烈風と魔王2
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今、私は病院へと向かう車の中に居る。
事の発端は菅田氏より今日の仕事が急に休みになった事を受けてだ。
烈風先生が病院へ運ばれたという情報だけがあり、アシスタントには詳しい事は伝えてられていないらしい。
菅田氏は昨日、烈風先生と夜に食事をしており、その時はいつも通りにピンピンしていたそうだ。
深夜に何かあったのではというのが菅田氏の見解だ。
確かに昨日の夜に烈風先生からは何の連絡も無かった。だが、連絡が無い事などいつもの事なので、特に気にしてはいなかったのだ。
連絡を取ろうにも烈風先生には繋がらず、昼前になって住所だけが送られて来た。
即座にタクシーを拾い住所に急行中という訳だ。
到着した先はやはり病院のようだ。どんな大病院に来たのかと確認したところ。
(産婦人科)
一気に状況を察してしまう自分が居た。これまで車内で感じていた焦りとは別種の、緊張のような恐れのような独特の感覚に塗り替えられていく。
私が呼ばれた理由、何もかも心当たりがある。ただ、心当たりは一度のみだ。そんなリーチイッパツツモみたいな事があるのだろうか。
エロ漫画でももう少し猶予があるだろう。これはもはやファンタジーエロ漫画の世界観だ。
私にオークのような能力は無い。見た目はオークのようなものだが。
今は私があれこれ考えてもどうにもならない。今、一番大変なのは烈風先生なのだ。とにかく、烈風先生の元へと急がねば。
病院の入り口を入ると泉野さんが待っていた。
話かけようとした瞬間に素早く間合いを詰められて、ボディに本格的な縦拳が入っていた。
「ぐふっ!」
「やってくれたな豚野郎!」
口調は強いが病院なので小声な泉野さんに、打撃と言葉で攻撃を受ける。
「申し訳ない…」
反射的に思ったのだ。こうなってしまったら、今まで通り烈風先生が漫画を描く事は出来ない。
私は烈風先生の数多くの読者の待ち望む物を止めてしまった。しかもその読者には私も含まれている。
そんな大それた物を管理編集している泉野さんには、頭が上がらない。
「今はこれ以上は聞かねぇ。とにかくお嬢のとこに来てもらう」
泉野さんは私を案内した。
産科、婦人科は無関係の者が奥に入り込まぬようにセキュリティが何重にもなっている。
外部の雑菌塗れの者から、妊婦や新生児を守っているのだ。
それ故、部外者の私は殆ど入院している人に会わない。
待合で色んな女性からヒソヒソと私の事を噂話されるようなシチュエーションは無いのだ。
待っていると烈風先生が奥の診察室らしき場所から出て来た。
近寄っていいのか分からず立ち尽くしていると、泉野さんが烈風先生を支えるように側に立った。
「アキ姐。魔王とサシで話がある。暫く外してくれんか? 漫画の事は伝えた通りじゃ。会社に連絡してくれ」
「お嬢…。分かりました」
泉野さんは私を睨みながら通り過ぎると、通話用のブースへと入って行った。
―
病院何には休憩用のフリースペースが幾つもある。その一つに入り、烈風先生と向かい合って座っている。
「アキ姐が手荒な事をしたかの? 許してやってくれんか」
「いえ、いいんです。担当編集なればこそだと思います」
「少し違うがの。アキ姐はわしに甘いんじゃ。まあ、ええ、暫くしたら落ち着くじゃろ」
単純に私の思い込みなのか、実際そうなのか分からないが、烈風先生からいつもの覇気を感じない。何か遠慮しているような、そんな感じがする。
「その、こういった場所にいらっしゃるという事はやはり…」
「七週目だそうじゃ」
その週数がどういった状態なのか何も分からないが、烈風先生が妊娠している事は分かった。
分かったところで、私の混乱が増しただけだった。私は何をすればいいのか、何も出来ないのでは? でも何かしたい。そんな思考がループしている。
「そ、その、私に出来る事は何かないですか? 何をしていいのか分からなくて、あ、何でもいいので、烈風先生がして欲しい事とかでもいいです。え、その、訳分からないですよね。何か上手く言葉に出来なくて…」
烈風先生の視線が真っ直ぐこちらに向かう。
「まあ、まずはわしの話を聞け魔王よ」
「は、はあ」
「今回の事は、わしが計ったんじゃ」
「え?」
新たな混乱の種が投入される。
「わしはこうなるように時期を計算して魔王を誘惑した。最初に失敗しても直ぐに次をしたじゃろ? あれはまだ間に合うと判断したからじゃ。無論、一発で出来るとは思わなんだ。わしとしては計画以上よ」
「何故なんですか? 何か急いでする理由があるんですか? まさか、如月家の事が関係しているんでしょうか?」
烈風先生のお兄さんである如月烈火さんは、如月家の跡継ぎの事を気にしていた。烈風先生の子に何か期待をしているような、そんな感じであった。
「如月の家は関係無い。わしは……」
いつも竹を割ったように真っ直ぐ語る烈風先生が、珍しく口籠もっている。
「言って下さい。何が烈風先生をそこまでさせるんですか?」
「そ、その………と、取られるかと思って…」
「え? 何が誰に取られるんですか?」
「じゃから! 魔王が他の女に取られるかと思って急いて子作りしたんじゃ! わしは子を理由に魔王を繋いでおきたい最低のもんなんじゃ! 」
え? 私が烈風先生以外にモテた事があっただろうか。ある訳がない。
道を歩いているだけで女性が歩くラインを変えるほどに、私のモテ度がプラスに振れた事は無い。
烈風先生は一体何者と私を取り合ったのだろうか。
「ちょっと良く分からないんですが、私は女性とお付き合いする事自体、烈風先生が初めてなんですが。取られるとか以前に、誰にも見向きされないんですが」
「それじゃ、もし胸のデカイ女が言い寄ってきたら、魔王はそっちに靡くじゃろ。そうなったらわしに勝ち目があるんか?」
そうなったらまずは美人局的な詐欺を疑うところからスタートするだろう。烈風先生には私がどれくらいハイスペックに見えているのだろうか。
「勝ち目というか、そんな出来事は起きないでしょう。仮に烈風先生のアプローチが10年後だったとしても、私にとっての初めては烈風先生ですよ。私は年齢イコール非モテ歴の者なので、既にリアルの女性との接触はファンタジーだと思ってます。二次元があればいいと、結構本気で考えていたくらいです」
「そんな、先の事は分からんじゃろ」
「いいえ、分かります。私は烈風先生がいなければ生涯童貞でした。既に童貞は拗らせていたので、初めての烈風先生の事で頭がいっぱいなんですよ! 烈風先生が好きだという気持ちでパンクしそうです。拗らせ童貞を舐めないで下さい!」
気が付けば、お互いに恥ずかしい事を言い合った気がする。互いに耳まで真っ赤になっていた。
顔の赤みが取れるまで、病院内の謎リラックスBGMが流れるだけの時間を過ごした。
「ほうか、それじゃわしは産むからな!」
「は、はい! その、まだ混乱してますが、何というか嬉しいです! よろしくお願いします」
何となく気恥ずかしい雰囲気になる。
フリースペースに人が近づいてくる気配がする。見えた背格好から泉野さんだと分かる。
「お嬢。周りには誰もいませんが、少々声が大きいですよ」
「すまん、アキ姐。それで会社には連絡してくれたか?」
「はい、ブラックコードの週刊連載は少なくとも3ヶ月は止める方向で動いてます」
すっかり忘れていた。私は人気漫画描きの仕事を、大きく止めてしまったのだ。
事の重大さに気が付き、次は冷や汗が止まらなくなっていた。




