01-01
学校から帰宅した後は手早くアンダーウェアを着て、その上にライディングパンツとジャケットを着る。
少し前までのとりあえず拾ったもので間に合わせる時期は終わったと、全身で実感できるこの時間が最近のお気に入りだ。
高校二年になってようやく成長期が終わったのか体型の変化が落ち着いたので、しっかりとした上下を買い揃えることができた。
もう少し様子を見るものの、筋肉をつけて、つけた筋肉を最適の動作と負荷で締め上げてを繰り返していく段階に基礎訓練を進展させられる日も近い。
師匠方にはあまり急がないようにと常々指導されてはいても、基となる身体能力を増強できればダンジョンの更に先へと進むことができるのだ。
ダンジョンダイブをライフワークとしていくつもりで長期的計画を立てて自身を育成する最低限の理性はあっても、前のめりになりがちな自分の青さも理解しているつもりだ。
上々の気分で家を出て、裏庭を挟んだ旧祖父母宅と並べて建てられた蔵へ向かう。
気づけば養母さんとはすっかり顔を合わせる機会もなくなったが、以前は分かれていた敷地の余分な塀を取っ払ってくれたのは通るたびに感謝している。
あちらから声をかけてくることはなくなったとはいえ、たまには美味しい物でも用意してこっちから顔を出すべきかもしれない。同じ敷地内のお隣さんなんだし。
生前の祖父母が終の棲家とした家の蔵をこの世界での容れ物として発生したダンジョン≪果てへと至る修錬道≫は、ただ只管に自身を鍛えるための特殊なダンジョンだ。
ダンジョンに入ってすぐのエントランスホールには、様々な戦闘手段を六種に分けてそれぞれを指導してもらえる空間へ続く扉が並んでいる。
間隔を置いて左右三つずつ並ぶ扉の真ん中は大きく空間が開けていて、先の壁には修めた技術を実践するための他所のダンジョンに近い空間へ続く廊下が伸びている。
六つの扉と一つの廊下の先にある七つの空間が、このダンジョンの主体である≪修錬道≫だ。
そしてダンジョンに入ってすぐ振り返ると……近すぎて見えないが、ダンジョンに入ってそのままもう少し進んだ後に振り返ると二メートルくらい上がったところに並ぶ四つの≪神壇≫が見える。
≪神壇≫は四つの内一つだけ使える≪[開示]の【神壇】≫で≪[開示]の【神壇】≫そのものを確認したところ――
≪[開示]の【神壇】≫
§それは神に近づく場所§
§それは明らかにして示す§
――となっている。
その機能から判断するなら神様と関係あるのだろうが、“開門”後十数年経っても神様が関連した確度の高いニュースは見た覚えがない。ヤバげな人たちが事あるごとに騒ぐのは“開門”の前後で大した違いはないらしいし。
いつものようにちょっと≪神壇≫を眺めたら、いつもと同じく三つずつ並んだ六つの扉へ向かう。今日は木曜だから≪射撃道≫で弓矢の修錬だ。
≪修錬道≫で師匠の指導を受けているし、丁度良い弓を拾って以来、その≪[薄紗][熱線]の【ボウ】≫が少々特殊な弓というのも相まって洋弓や和弓の扱いは参考程度にしている。
連射の途中で十分の一秒とかけず短弓と長弓を切り替えられるような特殊な弓を使っても師匠相手に模擬戦をやるとあっという間にハリネズミにされるのは、自分の修錬が足りないだけとわかっていたって気分が凹む。
武器に依存するのは良くないことですハイ。
ウォーミングアップを終え、修錬はいつもと同じくゆっくりと丸木の半弓を構えて射る動作から始める。
呼吸一つで構え、弦を引いたまま呼吸一つ維持し、射ったら呼吸一つの残心、呼吸一つかけて的に正対する形で直立。この呼吸四回の動作だけは師匠が厳しく姿勢を見てくれる。僕は意識した呼吸が大体五秒なので二十秒で一セット。
この時、大前提として呼吸に合わせて身体を動かす。呼吸の回数とは別に秒数は数えるが、それよりも呼吸に意識を割かないまま呼吸が乱れないように気を付ける。できる気がしない。
一射四呼吸を二十分の間にできるだけ繰り返す。
魔素さえ供給していれば文字通り矢が尽きることはない≪[無尽]の【矢筒】≫を使えば、矢の用意と回収の時間を省けるのは嬉しい。
一分三射だから二十分あれば理論上六十射できるはずなのに今日は五三射。
動作の最適化ができていなかったり引く度に疲労していくのは当然として、秒数のカウントが難しい。じっとしていれば三時間は誤差十秒の範囲なんだけどなぁ。
当然呼吸は何度も乱れている。呼吸と秒数は基本的に一致しない為、時間のカウントが意識から零れ落ちてずれるとそれを立て直そうとして動作全部が乱れてしまう。呼吸と動作とカウント全部を上手くできるイメージが湧かない。
反省は後にして、左手に弓を握って右手で引く一射四呼吸の二十分セットを終えたら十分の休憩をはさみ、次は左右の手の役割を替えて同じく一射四呼吸を二十分間。丸木の半弓を左右でそれぞれ引いたら丸木の長弓で左右をワンセット。長短の弓で左右を入れ替える計四種を終えたら休憩含めて大体二時間経っている。
“ゆんで”という音で弓手や左手と表記することを知っていた身としては、右手で弓を握って左手で弦を引くのは違和感がすごかった。というかそもそもの弓の構造からして、練習用の丸木弓とか特殊な魔具の弓でもなければ左右を入れ替えて使うなんて無理だし、なんなら練習用の丸木弓だってダンジョンの生み出す特殊なものなのでどちらの手で把持しても馴染むからどうにかなってる。
しかし、≪果てへと至る修錬道≫の七の道の一つである≪実践道≫で弓も使った殺し合いを経験するうちに、左右の手の役割を固定していられなくなった。
遮蔽物の陰から飛び出して一射するのに開けた空間へ背を向けざるを得ず、それが理由で背中をザクっとやられたのは今でも軽いトラウマだ。
……左右どっちでも弓を射られるようになって壁を背負っていたら、見えにくい壁の隙間で隠れていたモンスターに背中をザクっとやられたのもトラウマだなぁ。
休憩時間にふとした思考の流れでトラウマを自覚すると微妙な気分になる。
あと特殊部隊とかばっばって銃構えたまま左右に振り向くイメージで左右の手で弓を引けるように練習し始めたけど、ああいうシーンは別に銃を把持する手を入れ替えたりしてなかったと後で気づいた。
そもそも弓は左手で握って右手で引く構造なので、結果的には自前の特殊な弓だけに特化した変な癖がついちゃっただけだった。
別にね、実戦じゃ≪[薄紗][熱線]の【ボウ】≫しか使う気はないから良いんだけどね。
トラウマと失敗談は脇に置いて、丸木弓で一射四呼吸四種ワンセットを終えたので、次は愛用の≪[薄紗][熱線]の【ボウ】≫を持って師匠と射ち合い稽古だ。
向上心を持って修錬する限り指導者として用意されたモンスターである師匠によって僕が殺されることはないし、訓練という意識を持っていれば僕に合わせた技量で相手をしてくれる師匠を殺してしまうこともない。
≪果てへと至る修錬道≫はとてもありがたいダンジョンだ。日々の感謝を忘れず師匠と射ち合おう。
≪[開示]の【神壇】≫
§それは神に近づく場所§
§それは明らかにして示す§
≪[薄紗][熱線]の【ボウ】≫
§それはボウである§
§それは薄い織物である§
§それは軽い織物である§
§それは金属線である§
§それは熱する§
§それは赤外線である§
§それは体温の変化を表した線である§
≪[無尽]の【矢筒】≫
§それは矢筒である§
§それは尽きることが無い§