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氷砕ける時  作者: 六福亭
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 乱暴に壁を叩く音、それから威圧的な物言いで呼ばわる男の声。しかも騒々しい長靴の音は複数だ。


 また、スナネコ団の奴らだろうか? きっと僕ら皆がそう考え、顔を見合わせた。


 しかし、ずかずかと入ってきたのはもっと厄介な連中だった。


 いの一番に乗り込んできて傲慢な目つきで家の中を品定めし、馬鹿にするように口元をひん曲げる男。抜き身の剣を右手に携え、上等の衣服に身を包んでいる。彼はまだ一言も発さず、僕たち一人一人に順番に冷たい目をやった。


 耐えきれずにジョムがくしゃみをした。途端に全員の目がそっちに向く。哀れな男だ。ジョムはすっかり縮こまってしまった。


 ナキシュニ隊長。僕は口に出さずに呟いた。


 今度は名前を間違えない。忘れられるはずがない。この町に住む者なら誰だって知っている。ただオグマだけは今もぽかんとしているかもしれない。


 身動きするのが怖い。それぐらい隊長の目は隙を見せずに僕らを包囲していた。僕はオグマたちがまた魔法で姿を消していることを願った。


 僕らの中で、一番勇敢だったのはチェロアだ。

「叔父上。どうしてここに?」

「善意ある町民から通報を受けたためだ」

「どういう意味でしょう?」

「とぼけるつもりか、我が姪よ」

 突然ナキシュニは僕の目の前に剣を突きつけた。思わずかなり情けない悲鳴が漏れる。薄暗い中で明かりを反射して、刃が光の輪を撒き散らす。

 こんな所で、僕たちを斬り殺すつもりか?

 アミールとして名を馳せたナキシュニの武勇伝の数々を思い出し、それもあり得ると戦慄した。よくよく見ると隊長はさりげなく、しかしじわじわと確実に足の踏む位置をずらし、人を一刀両断するのに最適な角度を測っている。刃の照り返しを受け、右手の人差し指の印章が鈍く輝いた。

 ナキシュニは剣の先をゆっくりとずらした。

「チェロア……お前は知っているだろうな。この剣は数多の裏切り者や悪魔を切り刻んできた」

 大胆にも一歩前に出た奴がいた。オグマだ。リートを背中に隠し、険しい顔でナキシュニを睨みつける。

「……だが、どれだけ人非人の血を吸ったとて刃は決して錆びはしない。今も次なる罪人の首を待ち焦がれている……さあ、今宵は誰がこいつを満足させてくれるのかな」

「誰でもありませんわ、叔父上。ここには罪人も悪魔もいません」

「それは両方間違いだ」

 ナキシュニが刃を定めたのは、オグマだった。

「なるほど、聞いていた通り。みすぼらしくさもしい顔つきの輩だ。おまけに雪領人ときた。血まで凍てついた鼻持ちならない人でなしめ」

 よく次から次へとそんな罵り文句が出てくるもんだ。ほんの少しだけ感心してしまう。

 オグマが不愉快そうに鼻を鳴らす。

「子どももいるはずだ。どこにやった? ああ……いたな。この虱たかった卑屈な餓鬼にこそ用事があるのだ」

「この子に触れるな!」

 声を荒げるオグマをナキシュニは押しのけ、隠れていたリートを無理矢理引きずり出した。

「私が長い異教徒との闘いの中で学んだことは三つ。その一、様子が変な人間は必ずやましいところがある。その二、やましい人間は即座に始末するべし。その三、最も醜く忌むべき魔物は、上手く人間に化けていてもこうすればたちどころに正体を現す……」

 ナキシュニが取り出したのは、くすぶった煙草だった。紫の煙が出ているそれをリートの鼻先に押しつけた。

 途端にリートは絶叫した。朝の雄鳥のような甲高い、恐ろしい声だ。その叫びはナキシュニ自身がリートの口を乱暴に塞ぐまで途切れることなく続いた。

「魔物……?」

 ジョムが呟く。「リートが?」

「そうだ。気づかなかったのか? こいつらはずっと君たちを騙していた」

 僕たちはオグマを見た。彼の焦りと怒りに歪んだ表情を認めてから、リートの様子を窺った。声を出せずに悶絶している以外は、普通の男の子に見える。だが、僕の頭に浮かんだのはいつかの奇妙な振る舞いだった。

 オグマがナキシュニからリートを奪い返す。まだ震えているリートの鼻を手ぬぐいで覆い、落ち着かせようと背中をさするオグマにナキシュニが尋ねた。

「姪たちをこいつの生贄にするつもりだったのか?」

「違う!」

 オグマは僕たちに向かって叫ぶ。

「信じてくれ、危害を加えるつもりはなかった! 今も、これからも」

「お前たちに“これから”はない」

 ナキシュニが合図をすると警吏がぞろぞろと入ってくる。たちまち家は満員だ。オグマからリートを力ずくで引き離し、鎖で後ろ手に繋いだ。

「叔父上……リート君たちをどうするつもりなの?」

 チェロアが聞いた。僕も強い興味を惹かれてナキシュニを見る。

「穢らわしい血や骨も残さず、生きながら燃やしてくれよう。魔物にはこの手に限る……都の夏至祭を思い出すね」

 寧ろ楽しそうにナキシュニはそう答えた。言葉が出ない。英雄と崇められたアミールのおぞましい一面を堂々とさらけ出されて、身内のチェロアですら引いていた。

 ”ナキシュニ隊長にはがっかりした。こんな人だと思っていなかった。”チェロアは昨夜そう言った。今なら僕はこう返事する。ここまで残酷な人だとは思っていなかった。

 縛られたオグマがもがき、ナキシュニを燃えるような瞳で睨む。

「人殺しをそうやって自慢するなど、反吐が出る」

「人ではなかった、あれは」

 ちっとも動じた様子を見せずに、軽く答えたナキシュニは、それでもオグマの腹に強い蹴りを入れた。

 痛みにうずくまったところをすぐに引き起こされたオグマは、もう何の表情も浮かべていなかった。一度だけ僕らを振り向き、色のない目を瞬かせて何も言わずに顔を背けた。

 ナキシュニはオグマたちを連行させ、自分は一人僕の家に留まった。

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