烈風の漫画5
目の前のテーブルで菅田が眠っている。ファミレスの店内は徐々に客が増え始めていた。
「菅田よ。そろそろ出るぞ」
わしの声に菅田は跳ね返ったように起きる。
「ふぁえ? 僕、寝てました?」
「ぐっすり寝とったわ」
菅田の眠りが浅くなるタイミングで声をかけたので、夢と現実の境が分からなくなったのだろう。
「でも、烈風先生の話は覚えてます! あれですよ。漫画アシスタントになろうと持ち込みしたら、漫画家デビューしちゃったって事でしょ?」
菅田は取り繕うように、記憶を掘り起こしているようだ。
「まあ、そうじゃの。わしがどうして漫画描きになったのかは、その説明であっとる」
「泉野さんが担当編集なのは、ずっとなんですか?」
「初めての連載は、別の編集者じゃった。BCになってからアキ姐に変わったんじゃ」
「漫画家と担当が知り合い同士なんて珍しいですよね」
「まあ、アキ姐が無理したみたいじゃがな。わしにとってはありがたい話じゃ。こがにして8年続いとるんじゃから、成功と言ってええじゃろ」
アキ姐の存在は、わしにとって大きい。旧知の仲というのもあるが、アキ姐は筋の通っていない事は絶対に認めない。
筋を通すためならば、自身が柱となってその場から一歩も引かないのだ。それは、わしにとっても同じだった。
わしが初めての連載のとき、模倣だけに逃げ込んだような無様を、アキ姐は認め無い。
今の連載があったからこそ、真似だらけのわしにも、多少の独自性が生まれた。
わしが漫画描きになる能力と、漫画描きを続ける能力は別にあると気付いたのは、アキ姐のおかげなのだ。
「烈風先生が漫画家になった理由は分かりました。では、何のために漫画を描いているんですか? 漫画が好きだからとか、生活するためとかですか?」
菅田から、単純にして最難関の問いがきた。
何のために漫画を描くのか。
「そうじゃの。一言では言えんが、一つはっきりしている事があるぞ。それは今描いている漫画の続きが気になるからじゃ」
「BCは烈風先生の漫画なんですから、続きと言わず結末までは、ある程度決まっているんじゃないんですか?」
「わしが決めたところでまだ漫画にはなっとらん。それは存在しないも同じじゃ。ならば、気になる。この漫画の結末がどうなるのか。作者も読者のように漫画の続きは気になるもんじゃ。まあ、わしだけの考えかもしれんが、これが中々厄介でな。なんとわしが漫画を描かないと続きが知れん。ならば、わしは漫画を描くしかない。だから漫画を描いておるんじゃ」
菅田はよく分からないといった表情だ。
「作者も読者のように、自身の漫画を楽しめるものなんですか?」
「少なくともわしは楽しんどる。(わしの漫画はやはり面白いと)と思いながら描いとる。飛んだ自己愛だと思うか? その辺も含めて、漫画は自由に描いていいんじゃ。どうせ正解なんか無い。あるなら知りたいくらいじゃ。絵も話も文章も、全部他の漫画から借りてきた奴が、今こうして漫画描きをやっとるんじゃ。菅田の漫画は菅田が自由にしたらええ」
少し考え事をしたような顔の菅田は、手をポンと叩いた。
「見て頂きた僕の漫画は、何か頭の中をまとめたくて描いた物なんです。ある種、実体験に近いものなんですが、続きは確かに気になっています。こんな手段みたいな理由で漫画を描いた事なかったんですが、頭の中では先の事を考えてしまう。こんな邪な理由で描いた漫画がいいと思うなんて変なのではと思っていたのですが、なんだか烈風先生の理由と近いような気がして、少し納得できました」
菅田の仕事ぶりの変化や、自分の漫画を描いてきた理由は、最近何か意識を変える体験があったに違いない。
わしとの仕事がきっかけでは無いという事に寂しさを覚えるが、漫画を描くという点においては最良だ。
「菅田よ。その漫画がこの先どうなるかは分からんが、わしも続きが気になっとる。期待しとるぞ」
「はい! 続き描いてみます」
菅田がいい返事をした後、他愛のない会話をしてから店を出た。
――
菅田と分かれ後、わしは魔王に連絡をした。理由は、菅田の変化について何があったのかの確認だ。
魔王は知らないとの事だったが、声色から何か隠し事があるようだった。わしは、理由を突き止めるため魔王の仕事場へと向かった。
魔王の部屋のドアをノックすると、返事もなくドアが少し開いた。
この部屋は妙だ。仕事場兼自宅の筈なのに、生活臭がしない。しかし、部屋には生活した形跡がある。
定期的に何者かが部屋を清掃しているのだろうか。だとしたら、それは何者なのか。
「烈風先生。どうもです。こちらに来て頂いても、特に情報は無いんですが……」
「とりあえず、あがらしてもらおうかの」
魔王は一度ドアを閉めて、チェーンを外した。
「どうぞ」
魔王の言葉に応じて部屋に入ると、前来たときと変わらない雰囲気だった。
魔王の後に付いてリビング兼仕事場に案内され、古風な座布団に座るように促された。
正直なところ、魔王はわしを恐れている。わしの漫画のファンである事を公言はしたが、わしという存在に萎縮している。
わしは魔王と漫画について対等に語らいたいのだが、出会いの印象からこうなってしまった。
更に問題なのは、わしが魔王先生の漫画スーパーピンクの大ファンである事を言えていない事だ。
完全に言うタイミングを逸してしまった為、今のような上下のある関係性となってしまった。
わしは宇宙一のファンであると自称しており、ネット上ではスパピン四天王からも一目置かれている。ただ、匿名性は維持しているので、漫画描き如月烈風がスパピンファンである事は、誰にも知られていないのだ。
今日こそは、この事実を伝える為に来た。菅田の件は完全にダシなのだ。すまん菅田よ。
「魔王よ。冬の同人は仕上がっていっておるんか? わしは順調に進んでおるぞ」
魔王は慌てた様子だ。
「その件なんですが。本当にスパピンの本を出すのでしょうか? 私としては烈風先生に自分の漫画を描いて頂き光栄なのですが、スパピンは超マイナージャンルです。例え烈風先生が描かれようとも、名を変えて出す以上は、全く売れないと思います。出すにしてもせめて最小部数の印刷に止めておくのが良いかと」
魔王よ。スパピンが同人界で超マイナーな事は知っているのだ。だが、あえてその道を行き、わしはスパピン同人を売り切ってみせる。
それくらい爆発力のある漫画なのだと、同人界にも知らしめて、あの四天王も舌を巻くようにしたいのだ。
そんな思いをグッと飲み込んだ。
「そんな心配を魔王がする必要は無い。わしが描いてわしが売れるようにする。魔王は同じ委託先に本が並ぶようにだけしとりゃあええ」
「しかしですね。同人は商業とは別の世界と言いますか、中身を伝える手段が無いと言うか、ベクトルが違うと言うか、とにかく、色々と閉じているんです」
確かにわしは同人を描いて売る事には明るく無い。しかし、同人を買う者の心理は分かる。それが分かるからこその秘策もあるのだ。
話に集中していた。色々と覚悟もして来ていた。だから、久しぶりの空気には気が付くのに遅れた。
魔王宅の鉄製のドアが激しく開いたのだ。
ドアは確かに施錠されていた。だが開いた。