10
……今のは、一体何だったんだろう。リートは座って微動だにしない。今までの印象はすっかり変わってしまった。光のあたり具合で色がくるくる変わるオパールのような瞳も、精巧な人形のように整った眉毛や睫毛さえも、そこはかとなく不気味だった。
僕はなるべくリートのその目を見ないようにして、ぐっしょり黒く濡れた手紙を調べた。折角書いたのに台無しだ。インクだってもうなくなってしまった。だけど……今はとても、これからのことなど考えていられない。
リートは確かに、僕にも分かる言葉を話した。これまで話せないふりをしていたのか?
「リート君。僕の言うことが分かる?」
肩を掴んで問いかけても、リートは答えない。あえて黙っているようにもきょとんとしているようにも思えた。
「今のは……何だったの」
返事はない。誰か説明してくれるとすれば、呑気に寝こけているオグマだろう。僕はオグマの体に手をかけ、軽く揺さぶった。
「オグマさん?」
「うーん……」
不明瞭に唸りながらも、オグマは素早く上体を起こした。
「どれぐらい寝ていた? それに、何があった?」
慌てて周りを見回し、リートを見つけてようやくオグマは力を抜いた。
「悪戯でもされたかね?」
「いや……悪戯……というか……」
オグマは白い眉毛をしかめた。
「何があった?」
少し迷ったけれど、僕は手紙の残骸を見せた。
「それは?」
「僕が書いていた手紙です」
ほとんど黒く滲んだ紙をしばらく睨み、オグマは首を振った。
「俺には読めない」
「インクをこぼしちゃいましたから」
「いや。そもそもこの字が読めないんだ」
「それはつまり……その……読み書きができないと?」
「ほぼ」
恥じることもなくオグマは手紙を返した。
「で? これがどうした?」
「あ、はい。じゃあリート君もこの字は読めないですよね?」
「まだ教えたこともないからな」
だったらますます意味が分からなくなる。オグマにさっきの出来事を聞かせると、リートの頭をなでながら考え込む。
「……なるほど。そんなことがあったのか」
「今までは?」
「いや、初めてだ。だが心当たりがないわけでもない」
「どんな?」
「それは……ま、おいおい話すよ」
はぐらかされ、僕もそれ以上追及しない。これも魔法の一つなのだと無理に自分を納得させることにした。そのうち話すというならば急かす必要もないし、むしろ下手に問い詰めて手紙の内容を探られても困る。
沈黙が落ちると、外の物音が一層はっきりと聞こえてくる。町の子どもたちの賑やかな歓声、駆けていく足音、荷物を運ぶ馬の鼻息や蹄の鳴る音。時折空気を裂く鞭のしなりにリートが身をすくませる。あんなに遠く離れているのに。
祭りに向かって、町全体が浮き足立っているのがこの家からでも分かる。六日前ともなれば当日まで催し物が続く。儀式ではあるけれど、厳格なしきたりなんて皆とっくに忘れて、ただ楽しいだけの祭りだ。
僕はリートをオグマに任せ、再び牛の制作にとりかかる。夕暮れまでには家が完全に牧場になった。