烈風と魔王1
◇
アニメ化の話が進み出してから、わしの生活は忙しなくなった。
漫画を描く、何かの打ち合わせ、何かの〆切が繰り返しやってくる日々だ。
もう一月以上、一人の個室に篭っていないし、電子の海に漕ぎ出す事も二週間していない。
今までに無い忙しさではあるが、気力は今までで一番ある。
わしは魔王を討ちとったのだ。
異界の魔王そのものという事実には驚いたがそんな事はどうでもいい。
魔王の心の中に確実にわしの存在がある。それを実感する毎日だからこそ、気力が幾らでも湧いてくる。
「烈風先生。何、にやにやしてるんですか?」
「別になんもない。空きっ腹にポテトが染みとるだけじゃ」
食事どきでもないとアシスタントとゆっくり会話出来ないので、今は菅田といつものファミレスに来ている。
「もしかして、魔王先生の事考えていたんですか?」
菅田とわしは、漫画描きとアシスタントだけでなく、魔王を異界人と知る仲でもある。
わしと魔王が付き合っている事を知っており、そして、この事実はあまり口外していない。
「そ、そんな事、考え…とったわ」
菅田はやれやれといった顔をしている。
「前から聞こうかと思っていたんですが、烈風先生は魔王先生のどこが好きなんですか?」
好きという単語を聞いて心の芯に響き、鼓動がやや速くなるのを感じる。
「どこって、別に好きな事に深い理由なんてないじゃろ」
「うーん、理由というかきっかけですね。烈風先生って魔王先生と直接知り合ってから、それ程時間があった訳じゃないでしょ? 僕的には、付き合い出すには早いなーと思うんですよ。だから、一目惚れみたいな事だったのかなと思うんですが、それって何だったのかなーと」
菅田の質問から、裏打ちされた経験値を感じる。誰かの恋愛事情など興味が無かったし、プライベートな事にはつっこまないようにしてきたが、こいつ、恋愛慣れしているのか!?
「何と言われてもの。言うたかもしれんが、わしは魔王の漫画スーパーピンクのファンじゃ。好きな漫画、尊敬する漫画描きは幾らでもおるが、純粋にファンとして追っておるのはスパピンだけじゃ」
「でも、作家性と人間性は別じゃないですか。作品は素晴らしくても、人としてどうかは別物ですよ。そりゃあ、作品も作者も素晴らしいのが理想ですけどね。魔王先生は優しく感じですけど、なんか異界人だという遠慮から来る壁みたいな優しさじゃないですか」
菅田の言う事もよく分かる。だが、菅田には好きな漫画を本当に追うという経験は無いのだろう。それ故に、わしの気持ちは理解できないか。
「深く漫画を好きになり追うようになるとどうなるか分かるか? 菅田は異界行きを目指して生きておるんじゃろ? ならばそれが近いかの。何でも知りたい、どうしたら近づけるかいつも考える。わしの追うとは、そういう事よ」
「そこまで好きだったとは。烈風先生は魔王先生に会うまでどうやって欲求を満たしていたんですか?」
「ネットの世界に求めたが、魔王はなんも情報を出しとらんからの。わしが見つけられたんは、小さなコミュニティとそこに居た四天王だけじゃった」
「烈風先生も魔王四天王ご存知だったんですね」
「四天王は現実の魔王を知っとるからの。わしも当時は羨んだもんじゃ」
「それじゃ、僕の事で初めて魔王先生と話をしたときは、実はウキウキだったんですね」
菅田は少し白けた顔をしている。
「う、それは否定出来んわ。すまん、確かに当時は菅田をダシにした。じゃが、菅田の事も気にしていたのは確かじゃ」
「ま、それはいいですよ。こうやって忙しいのに、僕や他のアシの人にも気を揉んでくれているのは確かですからね。それより、初めて会った魔王先生はどうでした?」
「漫画描きに人間性まで求めるな。わしもその通りじゃと思う。BCの作者としてわしがファンの前に現れたなら、少なからずがっかりする者はおるじゃろう。わしは魔王に心中では期待しつつも、外面はどんな人間であれ受け止めるつもりじゃった」
「という事は、魔王先生は理想通りだったんですか?」
心臓の鼓動の高まりと共に、顔が少し熱くなるのを感じる。
「現実の魔王は、わしの想像よりもスパピンの作者じゃったわ。漫画描きは幻想を描き起こす仕事をしとる。幻想で勝負しとる訳じゃから、現実に負ける訳にはいかん。じゃが、魔王はわしの幻想に勝ってきよった」
「それで現実の魔王先生を好きになったんですか?」
「好きというか、現実でも欲が出てきたという方が正しいかの。ほら、ファンは好きな作者に認知されようとするじゃろ? 誰よりも好きだと思っているファンがここに居る。知ってほしい。理解されたいとな。わしの感情はそれよ。もちろん魔王を好いておる。じゃがそれと同じくらい魔王に理解されたいんじゃ」
菅田が炭酸の弾けるオレンジの飲み物を吸い上げている。
「なるほどですね。烈風先生かなりマジなんですね。僕はそこまで人を好きになった事は無いと思います。なんか、羨ましいですよ」
「わしも、ここまで心奪われるとは思わなんだわ。じゃが、なってしまったもんは仕方ない。わしはわしの思うままにやるのみよ」
菅田と話をし食事もそこそこに済ませたところで、アキ姐から連絡がはいる。
「まだ、仕事ですか? もうじき明日になりますよ」
「急ぎじゃが、簡単な確認だけのようじゃ。終わったらおとなしゅう寝るわ」
そんなやり取りをして、自転車で去っていく菅田を見送った。
帰りは歩く事にした。一人で考える時間が減ったので、次のネタでも絞りながら外の空気に浸る。
もう外は完全に暖かくなっており、春用の薄い上着も必要無いと感じる。
自宅兼職場に到着すると、窓に灯りがある。アキ姐は既に中で待っているのだろう。
アキ姐の車も確認しながら自宅へと入ると、一瞬妙な匂いがした気がした。
ファミレスで食べた匂い物の香りがまだ服に残っているのか、その程度の違和感なので気にする事も無い。
アキ姐からの相談事はいつもの応接室で行う。部屋に向かうと、お茶を用意していたアキ姐と出会した。
「お嬢。夜分遅くにすいません。アニメ関連で急ぎの確認がありまして、直ぐに終わりますので今準備します」
「アキ姐もご苦労様じゃの。わしの返事を聞いたら、直ぐに会社へ直行じゃろ。まあ、少しは休んでいかれぇ」
アキ姐はニッコリと微笑んで応接室の扉を開けてわしを招き入れてくれた。
部屋には既に資料が用意してある。ざっと見た感じはアニメ制作サイドからのアニメオリジナルパートについての相談のようだ。
「見て頂ければ分かる通り、アニオリの内容についての打診です。アニメサイド的にもスポンサー的にも、原作サイドの協力がほしいそうです」
そうやって説明をしながら、アキ姐の細い指に挟まれた湯呑みが置かれた。
湯呑みから暖かい湯気が上がっている。外は暖かいが気密性の高い室内は少し寒い気がして、自然にお茶に手が伸びる。
湯呑みを啜りながら、机の上の資料を見る。見たところで答えは決めているのに、今お茶を飲むという時間の為に見るフリをしているのだ。
お茶の熱が体に入ると同時に、何か違和感を感じた。お茶本体に異変がある訳では無い。ただ、わしの体の中で限界まで溜まった物が溢れるような感覚だ。
体を強張らせて、吐き戻そうという感覚を押し込めるが、どうにも抑えが効かない。
アキ姐の心配する声を耳の端で聞きながら、わしはトイレへと駆け込んだ?