35.ワイズマの本性【SIDE:リーリア】
『お姉ちゃんの手を握って。絶対に大丈夫だから』
お姉ちゃんはいつもそう言って、私に右手を差し出した。
私は左手でその手を握り、前へ進む。
『リーリアは、自分の好きなように生きていいんだよ。お姉ちゃんのことは気にしなくていいから、遊んでおいで』
お姉ちゃんは私にとっての光だった。
私は泣き虫。でも、お姉ちゃんが泣いているところなんて一度も見たことがなかった。お姉ちゃんは私を慰めて、いつも頑張っていた。
ロゼリアが眠りについたのは、私のせいだ。今度は私が――お姉ちゃんを助ける番!
「お姉ちゃん、薬持ってきたよ!」
急いで病院に駆け込んだ私は、寝たきりのお姉ちゃんの傍らに座り、ビンの蓋を開けた。
口を開け、液体を流し込み、嚥下させる。解毒液が喉を通るのを見ながら私は祈った。
「――ここ、は……」
数秒後。お姉ちゃんは目をぱちりと開けたかと思うと、ゆっくりと起き上がった。
お姉ちゃんは私の顔を見つめて、首を傾げた。
「あなたは……誰、ですか?」
「私はリーリア・ミスレイン。あなたの名前はロゼリア・ミスレイン。私たちは、姉妹なの」
「ごめんなさい、私何も覚えてなくて……あなたのことも思い出せそうになくて――」
私は黙ってお姉ちゃんの右手を握った。
「……あれは、あなただったんですか?」
「あれって、何?」
「眠っている間、私はずっと真っ暗な沼のような場所に溺れていたんです。光が届かなくて、怖くて震えていた時――誰かが私の手を取って引っ張ってくれた気がしたんです」
『ちょっと触るぞ』
――そうだ。あの時、アスラがお姉ちゃんの手を握っていた。
「でも、あれが誰だったのかはわからなくてもいいかもしれないですね。だって、リーリアの手を握っていると、心が温かくなりますから」
お姉ちゃんはそう言って私の手をぎゅっと握り返した。
あの時と同じ温度。柔らかい手のひら。欠けていたピースがはまったような感覚。
『リーリア、また泣いてるの?』
『泣いてなんか、ないもん……』
優しく頭を撫でてくれたあの手。懐かしい記憶。
「リーリア、なぜ泣いているんですか?」
やっと、全てが終わった――。
「泣いてなんか、ないもん……」
「素敵な姉妹愛ですね」
その時、背後で男の声がした。
この診療所のお医者さんだ。私も何度か顔を合わせたことがある。
「先生! お姉ちゃんが――ロゼリアが目を覚ましたんです!」
「それはよかった、では確認してみましょう」
先生と話をしていると、お姉ちゃんの手が震えているのがわかった。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「あ、あの人を見てると、体が、震えて――」
先生の方を振り返った時、彼の手が私の首を掴んだ。
刹那、まるで喉を焼かれたような痛みが襲ってきた。
「あ、あ、ああああ……」
声が出ない。その場に座り込んだ私は、喉を抑えてむせかえった。
「まったく余計なことをしてくれましたね……どこで解毒薬なんて手に入れたんですか? まあ、答えられないと思いますけど」
先生――ワイズマは逃げようとするお姉ちゃんの髪を掴むと、下卑た笑いを浮かべた。
「お久しぶりです、ロゼリアさん。僕のことは覚えてないですよね。でも、あなたは僕に恩があるんです」
「恩……?」
「ええ、そこにいる妹さんと一緒に暮らすための生活費が足りないとかで、借金をしたんです。最初に僕に頭を下げてきたのは16歳の時――まだ幼いのに必死に頼み込むあなたの姿は感動ものでしたよ」
だが、とワイズマは付け加える。
「20歳になって、あなたは初めて借金の返済が遅れた。僕との約束を破ったんです。だから罰を受けてもらうことにしました」
ワイズマは自分の右手を恍惚とした表情で眺めると、手のひらをこちらに見せてくる。
「僕のスキルは<毒を以って制する>。手のひらで触れることで、相手に毒を浴びせることや、逆に解毒することも出来ます」
「ま、さ、か……」
「ご名答。ロゼリアさんが昏睡していたのはこの能力によるものです」
「あ、ああ、あ……!!」
ふざけるな。こんなこと、人間がやっていいことじゃない。
怒りで叫びたいが、喉が焼かれていて声が出ない。私はただ涙を流すだけだ。
「僕にとって最も大事なものは約束です。だから、約束を破られたら相手の一番大事なものを奪うことにしています。ロゼリアさんにとって一番大事なものは、妹と作った思い出なんですって」
まさか――まさか、こいつ!
「だから、思い出を奪うことにしたんです。残念でしたねえ! あなたの大切な記憶は! 酸いも! 甘いも! 何一つ残っちゃいない!」
ワイズマはくるりと私の方を向きなおすと、にたりと笑った。
「後3年は眠ってもらって、ロゼリアさんには利息で膨れ上がった借金を返してもらう予定だったのに。あなたのせいで計画が狂ってしまいましたよ。リーリアさん、あなたにとって一番大事なものはなんですか?」
嫌だ――嫌だ嫌だ嫌だ! 私たちの幸せを、こんな奴に奪われたくない!
……なんで私はいつも、何もできないんだろう。
お姉ちゃんやアスラに寄りかかって、私は貰ってばかり。そして何もできないまま――また失っていく。
「聞くまでもありませんよね! あなたにとって一番大事なものは――」
ワイズマがお姉ちゃんの方に向き直る。右の手を振り上げて、お姉ちゃんの頭を鷲掴みにしようとする。
「や、めえ、て……」
その時だった。
「そんなの、俺に決まってるだろ?」
窓ガラスが割れ、ワイズマの体が後方へ吹っ飛ぶ。
窓から入ってきたのはアスラだった。




