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魔王の世界8

 あの人と漫画を描いた仕事場のある家、表札には鏑矢と出ている。


 今は私の漫画倉庫となっているので、定期的にていれはしているが、元々古い建物なので色々ガタがきている。


 人の居ない、火の入らない場所は恐ろし寒い。廊下を歩く足取りも、自然と速くなってしまう。


 今日は珍しく居間に火が入っている。火と言ってもガスヒーターだが、あるのと無いのでは全く世界が異なる。


 今日は、表札の主である鏑矢さんがこの家に居るのだ。

 コタツに入り、綿の入った半纏を着た姿は昔を思いだす。

 以前より少し痩せただろうか。

 細面に整った前髪は以前のままだが、少し疲れているように見える。

 スーツを纏えばエリートサラリーマンに見える事だろう。実際に鏑矢さんは漫画を描く前は、勤め人として稼いでいたそうだ。


「ここは変わりませんね。さ、まずはあなたの問題から解決していきましょう」


 鏑矢さんには、烈風先生との事を事前に話てある。


「正直、どうしたらいいでしょう。まるで経験の無い事で、烈風先生に大変失礼な事をしてしまいました」


「ふむ、話を聞く限りでは何も問題無いので? あなたが失礼と思っているならば謝罪すればよい。初めてで立たなかったなど、よくある失敗談です」


 直接的な事を言われて、心がズシリと重くなる。あの人の事は、忘れたくても忘れられ無い。


「そんな! もし、次、同じような事になったら、一体どうすればいいのか分からなくて」


「次があると思っているなら問題無いでしょう。それよりも相手の方の事を気にして下さい。あなた以上にショックを受けているかもしれない」


 そう言われればそうだ。焦り、手汗が滲んでくる。


「何をしたらいいでしょうか?」


「それはあなたが考え無ければですが、むしろ結婚するのかどうか、答えを出すのが先ではないですか? 相手の方は勇気を持って申し出たのだ。いつまでも返事をしない事こそ失礼でしょう」


 結婚………。


 全く想像もつかない。何の為に何をすることが結婚なのか分からない。


「鏑矢さんは結婚の経験はあるんですか?」


「いいところまで行った人は居ましたが、漫画を描くと言ったら愛想を尽かされてしまいました。私に相談したところで結婚への答えは出ませんよ。それに後はあなたの気持ち次第でしょう。性行まで誘ってあなたがフニャちんだったのに、相手の方はまだあなたの事を想っているのだから、あなたはどうしたいのか答えるべきでしょう」


 慇懃無礼とはこの人の為にあるような言葉だ。しかし、その実は異なる。正論が過ぎるが、真実のみを語る人だ。

 初めは戸惑った事もあったが、今はその誠実さを信頼している。


「答えるとして、果たして結婚するとしたらどうなるでしょうか? 私では無く烈風先生がどうなってしまうのか、それが心配で」


 鏑矢さんはコタツの上にあるコーヒーカップを持ち上げて、黒い液体を口に含む。


「相手の方は、漫画を描く以外の全てをくれ、と仰ったんでしたね? 言葉通りならば、彼女にとってそれは過ぎた要求をしているのでしょう。だから、断られても仕方が無い事も示唆している。故にあなたが手に入れば、彼女の何かが大幅に成就されるでしょう。人は何かを得る為に必ず何かを失う。もしかしたら、彼女から漫画が失われるかもしれませんね」


 鏑矢さんに言われるまでも無く、その可能性は頭にあった。

 烈風先生が漫画を辞めないにしても、私という異物が漫画を変えてしまうのではという懸念はあった。


 私というBCファンが烈風先生の周りをウロチョロする事で漫画に影響があるのではと思ったが、烈風先生の漫画を描く意志は強く、私の存在など何の影響も無かった。

 今もBCは魅力的で激しくかつ謎に満ちている。


 だが、結婚はどうだろうか。結婚して変わってしまったと言われる創作者は多いと噂される。

 曰く、結婚すると人は守りに入るという事だ。


「烈風先生ともう一度話してみます。仮に結婚したらどうなってしまうのか、何を求めているのか、具体的な事を聞いてみます」


「それが良いでしょう。それに、結婚するのであれば、あなたも変わってしまうという事ですよ。お相手は、同業のしかも上位の存在だ。そんな人と私生活を共にするという事は、大きなストレスがあると思います。その点も良く考えてみて下さい」


 烈風先生との生活……。

 い、いかん、いかん。エッチの化身である烈風先生しか想像出来なくなっている。


 だが、私が変わる事は無いだろう。心根すらも自在に変える世界に嫌気がして、こちらに逃げて来たのだ。今更、用意に変わる事を是と出来る訳もない。


「そう言えば、鏑矢さんが戻って来たという事は、あの人の行方が分かったんですか?」


 鏑矢さんが鼻で笑うように息を吐く。


「あの人ですか…。あなたも律儀な方だ。そうですね。少なくともこの国にあの男が居ないのは確かです」


 あの人。あの人は漫画を描いていない者を作者の呼ぶなと言っていた。だと言うのに、本名を明かす訳でもなく、遂には呼び名も無くしたまま姿を消してしまった。


「海外に居るという事ですか?」


「そうなります。近場の国は探してみたのですが、どうも違うようでした。それで、捜索範囲を広げて見ると、ちょっと変わった伝手から情報がありましてね。どうやら太平洋を渡った先に居るかもしれないという事が分かりました」


「何故、海外にいらっしゃるんでしょうか?」


「あの男の考える事は殆ど理解出来ませんが、一つ言える事があります。それは彼が狭い世界を好むという事です」


「海を簡単に渡るような人の思考では無いように感じますが」


「海の先で居心地のいい狭い世界を見つけたのでしょう。あの男に出来るのは、漫画を描く事、そして漫画を描かせる事です。どうやら同じような事をしているので、捕まえに行こうと考えています」


 鏑矢さんは本気のようだ。私以上にあの人は恩人であり、居なくてはならない人なのだろう。


「という事は、また暫く留守にされるんですね」


「そうなりますね。もし上手く捕まえたら、ここに一旦連れて帰ります。それまで、ここを頼みますよ」


「分かりました。それにあの人が漫画をまだ描いているなら、かなりの朗報ですね」


「ええ」


 短く返事を返した鏑矢さんは、いつもの冷徹な表情だが、どこか嬉しそうだった。


 ――――


 烈風先生に連絡を取り、再び話合の場を設けた。場所は、烈風先生の希望により我が家となった。


 玄関を開けると、前にファミレスでお会いした姿とは別の装いの可愛らしい感じの烈風先生が居た。

 普段は財布すら持っている姿を見た事がないが、今日は何やら大きめのカバンを携えている。


 この時点で察したが、烈風先生は長期戦の構えなのだ。ここが我が家という事は、私から帰宅という逃げを完全に奪いに来ている。


「来たぞ。上がらしてもらうわ」


 烈風先生は靴を揃えて、スタスタと奥へ入って行ってしまった。

 烈風先生から静かな覇気を感じる。


 落ち着け私。今日はしっかりと話し合いをする為に準備をしているではないか。賢者ポイントも十分にある。


 烈風先生を追って自室に戻ると、上着を脱いだ状態でちょこんと座っている姿が見えた。


 烈風先生の上着の下には、がっつりと肩の出た大胆な出立ちが隠されていた。


 何故! このクソ寒いのに、何故そのチョイスなのか。

 強烈なダメージ音と共に、私の賢者ポイントゲージがガリガリと削られたのだった。

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