01EX-01_|橘《たちばな》|樹《たつき》が町中で[隠密]の魔術を使っていても逮捕されない理由
いつものように橘樹が≪果てへと至る修錬道≫にて修練に励んでいるある日のこと。
「ねえ、愛染さん」
とりとめのない会話の隙間で、かなり大事なことをスルーしていたと唐突に気付いた豊饒果恵が人型の魔術生命に真面目な顔を向ける。
「はい。なんでしょう果恵さん」
真剣な眼差しを受け止める、橘家の留守を預かる人型魔術生命の愛染。
「樹のやつがさ、町中でも隠密? だかの魔法――いや魔術? を使ってるのって違法だよね。それだけじゃなくて、魔法の発動を察知するセンサー誤魔化してるのは結構な重犯罪じゃなかったっけ?」
豊饒果恵や橘樹の生まれ育った日本という国は、“開門”から始まる未曾有の混乱に際して国民の最低限の生活を守るために、その時点では未知ながらも無視できない利便性をすでに明らかにしていた“魔法”という降って湧いたような存在を活用せざるを得なかった。
人々の生活に欠かせない水を、火を、電気を、大規模な施設を必要とせず手に入れられる魔法は、大規模な災害に見舞われ復興どころかライフラインの仮設の目処すら付けられないような情勢下に於いて数えきれないほどの命を救った。
加えて重機に匹敵する力も個人に与え、一時の混乱を乗り越え秩序を取り戻した社会にちょっとビビるくらいの労働力をもたらした。特別な訓練を受けていない成人女性十人が、雑談交じりに、素手で、普通乗用車を持ち上げ運搬するのは、魔法なしでは考えられない光景だ。
慣れれば何もないところから什器を作り上げることもできるのもめっちゃ便利。
But しかし However とはいえ。
魔法というものは、同時に銃器に匹敵する力を個人に与えるものでもあった。
単純な話、『特別な訓練を受けていない成人女性十人が、雑談交じりに、素手で、普通乗用車を持ち上げ運搬できる』筋力的サムシングを得たとなると、イラっとした弾みで人を殴り殺しかねない。況や訓練を受けた女性ともなれば、素手で熊を狩猟した実例すら存在する。
そんなわけで、“開門”から復興した日本国内の人口密集地には、魔法発動を察知するセンサー類が張り巡らされている。
テストの点数悪かったし燃やしちゃおうなどという考えで人目のない路地に入りちょちょいと魔法で答案用紙に火をつけると、凄まじい速さで警察が文字通り飛んできて警告無しに意識を刈り取られる。その後は目と口を塞がれ拘束された状態で読心尋問が行われ、魔法そのものに対するトラウマを抱えることになったりもする。毎年十人を超えるバカが経験している。
私有地や各家庭における魔法の使用は一定ラインまで合法だが、公共の場や道端で魔法を使うとなると、それくらい魔法の取り扱いは厳しい。
翻って件の橘樹少年。
九歳ごろに拾った≪[隠密]の【アームバンド】≫の魔術を常用し、少しばかり愛情が溢れそうな養母の認識すら誤魔化すほど強い魔術的影響を周囲に及ぼしている。
当年十七歳である以上、まる八年は司法の手から逃れ続けている重犯罪者である。言い逃れのしようもないね。
「うぅん……端的に言ってしまうと、現在のこの国の技術力では察知されないくらい若旦那のあの魔具はすごいんですよ。万が一にもあり得ませんが、もし[隠密]の魔術が原因で若旦那が逮捕された場合は、そんな危険な魔具を手に入れられるダンジョンを放置していた政府の管理責任を追及する形でうやむやにする予定です」
「ああ、うん……犯罪であることに変わりはないのね」
「見方は人それぞれですよ」
つまり、橘樹は自覚がないだけで一発アウトな犯罪者ということだった。
「ママには言えないわぁ」
「あと、家の敷地は高魔素環境や非生活用魔法使用の申請をしていますけど、敷地は敷地で≪[隠棲][隠蔽][領域]の【アームレット】≫により簡単には精確な認識ができないようにしてあるので、申請済みとはいえ魔術の強度的にほとんど黒のグレーですね」
豊饒果恵は、調査されたらかなり面倒なことになりますとの愛染の言葉を聞かなかったことにした。
≪[隠密]の【アームバンド】≫
§それはアームバンドである§
§それは人の知覚から隠す§
≪[隠棲][隠蔽][領域]の【アームレット】≫
§それはアームレットである§
§それは俗世から逃れている§
§それは静かに暮らしている§
§それは住居である§
§それは隠されている§
§それは他のもので覆われている§
§それは領有されている§




