0016 夏の思い出。
ん。
なんか体がだるい。
坂ダッシュを100本ぐらいやった疲労感が……
「トリトン! 良かった! ちゃんと目覚めた!」
そう言いながら裸の女の子が僕に抱きついてきた。
あ、僕も素っ裸だ!
「トリトン、あたし、戻れたよ! 人間に戻れたんだよ!」
うるしちゃん?
この、僕に抱きついてる子がうるしちゃんなのか!
僕はうるしちゃんを、ぎゅっと抱きしめ返した。
「元に……人間に戻れたんだね!」
僕はうるしちゃんを少し離して顔を良く見た。
かわいい!
カラスの濡れ羽色の髪。
大きくて黒い瞳。
長いまつげ。
ふっくらとした唇。
すっと通った鼻すじ。
少し尖ったあご……
「本当に、うるしちゃんなんだよね? 良かった! 本当に良かった!」
「トリトン! ありがとう! あたし、嬉しくって……」
うるしちゃんが泣き出した。
体を良く見ると白い肌が傷だらけになっている。
かわいそうに……本当に苦労したんだよね。
あ!
「と、とりあえず、服を着ようか……」
「あ! あたしったら、服を着ないのに慣れてたから、全然気にならなかった! もう! トリトンさんのエッチ! きゃはは!」
間違いなくうるしちゃんだ……
僕は、コウモリが悪魔に変身する時に脱ぎ捨てた服を着た。
うるしちゃんは宝の山から拾ってきたスーツケースを持ってトイレに入って行った。
「あれ? コウモリは?」
すると押し入れからバサバサと音が聞こえた。
僕はパイプをくわえた。
「こ、ここです。」
押し入れを開けるとコウモリが身を縮めていた。
「どうしたの?」
「外が明るくなってきたので、避難です。それに眠くなってきました」
そっか。コウモリも大変だな。
「そこで寝てていいよ。後で起こしてあげるから。それと……うるしちゃんを戻してくれて、ありがとう」
「ショートさん。ショートさん……なんて言ったらいいのか分かりませんけど、本当にごめんなさい」
僕は首を横に振った。
「気にするなって! ドン、マイ、ケル!」
「なんですか、それ?」
「なんでもない……。おやすみ」
「どう? 似合う~? 似合うよね?」
うるしちゃんがトイレから出てきた。
半袖のシャツに短めのスカート。
ホントに女の子だ。
「あれ? 似合わない?」
僕は大きく首を横に振った。
「かわいい! かわいいよ! で、非常に言いづらいんだけど……」
「なぁに?」
「し、下着を買いにいこうか……」
僕は真っ赤になった。
「あ、バレた? きゃはは! あ! そうそう! 下着を買いに行くなら、ここから払おう!」
え?
「ここって?」
「じゃーん!」
うるしちゃんはスーツケースから、ゴミ袋みたいな袋を出した。
「えっとね、中を見てみて!」
ビニールの中を見た。
「うわあ!」
お札や硬貨がごちゃごちゃに入ってる。
中には札束もある!
ざっと数えても1000万円ぐらいありそうだ。
また、押し入れからバサバサと音が聞こえた。
「寝てなかったの?」
「なんか眠れなくて……。それより、そのお金はショートさんが自由に使ってください。どうせ捨ててあったものですから」
「ほら! コウモリもそう言ってることだし!」
え?
うるしちゃんはパイプをくわえてないのに……
「うるしちゃん、コウモリの言葉、聞こえるの?」
「そうみたい! きゃはは!」
「もしかすると、俺の力が弱まってきてるのかもしれません。それで、きちんと人間に戻せなかったのかもしれません。すみません。」
「でも、コウモリと話せる以外はちゃんと戻ってるみたいよ! 体のあちこちをチェックしてみたけど」
「もし、変な所があったらきちんと言ってください。もう一度、呪いをかけなおしますから」
呪いって言うな!
っていうか、坂ダッシュもう100本か……。
「いいよ~。ちょっとのことなら気にしないー」
「ちょっとじゃなかったら、またお願いするよ。ちょっとコンビニに行ってくるから、ピッチャーさんのことよろしくね。あ、寝てていいよ。この人なら放っておいても大丈夫だと思うし」
コンビニで下着と食べ物や飲み物をさっと買って家に戻ると、出た時のまんまピッチャーさんが寝ていた。
押し入れをそっと開けると、コウモリは逆さまにぶらさがって熟睡していた。
なんか安心して疲れがドッと出てきた。
すこしよろけると、とっさにうるしちゃんが僕を支えてくれた。
「トリトン、疲れてるよね。今日はオールしちゃったし、きゃはは!……あ、そうそう、きちんとお礼を言ってなかった。トリトン君、ご苦労であった! これにて任務は終了とする! これは、君に対する褒美だ! 受け取りたまへ!」
うるしちゃんが、こっちを向いて目をつぶっている。
僕はそっとうるしちゃんにキスをした。
「おいおい! 熱いね~! ひゅーひゅーだよ! お二人さん!」
僕らは慌てて離れた。
「あ! もしかしてお前、カラスか!」
うるしちゃんは頷いた。
「おじさんのお陰だよ! ありがとう!」
「じゃあ、お礼におっぱいを……」
「ダメ!」
僕は必死に阻止した。
「冗談だよ!……あ! それよりどうやって戻ったんだよ! 俺に乗り移るんじゃなかったのか?」
僕は事情を説明した。
「何だよ! せっかく乗り移らせてやろうとしたのに!」
あの悪魔を見て、この意見がでるピッチャーさんは、やはりただものじゃない。
「じゃあさ、おじさんにお願いがあるんだけど……。あのね、あたし以外にも、コウモリにカラスとかその他の鳥にされちゃった人がけっこういると思うんだ。その人たちをおじさんとコウモリで人間に戻してあげてくれない?」
なるほど!
「それは、僕からもお願いしたいです! ピッチャーさん! いいですか?」
「どうするかな……。時にショート……」
「はい! 買ってありますよ! 本物のビール!」
「よし! 決まりだ! さすが鈴木はできる奴が多い!」
「きゃはは!」
ビールを買っておいてよかった。
「それと……。良かったらこのお金、使ってください! 人間に戻した人たちは裸で戻ると思うから、服をあらかじめ買っておいたり、あとは交通費に使ってください!」
ゴミ袋ごとお金をピッチャーさんに渡した。
「おい、ショート! ホームレスの俺がこんな大金もらっても、どうしたらいいかわかんないだろうが! これはお前のお金だ! 俺はたまにもらいにくるから、お前が持っててくれ!」
「これだけのお金があれば、ピッチャーさんだって部屋が借りれますよ。そこに保管しておけばいいじゃないですか」
「お前は、もう俺とこれっきりでいいってことか? 俺はお前たちに、また会いたいんだよ。口実を作らせてくれよ。それにトンネルの方が、コウモリの奴も喜ぶだろうしな」
「ピッチャーさん……」
「とりあえず、ビール代で300万ほどもらうわ! はははは!」
札束を3つスーツケースに入れると、ピッチャーさんはコウモリを起こした。
「おい、行くぞ! これからお前は俺と反省行脚の旅に出るんだからな!」
コウモリは頷いている。
「とりあえず、まぶしいだろうからここに入れ!」
コウモリをスーツケースに押し込んだ……
パイプを渡し外まで見送ると、白いバスローブを着たピッチャーさんは、こちらを振り返らず歩いて行った。
僕はうるしちゃんと手を繋いで階段を上がった。
空はもうすっかり、夏の朝になっていた。
「疲れたね。あたし、眠たくなっちゃった。トリトンは?」
「僕も、急に眠くなってきた」
「じゃあ寝よう! とりあえず、寝よう!」
うるしちゃんは布団に寝転んだ。
「トリトン、一緒に寝よう!」
僕は頷いてうるしちゃんの隣に寝た。
「エッチなこと、してもいいよ」
僕は真っ赤になった。
「冗談……」
うるしちゃんをぎゅっと抱きしめた。
「トリトン……ありがとう……」
うるしちゃんは泣きだした。
僕はもっとぎゅっと抱きしめた。
「トリトン、そんなにぎゅってしたら、痛いよ」
「あ、ゴメン!……うるしちゃん、好きだよ! カラスの時からずっと好きだよ!」
「うん。あたしも、トリトンのこと、だいすき! カラスの時からだいすきだった!」
僕らは飽きもせず抱き合った。
気がつけば、二人とも眠りについていた。
つんつん。
なんかつんされている……
ゆっくり目を開けると生足が目に飛び込んできた。
あ、うるしちゃん人間になったんだよな。
「トリトン! 起きて! 今度はニワトリになっちゃった!」
え?
僕は飛び起きた。
生足のみ人間で、あとはニワトリになっている!
カラスの時に巨大化したのとまったく同じだ!
なんで? どうして?
「やっぱりコウモリの力が弱くなってたのかな……」
ちょっと待って!
「今キセルくわえてないんだけど!」
「あ、バレちゃった?」
僕はゆっくりうるしちゃんの頭の部分を引っ張り上げた。
被り物が脱げて、寝る前のかわいい顔が出てきた。
「トリトン、ビックリした? きゃははは! トリトンが寝てる間に、着ぐるみ買ってきた!」
この子は……
お茶目というか、天真爛漫というか……
それから一週間ほどたち――
僕は相変わらず夏休みで喫茶店の店番のアルバイトをし、うるしちゃんは家でご飯を作ったりしてくれている。
管理人のおばさんと出くわした時はどうなるかと思ったけど、うるしちゃんはあのノリでうまいことごまかした。
今じゃ、仲良しだ。
とはいえ、基本的にこのアパートは一人暮らし用だから、少し広めの所に引っ越そうということになった。
他の住人の目もあるしね。
「うるしちゃんは、どんな所がいい?」
「えーとね。管理人さんが未亡人の美女で、隣の部屋に覗きが趣味の人が住んでる所! 建物の名前は……」
「いっこく……」
「ここで連続失踪事件関連のニュースです」
あ、もしかして……
「一昨年の夏からK県で起きていた連続失踪事件で、失踪していたと思われていた人たちが次々に発見されました。
発見された人たちは口々に『鳥になっていた』という意味不明の供述をしており、事件の謎は深まる一方です」
「これって、ピッチャーさんの仕業だよね?」
「おじさんとコウモリ、ちゃんとやってくれてるんだね」
「また、今回次々と発見された失踪者ですが、いまだ見つかっていない方もいます。
F市に在住の鈴木あけみさん、女性24歳、同じくF市在住の黒羽漆さん、女性31歳……」
え?
「あちゃー! 年齢バレちゃった」
「う、うるしちゃんて……」
「ゴメン! 黙ってるつもりはなかったんだけど、一回内緒にしたら、なんか言いづらくなっちゃって……」
だから、古いテレビ番組も知ってるし、モスキート音も聞こえなかったのか。
「トリトン、ずいぶんお姉さんだけどいいかしら?」
「年齢なんて……。年齢なんて関係ないさー! 僕はうるしちゃんが好き、それだけでいいのさー! しーんぱいないさー!」
「ありがとうトリトン。じゃあ、あたしも! しーんぱいないさーーーーーー! きゃはは!」
うるしちゃんが人間でいてくれて、僕のそばにいてくれればそれでいい。
こんな僕を好きになってくれた、うるしちゃんなんだから。
「よし! ちょっと公園にでも散歩に行こうか! イッキの所」
「えー! あいつ生意気だから放っておこうよー!」
「でも、餌を10袋ゆっくり渡さないといけないし。それにきちんとお礼も言ってなかったしね」
「トリトンってホント律儀だよねー。きゃはは!」
僕らは真夏の空の下へ飛び出した。
僕はこの夏起こった出来事を一生忘れないように、思い出を机の引き出しにしまっている。
机の引き出しはタイムマシンの入り口だしね。
そこには、ペーパーナイフ、キセル、そしてうるしちゃんの羽がひとつ、きれいに並んで入っている。
――おしまい。
このお話はこれで完結となります。
この作品が皆様を笑顔に導いてくれることを願ってやみません。
ここまで読んでくださった皆様、心より感謝いたします。
ありがとうございました。
(ピッチャーさんのサイドストーリーとか書いてみたいけどホームレスを主役にするなんて無謀すぎるので諦めますw)