上というか、やはり日向は相当なプライドの持ち主だった。これで向こうから相談を持ちかけてくるという確立はかなり減ったな。とりあえず何か問題を抱えていることも、抱えている問題についても、大体のことは解っている。
あいつは関与してほしくないと言っていたが、あいつの行動はそうは言っていない。誰かに助けてほしいのだが、助けの求め方が解らないのだ。あいつが求めてこない以上、こっちから動くしかないな。もしかしたら何かできるかもしれない。
コンコン。
部室のドアがノックされる。岩崎や日向はノックなどしない。では誰だろうか。
俺はいぶかしみながら、座るために引いた椅子をそのままにして、ドアに向かった。ドアを開けるとそこには長身の女生徒が一人、立っていた。
「岩崎さんはいますか?」
「今はいないが」
「では中で待たせてもらってもよろしいですか?」
「それはいいが、いつ来るか解らないぞ?」
「構いません。待つのは意外と嫌いではありませんので」
俺は了承し、中に通して適当に椅子を勧めた。
「飲み物は紅茶でいいか?」
「はい。ありがとうございます」
俺はティーセットに紅茶を用意し、彼女の正面に座った。紅茶を渡すと、彼女はミルクや砂糖を入れずに一口、口をつけた。
何というか、只者じゃない感じの人だな。上履きの色から三年だと解るが、はっきり言ってもっと上に見える。教育実習の教師だと言われてもなんら違和感がない。そのまま信じてしまえる。背は俺と同じくらいか、もしくはもうちょい低いくらいだが、姿勢がいい分、実際より高く見える。細いのも高く見える理由の一つかもしれない。
一つ一つの動作が洗練されていて、日本舞踊でも踊っているように見える。口調といい、動作といい、落ち着き具合といい、育ちの良さを感じる。日向とはまた違ったタイプのお嬢様のようだ。日向が欧米の現代風お嬢様ならば、この人は純和風のお嬢様っていう感じだな。腰まで伸びた黒髪にはきっと和服も似合うだろう。
「あなたはここの部員ですか?」
一口、口に含んだ紅茶を味わった彼女は、視線を俺に向け、質問してきた。
「ああ。一応書面上はな」
「書面上、とは?」
「部長氏が勝手に俺の名前を書いて提出したんだよ」
「そんなんですか。彼女ならやりかねませんね」
何やら意味深なセリフだ。この人は岩崎のことをよく知っているようだ。まあここは丁重にスルーさせていただく。
俺からも一つ質問させてもらう。
「あんたは何者だ?」
岩崎と深い仲の人間など怪しいやつで相違ないだろうから、あまり聞きたくなかったのだが、事件に巻き込まれてからじゃ遅すぎる。まあ、社交辞令でもあるな。
彼女はすっと姿勢を正して、改まった。
「申し遅れました。私は一ノ瀬晶。第六十代目生徒会長です」
何代目とか全く知らんが、確かにそう言われてみれば納得する。この人は現在の生徒会会長だ。
「生徒会長がいったい何の用だ?今更書類不備にでも気付いたのか?」
それならとっとと解散を命じてもらいたい。
「いいえ。構成員が足りていないことは最初から気付いていました。しかし岩崎さんの熱意に免じて眼を瞑りました。それに今回の私の行動に生徒会は無関係です。もちろん学校側も関係ありません」
そうか。解散はなしか。少なからずがっかりしている俺に、彼女はさらに追い討ちをかけるようなことを言う。
「今日は一人の相談者として来させていただきました」
なるほど。そういうことですか。岩崎の言ってた当てとはこのことか。なら肝心の岩崎がいないのはどういうことだ。
「それは自分の悩みか?」
彼女は悩みを他人に相談するようなタイプに見えない。彼女なら何でも一人で解決してしまえそうだ。どちらかというと他人の悩みを背負い込むタイプに見えるね。
「なぜそう思ったのですか?」
「あんたは他人に悩みを相談するほど弱い人間に見えない」
「それは婦女子に言う言葉ではないように思いますが」
「・・・次からは気をつける」
彼女はあきれたように息を吐いた。
「岩崎さんも大変ですね」
「どういう意味だ?」
意味は解らないが、なんとなくバカにされたような気がする。彼女はこの質問に対して彼女はにっこり微笑んだ。どうやら誤魔化されたようだ。
それから彼女は急に真面目な顔になった。
「あなたの言うとおり、私の相談というのはある人物の問題についてです」
「それはそいつに頼まれてやっていることなのか?」
「これは私の独断です」
「もしそいつがあんたのこの行動を望んでいなかったとしたら?」
これは俺の頭の中の誰かが何度も叫び続けている質問でもある。果たして相談されてもいないのに俺から動くのは日向のためになるのか。
「あなたも誰かの悩みを背負っているのですか?」
「さあな」
しばらく沈黙が続いた。彼女は俺の表情から俺の本心を探り出そうとしているように見える。何分そうしていたか解らないが、とても長く感じた。実際は一、二分だったと思う。
彼女が突然真面目な顔をにわかに崩し、やわらかく笑った。
「私は自分のために私のやりたいことをやるだけです。彼の望みと私の行動は無関係です」
つまりそいつが望もうが望むまいが関係なく、自分の思うように動くというわけか。
「こういう考えはお好きではありませんか?ではこういうのはいかがでしょう」
俺の無言をどう感じたのか、彼女はまた新たな考えを発表した。
「誰か個人のため、というのではなく社会全体から見たとき、どちらがいいのか。つまり社会意思によって見解を決めるのです。より多くの人によい結果をもたらすにはどういう行動をしたらいいのか、考えるのです」
なるほど。誰か個人のベストのために行動するのではなく社会全体のベターのために行動する。こういう考え方もあるな。
「あんたはどっちなんだ?自分の意思か、社会意思か」
「さあ、どちらでしょう?」
どうやらまた誤魔化されてしまったようだ。頭がいいようだが、ある意味岩崎より扱いにくい人だな。
彼女は俺の反応を見てまた柔らかく笑った。
「あなたは本当に岩崎さんの言っていたとおりの人ですね」
ちょっとむかっときた。だから言い返すことにする。
「何を言われたか知らないが、あいつの言うことをあまり信じないほうがいいぞ」
「はい。前向きに善処させていただきます」
「お二人ともずいぶん楽しそうですね」
いつの間にか岩崎が部室に入ってきていた。いつにも増して不機嫌そうである。
「岩崎さんがこの方を気に入っている理由がよく解りましたよ」
「一ノ瀬さん、そのセリフ、嬉しいけど嬉しくないです」
何やら複雑である。
適当に話してから、本題に入った。
「お二人は横山大貴という生徒をご存知でしょうか?」
「はい。あの二年生の副会長さんですよね」
岩崎は応対する。横山という生徒、確か日向にラブレターを送ったやつだ。
「そのとおりです。私と横山は幼いころからの長い付き合いでして、家族ぐるみで仲の良い関係なのです。私の彼のことを、役員とか友人ではなく家族のように思っています」
静かにしゃべる一ノ瀬の表情は少し明るい。横山との仲の良さが伺える。が、一転、泣きそうな顔をしてうつむいた。
「その横山ですが、現在警察に捕まっています」
「え?どういうことですか?」
岩崎はとても驚いているようだ。俺も少なからず驚いた。まさか警察に捕まっているとはね。一ノ瀬は俺たちの動揺を無視して自分のペースでしゃべる。
「正確には勾留なので、一般に言う、捕まっている状態とは少し違うかもしれませんが、とりあえず容疑者として警察の支配下にいます」
「いったい何があったんですか?」
焦れた岩崎は話を促す。一ノ瀬はそれに応じるようにうなずくと、顔を上げ、しっかりした態度に戻り事件の概要を話し出した。
「罪名は傷害罪だそうです。被害者は他校の生徒だったのですが、お互いの供述に食い違いが生じているんです」
「なるほど」
岩崎はいつの間にか手帳を取り出していた。供述の食い違い。たいていこういう場合はどちらかが嘘をついていると見て間違いない。普通は不利な立場である被疑者がそうである可能性が高いわけなのだが。
「私は彼が捕まってからすぐに行き、面会をしました。彼の話では絡まれていたうちの女子生徒を助けるために力ずくの行為に出たようなのです。彼の家は明治から続く柔道場の名家ですかれは二段という腕前であり正義感の強い人なので、その様子を見て、居ても立ってもいられなかったのでしょう」
「つまり被害者の他校の生徒はそう言っていないんですね?」
一ノ瀬が話しやすいように岩崎が相槌を打つ。
「はい。その生徒たちは女子生徒などいなかった、横山が突然襲い掛かってきた、と供述しているんです」
「その女子生徒ってやつは誰だか解っているのか?」
「解っています。一年生の阪中みゆきさんです」
阪中みゆき。ふむ。聞かない名前だな。同じ学年か。俺には心当たりがなかったが、岩崎は違ったようだ。
「隣のクラスの人ですね」
と説明してくれた。交友関係が広いかどうかは微妙だが、顔と名前くらいは結構知っているようだ。
「で、こいつは何と言っているんだ?」
「彼女は無関係を主張しています」
なるほどね。簡単にだが、一応現状くらいは理解できた。ここで話を元に戻そう。
「それで、あんたの依頼ってのは何だ?」
「彼を助けてほしいのです」
まあ予想はできたが。
「言っておくが俺たちは普通の高校生だ。そんな依頼は弁護士にでも頼んだらいい」
「彼は以前家族関係に問題があり、少し荒れていた時期がありました。そのときに一度捕まっているのです。相手方も悪かったということで不起訴処分になっていますが、今回は違います。さらに過去に前科のようなものもあるので真実を見ずに起訴処分にされてしまうかもしれません」
新たな情報だな。少なからず俺も岩崎も驚いた。
「起訴処分にされてしまったら彼は有罪になってしまうでしょう。ですから検察が不起訴になるように働きかけてください」
少年犯罪が横行している昨今では、暴力事件などよくあることだ。慣れてしまっている検察はあまり深く調べずに判断を下すかもしれない。この場合、矛盾的な発言をしているのは被疑者だけで、被害者の証言を有力にする証拠ばかりあるのだ。被疑者が嘘をついている、で済まされてしまうかもしれない。
「私は立場上、表立って協力できませんが、できる限りのことはしたいと思います。だからどうかお願いします」
確かに学校側の人間である生徒会長が、いくら副会長のためとはいえ、勾留中の人間を助けるようなマネはできないだろう。学校側としてはできるだけ穏便に済ませたいはずだ。下手に掘り返してさらにやばいものが出てきたら困るだろうし。
加えて俺も困る。国家機関が関わっているような事件には断じて関わりたくない。
「お任せ下さい!」
どうすれば首尾よく断ることができるだろう、と考えていた俺の耳にこんな言葉が飛び込んできた。発言者は言うまでもなく岩崎だ。何を考えているのだろうか。おそらく何も考えていないに違いない。
「おい!解っているのか?警察が関わってきているような事件だぞ?こういうのは専門家が動くことであって一高校生たる俺たちが関わるような事件の大きさでは・・・」
「何を言ってるんですか!大きな事件だからこそやるのです!くわえて生徒会長直々の依頼。ここで断ったからTCCの名折れです!」
折れても大した損害にはならないし、第一こんな誰も知れないような団体に名前も何もあったもんじゃない。
「これを解決すればTCCの名前が一気に全校に轟くでしょう!一ノ瀬さん、喜んで引き受けましょう。いや、こちらからお願いしたいくらいです!」
ぶん殴ってでも止めるべきだった。岩崎の返事により、依頼受理が決定してしまった。
一ノ瀬は、どこで入手したのか、警察の長所を置いてご機嫌に部室をあとにした。相談者第一号にしてはハードル高すぎないか?岩崎は燃えているようだが、俺はかなりダウナーな気分だった。はあ。
「何ですか?やっと待ちに待った相談者が来たんですから、ため息なんかつかないで下さい」
これから先のことを考えればため息の一つや二つ、つきたくもなる。
「あんたのせいだよ。どうして面倒な仕事ばかり持ってくるんだ。あんたのせいで俺は最近不運の連続だ」
「成瀬さんがツイてないのは私のせいではありません。それは成瀬さん自身のせいですよ。人のせいにするなんて格好悪いですねー」
こいつが余計な事をしなければこの件に関しては俺が関わる余地なんて全くなかったはずだ。
「それに一ノ瀬さん自身が相談を持ちかけてくるなんて私にも予想外でした」
また訳解らんことを言う。
「お前が連れてきたんだろ?」
「私は、生徒会に悩み相談が来たらこっちに回して下さい、とお願いしようと思っただけです」
なるほど。さっきのはすれ違いだったというわけか。だが、結局はあんたせいじゃないかと思うんだが。
「それより成瀬さんは燃えてないんですか?」
「この面倒極まりない状況で燃えられるんだ?」
「無実の罪の人が捕まってるんですよ?これほど正義感を刺激するシチュエーションは滅多にありません。この状態でどうしたら燃えないでいられましょうか?いいえ、いられません。燃えない成瀬さんがおかしいんです!成瀬さんには正義感がこれっぽっちもないんですか?」
ほっといてほしいね。俺は自分のことで精一杯なんだよ。
これ以上何を言っても無駄だと思った俺は、おとなしく調書に目を通すことにした。