へそくりはバレないようにやりましょう
うふふふふふ。ここ最近の中で、私はトップクラスの喜びを感じている。なぜならば、歌のレッスンが公式に認めらたんたからね!
「褒めて遣わそう」、そう言われたときは額の青筋を押さえつけるのに精いっぱいだったが、歌のレッスン時間を確保してくれたことだし、ひとまずチャラにしておこう。
それにしても、神官長の歌はすごかったな……。
時は、先程の楽器演奏の時間に少し遡る。
ーー
「ふむ。なかなかの演奏だった。褒めて遣わそう。」
「……ありがとう存じます。」
「其方には、掃除終了から昼食の時間まで、楽師としての技術向上を命じる。私を落胆させぬよう、励むように。」
「ありがとう存じます!」
ーー
……温厚な私でなければ、神官長の顔がはれ上がって大問題になるところだった。幸いにも歌の練習の許可が出たことにより喜びが怒りに勝って事なきを得た。
「それにしても、其方の歌はあまり一般的ではないな。」
「そうですね。一般的な曲とはテンポが違います。さらに、神をたたえる歌が一般的なので、歌詞もあまり一般的ではないですね。」
神官長とユットゲーが、急にそんな話を始めた。一般的ではないが褒められているのか、けなされているのかは定かではないが、そういう話は私が退室してからしてほしい。
「そうだな。まあ、一般的ではないというだけで耳障りなものではないゆえ、批判を買うことはあまりないだろう。……だが、一般的な曲が必要となることもあるかもしれない。楽譜を与えて、練習させておくとするか。」
「神官長、流石に聞いたこともない曲を自力で取得するのは難しいかと思われます。」
「そうか? 私にはあまり経験のないことだが……。」
……いやいや、流石にそれは無理でしょ! 聞いたこともない、異世界の神をたたえる曲の楽譜を見て演奏できるようになれなんて、この顔だけの男は本気でそんなことを言っているのだろうか? それに、私には経験がないですって? ナルシストなのか素で言っているのかは知らないがとてもムカつく。
すると意外なことに、寡黙な帯剣神官から助け舟が出された。
「では、神官長が演奏なさって、この者に神官長の実力を示すのはいかがでしょうか。私にとっては、神官長の歌こそ至高です。」
「ふむ。別に、この者と張り合っているわけではないが、まあよかろう。パイル、シュトラウスを私に。」
まあ、随分と自信がおありのようだ。もはや、苛立ちを通り越して早く聞いてみたいとすら思っている。私はシュトラウスを丁寧に神官長に手渡した。
「では、『光の女神に捧げる歌』を。」
神官長は静かにそういうと、ビンッと心の深いところに響くような低い音をつま弾いた。そして、深く澄み渡るような声で歌いだした。
……な、なんてこと! とても、いやとんでもなくうまい! まるで、洗練されたテノール歌手のようだ。この声を聴いたら、どんな人でもとりこになってしまうのではないかと思えるほどの美声だ。加えて、シュトラウスもとんでもなくうまい。神にささげる歌のため、テンポはゆっくりでそれ程難しくなさそうに見えるが、音の一つひとつがしっかりとつま弾かれている。
これなら、あの余裕のある態度も納得がいく。私の歌を「なかなか」「まあまあ」と評したことも納得……いえ、しないわ!
私には再現できない、男性の美しい声色だ。だけど、私にだって積み重ねてきた時間と歌に対する思いがある。歌だけは、貴賎関係なくどんな人とも対等でいたい。誰にも負けたくない。だって、私は歌が大好きなのだから。
だけど、それと神官長の歌を称えないのは別の問題だ。神官長は歌い終わると、このくらい当然と言わんばかりに足を組んで椅子に腰かけた。2人の神官は、「流石でございます」と拍手を送っていた。
「これが『光の神に捧げる歌』だ。後で楽譜を渡すゆえ、弾けるようになること。」
「かしこまりました。神官長の御歌を拝聴出来たこと、真に光栄にございます。」
私は腕を胸の間で交差させて、跪き首を垂れてそう言った。素直に、感動した。身近にこんなすごい人がいるのだと、知ることができた。感謝を込めて、私は跪いた。
ということが、先程あったのだ。
よくよく思い返すと、昨日の執務の時間も人間の所業とは思えないことをしてたのかもしれない。私たち側仕えが作成した書類を一瞬見ては判を押していたから、適当に見ているのかと思っていいたけど、実はとんでもないスピードで書類をさばいていたのかもしれない。あの神官長は俗にいう、天才なのだろう。顔だけ男と思っていたけど、多才ゆえに性格が少しあれになってしまったのかもしれない。これからは大目に見てあげよう。歌のレッスン時間も確保してくれたことだし、神官長という主のために全力で仕事に励もう!
その日の午後。
昼食が終わり後は、18時まで執務の時間だ。端的にこの時間を表現すると、「長くてつらい」だ。だけど、不本意なことを強要されることに比べれば、遥かに健全で安全な労働だ。
すると、ユットゲー様が静かに神官長室に入ってきて、私に楽譜を手渡してきた。
「神官長から伝言だ。この3曲について、1週間で弾けるようになること、とのこと。加えて、私の歌を間近で聞いておきながらこの程度の曲も弾けない者はいらぬ、ともおっしゃっていた。では、私たちは所用があるゆえ、席を外す。しっかりと執務に励むように。」
「かしこまりました。」
ユットゲー様は私の返事を聞くと、いつもの人好きのする笑顔を浮かべながら静かに去っていった。
……落ち着くのよ、パイル。さっきの誓いを思い出すのよ。神官長は歌がうまく他にも才能にあふれている。顔だけではない、顔だけではない……。よし、なんとか自室の枕までこのフラストレーションは抑え込めそうだ。
コンコン。
部屋の扉がノックされた。うまく感情を抑え込んだ私は外行きの笑顔を浮かべて、扉を開いた。そこに立っていたのは、私のしならない灰色神官だった。まあ、側仕えになったばかりなのだから、知らない側仕えの方が多いのは当たり前だけど。
「何か御用でしょうか。」
「支払簿を持ってきました。ご確認をお願いします。」
「かしこまりました。お預かりいたします。」
支払簿。神官や巫女の神殿での生活費は、その3分の2が返還される。ちなみに、神官長や神殿長と言った役職付きでなければ、給料は出ないらしい。平の神官・巫女たちは、実家からの仕送りで生活しているとのことだ。つまり、この返還制度は平の神官・巫女たちにとって、生活のかかったある種の生命線なのだ。
私が任された仕事は、この支払簿の審査だ。神殿業務にかかわるか否か、そしてその必要性を審査するのだ。疑問があるところにはチェックをつけ、神官長に回す。神官長に回すのは、私が直接聞きに行っても、神官や巫女が孤児の私に素直に答えることはしないからだ。側仕えに聞こうにも、そもそも側仕えに知らされていない、こたえることができないということが多いのだ。
サインは、「リグルー」とかかれている。名前的には、神官かな。まだ慣れない作業だけど、わからなければアルミ―に聞いてもいいことになっているし、落ち着いて書類を確認していこう。神官や巫女にお金が返還されなければ、召し上げられた側仕えにしわ寄せがいくことも考えられる。それに、不備があれば神官長に何を言われるかわからない。真剣に、慎重に取り組んでいこう。




