烈風の漫画1
内なる自分を解放する事は、今も恥ずかしく思う。
ただ、自分の内に閉じ込めていた若い時代に、成長するという事は無かったように思う。
いや、違うか。
自分が完成していると思いこんで、そんな殻に籠もっていただけなのだ。
漫画を描いている今でも、外では殻が必要なのだ。だが、今は殻を籠る場所にはしていない。
内なる自分を解放して、変化した自分を型とするために、殻を使うのだ。
自分を解放するためには、外と内を明確に隔絶したと認識する必要がある。だから壁を用意しているのだ。
もう一つ、壁を用意している理由は、内の自分は外では理解されないだろうからだ。
今のわしを見たら、皆、混乱するだろう。
――
気を落ち着けて外に出る。
二畳ほどの箱は、大きな音を一般家屋で出しても迷惑にならない目的の物だそうだが、わしにとっては壁として機能する。
非常に良い買い物をしたと思っている。
本家に住んでいた頃は、あまりにも隔てる物が無かった。
田舎であったし、特殊な家でもあった。
「烈風先生、仕上げの確認お願いします」
「ふむ、真波か。今日は急くのう。なんかの発売日か?」
「いやだなあ、違いますよ。ライブです。ラ、イ、ブ。あの空間を、全て受け止めるために、気を高めているんです」
真波はわしのアシスタントで、漫画描きになってからずっと仕事をしてきた戦友だ。わしとは、アキ姐に次ぐ付き合いの長さだ。
「ライブとは言っても、ネット配信じゃろうが。そこまでせんでもよかろが」
「ライブは推しが活動している瞬間を同時に感じる事の出来る尊き瞬間なんですよ。ライブは人生。人生に手を抜く事は死んだも同じ。わかりますか?」
真波は常に何かを追いかけている。推しの変遷は激しく翌週には変わっている事もある。
当人曰く、推しが増えているだけで、変化しているのでは無いのだそうだ。
そんな真波だが、その知識には助かっている。推すという熱量を持った者は、推しに対して、ありとあらゆる情報を収集する。
そうして集まった熱を帯びた情報は、漫画の世界にリアリティを持たせるのだ。
わしは、推しという存在は理解出来るが、その対象を激しく変化させるという事は理解し難い。
真波曰く、わしは一途すぎなのだそうだ。
「真波よ。急いているのは分かったが、他のもんと足並みを揃えんと、仕上げにはならんぞ」
「今日だけ、今日だけはお願い! 行かせて、行かないと、死んじゃう!」
「まあ、真波のぶんはこれでええが、この背景については、オババに明日相談するんじゃぞ。勝手に突っ走るんわ許さんからな」
「サンキュー、烈ちゃん! それでは、真波、行きまーす」
真波は、颯爽と仕事場を出て行った。
真波は、アシスタント全体の進捗を管理もしてもらっている。
故に、真波が自分に都合良く仕事を動かしているようにも見えるが、それは真実の計算によるものなのだ。
仕事量の調整によって、各人に余裕を持たせて場を回している。その上で、真波の仕事量は一番多いのだから、誰も不満を言う者はいないのだ。
「真波さん、もう行きました? ちょっと聞きたい事あったんですが、ちょうどそこのメモがあったんで、お礼言おうと思ったんですが」
「菅田か。真波は、明日オババと同じ入り時間になるじゃろ。用事があるなら、そんときにせえ」
「いえ、大丈夫です」
菅田は、うちの中では一番新参だ。漫画描きとして独立するという点で、一番才能があるのが菅田だ。
うちのメカ担当だが、それ以外でのデザインセンスも光る物がある。
わしからの曖昧な指示でも、感の良さから自分で考える事が出来るので、恐らくストーリーの構成も出来るだろう。
ただ、若く経験がまだ浅い事、ものごとの結露を急ぎ過ぎる性格が、独り立ちを邪魔している。
それに、菅田は漫画描きになりたいとは思っていない節がある。
もしそうなら、非常に惜しい事だ。
「そういや菅田よ。魔王のところには、ちょいちょい行っとるんか?」
「そうですね。行ってます」
菅田が魔王のところに行っていると知って、かなり驚いたものだ。
聞けば同郷であり、菅田が漫画以外でしたい事に関わっているという事で知り合ったそうだ。
魔王双区、スパピンの作者である事は、前々から知ってはいたが、まさか知り合えるとは思っていなかった。
アキ姐が菅田の事で、編集者としての仕事するだろうとふんでいたので、多少強引な方法ではあったが、顔を合わせる事が出来た。
漫画描きの知り合いを、前々から得たいと思っていたのだ。
「魔王は、同人の件でなんか言うとったか?」
「僕には何も言っていませんでしたが、原稿が2種類あったので、片方は同人だと思います」
「ふひひ……、いや、そうか」
「そう言えば、原稿で思い出したんですが、前に頂いた宿題がお見せできそうなんで、来週にでも持って来ていいですか?」
「お? ああ、ようやく菅田もやる気になったか。ええじゃろ。楽しみにしとくわ」
菅田が自分の漫画を描いたか。
菅田は魔王に会って変わったように感じる。
当初は漫画から離れるものだと思っていた。しかし、菅田の漫画に対する姿勢は、前のめりになって来ている。
魔王が菅田を変えたのだろう。あの漫画描きの漫画愛は相当なものだ。会って話して、それが良く分かった。
――
アシスタントは全員帰宅し、わし自身の仕事も完了している。
菅田の漫画に対する姿勢は良い物になった。また、菅田が変わった気がした。
魔王が変えた。そうだ、だが魔王が変えたのは菅田だけでは無い。
いつものカバンに必要な物を詰めて、壁の中へと入る。
今日2回目の殻を破る時間だ。
まずは物理的に殻を破るため、身につけている物を全て脱ぎ捨てる。ただ、普段付けていないメガネだけは装着する。
カバンからPC一式と、普段の仕事では使用しない液タブをセッティングする。
常人では運ぶ事が困難な機材類も、わしの力があれば楽勝だ。
無用の力だとは思っていたが、まさかこんな事に役立つとは、世界の巡り合わせとは良く出来ている。
「デュフフフ、まずは四天王チェックからじゃあ!」
わししか居ない仕事場の箱の中で、大きな独り言が出る。
PCを弄るように操作し、四天王の発言や、スパピンコミュニティの情報を流れるように見る。
「四天王……、お主等が魔王先生のリアフレである事は間違いない。じゃが、遂にワシも魔王先生にリアルで逢うた! これで、お主等のアドバンテージはのうなったのう」
液タブに覆い被さるように構えて、スパピン同人の原稿に加筆しまくる。
実は、このポーズが一番筆が進むのだが、普段の仕事場でこんな事は出来ない。
「推し漫画の同人を、作者に許可してもらう事など、誰にもできまいてなあ。まさに、ワシのみの特権じゃあ」
筆と独り言がどんどん進む。
「じゃが、四天王の事じゃあ、生半可な同人ではこき下ろすに決まっとる。奴等がひっくり返るようなモンに仕上げんとなあ」
最近は、箱に籠る頻度が増した。わしもまた魔王に変えられるたか。
いや、魔王に変えられるたのは、もっと昔の事だった。わしは、ただそれを思い出しただけなのだ。