18
乱暴に壁を叩く音、それから威圧的な物言いで呼ばわる男の声。しかも騒々しい長靴の音は複数だ。
また、スナネコ団の奴らだろうか? きっと僕ら皆がそう考え、顔を見合わせた。
しかし、ずかずかと入ってきたのはもっと厄介な連中だった。
いの一番に乗り込んできて傲慢な目つきで家の中を品定めし、馬鹿にするように口元をひん曲げる男。抜き身の剣を右手に携え、上等の衣服に身を包んでいる。彼はまだ一言も発さず、僕たち一人一人に順番に冷たい目をやった。
耐えきれずにジョムがくしゃみをした。途端に全員の目がそっちに向く。哀れな男だ。ジョムはすっかり縮こまってしまった。
ナキシュニ隊長。僕は口に出さずに呟いた。
今度は名前を間違えない。忘れられるはずがない。この町に住む者なら誰だって知っている。ただオグマだけは今もぽかんとしているかもしれない。
身動きするのが怖い。それぐらい隊長の目は隙を見せずに僕らを包囲していた。僕はオグマたちがまた魔法で姿を消していることを願った。
僕らの中で、一番勇敢だったのはチェロアだ。
「叔父上。どうしてここに?」
「善意ある町民から通報を受けたためだ」
「どういう意味でしょう?」
「とぼけるつもりか、我が姪よ」
突然ナキシュニは僕の目の前に剣を突きつけた。思わずかなり情けない悲鳴が漏れる。薄暗い中で明かりを反射して、刃が光の輪を撒き散らす。
こんな所で、僕たちを斬り殺すつもりか?
アミールとして名を馳せたナキシュニの武勇伝の数々を思い出し、それもあり得ると戦慄した。よくよく見ると隊長はさりげなく、しかしじわじわと確実に足の踏む位置をずらし、人を一刀両断するのに最適な角度を測っている。刃の照り返しを受け、右手の人差し指の印章が鈍く輝いた。
ナキシュニは剣の先をゆっくりとずらした。
「チェロア……お前は知っているだろうな。この剣は数多の裏切り者や悪魔を切り刻んできた」
大胆にも一歩前に出た奴がいた。オグマだ。リートを背中に隠し、険しい顔でナキシュニを睨みつける。
「……だが、どれだけ人非人の血を吸ったとて刃は決して錆びはしない。今も次なる罪人の首を待ち焦がれている……さあ、今宵は誰がこいつを満足させてくれるのかな」
「誰でもありませんわ、叔父上。ここには罪人も悪魔もいません」
「それは両方間違いだ」
ナキシュニが刃を定めたのは、オグマだった。
「なるほど、聞いていた通り。みすぼらしくさもしい顔つきの輩だ。おまけに雪領人ときた。血まで凍てついた鼻持ちならない人でなしめ」
よく次から次へとそんな罵り文句が出てくるもんだ。ほんの少しだけ感心してしまう。
オグマが不愉快そうに鼻を鳴らす。
「子どももいるはずだ。どこにやった? ああ……いたな。この虱たかった卑屈な餓鬼にこそ用事があるのだ」
「この子に触れるな!」
声を荒げるオグマをナキシュニは押しのけ、隠れていたリートを無理矢理引きずり出した。
「私が長い異教徒との闘いの中で学んだことは三つ。その一、様子が変な人間は必ずやましいところがある。その二、やましい人間は即座に始末するべし。その三、最も醜く忌むべき魔物は、上手く人間に化けていてもこうすればたちどころに正体を現す……」
ナキシュニが取り出したのは、くすぶった煙草だった。紫の煙が出ているそれをリートの鼻先に押しつけた。
途端にリートは絶叫した。朝の雄鳥のような甲高い、恐ろしい声だ。その叫びはナキシュニ自身がリートの口を乱暴に塞ぐまで途切れることなく続いた。
「魔物……?」
ジョムが呟く。「リートが?」
「そうだ。気づかなかったのか? こいつらはずっと君たちを騙していた」
僕たちはオグマを見た。彼の焦りと怒りに歪んだ表情を認めてから、リートの様子を窺った。声を出せずに悶絶している以外は、普通の男の子に見える。だが、僕の頭に浮かんだのはいつかの奇妙な振る舞いだった。
オグマがナキシュニからリートを奪い返す。まだ震えているリートの鼻を手ぬぐいで覆い、落ち着かせようと背中をさするオグマにナキシュニが尋ねた。
「姪たちをこいつの生贄にするつもりだったのか?」
「違う!」
オグマは僕たちに向かって叫ぶ。
「信じてくれ、危害を加えるつもりはなかった! 今も、これからも」
「お前たちに“これから”はない」
ナキシュニが合図をすると警吏がぞろぞろと入ってくる。たちまち家は満員だ。オグマからリートを力ずくで引き離し、鎖で後ろ手に繋いだ。
「叔父上……リート君たちをどうするつもりなの?」
チェロアが聞いた。僕も強い興味を惹かれてナキシュニを見る。
「穢らわしい血や骨も残さず、生きながら燃やしてくれよう。魔物にはこの手に限る……都の夏至祭を思い出すね」
寧ろ楽しそうにナキシュニはそう答えた。言葉が出ない。英雄と崇められたアミールのおぞましい一面を堂々とさらけ出されて、身内のチェロアですら引いていた。
”ナキシュニ隊長にはがっかりした。こんな人だと思っていなかった。”チェロアは昨夜そう言った。今なら僕はこう返事する。ここまで残酷な人だとは思っていなかった。
縛られたオグマがもがき、ナキシュニを燃えるような瞳で睨む。
「人殺しをそうやって自慢するなど、反吐が出る」
「人ではなかった、あれは」
ちっとも動じた様子を見せずに、軽く答えたナキシュニは、それでもオグマの腹に強い蹴りを入れた。
痛みにうずくまったところをすぐに引き起こされたオグマは、もう何の表情も浮かべていなかった。一度だけ僕らを振り向き、色のない目を瞬かせて何も言わずに顔を背けた。
ナキシュニはオグマたちを連行させ、自分は一人僕の家に留まった。