魔王の世界13
【鬼朱摩握】
生命を賭けた死合の最中、互いの感情が昂まり、最強を超えた最愛を認識した際に相手に刻まれる赤き印。口唇の吸引によって皮膚の内出血を引き起こし刻まれる痣は、使い手によっては任意の形状にするこのが可能となる。古代の大陸で生まれた房中術の一つであり、現代の様々な流派へと派生して受け継がれる秘技である。
(魔王脳内書院調べ)
「い、嫌だな〜菅田氏〜。私がそんな事してる訳ないじゃないか」
菅田氏の動きが一瞬止まる。
「そういう反応という事は本当なんですね」
あれ? 一瞬でバレた?
「………」
「無言という事はマジなんですね。誰ですか? もしかしてプロの方ですか?」
「プ、プロって。何のプロだよ」
「いや、あのキスマークはプロじゃないか…。凄い位置に付いていたし、何か凄い独占欲のようなモノを感じるんですよね。そうなるとお相手は魔王先生の交友関係に絞られる訳だから…」
菅田氏から怒涛の名推理が繰り出される。
「いやいや、考え過ぎなんじゃないの? 何も無いって」
「あ、そうか。昨日休みだったんだから、相手は烈風先生ですね」
「そんな訳ないじゃない! 菅田氏の知らない交友関係が私にはあるんだよ」
「じゃあ、今から魔王先生の家に行っていいですか? 多分なんか痕跡があると思いますよ」
「う…。すいません。正解です…」
菅田氏は満足そうな顔をしている。
「いやー、そうですか。やっぱり、烈風先生が熱烈に迫ったんですか?」
「これ以上の追求はやめて。というか菅田氏はこういう事に鋭いね」
「僕、学生時代は男の子からも女の子からもモテたんですよ。何か得られるかなと思って、結構色んな人と付き合ったんですよね。でも結局、相手にとっての僕は特殊なトロフィーみたいなもので、獲得してしまえば、後はどうでもいいみたいなんですよ。だから僕もどうでも良くなりました」
菅田氏は波乱の学生時代だったようだ。
「なんか、過去に私にもエッチなお誘いがあったけど、あんまり無関係なのも罪を作るよ? 私のようなウブな者は本気にしちゃうからね」
「僕、エッチをしていい相手は、エッチした後でもそれまでの関係性が壊れない人なんですよ。だから、むしろ関係性重視なんです。見た目とか地位とか属性より、関係性で見ちゃうんですよ。だから、今の職場の人とは絶対NGだし、見ず知らずの人もあり得ないんですよ」
独特な世界観だ。だが菅田氏らしいとも思う。今では無い世界を望む菅田氏は、その実、自身が自身のまま受け入れられる場所を探しているのだ。
「私は菅田氏とエッチしてしまったら、今まで通りにはいかないと思うけどね」
「そうですかね。僕は結構、魔王先生の事見てますから、以外といけると思いますよ。でも、まあ、魔王先生と烈風先生がそういう関係になった以上は、僕は魔王先生に手出し出来なくなりました。烈風先生は独占強そうなので、今こうして会っているのも不味いかもですね」
「いや、菅田氏と私は友人関係だよ。流石にそれは無いでしょ」
「僕の経験上。独占の強い女性は、僕が同性の友達と遊んでいても嫉妬したりしますよ。烈風先生は内に溜めるタイプではないと思うので、直接来るんじゃないでしょうか」
そう言われるなんか悪寒のような物を感じる気がする。返事を待っている携帯端末の冷たさが鋭い気がしてきた。
「直ぐに事情を説明した方がいいかな?」
「今日はまだ仕事のはずなので、連絡するなら待った方がいいですね。というか、魔王先生の事で話が逸れたんですが、あちらに予知を伝えた話を聞いて下さいよ」
すっかり忘れいた。そう言えばそんな用事でスーパー銭湯までわざわざ来たのだった。
「ああ、あれね。どうせ追加の予知が欲しいとか言われたんでしょ? あっちの人はワンパターンだからね」
「ええ、なんか候補リストみたいな物は貰いました。それとは別件でもう一つ魔王先生の痕跡が禁地で観測されたので、その件についても聞きたいそうですよ」
「ああ、それね。ちょっと説明がてら、烈風先生にあっちを見てもらって…」
私が言葉を言い終わる前に、菅田氏が激しく立ち上がった。
「烈風先生に見てもらったって、どういう事ですか? 僕は頼んでも連れて行ってもらえ無かったのに、烈風先生と一緒にあちらへ行ったって事ですか?」
菅田氏の語気が今まで一番強い。
「いや、これは必要な事だったので、止む無くしたまでで、私も出来れば避けたかったけど、その」
「烈風先生はよくて、僕は駄目な理由は何なんですか? エッチな事したら連れて行ってもらえるなら、話が違うじゃないですか!」
「いやいや、エッチな事はその後なので…」
「そんなの関係無いですよ! こうなったら僕も連れて行ってもらいます!それでその後にエッチします!!」
割と冷静な菅田氏が、かなり錯乱している。流石に休憩室の他の客もざわざわしてきた。
「菅田氏!一旦、一旦落ち着こう!」
私は迫ってくる菅田氏を誘導しながら、帰り支度へと移行した。
――
既に外は暗くなっている。私は自宅の廊下に自発的に正座している。私の体格での正座は辛いが仕方ない。
目の前には、菅田氏と後から駆けつけた烈風先生が立っている。
烈風先生は菅田氏より事情を聞いて既に状況を把握していた。
「それで、この魔王は、わしとの風呂を断っておきながら、翌日に菅田と風呂に入る不届き者という訳じゃな?」
「そうです! あっちの世界に戻らないとか言いながら、あっさりと僕以外の人とは行ってしまう、甲斐性無しです」
話ている内容は全く合致していないが、怒りのベクトルはしっかりと揃っている。
「申し開きは無いのですが、様々な誤解が重なっていると思うので、弁明の機会を頂けないでしょうか?」
二人の視線がギロリと刺さる。
「弁明の必要などないわ。魔王がせなゃならん事は明白よ」
「そうです!」
「わしと風呂に入る!」
「僕とあっちの世界に行く!」
「これじゃ!」「これです!」
台詞合わせをしたかのようなタイミングで要求が伝えられた。とても断れるような雰囲気では無い。
「その、お二人の言われる事は、全くその通りで、言われいる要求もそのままお受けするんですが、その上で私の弁明を聞いて頂けると助かります」
「ほんまか!」「本気ですか!」
二人の機嫌が一瞬にして直る。
「早速、何処かの温泉宿を予約せんといけん」
「やったー! 異世界だあー! 何を用意すればいいですかね! テントとか要ります?」
もはや、全く聞いていない。
「菅田よ。準備もええが、わしはまだ晩飯を食うとらん。とりあえず腹ごしらえに行くぞ」
「いいですね。いつものファミレスでいいですか?ほら、魔王先生行きますよ」
行動力の鬼。
それは烈風先生と菅田氏の共通点であった。思い悩む事よりも、とにかく行動し場を動かす事こそが二人の原動力なのだ。
私には無い能力だと思った。望んでも決して得られない能力だ。羨ましいと思う。
そして同時に感じた。私があちらの世界の誰かに望んだのは、二人のような行動力だと。
私の望みは酷だったのかもしれない。今は少しだけそう感じている。