0003 鳥好きなおじさん。
「いらっしゃいま……お客様、お煙草は喫煙席でお願いします」
あ、キセルをくわえたままだった。
僕はあわててキセルを外した。
「あ、あのー、これはなんていうか……」
人間の若い女の子が相手だと、どうもうまく話せない。
「お待たせー。うるしちゃんは……いいんだよね? 飲み物」
「うん。たまに公園の噴水の水とか池の水とか飲むから平気」
人間の時は、普通に売ってる飲み物を飲んでいただろうに……
「ところでさ、おじさんはどういう所に住んでるの? まだ遠い?」
「うーん。ナ・イ・ショ」
「そっか、楽しみだなぁ」
うるしちゃんが人間だったらこんなに話せただろうか。
それにしても暑い。ちょっと自転車をこぐだけで、額から汗がにじみ出てくる。
たまに訪れる建物や街路樹の日陰が涼しくて気持ちいい。
どれだけ自転車に乗っただろうか。
海岸線に沿って走っている国道に出た。気軽に自転車で来られる所に海があることを再認識した。
潮風がほてった体に心地いい。
うるしちゃんに向かって、ちょっと休憩というポーズをして、僕は自転車を降りた。
海沿いのガードレールに腰掛けて、さっき買ったコーヒーをちびちびと飲む。
スポーツドリンクにすれば良かったな、なんて思いながらうるしちゃんの姿を眺めると、
楽しそうに風に乗って飛んだり、墜落するフリをしたり、たまに波打ち際に降りて波と追いかけっこしたりと、なんか楽しそうだった。
コーヒーを飲み終えるのと同時くらいに、うるしちゃんがこっちへ向かってきた。
「海水ってやっぱりしょっぱいね。てへへ」
飲んだのか?
「水でも買おうか? あそこに自販機あるし」
「違うの。喉が渇いたんじゃなくて、海水を舐めてみたかったの。やっぱり記憶通りだったよ」
記憶って人間の頃の?
「そっか……。記憶が間違ってなくて良かったね」
「うん。あ、そうそう。おじさんち、もうすぐだよ」
やっぱり山奥じゃないのか……。
海沿いの道を10分ほど走ると、ちょっと長めのトンネルが現れた。
うるしちゃんは上を飛ぶのかなと思っていると、低空飛行でトンネルに入っていった。
追いかけるとトンネルの真ん中あたりで、歩道と車道の間にある柵に彼女がとまっていた。
「はい。到着。ここがおじさんちだよ。」
ここ?
ダンボールの塊があるだけなんだけど。
すると、ダンボールに向かってうるしちゃんが「カァ」と鳴いた。
ダンボールがごそごそと動くと、そこからおじさんが出てきた。
く、臭い! つーんとする臭いが鼻をついた。
「おおー、来たのか! 最近見かけないから、どっか遠くに行っちゃったのかと思ったよ。渡り鳥みたいにさ」
ボロボロで真っ黒に汚れた服を着たこのホームレスが、鳥好きなおじさん?
「カァ、カァ」
「うーん、そっかそっか。それは大変だったな……」
うるしちゃんはカァカァ言ってるけど、僕には何を言ってるのかわからない……
キセルをくわえてても……
「おじさん。彼女……いや、カラスの言葉がわかるんですか?」
「なんだお前? さっきからいた? だいたい、お前みたいな甥っ子を持った覚えはない!」
なんか厄介そうな人だな……。全然こっちを見てくれないし……
「あ、すみません。僕は鈴木鳥屯と申します。なんて呼べば……」
「おおー! 鈴木って奴に悪い奴はいない! 俺もその昔、鈴木だったしな。俺もお前も鈴木だったら、やっかいだな。お前あだ名は?」
「ショートです。ファースト、セカンド、サード、ショートのショートです」
「そっか! じゃあお前が鈴木ショートだったら、俺は鈴木ピッチャーだな。こう見えても高校の時はエースで4番だったんだぞ!」
ピッチャーさんが僕に近づいてきた。酒臭い……
うるしちゃんは、このやりとりをきゃっきゃ言いながら見ている。まったく……
「時にセカンド! 酒持ってねーか? アルコールだったらなんでも受け付けるぞ!」
「すみません、ショートです……お酒は持ってないです。なんだったらあっちの海の家で買ってきましょうか?」
「おおー! 気が利くじゃねーか! さすが鈴木はデキる奴が多いね〜。ビールで頼むわ! 発泡酒はだめだぞ。本物のビールな! 俺はここで待ってるから。逃げも隠れもしないから安心しろ!」
僕は頷くと、うるしちゃんに行くぞと目配せしてトンネルを出た。
トンネルを出るとうるしちゃんを呼び寄せた。
「あのさ、うるしちゃん」
「ん?」
うるしちゃんは首をかしげている。
「非常に言いづらいんだけど……。おじさん……あ、ピッチャーさんって大丈夫?」
「大丈夫ってなんのこと? いい人だよー」
「いい人なのはわかるんだけど、僕はピッチャーさんと何を話せばいいの?」
「うーんとね、あたしのこと? うーん、とにかくもっと話してみればわかると思うよー」
うるしちゃんのこと、と言われると弱い。
とにかくビールを買いにいくか……
海の家だっていうのに年齢確認された……。
ハタチになったばかりだから仕方ないか。
ビールとスポーツドリンクと水を買って紙コップをもらってきた。
水を紙コップに注いでうるしちゃんに差し出した。
うるしちゃんはくちばしを紙コップに突っ込んで、何度も冷たくて美味しいと言いながら飲んだ。
女の子が喜ぶ姿って、なんかいいな……
トンネルに戻るとダンボールの塊に向かって声を掛けた。
「ピッチャーさん!」
ピッチャーさんはのそのそ出てきた。
「本当に戻ってきたのか! サード! お前いい奴だな。やっぱり鈴木だけのことはある! 俺はてっきり冷やかされてるのかと思ったよ」
「ショートです……。はい、買ってきましたよ、本物のビール」
ピッチャーさんは僕の手からビールを奪うように取ると、プシュっと開けてゴクゴクゴクと一気に飲んだ。
「ぷはー。ゲーッ。おっとゲップも美味いって言ってるよ。ホントありがとな」
ホントにいい人なのかも知れない。
「で、なんだっけ? あ、ショートだったな」
名前からか……。
「はい、ショートです」
「ショートは俺になんの用があるの?」
うーん。何を話そうかな……。
うるしちゃんの方を見ると、くちばしを「さあ聞いて」という感じに動かしている。
「うるしちゃん……あ、このカラスについてなんですけど……」
「ああ、こいつな。かわいい奴だよ。こんな俺に懐いてくれてるんだ」
「そうですか。彼女と会話はしたことありますか?」
「彼女? あーこいつのことか。会話はいつもしてるよ。俺とこいつは親友だからな!」
会話できるのか! しかもキセルなしで!
「じゃあ、色々聞きたいんですけど……」
「まっ、こいつはカァカァ言ってるだけで、俺の話を聞いてもらってるんだけどな、ははは!」
なんだ、そういうことか。
「でもよ……」
ん?
「でもなんですか?」
「いや、なんでもない。酔っぱらいホームレスの相手してくれてありがとうな。またな、ショート」
ちょっと!
僕はとっさにピッチャーさんの腕を掴んでいた。
「言いかけたのになんですか! ピッチャーさん、話してくださいよ! 鈴木仲間じゃないですか!」
僕があまりにも大きな声を出したからか、ピッチャーさんはビックリした顔をした。
「お前……」
「ピッチャーさん……」
「手に臭いつくぞ」
僕は慌てて手を離した。でも、また掴み直した。
「話してください!」
「しょうがねーな……。でも、あくまで酔っぱらいのたわ言だからな」
僕は頷いてピッチャーさんの目をじっと見た。
ピッチャーさんも僕の目を見た。ピッチャーさんと初めて目が合った。
※作者からの余計なお世話コーナー。
忘れがちですが、トリトンとうるしちゃんが話してる時は、
必ずキセルをくわえていますw