魔王の漫画7
知らない事を、さも常識のように語られたらどうか?
こちらに来て30年は経った私は、この感覚を忘れていた。
異邦人として、当然知らない事ばかりだという理解と、溶け込めない阻害感に寂しさを感じたものだ。
菅田氏は20代なのだから、当然知らない漫画はたくさんある。
漫画業界に居るのだから、知らないのは不勉強と断ずる人もいるだろう。
私は、私はどうなのだろうか。
私は知らない事は、むしろ良い事だと思う。これからその未知に触れて、その先に素晴らしい体験をするかもしれないのだ。
未知の領域が多いほど、未来への期待感は増大する。
菅田氏は未知に対して多少なりとも嫌な感情があるようだ。
私が以前に感じた阻害感と同じか、知識量だけをものさしに、マウントを取られたかもしれない。
「菅田氏は漫画読むの嫌い?」
「嫌いではないですけど、それよりやりたい事があるんです。漫画は面白いけど、満足するまで読んだら時間かかるじゃないですか。だから、長いのは読まないし、過去の名作もわざわざ読もうとしたりしないです」
漫画第一の私とは違う発想だ。だが、菅田氏の感覚の方が一般的だし、読者の感覚もこちらが大多数だろう。
「興味はあるけど、優先度としては低い感じか。まあ、漫画に傾倒しすぎるなんて不健全かもね」
「誤解の無いように言うと、漫画を軽んじているわけではないんです。僕にとっては飯の種な訳ですし、僕の望む異世界に一番近いのは漫画だと思うから、仕事として出来ているんです。ただ、漫画をどれだけ読んでいるかで判断されたくないし、漫画を元に何かを語るなら、その当人に説明責任があると思うんですよね」
普段から不特定多数の人と会話する機会の無い私にとっては、なかなか難しいトークスキルだ。ついつい、自分の領域の中だけで会話してしまう。
「いや、それはすまなかったね。私は漫画ばっかりなので、トークデッキもパターンが無いんだよ」
「ですよね。じゃあ、折角なのでさっき言っていた漫画の説明をして下さいよ」
「ええ! 私にそんなトークスキル無いし、ネタバレになってしまうよ」
「大丈夫ですよ。僕はこのままなら、その漫画一生読まないですし、ネタバレしてもいいですよ。もしかしたら、魔王先生の話聞いて読むかもしれませんよ」
謎の無茶振りがきてしまった。出来れば漫画は自身で読んで体感してもらいたい。
しかし、菅田氏はこの件に少々ムキになっているみたいだし、これを回避出来るそうなスキルも私には無い。
「私がその漫画、その世界をどんな風に好きで、どう楽しんでいるかでいい? ただの感想だし、描いてある事に対しての正しい読解ではないけど、それでいいなら、まあ、なんとか」
「いいですよ。魔王先生がどう考えているかの方が、僕としても興味ありますし」
なんか、複雑な評価だがまあいいか。
「じゃあ、あっちの座れるところ行こうか」
私と菅田氏は休憩室の特徴的な座椅子が並んでいる方へと移動した。
―
「漫画のタイトルは寄◯獣なんだけど、聞いた事ある?」
「ないです」
「そうか、まあ、タイトルからも若干感じると思うけど、この漫画は現代舞台のパニックホラーの様相なんだよね」
「パニックホラーでは無いんですか?」
「それはまあ後程。ビジュアルや導入はパニックホラー百点満点なんだよ。所謂、突然日常が壊れる感じね。見た目は最恐だよ。ホラーと言うかスプラッタと言ってもいい」
「タイトルと今の説明から察するに、人に害を成す存在が急に現れる感じなんですね。映画とかでよくあるパターンですね」
「確かに、映画のパターンと言える。パニックホラーって、正体不明、理解不能の暴力、絶望感が必要だよね。でも、この漫画は、この三つが早々に解決するんだよ」
「ネタの割れたホラーなんて、後は主人公がどう生存するかしか見所ないじゃないですか」
菅田氏は相変わらず鋭い。
「そう、だから、この漫画はパニックホラーじゃないんだよ。まあ、そうは言っても、導入や様相がパニックホラーだから、読者は暫くそのつもりで読んじゃうんだけど、求めている要素がいつの間にか無くなっていて、残された主人公への移入に、知らない間に誘導されるんだよね」
「これ、なんでホラー要素なくなっちゃうんですか?」
「うーん。まあ、人を襲うサイドに高い知性があるからかな。それに主人公は中間の立場にある事も大きいね」
「ゾンビ物の感染したけど、意識保ってるタイプですね。アレって主人公は安全という要素と、一般人から疑われ襲われるリスクが上手い具合にバランス取りますよね」
「バランス感覚で言うと、この漫画は相当緻密よ。人間模様中心かと思ったら、定期的に主人公がバトルで無双するし。とにかく濃厚で最後までノンストップな感じが凄いんだよ。事件としては世界を揺るがす事なのに、物語の規模は驚く程小さいんで、劇中の主人公の移動範囲確認してびびったね」
「なんか優等生みたいな漫画ですね」
「いやいや。表現も凄いよ。特に人の死については強烈。死が人を血の詰まった肉に変えるんだという事を嫌というほど見せつけられる。ほら、バトル漫画とかで、人が首を落とされるシーンあるでしょ。あれってかっこいいというか、誰かの強さや残酷さの象徴みたいな印象が強くて、結構映えるじゃない? でも、この漫画の斬首は違う。絶対にこうなりたく無いという恐怖と死のリアルでいっぱいになる」
「結局テーマとしては何なんですか?」
「テーマというか、この漫画連載当時のキャッチがあって、この物語には恐怖と怒りと愛があるって謳ってるんだよ。当時は、またまたご冗談を、と思ったものだけれど、全て読み終わった後はしっくり来たなー。恐怖が行動を止めて、怒りで動き出し、初めからあった愛に気付く、そんな素敵な物語なんですよ」
「魔王先生、愛とか分かるタイプなんですか?」
「いや、よく分からないけど、この漫画に込められた愛は分かる…気がするかな」
ついつい語ってしまった。こうして誰かに漫画の感想を聞いてもらうなんて、随分と久しぶりの事だ。
「魔王先生、その漫画持っているですか? 仕事場には、そう言えば漫画あまり無いですよね」
「ああ、持っているよ。どう読む気になった? 私の説明だけで終わっていい世界じゃないんで、是非、菅田氏には直接体感してほしい。漫画はね、近所の別の場所に置いてあるんだよ」
「自宅が別にあるんですか? 何か印象よりお金持ちなんですね。やっぱり、魔法で稼いでいるんじゃないですか?」
「いやいや、違う違う。別宅は意図せず引き継いだつというか、まあ、お金で得た物ではないんだよ。むしろ固定資産税とかあるからそっちが大変だし、お金はまあ、原稿料と印税は大した事無いから、ちょっとね、その趣味を生かしたバイトでなんとかね」
「なんか怪しいですね。まあ、その別宅とやらに僕も連れて行って下さいよ」
「え、まあ、いいけど。今日もう帰った方がいいんじゃない?」
「なんでですか?」
「ほら、お風呂入ったのに着替えとか無いと、気持ち悪いでしょ?」
「そこはご心配無く。僕その辺りは気にならないタイプですから。流石に同じ下着履くの嫌だったんで、今はノーパンなんですよ」
あれ、何かおかしいな。何か不適切な単語が聞こえてきたぞ。