菅田の世界13
高速で景色が流れたような気がした。
気が付くと金色の穂の波の中に居た。夜なのに明るいのは、高さ5メートル辺りにある球体が発光しているからだ。
明るさは街と変わらないのに、殆ど音の無い場所に放り出されて、若干の耳鳴りがする。
振り返ると、暗闇の中に巨大な四角いシルエットがあった。
恐らくあれが竈門窟だろう。
僕は、人樹の領域を追い出され、絶望の穴が支配する領域にいるのだろう。
外から見る金色の畑とは、また違った雰囲気を感じる。
畑の奥、恐らくは天に届く塔がある方角に、とても惹かれる。
既に何かが作用しているのだろう。
空に浮かぶ発光体は幾つもあり、惹かれる方角に向けて列を成していた。新たな来訪者を絶望の穴に招き入れようとしているのだ。
絶望の穴の話を知らなければ、間違い無く誘われる方角へと歩み出していただろう。
光に背を向けて、暗闇向かって歩いてみた。
畑が途切れる境界線で、何かに押し返される感覚があった。
風も無いのに、突風に煽られて進め無い。そんな感覚があり、暗闇の中に戻る事は出来なかった。
手の中には、焼け焦げた輪が残っていた。まだ熱を持ったそれを畑に捨てるのに躊躇して、レイブレードで包んでいた。
「急にどうしたんや?」
背後から話しかける。ヒグチさんの声だ。
「その質問に答える前に、僕から一つ聞いてもいいですか? 僕の体は今どこにあるんですか?」
「体?そこにあるやないか。ここは危ない場所なんやで、はよ、安全なトコまでいこや」
「では、光の続く方へ行きましょう」
「そっちは危ないって知っているやろ? 今は、畑の境に沿って移動するんや」
ヒグチさんの口調は、少しだけ焦っていた。
「知っていますよ。光の先には絶望の穴がある。でも、これを僕が知っている事を、ヒグチさんは知らないはずですよね?」
「ボクの故郷なんやから、いつも感じで勘違いしたたわーって、シラを切る事も出来るけど、ま、流石にそれや不義理やな」
僕が振り返ると、ヒグチさんが光を背に立っていた。
「最初の質問に答えてもらえますか?」
「体が何処にあるかやったっけ? そうやな、体は菅田君の世界にあるわ。あの喫茶店の椅子に座っとる」
「じゃあ、僕は精神だけが別の体に入っているって事ですか?」
ヒグチさんは袖で隠れた手で顎を触った。
「どうして、その結論に至ったんか、聞いてもええか?」
「僕は狩りから帰った後、体に変化の無い事に気が付いたんです。今、この場所は、夢を見ているような状況だと思いました」
「それやと、器に入っとるいう発想にはならんやろ」
「何かに入り込んでいるのかは、ヒグチさんの行動から分かりました。都合の良い夢を見せているなら、そもそもこの状況にはさせない筈です。ならば、監視出来る器に入れて管理しているのでは無いかと思いました。丁度VRゲームのアバターみたいにね」
「なるほどな。ゲームか。菅田君はここをゲームやと思った?」
「いいえ。狩りから戻るまでは、現実だと思っていました。実際どうなんですか? ここは、僕が以前に訪れた場所なんですか?」
ここが、ヒグチさんによって創られた世界なのか、それともヒグチさんによって創られた体で、あの世界を体感したのか、僕にとっては重要な事だ。
「この世界が何なのか? それは、重要な事では無いやろ。重要なのは、菅田君がこの世界に在り続けるつもりかどうかやろ? どうなんや?」
「体はどうなるんですか。この世界を続けるというなら、僕の体も持って来て下さいよ」
「そんな危険な事、ボクに出来る訳ないやろ。体は本物では無くとも、なんも問題ないやろ? ゲームやと思って続けたらええやん。ゲームの体験だって、尊いと思うで」
「初めから現実では無いと知って体験するのと、途中から現実では無いと知るのでは、まるで違います」
僕とヒグチさんの意見は平行線だ。
「ボクはただ知ってほしいんや。世界にはモノを知らない事で起きる不公平が蔓延しとる。そんな事はあってはならんのや。菅田君は、こっちの事は何も知らん。そんな不公平を、ボクは無視できんのや」
ヒグチさんの言う事の利が、僕には理解出来ない。何か別の意図でもあるのだろうか。
「もしかして、僕にこんな経験をさせたのは、魔王先生の差し金ですか!」
ヒグチさん、一瞬驚いたような顔をした後、口角を上げて笑った。
「ボクが? 魔王に頼まれて? ないない! そんな事がある訳がないやろ。菅田君は、隣に居る異世界人が、どういった存在なんか、一回考えた方がええんちゃうかな」
ヒラヒラと袖を振って笑う姿は、どこか、恐ろしさを感じた。
「それは、どう言う意味なんですか!」
一歩踏み出そうとした時、地面が土から硬い物へと変化した。
「ボクがルール違反をしたから、もう終いやね」
膝に硬い物が当たり、視界が一瞬で喫茶店に変化した。
「戻ってきた?」
「初めから、何処にも行ってないが正解やな」
ヒグチさんの手が伸びて来て、テーブルにある伝票を摘み上げた。
あちらでは袖に隠れて見えなかった手が、あっさりと露わになっている。指には、大きな偽物っぽい宝石の付いた指輪がはまっていた。
「僕の体がある?」
「そら、あるよ。今日のところは残念やったわ。お互いに欲しいもんが手に入らんかった。次は、もうちょっと慎重にいこうかな。ああ、ここはボクの奢りな」
前は、僕が支払いをしたような気がする。まどの外には、何の事は無い住宅地の路地が広がっていた。
「僕は、僕はどうしたらいいんですか?」
「さあ、それは自分で決めたらええんちゃうか。ああ、それ、ボクからのプレゼントや。いらんかったら捨ててもええけど、お守り程度には効果あるで」
僕の手首には、組紐で作ったアクセサリーが巻かれていた。
僕が、あちらでレイブレードを出すきっかけになった物だ。
ヒグチさんはお会計をして、店をスタスタと出て行ってしまった。
あちらで感じていた熱いモノが、スーッと引いていく感じがする。
散らないように、あの熱さを必死に思いだそうとするが、もう、何処にどんな風にあったのかすら思い出せ無い。
ヒグチさんを追って店を出てみたりしたが、既に姿は無かった。
携帯端末で時間を確認すると、時間は数十分しか経過していなかった。
あちらで1日は生活したはずなのに、その時間は無くなってしまったのだ。
自転車のサドルに触っても、まだ外気の温度に完全には馴染んでいない。
僕の時間はどうなってしまったのか。確かにあった事の記憶は全てある。しかし、あったはずの感情の熱は、こちらでの時間に圧縮されたかのように、引いてしまっている。
僕は自転車に乗り、走り出していた。向かう先は、魔王先生のところだ。