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おきにいり

ユミとミユ

作者: 猫村 子麦
掲載日:2026/03/29

  人のことを生まれで判断してはいけません。

  人はみんな平等であって、助け合わなくてはなりません。

  人を差別してはいけません。

 とっても大事なこと。

 それを私は教えられた。

 

 私に、それをしてくれない人たちに。

 

 

 私に、平等にあたってくれない人たちに。

 

 

 ねぇ ねぇ わたし なにかわるいことした?


        ♦︎


 一般人

 とってもその言葉が似合う、超絶普通の子。私は自分をそう思ってる。

「ユミー、起きなさーい。三回目よー?」

「ふぁぁぁぁ…、あと五分…」

 朝は早いとも遅いとも言えない時間に起きるし。

「もっぐもっぎゅもっぐもっぎゅ」

 朝ご飯は美味しいし。

「いってきます」

 かばんを持って学校へ行く。

「ふわぁっ」

 欠伸をする。

 登校中に気をつけなければならないことなど、道路を横断するような時しかない。

 右、左、右。 はい、手を挙げてー。すたたたたたぁ

「あっ、おはよー、ソフィア」

 歩いていたら友達に会うことがあって、

「ユミ宿題やってきたー?」

「プリントをね」

 人なみに勉強もする。

自学自習がんばりノートは?」

「やってない」

 やってもやらなくてもいい宿題なんて、やらないのが基本だ。

「担任の先生どう?ミルリア・ベアーだっけ」

「ミラリア・ベルクね。んー、まだ分かんないな、二年生始まって二ヶ月だし」

「そだよねー」

「体育の鉄棒、できる?」

「ま、前回りなら…」

「誰でもできるわぁっ」

「逆上がりって難しくない?」

「私、補助付きならできるようになったよ」

「おー、すごー」

「ごめん、少し盛った。補助プラス先生の助けでできた」

「それなら私でもできそうなんだけど」

 私は二年生とはいえ、幼稚園時代の友達が同じ小学校に入学していて、とても仲の良い友達がいる。クラスは離れてしまったけれど、他に新しい友達もでき、とても楽しい学校生活を送っている。

 そんな、そんな

 一般人。


    ♦︎


「ミユ様、起床のお時間ですよ」

 もう、起きてる。でも、今起きたように見せなきゃいけない。だって、私が起きるのを早くすればするほど、メイドが早く起きなくてはならなくなってしまうから。

「お召替えをいたしますね」

「お願い」

 自分でできるよ。

 でも、頼まなくちゃいけない。

「リーネは上手ね」

「えへへ、ありがとうございます」

 リーネの仕事がなくなっちゃうから。

「朝ご飯でございます、ミユ様」

 私、こんなに食べれない。

 でも、食べなくちゃいけない。私の食べ残しは捨てられて無駄になっちゃうから。それに、料理長が悲しむ。

「お乗り下さい、ミユ様。学校へ行きますよ」

 私、自分で歩ける。

 でも、車に乗らないと運転手のサムさんの仕事がなくなっちゃうから。乗らなくちゃいけない。自分で歩いて、街並みを見ながら登校してみたいのに。

 私は、我慢することしか出来ない。


      ♦︎


 キーンコーンガーンゴーン

 ふーんふーんふーっふーんっ

 ゴーンギーンカーンコーン

 ふーっふっんふーんふぅぅんっ

 

 ご機嫌である。

「お弁当の時間だっ!」

 私は勢いよく席を立ち、友達の元に向かう。

「エミリー、エミリー、お腹空いたね」

「いや、本当にお腹空いてる?すっごい元気そうだけど」

「もう、ぐぅっぐぅだよっ!お腹と背中がくっつきそう!」

「そんなに弱ってる人はこんなに大声を出せないと思うな」

「そーう?」

 確かに、お腹と背中がくっつくって怖い。

 私とエミリーは机をくっつけた。

「ユミ、今日のお弁当なに?」

「今日はねー」

 私は得意げに間を持たせ、お弁当の蓋を開けると、一気にエミリーの前へ突き出す。

「たこさんウィンナー!」

「いやそこはオムライスって言いなよぉー」

 私のお弁当箱の中には、オムライスがどーんっとあり、端っこにたこさんウィンナーがちょこんと居座っていた。

「見てよ、このタコさんウィンナーの輝き!この堂々たる態度‼︎美しいこのフォルム‼︎このお弁当はたこさんウィンナーが主役ですっ」

「…ユミってホントたこさんウィンナー好きだよねー」

 若干引き気味で言われた。そんな目で見ないで。私、ただのたこさんウィンナー愛者。

 私はその後もたこさんウィンナーへの愛を語りながらお弁当を食べた。ちなみに、好きなものは最後に食べる派なので、たこさんウィンナーは最後に残した。

「ごちそうさまでしたー」

「エミリー、食べるの早いー」

「ユミが喋ってて食べてなかっただけだから。後もう少しでお弁当の時間終わっちゃうよ?」

 エミリーに急かされ、私は箸をたこさんウィンナーにのばす。これを食べたら完食だ。

「あー」ん

 たこさんウィンナーが口に入る前に、私の目はあるものを捉えていた。

「誰?あれ」

「んっ?」

 私が指差したのは、一人の女子生徒であった。

「あぁ、フォールちゃんだよ。私、一年の時一緒のクラスだったんだ」

「へー」

 私はたこさんウィンナーをお弁当に置き直した。そして箸を逆向きに持つ。

「フォールちゃんって、いつもあんな暗い感じなの?」

「え?ユミ、酷いよ。別にそんなじゃないけど…」

「そう」

 私は席を立ち、お弁当箱を持ってフォールちゃんの元へ歩いていった。そして、フォールちゃんに声をかける。

「どうかしたの?」

「…え?」

「なんか、暗い顔してるから。あ、私ユミっていうよ」

 そして私はフォールちゃんの前に箸を持っていく。そこには、たこさんウィンナーが挟まっていた。

「お腹空いてる?食べていいよ」

 フォールちゃんはお弁当の時間が終わる直前に教室に入ってきた。ということは、それまで外に行っていたということだ。さらに、フォールちゃんの机にはお弁当が置かれていなかった。この学校では教室以外の場所でお弁当を食べてはいけないことになっている。

 つまり

「お弁当忘れちゃったんでしょ?」

 そういうことである。

「…あ、ありがとう。えっと、ユミ、ちゃん!」

 にっこり。ぱくっ。

 たこさんウィンナーでお腹は満ちなくとも、胸は満ちるといいな。

「どういたしまして」

 そうして私は席に戻った。フォールちゃんは私が席に座ってもまだその場に立っていて、幸せそうにたこさんウィンナーを咀嚼している。

「ユミってさ、優しいよね」

「えへ。ありがとう。やっぱりね、私思うの」

「なにを?」

「たこさんウィンナーは幸せを生むんだなぁって」

「いや、たこさんウィンナー好きすぎでしょ」

 

     ♦︎


 昼食の時間になった。私は勉強道具を片付け、お弁当を机の上に出す。皆、私の大量のお弁当に視線を注ぐ。でも、声をかけてくる人は誰もいない。なんだか食べる気になれなくて、ひとまずトイレに行こうと思った。お弁当は机の上に出したままだ。誰かに盗られるかもしれないが、それもいい。私はあまり空腹でないし、その子のお腹の足しになればいい。

「……?」

 トイレに行こうと廊下を歩いていたら、壁に寄りかかってうつむく女子生徒がいた。あれは、確かフォールという名の子だったはずだ。私はまだ二年生二ヶ月目だが、全校生徒の名と顔は覚えている。誰と友達になっても良いように。

 でも、未だ(まだ)友達と呼べる人はいない。

「あの、どうかしましたか」

 フォールは顔を上げない。

「フォールさん、フォールさん」

 名前を呼んだ。すると、フォールの肩が跳ね上がり、びくっとこちらを向く。

「ミ、ミユ…様?」

 恐る恐るといった様子だ。

「こんなところで何をしているのですか」

「あ、い、いや、その、お弁当、忘れて、きちゃって…」

 時計を見ると、昼食時間の半分ほどが過ぎていた。そこで、私は名案を思いつく。

「私のお弁当を食べますか?」

 なかなかいい案だと思って、私はフォールに提案を続ける。

「私、朝ご飯を沢山食べてきてしまって、あまりお腹が空いていないんです。だから、フォールさんが食べてくれれば…」

「だっ、大丈夫、です」

 言葉を遮られた。

「その、ミユ様のお弁当なんて……い、いただけません」

 フォールは後ずさりし、私との距離を広げる。

「そ、それではっ。またっ」

 フォールは走って行ってしまった。途中でふらついたが体勢を整えて必死に走る。

 私から、遠ざかる。

 誰もいなくなった廊下で、私はつぶやく。

「私が……私が」

 意味もない疑問を。

「…っ。私がミユじゃなかったら、もらってくれたの?」

 私の声は廊下にこだまするまでもなく消えた。

 

 トイレにあった鏡に映る私の目元は、悲しげな朱を散らせていた。薄く弱々しく、それでいて十分に人には気づかれるくらいの、厄介な色だった。


     ♦︎


 この国は、近頃発展してきた国だ。

 戦争には負けたものの、速やかに傷を癒やし、前を向いてきた。他国に認められようと、先に発展していた国の真似をしたのだ。この地に深く根付いていた、生まれで定められる地位をなくし、平等に努めた。道徳の教科書も変わった。今までは個性を殺すことを是としていたが、今は個性を活かすことが求められる。政治の仕組みも変わったし、民も豊かになった。

 しかし、そう上手くいくものでもない。

 一つだけ、この国が変えられなかったものがあった。

 それが、


「リディアス家」


 である。

 この家系は、古くより神に等しいとして扱われてきており、民の認識をそう易々とは変えることができなかったのだ。

 リディアス家は今も、他とは違う特別な家系として民に認識されている。

 たとえそれをリディアス家が望んでいなかったとしても−


    ♦︎


 学校から帰る時間になった。

 校門で車を待つ。一緒に待ってくれる人も、挨拶する人もいない。

 みんな、怖いのだ。私が。

「何か粗相をしてしまったらどうしよう」と、そんなことを絶えず考えているに違いない。

 もう、人の顔を見たくなくて、顔を伏せた時、車のエンジン音が聞こえた。私はすぐさま顔を上げる。この気まずさから解放される、と思って。でも、その車は通り過ぎて行ってしまった。私の迎えの車ではなかったのだ。しかし迎えの車の代わりに、私の目に映ったものがあった。それは私への恐れが浮かんだ顔ーではなく。

 明確な、私への興味が前面に出た顔だった。

「ぁ」

 小さく声が漏れてしまう。

 だって、驚いたのだ。私に、あんな顔を向けてくれる人はいないから。

 えっと、確か、あの子の名前は__

「エミリー、あの子誰?なんで歩いてないの?学校に住んでるの?」

「馬鹿。そんなわけないでしょ。あの方はミユ様よ。お迎えが来るの。もう、そんなことも知らないの?」

 エミリーの言葉の端々には少々の棘が見られるが、悪意は感じられない。

「ミユ!?それって、なんだか」

 あぁ、そうだ。名前の一覧表を見てびっくりしたんだった。

「私の名前に似てるね」

 あの子の名前は「ユミ」ちゃんだ

「あぁ、確かに。ユミとミユ。ひっくり返しただけだもんね」

「でしょ?でしょ?よしっ、覚えた、ミユちゃん!」

「え、ちゃん!?失礼だよ、ユミ!様付けじゃないと…」

 エミリーが必死にユミをいさめている。しかし、その声が耳に入っていないようで、ユミは立ち止まって振り返る。そして私を見つけると、大きく手を上げた。そして、これまた大きく口を開く。

「ミユちゃーん、ばいばい、まったねー!」

 夢かと思った。目を見開きすぎて、何かがこぼれてしまいそうだ。

「私、ユミっていうよぉー。またっ、会ったらっ」

 そこで息切れたのか、一度言葉を切る。再度開かれた口は、綺麗な笑みを形作っていた。

「声かけるねーっ!」

 ユミの声と一緒に、強い強い風が吹く。私はその風に押されるようにして、手を上げた。震える口も、頑張って開く。

「わっ、私こそ、ユミさん、見かけたら、そのっ」

 そこで、私は恥ずかしくなってしまった。

 何を浮かれているんだ、私は。

 冷静な私がそう言う。

 でも。

「声、かけますねーっ」

 一度綻んだ口元は、言うことを聞いてくれやしなかった。

 少し、いびつな笑顔だったかもしれない。 手が、変なところで止まっていたかもしれない。

 声が、届いていなかったかもしれない。

 不安に押しつぶされる。

 しかし、その不安はすぐに吹っ飛んだ。

「うん、わかったーっ!」

 そう言って、この世で最も喜ばしい物を前にしたような笑みを私に向けてくれるユミがいたから。一目で心から笑っていると分かる。

 これにはエミリーも呆れてしまったようで、くすくすと笑っていた。

 …また、会ったら、か。

 胸がとても温かくなるような気がした。


     ♦︎


 キーンコーンガーンゴーン

 はいっ本日二回目ですっ  うっきうきだよ!

「では、帰りの挨拶をしましょう」

 先生が言う。

「せーの」

「さよーなら」

 一際大きな声でそう言った私は、口を閉じると同時にかばんを背負う。

「エミリー、一緒に帰ろ!」

 二年生になってできた友達の元へと走る。

「え?ソフィアとは帰らないの?」

 ソフィアというのは、私が今朝登校している時に会った親友だ。

「今日はソフィアは先に帰ってるってさ。用事があるみたい」

「そっか」

 エミリーもかばんを背負い、二人並んで歩く。

「忘れ物ない?」

「ん。多分」

「明日と明後日、学校休みなんだから、チェックしときなよー」

「大丈夫だって。お弁当箱はちゃんと入れてるもん」

「あ、その件については心配してない」

 私は一度、お弁当箱を学校に置き忘れたことがあって、その時にお母さんからものすごく叱られたことがあったのだ。しかも、罰としてお弁当を作ってもらえなかった。まあ、入れる器がなかったってのもあるけど。ちなみにその日のお昼は近くの店に買いに行った。

 それから私は、お弁当箱を学校に忘れることがなくなったのである。

「あの時のお母さん、怖かったぁぁぁ…」

「そうなんだ?授業参観で見かけた時には穏やかで優しそうに見えたけど…」

「いやいや、怒るとちょー怖いんだよ」

「怒ったら怖いのはみんなだと思う」

「それは確かに」

 怒っても怖くない人がいたら、なにか裏があるのではと疑う。

「さようならー」

「さよならぁ」

 校門に校長先生がいて、挨拶をしていたので私たちも軽く返す。少し頭を下げた。

「ぁ」

 次に頭を上げた時、女子生徒と目が合った。その顔は呆気にとられているような表情をしていたが、顔立ちが妙に綺麗で、印象深い。

「エミリー、あの子誰?」

 私はすぐに、隣を歩く友人に問いかける。

 私はこれから、たくさんの友達を作っていきたいと思っているのだ。だから、情報収集をしようと思った。

 それに、あの顔が、妙に心に引っかかるのだ。

「なんで歩いてないの?学校に住んでるの?」

「馬鹿」

 少々口の悪い私の素敵なお友達は、すぐに答えてくれた。

 あの子の名前はミユといい、車の迎えが来るらしい。まだ私の家に車はなく、周りの子達にも持っている人がいなかったので、すごいなと思う。ミユちゃんはお金持ちさんなのかもしれない。

「なんだか私の名前に似てるね」

 なんとはなしにそう言った時、私はあることに気付いた。

「ひっくり返しただけだもんね」

「でしょ?でしょ?」

 あ、これ、運命じゃね?

 と。

 この時、私が異常に高ぶっていたことは認めるし、後から思い返すと「なんてことを…」と赤面する。しかし、この時の私は、「ユミとミユ」という偶然に、嬉しくなってしまっていたのだ。

「よしっ、覚えた!ミユちゃん!」

 そこからはあっという間だった。

「ミユちゃーん、ばいばい、まったねーっ!」

 大声を張り上げる。

「私、ユミっていうよぉー。またっ、会ったらっ」

 息がもたない。

 ぜぇぜぇ、すぅっ

「声かけるねー!」

 本当は、「友達になろう」と言ってしまいたかったけど、なんだか気恥ずかしかったのでやめておいた。いや、もう手遅れなんだけど。

 対するミユちゃんは、数秒間驚いたように目をパチパチさせていたが、しばらくするとその顔に笑顔が広がり、ぎこちなく片手を上げていた。

「わ、私こそ、ユミさん、見かけたら、そのっ」

 遠くからでも震えているとわかるその声は、とても可愛らしい。しかしミユは少し恥ずかしくなったのか、そこで声が途切れた。それでも、意を決したように、また音を紡ぎ始める。

 誰のものでもない、ミユの、その小さく可愛い喉で。

「声、かけますねーっ」

 なんだか、娘を見る母親のような気持ちになってきた。私は精一杯の温もりを込めて、返事をする。

「うん、わかったーっ!」

 その時の私は、山盛りのたこさんウィンナーを前にした時のように笑っていたと思う。


      ♦︎


「お帰りなさいませ、ミユ様」

「えぇ、ただいま戻りました」

 これから、勉強の時間か。

 もう、嫌だと思うこともなくなった。

 −だって、頑張るのは当然のこと。なぜなら、私は−

 私が自分の部屋へ行こうとしていると、リーネが声をかけてきた。

「ミユ様、明日のこと、覚えていらっしゃいますか?」

 明日…?

 しばしの逡巡。私はある記憶を呼び起こした。

「覚えているわ。きちんと」

 だって、私は。

「リディアス家の娘としてのお披露目の日でしょう?」

 ミユ・リディアスなのだから。


       ♦︎


「たっだいまー!」

「おかえりー」

 私は玄関で靴を脱ぐ。

「お母さんっ、お母さんっ、週末だよっ、休み!」

「はいはい、そうねー」

 私が喜びをお母さんにも分け与えようとたら、軽くあしらわれた。むすぅ。

「とりあえず、お弁当箱出して?洗うから」

「はーい」

 私はすぐさまかばんからお弁当箱を出す。

「今日も完食した?」

「うんっ。あ、待って。違うー?かも?」

「え、空だけど」

 たこさんウィンナーをフォールにあげたから、厳密に言うと完食ではないかもしれない。

 そう思ったので、私はお母さんにフォールのことを話した。

「そうなのね。うん、ユミはえらい子」

「えへへへ……」

 お母さんは、私の頭をぐっしゃぐっしゃ撫でる。このすこし雑な撫で方が嫌に感じていた時期もあったが、今は温もりが素直に嬉しい。しかし、雑であることに変わりはないので、首が揺れてコキコキと音を立てる。ちょっとしたホラーだ。

「あっ、そういえば」

「ん?」

 お母さんが思い出したように言う。

「明日、リディアス家の娘さんのお披露目会があるけど、行く?」

「リディアス家?ってなに?」

 私が首を傾げると、お母さんが慌てたように言う。

「あれれ、教えてなかったっけ?ほら、聞き覚え、ない?」

 いやぁ、あると思うけどなぁ。

 お母さんがそう言うので、私は頑張って聞き覚えを探した。

「リディアス、リディアス?リ、リィーッディアスゥー、リディリディ〜、あっ」

「思い出した?」

「うん、えっと、幼稚園の時、読み聞かせの絵本にそういう本あった!えっと、『特別』…なんだっけ?」

「そうそう。詳しくは…」

 お母さんは、リディアス家のことを、噛み砕いて私に教えてくれた。

「ふーん、そーなんだー」

「確か、ユミが行ってる学校に通ってたはずよ。まだ公式に顔と名前は発表されてないんだけどね。でもさ、雰囲気?みたいなので、それっぽい人、いない?」

「えー?いや分かんないよ」

 ふぅん。私と同じ学校なんだ。少し興味が湧いた。

「お披露目、行きたい」


     ♦︎


「さぁ、ミユ様。気を引き締めてくださいませ」

「えぇ」

 私は晴れ着を着せられ、髪を結われている。丁寧な編み込みがなされた頭は重く、首が痛い。メイドには前髪を上げるのを勧められたが、断った。

「ミユ様、会場に入場したら…」

 リーネが、あーでこーでそれであーしてこーして…と念入りな確認をしてくる。リーネは昔から心配性だ。私はもう小さくないのに、お姉ちゃんの如く世話を焼いてくる。

 不思議と鬱陶しくはない。

「分かっているわ。私はリディアス家の、娘なんですもの」

 私は笑う。笑顔を作る。誰からも綺麗と思われるような、笑みを浮かべる。

 小さな頃から叩き込まれた礼儀作法。同年代の子達が公園で走り回っている間に身につけたものだ。   …本当は、「鬼ごっこ」なるものを一度はやってみたかった。けれど

 当然のことだ

 当然のことだ

 自分に言い聞かせる。

 何度も繰り返して、舌に馴染んだこの言葉。

 それなのに、今日は何かが違った。

  揺らいでしまう。

  当然のこと……本当に?

「では、行きましょうか」

 リーネの声で、思考が打ち切られる。ふるふると頭をゆっくり振って、考えたことを頭の外に追い出す。

 そして私は頷いた。静かに歩き出す。

 そんな私を、大勢の人が、好奇の目で見ていた。


      ♦︎


 お披露目当日。

「お母ーさん。早く行こー」

「はいはい。いや、もうちょっと落ち着けない?どうどう。」

「え、私暴れ馬かなんかなの」

 私はうきうきしていた。

「ゆっくり歩こう、ね?」

「えー、だって、なんか、楽しみじゃん?」

 知ってる子かもしれない。それだけで、私は気持ちが高ぶるのだ。

「えーっと、こっちだって。」

 今日のお披露目の場は、一般人でも参加できるようになっていた。

 どんな子だろう。どんな子だろう。お友達に、なれるかな。

 そんなことを考えながら、お母さんがドアを開けるのを待った。

「え、うそ。もう始まってるじゃん」

 お母さんが小声で言う。

「だから急ごうって言ったのに。ホントお母さん…は……」

 言い返そうと思ったが、それよりも、目の前の光景に意識を奪われた。

「…えっ、ミユ?」


     ♦︎


 緊張する。

 こんなに多くの人の視線を、私は浴びたことがない。

 ……早く、終わりたい。

 私がそう思った時、司会が私の紹介を始めた。うつむきたい気分だったが、そういうわけにはいかない。

「こちらが、リディアス家の長女、ミユ・リディアス様でございます。ミユ様は……」

 私は前を向いてその場をやり過ごす。少しもふらつかないように、貼り付けた笑みが剥がれないように。

「では、ご挨拶をお願いいたします」

「はい」

 私は広い部屋に足音を響かせ、音を大きくする道具の前に立った。

「ミユ・リディアスです」

 たった一言。

「おぉっ」

 それだけで、こんなに騒がれる。

「本日は、ご足労いただき、まことにありがとうございます」

 どうしてなのか、分からない。

 私は何もしていないのに、リディアスだからというだけで、私をこんなにも持て囃す(もてはやす)

 私も、普通の子に、なりたい。

 願望が胸の中でうずく。でも、叶いようがない。だって私は、

 ミユ・リディアスなのだから。

 ミユである前に、リディアスなのだ。だから、だから

 ……だから?だから、どうした?

 私は急いで思考を打ち切った。あぁ、何を考えているんだ。いつもなら割り切れるのに。今日が、お披露目の日だからだろうか。

 それとも、あの子に。

 ユミに、出会ったからだろうか。

 揺らぐ心の内を押さえ込み、最後の一言を言い放つ。

「今日のこの会、是非楽しんでいってくださいね。」

 拍手が響く。

 そして、私から視線が外された。この会は、私のお披露目と言っても、それだけが目的ではない。だから、私にずっと注目が集まるわけでもないのだ。居心地の悪さが少し消えて、私はホッと息を吐いた。

 よし、お母様のところに行こう。

「リーネ、お母様のところに行きたいのだけれど」

「いいですよ。よく頑張られました。きっと褒めてくださるでしょう」

 私はリーネについて行って、お母様を見つけた。

「お母様、私、上手くできましたか?」

「あぁ、ミユ、えぇ、上手くできていたわ。すごいわね」

 褒められた…!

 とても嬉しい。忙しいお母様は、普段会えなくて、褒めてもらえることも滅多にないのだ。

「リーネ、ミユの頭を少し撫でてもいいかしら?」

 頭を、撫で、る?

「はい、軽くならば、髪も崩れないかと思います」

 撫でて、もらえる!?

 私の胸は喜びでいっぱいになった。幼い頃に一度撫でてもらっただけだったのだ。昔のことだが、とても心地良かったのを覚えている。

 お母様の手が伸びてくる。

 私は目を閉じた。期待と喜びに胸を満ち溢れさせて。

「あの、ミイ様」

 誰の声だろう……でも、きっとお母様に用があるんだ。「ミイ」はお母様の名前だから。

「ごめんなさい、少し待っていて」

 そうだ。母子の触れ合いは邪魔するものじゃない。お母様は私を優先するはずだ。

「ミユ、待っててね」

 ……え?

 私は咄嗟に目を開けた。お母様が離れていく。

 待って、待って。お母様。

 なんで。

 なんでなんで。

 久しぶり…なのに。楽しみにしていたのに。

 お母様は、私より

 

 お仕事の方が大事なのですか

 

 なんで、どうして

 ……

 リディアスだからだ。

 私はめまいがしたように床に座り込んだ。リーネが慌てて近づいてくるが、その手が私に触れる前に、私の疑問は、心は、爆発してしまった。


 私は、突き刺さる視線を受けながら、大声で泣き出した。


      ♦︎


「ミユ…?なんで泣いてるの?」

 私が会場に入った時、端の方でミユが座り込んで泣いているのが見えた。何か言っているようだが、遠くてよく聞こえない。

「お母さん、ちょっと行ってくる。」

「え、どこにっ!?あ、待って、ユミ!」

 私は腕を掴んでくるお母さんの手を振りきり、ミユの元へ向かった。人と人の間をすり抜けるように走る。まだ小学二年生の小さな体だからできることだ。お母さんは追ってこられないだろう。

「あ、すみませ…通してくださ、あ、すみま…」

 人混みの前に出た。ミユの姿がある。

「ミユ……」

 私は名前を呼んだ。でも、私の声はかき消される。何によって?

 ……ミユの、泣き声によって。

 ミユの嗚咽が響く。

「なんでっ、なんでぇっ」

 ミユは、一人で抱えてきたのであろう疑問を吐露し始めた。

「なんで、私はお母様にいつも会えないの?なんで私は自分の足で歩いて登校しちゃダメなの?なんで私はみんなから恐れられなきゃダメなの?なんで私は友達ができないの?なんで私は、なんで、私、は……」

 きっと、ミユ自身も疑問の答えは分かっているのだろう。でも、だからこそ、生まれてくる疑問がある。

「なんで私は、ミユなの?」

 いやだいやだいやだ。

 ミユは、自分であることに疑問を持っている。それが示すミユの思いは多分、こうだ。

 

 ミユじゃない方が良かった。

 

 小学二年生の彼女が思うにしては、あまりにも哀しい願いだった。

「みんなが言ってることも分かんない。人を生まれで判断しちゃダメなんじゃないの?人はみんな平等なんじゃないの?差別はダメなんだよね、でも、それって区別と何が違うの?他人が差別だって思ったら差別なんだって言うけど、それって、どうやってわかるの?それって、『あの人には言っていい言葉』と『あの人には言っちゃダメな言葉』ができるってことじゃないの?それは差別と言わないの?どうして?わかんない、わかんな…」

 ミユの言葉は止まらない。

 周りにはたくさんの大人がいるのに、誰一人、ミユの問いに答えられない。

 それでも、

「わかんないことをみんな、みんな言うけど、でも」

 ミユは、心優しい子だと、私は思った。

「私は、みんなが大好き。」

 ミユの泣き顔に、笑顔がのぞく。

「そう思う私の気持ちもわからない。」

 ミユは、何も分からない。

 ユミも、何も分からない。

 みんな、何も分からない。

 

 誰もが一度は思ったことがあるであろう疑問を、ミユは問い続けた。その言葉を止められる者はいない。  …否。

 私がいた。

 一歩踏み出す。そして、音を発する。この音はきっと、言の葉となりミユに届く。

 私に気付いてこちらを向いた、リディアスも何も関係ない、「ミユ」その人に言う。

 立場も学力も何もかもが違う私たちは、けれど名前が似ていて。

 それに、きっと

 

「ミユちゃん、お友達になろう」

 

 いい友達になれる

 私が差し出した手に、幼く優しいただ一人の少女の温もり(ぬくもり)が乗った。 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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