15
夜になると随分寒くなる。上着をもう一枚羽織って正解だった。騒いでいた子どもたちの声も少し落ち着いたかな。だけどバザールの方向からは色とりどりの灯りがいくつも明滅しているのがぼんやりと分かる。
祭りに向けて町の住人はほぼ皆、何かしらの仕事を担っている。それは義務というよりはむしろ誉れだった。なにしろ、子どもの頃から親しんでいる祭りの運営に貢献できるのだ。ジョムの父親などは、食堂や息子よりも夏至祭の方に大きな愛情を注いでいるといっても過言ではないと聞いた。一方ジョムも、幼い頃から、大人たちと揃いの衣装をまとって儀式の手伝いに励んでいた。だから大人になっても、当然のように裏方の手伝いにまで加わることができる。僕らは今も昔もそれを遠巻きに眺めるだけだったけど。
歩きながら、自分の足取りが異様に重いことに気がついた。ジョムの前では冷静に振る舞っていたけど、自分で思うよりも遙かに動揺しているのだ。
それは、オグマへの罪悪感だけからくるものではない。費やした時間が無駄になることへの憤りでもない。ただ……思い出しただけだ。自分はいつまでたってもこの町ディルムにとってはよそ者で、誰にも必要とされていない存在だということを。
自分たちが最初にこの町にやってきたのは、十五年も前のことだ。兄弟と二人きりで、乱暴な両親から逃げてきた。それまでの日々は、二人とも理不尽な暴力と餓えでどうしようもなく惨めだった。(だから、子どもに触るのが今でも怖い)父親は泣きじゃくっている赤ん坊の横でも、平気で深酒をしては平手打ちを食らわせた。母親は僕たち兄弟に興味がなく、かんかん照りの野外に置き去りにして自分だけ街に遊びに行くこともしょっちゅうだった。兄弟を死なせてはならない。その思いだけで涙をこらえ、慣れないおんぶをして長い距離を歩いて帰った。
何かが変わると信じて逃げ込んだディルムは、自分たちには決して友好的ではなかった。
チェロアやジョムがいるから、今はこの町でひっそりと暮らすことはさほど苦痛ではない。それでもふとしたことで、自分の危うい立場を嫌になるほど実感する。
ナキシュニ隊長は、いつ自分の素性を知ったのだろう。白い息を吐きながらぼんやりと考えた。出戻ってから彼とは一度も顔を合わせていない。昔の自分を知っている人間には気づかれないように注意して暮らしていたつもりだったけど、この狭い町の中ではやはり無理があったか。チェロアやジョムが話したとは思いたくない。エインらスナネコ団の誰かが漏らしたのだろう。
「こんばんは?」
後ろから軽やかな女の声がした。僕は構わず足を進めた。今は誰かと話したい気分じゃない。
だけど、
「兄さんったら!」
それはチェロアだった。ランプを持ってにこにこ笑っている。
「そうか、夜回りだっけ」
「ううん、そっちはサボる。兄さんを追っかけてきたの」
「何でだよ」
「会いたかったでしょ?」
「さっきまで会ってたじゃないか」
「でも、皆と一緒だったもの」
チェロアは当然のように僕の隣に並んだ。
「オグマさんが来てから、すっかり生活が変わっちゃった」
「チェロアは楽しんでると思っていたけど」
「勿論楽しいわ。でも、たまにこうやってあなたと二人になりたくなる」
「それ、ジョムには言わない方がいいね」
チェロアはくすくす笑った。僕たちの愛すべき親友を馬鹿にしている訳じゃない。決して。
チェロアと一緒にいると、孤独や疎外感を感じなくて済む。月のない夜道を歩くのに余計なことを考えなくていいのは大変にありがたいことだった。
「どこにいくつもり?」
「氷の木を見に行こう」
さっきから決めていたことだった。夏至祭の前に、町の心臓たる大木に会いに行く。この傷心をいくらかでも癒してくれるかもしれない。
「きっと人が沢山いるわよ」
「遠目で見るだけでいいよ。ナキシュニ隊長に出くわしたらことだしね」
チェロアの足が止まった。今度は僕もそれに合わせる。さっきの僕よりもきっと辛そうな顔でチェロアは囁いた。
「隊長にはがっかりしたわ。あんな人だとは思わなかった」
「僕は前から知ってる。気にしてないよ」
「あの人、どうして昔からああなの? 誰のことも信用しないで、町の民を締めつけることばかり考えているのよ。それなのに、皆は英雄だと崇めている。あの人が町を何から守ったっていうのかしら」
「隊長はある意味では正しいことをしてるよ。僕は実際によそ者だし、オグマさんたちもやっぱりどこか胡散臭いし」
「そんなこと思ってたの?」
非難するような口調とは裏腹に、チェロアの目は笑っている。
「リート君がおかしかった話、してなかったっけ?」
僕はチェロアに昼間の手紙の一件を話した。彼女はちょっと驚いたような顔をしてから、溜息まじりに呟いた。
「それ、何だか懐かしい」
「何だって?」
「ミリにもそんなことがあったわ」