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魔王の漫画5

 今日は私1人だ。菅田氏は、先日体験してもらったあちらの情報認識にご執心らしく、もう3日来ていない。


 久しぶりの全裸解放だ。人は環境に適応する為に服を発展させてきた訳だが、既に環境自体をある程度コントロールする術を見つけたのだから、服など前時代的だ。

 無闇に肉体を締め付ける事をすべきでは無いだろう。完全なる解放は全裸より始まるのだ。


 そんな、どうでもいい事を夢想する昼下がりに、突然のインターホンが鳴る。


 今日は菅田氏は来ない予定だ。彼は来訪前に必ず電子的手段で事前確認するデジタルネイティブだ。


 玄関の扉が一度だけノックされ沈黙する。


 この静かなる迫力、という事はあの人が来たに違いない。

 急いで服を着る。緊急着衣用の服は常に手近に置いてある。


 静かにドアを開けると、ダブルのスーツを来た茶髪の男が立っていた。


「どうも魔王さん。様子を見に寄らせてもらったよ」


 私の担当編集者である曲川氏だ。


 私が契約している出版社の編集部には、特徴的な7人の編集者が在籍している。

 曲川氏の二つ名は強欲、通称「強欲の曲川」だ。利益追求の鬼であり、利益にならない事を漫画描きにさせないリアリストなのだが、漫画の魅力を見抜く能力は編集部随一で、新人や癖の強い作家の担当をする事が多い。


「原稿は順調ですよ」


「それは現物を見てからだ。上がらせてもらうよ」


 閉じた糸目が鋭く開く。糸目キャラの目が開いたという事は、私は死ぬのか? そんな事を考える横を曲川氏がスルリと抜けて部屋へと入った。


 ――


 いつもの椅子に腰掛けて、原稿をチェックする曲川氏の迫力は、いつも私の胃にダメージを与える。細身のホスト風な姿から出る圧力では無い。


「魔王さん。いつもより進行が早いな。しかも手抜きは無い。どういう事か説明してもらおうか」


 短時間で核心を突くのが曲川流だ。敏感に変化を読みとって、今必要な事かどうか判断する。

 作家によっては、彼の事がただ恐ろしいと苦手に感じ人も多いそうだが、私は彼の事を恐ろしくも信頼している。

 彼の持論では、出版物をいかに多く流通させるかを考えるのが出版社の仕事なのだそうだ。

 強欲と言われ由縁だが、そこには良い出版物でなければ、なし得ないという柱があり、目先の利益だけにとらわれていない。

 出版物は多くの人に長く愛されなければならないという信念で動いている人なので、妥協は無い。

 しかも、作家が感情の動物だと理解しているから、こちらを上手くコントロールする。


 全ては利益のために、それが強欲の曲川という人だ。


「実は最近知人が出来まして…」


 私はあちらの事情は曖昧に、実家や故郷という言葉を使って、近況を説明した。別にやましい事は無い。菅田氏は成人しているし、同性だし、ただ同業だというだけだ。


 ―


「魔王さんは世間の常識に疎いところがあるが、確かものの覚えは良かったよな? まさか、他所のアシスタントに原稿触らせてないだろうな?」


 また、糸目が開いている。やはり私は死ぬのか。


「いえいえ、それは無いです。あちらもプロなので、そういった権利のややこしくなる事はご存知ですし、何より私が人を使って漫画描けないの知っているでしょう?」


「そうだ。権利だ。それは利益を生む上で重要な要素だ。権利を侵してはいけないし、権利を侵させてもいけない。ただ、権利に縛られて思考を放棄しても駄目だ。俺は魔王先生の同人活動にはノータッチなのは、そういう事だぞ?」


 怖い。曲川氏ほど、分からせるという言葉が似合う人はいないだろう。


「そういう訳なので、何の問題もないでしょう?」


「まあ、そうだが。魔王さんに友人とは珍しいな。これは上手くすれば、優秀な人材が引き抜けるかもしれないな」


「だ、駄目ですよ! 大手に喧嘩売っても得る物なんてないですよ」


「不確かな事では動かんよ。だが、いけるときはいくのが出版業界だ。それに心配しなくても、やるなら波風無くやるさ」


 なんと恐ろしい人だ。強欲にも程がある。


「まったく、変な事しないで下さいね。それと、漫画については何もないんですか?」


「ネームは互いにOKしているんだ。後は魔王さんならそのまま仕上げるだろうよ。それより、連載前からの約束は忘れるなよ。やるからには最後までやってもらうからな」


 私の漫画には、よく読まないと分からない仕込みがある。これは、連載開始前に協議して、やり続けるならOKという条件付き許可が出た。

 作者の遊びのような物だが、私の漫画では、どうしてもやりたかった。


「それは大丈夫です。これ考えないと私は漫画の構成出来ませんから」


 それは、私が漫画を描く原点であり、師匠から受け継いだ物の一つだからだ。


「そうか、では俺は帰る。原稿が早めなのはいい事だ。そろそろ単行本進めるから、準備しておけよ」


 革靴の音をコツコツさせて、曲川氏が去っていく。変な汗ばかりかいたが、今日はいい知らせもあった。

 自分の漫画が本になるという瞬間は、いつも愛おしく何ものにも代え難い満足感を得る。ただし、その忙しさと大変さたるや、私の知る限り最大の困難でもある。


 そうだ。折角服も着た事だし、今日は風呂屋に行く事にしよう。

 自転車で5分の場所に、スーパー銭湯があるのだ。風呂屋という物はなんと良いものなのだろうか。あれほど癒されてエネルギーが漲る施設という物は、中々無い。

 RPGでも温泉で全回復するのは納得だ。


 ―


 私が自転車に乗れるのは、実は異世界チートのお陰なのだ。その昔、乗れる認識にしてしまったのだが、そのせいで自転車練習という、割と誰でもやった事のある体験をしなかった。

 体験という物は重要で、なんでも漫画のネタになる。ある程度の現実感がなければ、私は漫画に描けない。

 こちらの学校も体感していないので、学園描写にはいつも忌避感がある。


 たがら、私はなんでも体験する事にした。


 スーパー銭湯の駐輪場で、携帯端末に菅田氏から連絡が来ている事に気が付いた。内容から察するに、例の認識術にあらたなインスピレーションがほしいので、既にこちらに向かっているとの事だ。


 風呂には1人で入りたい。当然、銭湯なので他に客は居るのだが、そうでは無く、風呂に浸かる行為を自分の意思だけで行いたい。

 今から忙しいと連絡するか? この時間なら私の家に着いているかもしれない。そうなると留守?どこ行った?となり、既読も付いている。


 珍しく外出している訳だから、菅田氏は何処へ行ったか興味を持つだろう。

 何故か菅田氏は、私の行動や考え方に異常に興味がある。認識術の源が私から得られるのではと考えているようで、何でも知りたいそうだ。


 私のトーク力では、風呂屋に行った事を隠し通せないだろうし、知られれば連れていけという話になる事は明白だ。


 今は取り敢えず、現状を素直に伝えよう。あわよくば、風呂が終わるまで待っていてくれるかもしれない。


 風呂屋ナウ的な事を連絡すると直ぐに既読になった。

 よし、やるだけの事はやった。取り敢えず、風呂に入ってしまおう。

 そう思い、自転車の鍵を外した瞬間、駐輪場に勢いよく自転車が入って来た。


 私のママチャリの10倍の値段はするであろう、ロードバイクにまたがった菅田氏が、息を弾ませながらこちらへと突進して来た。


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