魔王の世界12
烈風先生とキスをしてから既に丸一日が経過しようとしている。
今、私は聖典であるBC1巻を噛み締めながら読んでいるところだ。
本が上下逆さまである事は理解している。賢者時間を超えた聖者時間に至った私ならば、BCの逆読みから新たな境地に到達出来るのではと思ってから、既に一時間が経過していた。
烈風先生は既に自宅に戻られた。仕事があるのだから当然だ。週刊漫画の作者に余暇の時間など無い。
そんな烈風先生が我が宅に長居覚悟の荷物で来ていたのだ。
無粋で無神経な私でも、その覚悟は良く分かる。だからこそ、私は自分の秘密を伝え、そして烈風先生はその答えに唇を交わしたのだ。
私は混乱する脳から絞り出した言葉で答えた。
「け、結婚の前に、ま、まずはお付き合いから始めませんか?」
今思えばなんとも間抜けな言葉だ。
激近の烈風先生の唇が「はい」と動いたのは、はっきりと覚えている。
そこまではよかったのだ。
下心があったのかと言われたら、下心しかなかった。私の理性は完全に停止していた。我慢の限界というか、もう我慢出来ない状態だ。私の心の獣は、シリアルにミルクをぶっ掛けて貪り食い始めていた。
つまり、その先を求めて烈風先生を抱きしめたのだ。烈風先生にもその意図は伝わったのだろう。
だが、ここで問題だ。当然、2次元の知識はあっても、物理的に体験的にどうしていいのか分からない。
以前に機能不全を起こした主砲も、前が何だったのかというくらいに絶好調だ。
しかし、やり方が分からない。筋金入りの童の貞なのだから仕方が無い。
私の困惑は数秒だっただろうか。そこからの烈風先生の動きは早かった。
まるで服の接触判定がなくなったかのように私の衣類が外れていく。瞬きするごとに肌色面積が増えるし、それは烈風先生も同様だ。
よく考えたら玄関先だったのだが、おっぱじまってしまった。
直ぐに違いの肌の温度を感じるようになったが、烈風先生が互いのの体をどうコントロールしているのかは分からない。
体格差で言えば大人と子供なのだ。同じ地面に立ったなら、烈風先生の頭頂部は私の胸に届かない。
烈風先生はそんな私の体勢の上下を入れ替えしたりするのだから、重力を制御されていると言っても、しんじしまいそうだ。
互いにこういう事が初めてだとは直ぐに分かったが、互いにコトは進んでいく。
烈風先生に完全にコントロールされているという感覚は無い。私の拙い意図を烈風先生が感じとって、理想通りの動きへと至る。
烈風先生の意思が効いているときは指一本動かせない感じだ。上に跨る体重は軽く感じるのに、まるで巨大な存在に組み敷かれているような被征服感がある。
まあ、とにかく互いにやりたい事をやり尽くして果てたのだ。丹念に焦らされ、大胆に解き放たれた。
色々と終わった頃には、二人で私の寝床へと移動している事に気が付いた。
粗末な風呂場しかない我が家なので、烈風先生に先を譲った。「いっしょに入るか?」と冗談っぽく烈風先生は語ったが、物理的に無理なのでお断りした。
烈風先生の香りが残る寝床で、烈風先生の入るシャワー音を聞いていると、今になって心臓が高鳴ってきた。これで獣欲が残っているなら二回戦が始まっていた事だろう。
しかし、私は完全に賢者から聖者へと至っていた。思考はこの先の事に向いていた。
烈風先生と入れ替わりに風呂に入ってシャワーに打たれても答えは出ない。
風呂から上がると、いつものジャージ姿の烈風先生が待っていた。長期戦の様相だったので、色々と持ち込んでいたようだ。
特に会話は無いが、気不味いという感じでは無い。烈風先生の視線が自然と入ってくる感じだ。
適当に飲み物を二人で飲んでいると、烈風先生が徐に立ち上がった。
「今日のところはいぬるわ。明日から漫画を描かんといけんからの」
何となく烈風先生の本意だと分かって、引き留める事はしなかった。
「そうですね。じゃあ、今度は何処か行きましょうか」
烈風先生はガチャガチャと荷物をまとめていて、表情は見えない。
「ほうかー、ほうじゃの」
烈風先生は荷物を持ってスタスタと玄関の方へと行ってしまう。
「あの、送って行きたいなと思うんですが、どうでしょうか?」
こんなときどうしていいのか分からず、変な申し出をしてしまった。
「ええ。それより、魔王も漫画を描くんじゃぞ?」
「それは、はい、がんばります」
「ほうか、それじゃまたの」
そう言って烈風先生は帰ってしまい。今に至る。
私の原稿は全く進んでいない。漫画を読んで、落ち着いている振りをしているが、烈風先生に送った携帯端末のメッセージの返事に、全神経を研ぎ澄ましているのだ。
それに、私には考え無くてはならない事が他にもある。烈風先生に話て再認識したが、あちらとの関係が完全に切れているわけでは無いのだ。
菅田氏を介して、予知の回答をするという関係を作ってしまっている。
正直、何もかも捨ててきたつもりだった。しかし、実際はどうだろうか。
あちらの崩壊がこちらに影響を及ぼすとなったら、私は結局あちらに介入してしまうだろう。
こちらに来た当初は、個に頼らなければ成立しない世界など滅んでしまえと思っていた。帰りたいと思った事はない。
だが、こちらに居ようとも、あちらと無関係という訳にはいかないのだ。あちらで生まれあちらに関わった私は、あちらを断ち切る事は出来ないのだ。
烈風先生は、あちらの事について何も言わなかった。私の出自がなんであれ、烈風先生は気にしないという事なのだろう。
答えの出ない、何もしていない虚無の時間が経過する。
携帯端末が反応したので、即画面を見たが、菅田氏からの連絡だった。例の禁星虫の予言の話で続報があったという事なので、これから来るという事だ。
今からは不味い。今、我が家には生々しい空気に満ちている。
家以外で菅田氏と会う場所と言えば、例のスーパー銭湯しかない。場所はとりあえずあそこを指定して、今日のところは誤魔化そう。
いつもの風呂屋へと指定すると、了承の旨が直ぐに返ってきた。
私が風呂屋に到着すると、いつもの場所に菅田氏の目立つ自転車が置いてあった。
受付を済まし、脱衣所を超えて洗い場に行くと菅田氏が居た。風呂の中ではマナー的にベラベラと会話しないようにしているので、お互いに姿を認識し合ったくらいだ。
いつも落ち合う場所は、休憩室という事になっている。それぞれ、思い思いの入浴を済ませから、休憩室へ向かう。
私が休憩室に入ったときはまだ菅田氏は居なかった。コーヒー牛乳を火照ったボディに入れて、爽快感を味わう。
菅田氏が来るまで、休憩室の漫画コーナーで格闘漫画の世界に興じる事にした。
格闘漫画のよいところは、何処から読んでも面白いし、途中で止めても後腐れ無い事だ。
格闘漫画の空手エピソードが終了した辺りで菅田氏が現れた。
菅田氏はいつもより私の近くに座る。
いつもの私ならドキリとするところだが、今日は聖者なので平静としていられる。
「魔王先生って最近エッチしました? 凄いところにキスマーク付いてますよ」
菅田氏は、周りに聞かれないように近くに座り、小声で話しかけてくれたようだ。
しかし、私は入浴した事も忘れるかのような滝汗で、平静さは吹き飛んでいた。