魔王の世界7
ファミレスで何を食べ何を話したか覚えていない。
いつの間に店を出たのか、何処をどう移動したのか記憶にない。
ただ、私は今、静かな何処かの部屋の中に居る。自分の知る部屋では無い。間違い無く初めて来た場所だ。
遠く、いや別の部屋から何か音が聞こえる。それ以外は何も聞こえ無い。
部屋の窓にカーテンがあるが、外はド深夜であるのだろう。外から音が聞こえる事は無い。
いや、この部屋の中からも音が聞こえる。何だコレは?
そうか、私の心臓の音だ。
音を確認する為に下を向いて分かったが、何故か半裸になっている。
サイヤ人の戦士がどんなに激しい戦闘をしても、死するその瞬間まで外れる事の無い布だけが私に残されている。
という事は、この布が外れたとき私は死ぬのか?そんな事を考えていると心臓はより激しく鼓動する。
何故心臓が? なるほど魔王の主砲がエネルギー充填120%になっているのだ。
うっすらと聞こえていた音が止んで、この場は私の心臓の音だけが鳴っていた。
何かが部屋の外を移動する音がする。まるで小動物が歩くかのような軽い音が迫ってくる。
これから一体何が起きるのか。分かっているが分かっていない。先の事を考えると頭が爆発しそうになる。
そんな事を考えていたら、不思議な事が起きた。
先程まで準備万端であった主砲が、途端に休眠状態に移行したのだ。
何故? 理由は分からない。頭という本国から発射命令は十分過ぎるほど出ているのに、前線は急激なストライキに突入している。
焦る。もはや、主砲をどのように起動していたかも分からなくなっていた。
焦りでじっとりと脂汗をかいていると、部屋の扉が開いた。
顔は良く知っている烈風先生だ。だがご尊顔以外はまるで違う。
部屋は薄暗いが、部屋に入って来た人物が全裸である事は分かる。
烈風先生は普段頭の後ろに髪をまとめているが、髪を解いたのならば、今目の前にいる御仁と同じ見た目になるだろう。
強烈な緊張感から、目を逸らすために体を反転しようとするが、体が抑えられて動けない。
何者かが私の腿の上に跨って体重をかけている。今思えば自分が腰掛けているのがベッドであったとようやく認識した。
全裸の女性が私の生腿に座っているだと!
伝わって来る熱、感触は間違い無く人生初のものであった。
だがどうだろう。我が主砲は完全に撤退を決め込んでいて、極寒の野に晒されたように跡形も無い。
私に座った人物と目が合う。目の高さが同じくらいなので、上に乗っている人物はかなり小柄なのだ。
「あの!あの!あの!あの!あの!あの!!」
壊れたように同じ単語しか出ない。主砲が正体不明の機能不全に陥って、頭の混乱は過去一のカオスを極めていた。
私の上の人物、いや、分かっている、これは烈風先生だ。
烈風先生の手が私の主砲を羽が撫でるように触れる。しかし、そこには主砲は無い。完全に封印された名残の如き墓標があるだけだ。
「…………………」
「これは!その違うんです!さっきまでは、そう!さっきまで」
「気が乱れておるな。頭が体を御しておらん」
顔面の脂汗で目が霞むが、烈風先生は笑顔のようだ。
「そうなんです……。今日は体調が良くないようで……」
「分かっておる。わざわざ魔王にわしの家まで来てもろうたんは、わしがどんな魔王を知ったとて、気が変わらん事を証明するためじゃ」
私は烈風先生のご自宅まで来ていたようだ。
「あの、今日は途中から記憶が無くて」
「そうじゃの。いつの間にか上の空じゃたんで、わしの家まで引っ張って来たが、別に事を急いとるわけじゃないけんな。じゃが、わしの気持ちは既に伝えたとおりじゃ。後は魔王の返事を待つ」
そう言って、烈風先生は微かな声混じりの吐息を残して私にかける体重を軽くした。
烈風先生が私から離れると同時に、重めの水音が部屋に響いたのを、私はしっかりと聞いた。
――
あまり生活感の無い、応接室のような部屋に案内され、温かい緑茶の入った湯呑み二つを挟んで烈風先生と対峙している。
烈風先生は前に見たジャージ姿で、私はいつの間にか脱いだ服を回収して着ていた。
「ここは烈風先生のご自宅なんですね」
「そうじゃ。そんな事も覚えとらんのか」
何もかも申し訳なくて何でもすいませんとお辞儀をしてしまう。それと無く時計を見ると早朝5時台だ。
「そろそろ電車も動き出すので、今日は失礼させて頂きます」
「なんじゃ、もう帰りよるんか。朝飯くらい食うていったらどうじゃ?」
「いえ、そこまでご迷惑かける訳にはいきません」
通常の精神状態に戻った今、自責の念が凄い。いち早く帰宅し、一人になりたいのだ。
「まあ、よいわ。お互いに仕事もあるしの」
烈風先生はこちらの雰囲気を察して解放してくれるようだ。
「では、大変失礼しました。今日はこれにて」
私は逃げ出すように烈風先生宅の扉を出た。まだ、辺りは暗いが薄らと太陽の気配を感じる。
携帯端末の地図を見ながら駅があるほうに向かって歩く。
烈風先生の家、慌てて出て来たが、よく考えると仕事場を兼ねていた。
あのまま私が滞在していれば、そのうちアシスタントの方及び菅田氏までが出勤するという事だ。
そうなってしまえば事後(実際は何も出来なかった)の現場が公になるところだった。
危なかった。とにかく、この先の事をちゃんと考え無くてはならない。
――
自宅に帰りつき、ようやくいつもの日常が戻って来た。
いつもの姿になる為、全ての衣類をパージし、とりあえず原稿の前に座る。
チラッと自分の腿を見る。
少し前まで、そこには可憐な方が座っていたのだ。今は何の痕跡も無いが、脳がしっかりとその状況を記憶している。
そうすると、魔王の主砲に火が入る。
あの一番肝心なとき全く機能しなかった主砲が、まるで何もなかったかのように起動する。
今まで、数々の試撃ちをしてきたのは、あの時の為では無かったのか。
自分の脆弱な精神が嫌になる。
―
何をどう考えても良い考えが出ない。烈風先生の事、漫画の事、よい未来を描く事が出来ないのだ。
誰かに相談に乗ってもらいたい。何か決定的な助言の出来る世界の理を知った賢者の叡智に縋りたい。
そんな事を考えながら、何にも向き合わないように、横になって携帯端末だけを見ていた。
何と無く手癖で電子版のBCを読む。BCは良い、力ある絵柄で一気に世界に引き込まれる感覚は、いつ味わっても最高だ。
だが、どうだろう。この気魄のこもった漫画があの烈風先生から生み出されているのだ。
そう、あのエッチな烈風先生がこの漫画を描いている。
もはや私にとって烈風先生自身はエッチの化身。しかし、BCという最高の漫画を描いているのも烈風先生。
この二つの認識が私の脳をバグらせる。
バグった脳を元に戻す為、床をゴロゴロと転がっていると、携帯端末から通知音が聞こえた。
烈風先生は私の連絡先を知っている。もしや烈風先生から連絡という、悲哀と自意識に煙った思考で携帯端末を恐る恐る見る。
通知者の名は次のようにあった。
(鏑矢)
世の中には奇縁というものがある。私の知る最高の賢者が現れたのだ。