44.もう油断はしない
「馬鹿な……お前、まさかアスラが来ると思って飛び降りたのか!? そんな酔狂な自殺があるか!」
「……だが、俺は来た」
ギルドの屋上。そこに立ってワイズマの言葉に答えた俺は、リーリアをゆっくりと下ろした。
「その腕と足、あいつにやられたのか?」
「うん。でも、私は大丈夫、それより――」
リーリアが指したのはカマキリの卵だ。遠巻きにも見えた、禍々しい物体。
「あれが孵ったら街が危ない! 残り時間はもう5分くらいしか残ってないのに!」
「チッ、余計なことをベラベラと……だが、それを知ったところでどうにもなりはしない! 今の僕の実力は、Sランク相当――」
「<疾風怒涛翔>」
刹那、俺はワイズマの胴体に蹴りを叩きこむ。
腹部に足がめり込み、ワイズマは胃の中身を吐き出してふっとばされた後、卵に直撃した。
「……さすがにワイズマをぶつけたくらいじゃ壊れないか。かなり硬いな、あの卵」
「がはっ、がはっ……! な、なぜだ!! なぜ僕がこんなにあっさり吹っ飛ばされた!?」
「簡単な話だ。お前が俺より弱いから。ただそれだけだ」
立ち上がろうとするワイズマに、俺は一歩ずつゆっくりと近づいていく。
「……しかし、残り5分のうちにお前を倒せなくちゃいけないのか」
「そうだ! 確かに今の一撃は筋がよかったが、それまでに僕を倒せるとは限らない」
「そうじゃない。お前をたった5分しかいたぶれないのかと思ってガッカリしてるんだよ」
リーリア。ロゼリア。黒き雨粒の4人。ミサ。その他にもこいつが傷つけてきた相手の数は計り知れない。
「お前はこの街の人を馬鹿にしすぎた。さっき言ったよな、死ぬほど苦しませてから地獄に落とすことにしたって」
「やれるもんなら、やってみろやああああああ!!」
ワイズマは怒り狂って鎌を振り上げ、こちらへ走ってきた。
「はあああああッ!」
ワイズマが鎌を嵐のような勢いで振り回し、俺を切り裂こうとして来る。
剣で弾き返すたびに、高い金属音が鳴り響いて火花が視界の横に飛び散る。
まるで車輪を相手にしているようだ。Sランクを自称するだけはあるな。
「す、すごい……! 太刀筋が追えない!」
「<烈火怒涛>!」
激しい膠着の中で、炎を浴びたワイズマが怯む。
俺はその隙を見逃さない。剣で斬り上げ、鎌を斬り落とす。
「ぎゃああああああああ!!」
宙を舞うワイズマの腕の鎌。ぼとりという音を立てて屋根に落ちると、そのまま転がっていってしまった。
「ま、また僕の腕が……ッ!!」
「もう油断はしない」
<氷結怒涛>で首から下を氷漬けにすると、俺は剣の切っ先をワイズマに向け、問いかける。
「残った腕と足、どっちを取る?」
「ふざっけるな、そんなの答えられるわけないだろうがああああああ!!」
「じゃあ全部だ」
<烈火怒涛>を発動してワイズマの氷を解かすと斬撃でワイズマの腕と足を全て切断した。
「あああああああああ、ああああああ!!」
出血しないように傷口を凍らせると、地面に転がるワイズマの体を踏みつける。
子どもの頃、虫を殺して遊んでいる奴がいたっけ。今でも何が面白いのかは理解できないが――あれを思い出すな。
「この偽善者が!! お前は僕と一緒だ!! お前だって、こうやって自分の嗜虐心を満たしてるだけだろうが!!」
「ああ、俺は偽善者だ。昔から、弱いくせにお節介して煙たがられたよ。だが――俺にしか見えないものがあるってわかったんだ」
黒い塵になって消えたラグルクの最期。もし俺が<隠しクエスト>に目覚めなければ、あんなことにはならなかったかもしれない。
それでも、それが俺にしか見えないものなら、俺はそこから目を背けたくない。
起こった現実を全て背負って、自分の果たすべき偽善者という役割を演じるんだ。
俺は懐から小瓶を取り出した。中身は真っ黒な液体で満ちている。
「な、なにをするつもりだ!?」
俺は小瓶の蓋を開けると、ワイズマの体に振りかけた。
真っ黒な液体は、まるで雨のようにワイズマを濡らすと――たちまち、ワイズマの体から浮き出た血管を引かせていった。
「まさか……あの錠剤の効果を打ち消したのか!?」
「ああ、ブラックレインとの戦いで対抗するための薬は完成はしていたからな」
皮肉なものだ。この液体の色が黒だなんてな。
真っ黒な雨粒たちが、ワイズマを人間に戻していく。見た目ではわかりづらいが、奴はもう元の人間だ。
「ハッ――そんなことをして何になる!? 今さら僕に哀れみでもかけるつもりか!?」
「いいや違う――俺は偽善者だからそんなことはしない。お前のことをブチ殺してやるんだよ」
「まさかお前……僕をモンスターから人間に戻したうえで、とどめを刺そうってのか!?」
「ああ。そっちの方が、お前が感じる痛みの量が多そうだからな!」
「あああああ!! この鬼畜野郎があああああああ!!」
……と、その前に。
「リーリア!」
「え、ここで私!?」
驚くリーリアの方を向き、俺は尋ねた。
「――あの時、俺に言おうとしたこと、教えてくれないか?」




