魔王の漫画6
小さな足に並ぶ桜色の爪、無毛の脚がスラッと伸び、丸くて小振りな臀部、くびれた腰の上に少し肋骨が浮かぶ、この角度から見えないが、間違い無くピンクのポッチが二つ装備されている違い無い、そして細い首の先には見知った顔が乗っていた。
危ない。顔が菅田氏でなければドキドキしてしまっていた。ドキッとはしたが、見てはいけない物を見てしまった感で済んだ。
「菅田氏、本当に風呂屋なんかに来てよかった? あまり気分のいい場所では無いのでは?」
対して客がいる訳では無いが、それでも集合の男性諸君からは見聞色の覇気を感じる。
スーパー銭湯に番台さんなどいないが、それでも男女の入るべき入口をスタッフが監視しているようで、当然、菅田氏は止められた。
ところが、菅田氏はこの手の男女勘違い系のトラブルは慣れているようで、色々と性別を証明する術を使って、あっさりと男湯入りを果たした。
「ま、あんまり気分がいい訳では無いですけど、慣れましたね。今となっては周りの反応を楽しむ程度には余裕がありますよ。ほら、どうです?この姿?」
バスタオルを胸のところで巻いて、昔懐かしい湯煙スタイルの菅田氏が居た。
「うお! むしろ隠された方が色気が増す不思議」
「でしょう。さ、お風呂入りましょうよ」
そう言って、あっさりバスタオルを外すと、小さなタオルを肩にかけた粋な後ろ姿を見せながら、菅田氏は洗い場の方へ行ったしまった。
風呂屋に凸られた私は、雪崩のような勢いで、お風呂をご一緒する事になった。菅田氏の異世界にかける情熱は、間違い無く本物なのだ。
洗い場はガラガラで、一番手前の分かりやすい場所で菅田氏が体を洗っていた。別に近くにいる必要も無いだろうと思い、別の場所に行こうとすると、桶をコーンと叩く音がして、強めの目線で菅田に呼ばれたので、仕方なく菅田氏の隣に座る。
「…………」
無言で頭を洗っていると、視線を感じた。
「あっちの人の体は、こっちの人と同じなんですか? 魔王先生はこっちではふくよかな体型ですけど、あちらでは標準的とか? あ、でも、僕に依頼した人は細かったですね。どっちなんですか?」
「菅田氏、そんなに見られると恥ずかしいのだが。体型はまあ色々だが、これはそんなに標準ではないよ」
「ふくよかになったのは、こちらに来てからですか?」
「私は生まれから今まで、細かった事は無いが、漫画を描く者として、この体型で困った事は無いよ。むしろ漫画描きになるべくして、私がこの体型だったまであるね」
菅田氏の視線が、私の下半身に向いているような気がする。
「その、魔王先生はトイレするときに見えるんですか、ソレ」
「……いや、見えないけどね、通常時は」
「じゃあ、その差し支え無いなら大きくしてもらっていいですか? 今のままだと見え難いので」
「だ、だ、だめ、ダメ、駄目! 男湯と言えどもそれは捕まるよ! と、言うか何言ってんの菅田氏! そんなミギーみたいな事言っても、私はシンイチじゃないんたがらね!」
咄嗟に妙な事を口走ってしまったが、今のは菅田氏がおかしいだろ。
「あ、すいません。つい興味ばかりに気がいってしまって、変な事お願いしちゃいましたね。忘れて下さい」
そんなの、忘れられる訳ないだろ。
菅田氏は行き先だけ指で示して、湯殿の方へ行ってしまった。
―
全身を洗い、冷水を浴びて冷静になった私は、菅田氏を探した。流石にここまで構われて、菅田氏を無視するような事は出来ない。
菅田氏は壺湯に浸かっていた。周りに近寄り難いチョイスだろうか。
丁度隣りの壺が空いているので、私も浸かる事にした。
「………」
私から菅田氏に出来る会話というのは無い。菅田氏から質問される事は多々あるが、私が菅田氏に何か聞くという事はなかった。
「すいません。ちょっと反省してました」
「反省? 何の? 先週の作画も良かったよ。BCは私の中で最高の漫画だよ」
「そういう事では無くて、さっき魔王先生に興味本位だけで、色々言ってしまった事です」
「まあ、見せろ言われたら嫌ではあるけれど、断ったし、別に気にする程の事ではないけどね」
こちらを向いた菅田氏が、壺の縁からだらっと腕を垂らした。
「唐突なんですけど、僕は学生時代けっこうモテたんですよ」
「でしょうね」
「でも、それは純粋な好意では無く、珍獣を所有して見せびらかしたい、そんな感情からくるものばかりだったんです」
「そんな下衆ばかりではないでしょ。普通に好きだった人もいたんじゃないかな」
「そうかもしれませんけど、そんな珍奇を見る目で見られる事が多くて、恋愛感情なんてゴミみたいな物だと思うようになったんです。そんな感情に支配されている人もくだらなく見えて、同級生とは疎遠になりました」
「それは今も?」
「どうなんでしょうか? 今もどうでも良くはありますが、嫌悪感は無いですね」
「なるほど、それで先程の態度が、過去の同級生と重なって、自己嫌悪になり反省しているという訳か」
「そんな感じです。夢中になると、周りの事って結構見えなくなるだなって思いました。そう思うと、僕に寄って来た人も夢中だっただけなのかもって思ったりもします」
菅田氏は水面より下に口を沈めてぶくぶく言っている。
「それはさっき答えが出たでしょ。お互いの認識を話し合って、それで許し合えるならOKじゃないかな」
「はぁー。なるほどですね。それだけでいい気もします。魔王先生って、モテるんじゃないですか? もしかしていっぱい彼女さんが居るとかですか?」
「全くモテた事がないね。あっちに興味は無いし、こっちは見た目が九割な訳でしょ。私のようなキモデブがモテる世界線ではないんですよ。それに私は漫画のためにこちらに来たのだから、モテなくて結構」
「その割に、描いてる漫画は可愛い女の子が主人公じゃないですか。本当は、可愛い彼女がほしいんじゃないですかね」
「ちがっーう! 断じて違う! 漫画と現実は別。この二つの世界は交わらない。交わらないからいいんですよ!?分かります?」
「でも、二次元に入れる機械出来たら使うでしょ」
「うっ……。それは、使う! 誰か、早く世界のテクノロジーがそこまで到達出来るようにして!」
私の煩悩の叫びが静に響いた。
――
「広いお風呂って気持ちいいですね。今度から週一くらいでいきましょうね」
コーヒー牛乳を飲んでいるところに、菅田氏が吹き出しそうな事を言ってくる。
「お金と時間に余裕があったらいいけど、もう私の肉体に秘密は無いと分かった訳でしょ。それなのに、どうしてまた?」
「だって、何か楽しいじゃないですか。僕、仕事かあちらの世界の糸口を探すフィールドワークしかして来なかったので、誰かと遊ぶってあんまりした事なかったんです。あ、もしかして嫌でした?」
早速、反省をしっかり生かして、ちゃんと聞いてくる菅田氏。しかし、その質問は断れないやつでしょ。
「嫌では無いよ。原稿が優先になるから、忙しい時は無理だけど、まあ、お互い時間があるなら行けばいいのでは」
「じゃ、言質を取ったので、これは約束ですよ」
ニッと笑った菅田氏が、オレンジジュースを一気に喉に流し込んだ。
「ここの休憩室、漫画が置いてあるんだよ。至るところで漫画が読めるこの国って本当に凄いよ」
菅田氏がちょっと真面目な表情になる。
「そう言えば、さっき洗い場でミギーさんがどうのって言ってましたよね? あれって漫画の話ですよね。僕、職業柄、他の漫画の話をありきでされる事多いんですが、それはちょっとモヤッとしてます」
菅田氏がまた妙な事を言い始めた。