烈風の漫画9
感情に任せてどうにかしてやろうとしても、身体を動かして相手に一撃入れるとなると、頭の芯は至って冷静でいる。
暴れ馬が引く戦車を冷静に制御する剣闘士のような気分だ。
わしには兄上には無い才が一つだけある。幼少の頃に健在だったおじじ様より聞いた、運気を読むという能力だ。
これは、如月の中でも稀にしか持つ者が無いそうで、物事の始め時と終わり時を何より正確に見つける事が出来るのだそうだ。
わしから攻めるとなれば、必ず先を取る事が出来る。
今の状況であれば、兄上はおにぎりを食べ、咀嚼した物が体の中に送り込まれており、意識が少し食べる事に逸れている。しかも、体は消化の準備に入っており、四肢の操作に鈍りがある。
加えて、胡座をかいている兄上の膝に座卓を重ねる事で、下半身の動きに制限をかける事が出来る。
兄上から三つ先を取る事が出来る今が好機だ。
わしは頭の重みで前に倒れながら、座卓の上に手を突いて指を走らせる。
座卓を飛び越えて兄上に一撃入れるつもりだ。
わしの動きに兄上は当然反応する。座卓を足でひっくり返し盾にしようとしたようだが、わしが動かした分に気が付いて、直ぐに上半身だけの対応に切り替えた。
兄上は技も力も体重もわしよりある。わしの得た三つは幾つか返されるだろうが、全ては覆らない、それがわしの読んだ運気だ。
座卓に手を突きながらの前蹴りが兄上の受けによって逸らされる。
体重が軽いので、浮いているわしの方が不利ではあるが、半端な受けで蹴りの威力を全て消される事は無い。
勢いのまま突進し、身体を捻って空中から蹴りを見舞う。
上からの蹴りに兄上は体制を立て直せずにいる。力と技の差があっても、体重と全身を使う事の出来るわしが優位だ。
兄上は笑いながら、わしの蹴りを捌き、少しずつ体制を崩していく。
蹴りと受けの一合一合で、わしが下手を打たぬ事が分かると、兄上は防御を解いて顔面に蹴りを受けた。
柔を使って衝撃を逃し、ダメージを無くそうという腹だろうが、そうはさせない。
蹴りからの捻りで兄上の体の硬直を促す。全ての衝撃は兄上の顔から体の芯へと徹った。
座ったまま倒れた兄上の顔の上に立つ形で、わしの一撃は終わった。
「魔王…、いや魔王先生。兄が失礼な事を言うた。すまんが、これで許してくれ」
魔王は起こった出来事が把握出来ていないようで、呆然としていた。
「いや! これは見事! 先程の太閤戦などよりも見応えのある闘いでしたよ」
武田が拍手をしながら割り込んでくる。
「如月の家の問題なんじゃ。よそのもんは黙っとってもらおうかの」
「いや、失礼しました。ですが、ここは人が寛ぐ場所ですので、荒事はお控え頂きたい。暴れたいというのであれば、私共が直ぐにでも太閤殿に場を設けますので」
嫌味ではあるが武田の言う事は正論だ。わしは兄上の顔から降りて席へと戻った。
「武田よ………。見たか? あれが真の如月じゃあ」
兄上が倒れたまま言葉を発する。
あの程度のわしの一撃で兄上が倒れる訳も無いが、多少のダメージはあるようだ。
「録画されていないのが残念ですが、この眼にはしっかりと焼き付けましたよ。いやー、如月流というモノがいよいよ分からなくなってしまいました」
「ほうじゃろ。儂にも烈風の気の読みは分からんのじゃ。武田に分かってたまるか」
兄上は何事も無かったかのように起き上がり、またおにぎりを食べ始めた。
「兄上。わしが一撃入れたとは言え、兄上からも魔王に詫びを入れるんが筋じゃろが」
「そうじゃの、儂が焦り過ぎたわ。魔王さんよ本当に済まんかった。さっきの儂の言葉は忘れてくれ」
「いえ、少し驚きましたが、私は気にして頂かなくてもいいです。それよりも烈風先生の漫画の件はどうなるんでしょうか?」
兄上がおにぎりを食べるの止めた。
「それも、儂からの言は取り消す。今の烈風の一撃を貰うて、焦る事は無いと思うた。出版社の者の非礼は別の形で詫びてもらう。烈風の漫画については、これまで通りにさす。これでええな?」
「それを聞いて安心しました。良かったですね烈風先生」
魔王は心底安心したようだ。
「用はこれで全部済んだんじゃろ?なら、わし等を解放してもらおうかの。わしも魔王も忙しい身なんじゃ」
「武田。直ぐに2人を送ってくれ。儂はやる事が出来た。天守の狸に話を付けてくる」
「おやー、それは中々に大事ですぬ。お二人は武田が責任を持ってお送り致しますので、早まった事はしないようにお願いします」
兄上はわしの知らない世界で如月家のやるべき事をやっているようだ。
武田は直ぐに消え、1分足らずで車が用意された。
―
相変わらず外の様子の分からない車に乗せられた。行きと違い、魔王とわしの2人しか乗っていない。
なんとなく気不味い空気が流れている。魔王も居心地が悪いようだ。
「烈風先生って、緊張すると私の事を魔王先生って呼びますよね」
「ほうかの。そんなもんどっちでもええじゃろが」
続かない話ばかりになってしまう。それに、普段はネットで魔王先生呼びをしているから、実は魔王呼びをしている時の方が緊張しているのだ。
「なんか、漫画みたいな世界でしたね。あんな事、現実にあるんだと感心しました」
「わしも、殆どは知らんかった。ただ、わしの家はなんとなく偉い人に影響力があるんじゃなーとは思っとった」
正直、太閤殿や如月の家の事には驚いたが、納得出来る部分も多かった。
「流石に漫画のネタにしたら怒られそうですね。と言うか、既にこの手のネタは漫画にはいっぱいありますしね」
「全くじゃ。小説より奇なりを自で行き過ぎじゃ。兄上も後継を残せとか言い出しよるしの」
「あ………、あ……、え、あの」
勢いで不味い話題に入ってしまった。魔王の反応を見て自分の顔が赤くなるのが分かる。
「…………」
無限のような沈黙の時が訪れる。
「か、考えたんですが」
「な、なんじゃ」
「そ、その、誰が誰にと言う訳ではないんですが。私は、家業が嫌で飛び出して来た身なので、相手の意思を無視して何かを強制する事はしたく無いなと思いました」
長い沈黙の中でも、魔王は割と問題の芯について考えていた。
「ほうか。ええ考えじゃと思う。わしも強制するのもされるのも嫌じゃ」
何の事は無い話だが、魔王の言葉を聞いて、無用な緊張が溶けた気がした。
わし等は、漫画の話をしながら、いつもの街へと戻った。
―――
翌日になってアキ姐に顔出しの件を聞いたが、特に進展は無いそうだ。わしが、今の出版社と契約を切るという話も出ていない。
色々な憂いが絶たれた分、わしの漫画への情熱は滾っていた。BCの連載もだが、年末に向けてスパピンの同人本を完成させなくてはならない。
既に、魔王の知り合いの委託先への話は付けてあり、今年はスパピン同人を出す旨をネットで四天王に叩きつけてきた。
奴等のスパピン知識と情熱は、わしを凌駕する物があり、今回は直接対決をすると決めている。
奴等を唸らせ、更にスパピン本100部の完売させる事で、わしが真なる王である事を認めさせるのだ。