魔王の神様1
私は、いや私達はかつて仕事場としていた木造平屋に集まっている。
何年も経つというのに少しも変わっていないように感じる。
「懐かしいなここ。まだあったのかよ」
「私が管理していて魔王に託したのだ。当然残っている。それよりも私は二人から釈明をもらってもいいはずなのだが?」
「鏑矢さん、これには深い訳がありまして」
「そうよ。俺の深〜い考えがあっての事なのよ。だから、ま、迷惑かけたが戻ってきたんだからいいだろ」
「何年も莫迦のように探し周った私の時間を返してもらいたいものだな。まあ、それは神夢々冷に返してもらうのだがな」
このふざけた漫画描きは、鏑矢さんの言葉に動じる事なくヘラヘラと笑っている。これも含めて、この人達は何も変わっていないのだ。
「返すって何をだよ? 金でも欲しいのか?」
「無論、漫画を返してもらう。神夢々冷の漫画を描いてもらおう」
鏑矢さんは鋭い目付きで刺す。
「かあー、怖いねえ。分かってるよ、もう逃げねえよ。今の成り行きから俺も描かない訳にはいけねえからな。また神夢々冷を名乗るしかねえよ」
一瞬、またあの頃に戻った気がした。
何の因果か神夢々先生が漫画を描こうとしているタイミングで私はフリーになったのだ。
「あの、でしたら…」
「おっと、その先はまだ言う時間じゃねえぜ。魔王なカワイイ嫁ちゃんにあんな目で見られちまったんだ。お前の漫画、まだどうにかなるかも知らねえ。俺のここ何年かの成果ってやつを聞いてみねーか?」
神夢々先生の言葉に合わせて鏑矢さんが咳払いをする。
「この男があれから今までどこで何をやっていたと思う?」
何処と聞かれればこの国以外のどこかで、何と言われればやはりこの人は漫画を描いていたんじゃないだろうか。
「さあ、分かりませんけど神夢々先生なら何処かで同人漫画を描いていたんじゃないですか?」
神夢々先生は膝を叩いて笑っている。
「半分正解だぜ魔王!」
「この男は外国で出版社紛いの事をやっていたのだ」
「ちげーよ。鏑矢っち。俺は通信販売をやってたのさ。ただし取り扱う商品が本ってだけだ」
「自分達で本を作って売っているのだからそれは出版業と同義だ。お陰でこの男を会社から引き剥がすのは手間がかかった」
「どうだ? 俺も中々面白そうな人生を送っているだろ? 久しぶりに会ったんだ、まあ俺のバカ話を聞いてくれよ」
「はい。聞きましょう」
あまりにも変わらない神夢々先生の振る舞いに、懐かし過ぎて目の奥がじーんとした。
◇◇◆
魔王の同人を手伝った後、俺は色々と虚しくなった。
同人はあんなに楽しくやっていたのに商業は少しも面白くない。
なんだ。何が違うのか分からない。そんな思考が巡り本を作る気も無くなっていた。
それに魔王と鏑矢を見ていて思った。こいつらの発想は面白い。どこかで二人の才が芽吹けばいいが俺が居てはそれは無い。
二人は俺の漫画を待っている。俺がいる限りこいつらが自分の漫画を描く事はないだろう。
だから黙っていなくなった。
やる事も無いので、こんな歳になってから自分探しの旅に出たのだ。
同人やる前まで自分を振り返ったら大学生まで戻ってしまった。
何の目的も無く面白半分でいい国立大学に入ったが、興味が持てたのは語学くらいだった。
今ある物だけでやるなら何だと考えて、とりあえず外国に行ってみる事にした。
行き先は適当に、世界一自由を謳っている国にしてみた。
外国人としてこの自由の国に居て分った事は、どこに行っても少し舐められていると感じる事だ。
舐められっぱなしも気に入らないので、ここでもいい大学に行く事にした。
この国は自発的に学びを得ようとする者をバカにはしない。学ぼうとする者の年齢も人種も多種多様だった。
だが学びを得ても特に楽しくはなかった。何か現地調達出来る面白味は無いかと学内を探したところ、細々と同人漫画を描いているグループに出会った。
グループと言っても情熱があるのは一人だけで、後の奴は興味だけという感じだった。
異国で自国のディープな文化を見るのは奇妙な感覚だった。この国でコミックを描く職はあるが漫画を描く職は無いのだ。なのにこの情熱ある男が描こうとしているモノは漫画だったのだ。
情熱の男、奴の名はフェルナンド。ルーツは南の大陸にあるそうだが留学しているとの事だった。
こいつが面白いところは、若いのに古い漫画が好きなのだが絵が絶望的に下手なところだ。なのに漫画を描こうとしている。
神は二物を与えぬと言うが、こいつに漫画の才能は一切ないが情報通信系の知識や技術は天才的というところだ。
その技術は研究室でも認められており、何処ぞの企業からオファーが多数来ているらしい。
だが、当の本人は漫画にご執心なのだ。
初めはフェルナンドに有料で漫画の描き方を教えていた。こいつは裕福で金を持っていたのでいい収入源になってくれた。
その内にかなり仲良くなって家にも招待されて分かった事だが、こいつの実家は堅気では無かった。
俺は全く気にしなかった。面白い事になったなと思ったし、これがきっかけで死んでも面白いかなとも思った。
フェルナンドは実家が堅気で無い事を気にしおり、自身は真っ当な職に就くつもりなのだそうだ。
こいつにはその真っ当な職に就く能力があり、そうするのがいいだろうと思った。
フェルナンドの実家を知っても態度の変わらない俺を見て、奴は更に親近感を持ったようだった。
フェルナンドは一つの野望を語ってくれた。
奴が漫画を描いているのは、大好きな漫画を復活させる為なのだそうだ。
その漫画は俺も知っていたが、確かに非業の死を遂げた漫画だった。
あまりに中途半端な打ち切りに、当時は何か事件性を感じたものだ。
フェルナンドは言った。漫画が死んでしまったなら自分が蘇らせると。だから自分で描くという方法を取ったのだそうだ。
情報通信では天才なのに、漫画ではバカなのだ。だがフェルナンドは言う。進んでいれば必ず到達するのだと。
そんな奴を見て、この国に来て初めて面白いと思った。
だからフェルナンドと始めた。漫画を蘇らせる会社を。
漫画を真に復活させるには原作者に描いてもらうしかない。
それに漫画原作の権利は作者の物だが、本にして売る権利は出版社が管理している。それを引き剥がして第三者が続きをやろうなんてのは中々に荒唐無稽だ。
漫画描きは出版社から中々離れられない。もう描いていないからと言っても印税は入ってくる訳だし、また連載したいとなると出版社を頼る訳だから、奴等に足を向ける訳にはいかないのだ。
俺とフェルナンドは外国という法的な地の利を活かして抜け穴を探し電子版での出版の方法と、物理的な本は同人理論とクラウドファンディングが掛け合わせて実現する事にした。
後は原作者の説得だが、これは俺の同人時代のコネが良く仕事をした。
何度もお願いし、最後はフェルナンドの情熱が原作者の心を動かした。
こうして外国で色々な訳あり漫画を売るサービスを始めた。世の中には復活してほしいと思われている漫画がかなり多い事が分かった。
だが、読者は漫画の復活なんてどうしていいか分からないし、基本的に諦めている。
そこを電子世界から拾い集めて本にまでするのが、俺とフェルナンドの仕事になった。