第二節:家の中で
今回は彼女視点です。
何故だろう。彼には関係ないのに……。
私は少し熱めのシャワーを浴びながら思考を廻らせる。
暫く、サーという音だけが静かな浴室に木霊した。
それは、一種の催眠のように私の心へ響き続け、忌まわしい記憶を甦らせた。
アイツの顔、声、服装、何もかもを……。
「嫌だ……嫌だ……」
その記憶を見まいと首を振るが、長く、深く刻まれたそれは、そんなことで消える物ではない。
私は急いでシャワーを止めた。
「お母さん………」
このままではダメだ、見えない重圧に押しつぶされそうになる。
だが、一度あふれ出した記憶は、留まる事を知らず決壊したダムのように流れ続ける。
ぎゅっと自分自身を抱きしめ、硬く目をつぶる。……いつものように。
「おい、そろそろ飯出来るから早くあがってこいよ」
思わずハッとした。あまりに突然の事で、今まで流れていた映像が途切れ、頭が真っ白になった。
慌てて返事を返そうとするが、声が上手く出ず、何も言えなかった。
しかし、もともと期待していなかったのか、彼は直ぐに出て行った。
それから直ぐにお風呂からあがって、彼の用意した服を着て、ドライヤーで髪を乾かし、言われるままにテーブルへ向かった。
テレビでは、ちょうど有名なバラエティ番組が始まったばかりだった。
「どうだ、温まったか?」
彼の言葉は至極普通だが、私にはまるで親が子供に聞くような感じに聞こえた。
「……はい」
それだけ言うと、彼は台所へ行き、なにやらし始めた。だが、直ぐに振り返り戻ってきた。
そしてその手には、カレーライスの姿があった。
「ほら、食え」
目の前に差し出された物に戸惑いながらも、スプーンを手に取る。ここで断る事は出来なかった。
「いただ…きます」
少し控えめに掬い、口へ運ぶ。
その間、彼は私の動きを見逃しはしまいとでも言うかのように、じっと見ていた。
少々食べにくい状況だったが、たぶん感想が聞きたいのだろうと理解したので、しっかりと味わった。
「……おいしい」
殆ど反射的にこぼれる賞賛の言葉に、嘘偽りは無い。
彼は、その言葉を聴くと少し微笑み、自分の分を持ってきて食べ始める。
普段は見せないその柔らかい笑みは、カレーの美味しさを倍増させると同時に、私の心に深く入り込んでいった。
なぜか彼といる時だけは居心地の悪さや、恐怖などのマイナスな思考に囚われない自分がいる事に気付く。
その後も彼は私に対し、家族同然に接してくれている。……私があそこにいた理由が聞きたくないのだろうか。
逆にこっちが気にしてしまう。
「ねぇ…、気にならないの?」
とうとう私は自分から切り出した。
「いや、ウチは女姉妹多いから慣れてるだけ。それともアンタが変に意識しちまうか?」
彼から返ってきた言葉は見当違いのものだった。
「そうじゃない!私があそこにいた理由よ!」
私は彼の言動が理解できず、つい怒鳴ってしまった。
途端、彼の顔からは笑みが……いや、感情そのものが消えた。そして追い討ちをかける様に吐き捨てた。
「……お前は言いたいのか?」
その瞬間、辺りが絶対零度の空間と化した。
私はたじろぎ、言葉を発する事ができなかった。彼の顔があまりに冷たく、たまらなく恐ろしかったからだ。
最初に沈黙を破ったのは彼。
「俺はお前の身の回りなんか知りたくもねえよ。お前の世話焼いてるのは、ただ自分がした事には最後まで責任を取るためだ。お前が何処かに出て行きたいのであれば勝手にすればいい。……まあ、話したいのだったら聞いても良いけど、お前は他人を信じれるのか?」
『他人を信じられるのか』
正直、今の私には到底出来ない事だ。両親がいれば話せたかもしれない。しかし、二人とももうこの世の人ではなかった。
誰も信じられない、信じたくない。けれど判って貰いたい……。
この矛盾した思考のど真ん中で、私は溺れ苦しむ。