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氷砕ける時  作者: 六福亭
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 残されたリートは、つまらなさそうにランプをいじっている。壊れる心配のないおもちゃがあれば、またチェロアのような面倒見のよさがあればいいんだけど。言葉の通じない幼い魔術師見習いに、僕はどう接したらいいだろう。

「リート君」

 とりあえず、リートと目線を合わせて話しかけてみた。リートは何度も瞬きして返事する。おぼつかない発音で。

「ヒヅリ?」

 思いがけず、じんわりと胸の中が温かくなる。オグマが呼ぶのを真似たのだろう。チェロアがあれこれと構ってやりたくなる気持ちが分かる。

 あどけない顔で見返すリートを、守りたくならない人間がどこにいるだろうか? 

「そう。僕はヒヅリ」

 自分を指差すと、リートは素直に繰り返した。

「ヒヅリ」

「君はリート」

「リート」

 端から見ればおかしなやり取りだ。ただ名前を言い合うだけ。大した意味も意義もない。一カ所に集められたぶどうの房のようなガラスの球に埋もれて二人、お互いをの名前を確かめ合っている。

 リートの顔は見ていて飽きない。深い青だと思っていた瞳は光の当たり具合で緑や紫に見えるし、何か喋るたびにこの子の小さな鼻や耳はぴくぴく動く。口から見える尖った歯は真珠のように真っ白だった。

 リートの師匠が寝ている間、楽しませてやりたいけれど、僕一人ではガラス細工を手伝わせられない。火傷させるのが怖いからだ。


では、完成したガラスの動物たちでおままごとは? 


 それも怖い。子どもと自分の作品を天秤にかけて後者が勝ってしまうのが、しがない職人の悲しいところ。

 立ち上がると、リートの視線がついてくる。つい目を逸らした先にしわくちゃの紙の束とインク壷がある。

 そうだ。手紙を書かなければいけないんだった。表も裏も辛うじてまっさらな紙を引っ張り出し、インク壷を振った。まだ固まってはいない。ハオマ草の汁と膠を煮詰めて作った特性のインクは、蓋を開けると強く臭った。何だろうと顔を近づけたリートが鼻から深く息を吸い込み、意外にも嬉しそうに笑った。チェロアやジョムは臭いと笑うけれど。

 このインクの作り方を教えてくれたのは、ガラス細工の師匠だった。教わったことは山ほどあってどれも今の生活に役立っているけれど、中でもこのインクは一風かわっている。

 材料を入れる順番や量が厳しく決まっていて、少しでも違えると叱責された。材料のうち半分は、鍋で煮る前に星の光にたっぷり晒さなければならない。火にかけた鍋をかき混ぜる間、僕たちは歌を歌った。そうしてほとんど二ヶ月もかけて、ようやく一瓶のインクが完成した。

 そう言えば、最後にそうやって作ってからもう一年も経つのだ。瓶の中身もかなり減ってしまった。瓶の底が見えている。

 これはどこにも売っていない特別なものだ。選ばれた人間しか読むことができない魔法がかかっている。ペン先をつけると黒かったインクはみどりに薄く光った。太陽の色だ。

 師匠の住まいに居候していた頃、このインクを使って特別な相手に手紙を出すやり方を学んだ。目ではなく心で読むのだと訳が分からないことを言っていた師匠を思い出す。

 だけど、このインクを使っている人は、師匠以外に見たことがない。

 横から細い指が伸びてきて、インクにそっと触れようとする。

「駄目だよ」

 軽くたしなめるとリートはすぐに手を引っ込めた。叱る口調の区別はつくということだ。まるで犬でも躾けているような気分である。

 オグマはまだ目を覚まさない。僕は床にうずくまって手紙をしたためる。リートは大人しくそれを見守っている。

 書くことはいつもおおかた決まっていた。時候の挨拶、相手への労り、軽くて嘘を織り交ぜた近況報告。それできっと相手は満足する。この町に戻ってきてからというもの、二ヶ月にいっぺんはこうして師匠に手紙を送っていた。書いているうちに懐かしさがこみ上げる。過ぎ去った修行の日々、決意と葛藤。その他のこと。

 リートは僕の字を興味津々で見つめている。紙が余ったら、お絵描きでもさせようか。

 半分くらい書き終えたところで、少しの間ペンを置いた。オグマはまだ眠っている。チェロアやジョムが戻ってくる気配もない。リートと僕だけがそこにいる。

 日は空を更に昇り、ぎらぎらとみどりの光を投げかけた。かなり汚い僕の文字が照らし出される。

 リートの、小さく息を吸う音がした。

「__……親愛なるティウ、僕の方は至って順調。じきに貴方を呼べるでしょう」

 僕は度肝を抜かれ、咄嗟に腰を浮かせた。だがリートはこっちには目もくれず、奇妙な無表情で紙を見つめている。小さな口がまた開いた。

「貴方が教えてくれたことは全て守っています。お互いの大切な人のためにすべきことをしています。僕も貴方も……」

 冷や汗が噴き出す。リートが今、すらすらと読み上げているのは。僕が書いていた文章に他ならない。


 驚きのあまり声も出なかった。どうして?


 言葉も分からないはずのリートが!

「……少し、予想外の事態が起きました。大したことじゃないけど。二人のお客様をあの家に住まわせているのです。まるであの時のミリそっくりな子どもと、」

 一字一句違わず声に出すリート。オグマが寝そべったまま呻いた。起きてしまったのだろうか? 誰にも手紙の内容は知られたくない!

 リートを止めなければ。夢中で伸ばした手が、弾みでインク壷をひっくり返した。こぼれたインクがあっという間に文字を塗りつぶす。しまった! 臍を噛んだけれど、リートはぴたりと口をつぐんだ。

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