菅田の世界11
金色の広大な畑では、白い人型の何かが農作業しているように見える。人工的に作った構造物もあり、遥か先の空に一筋の柱が空に向かって建っている。
あちらとこちらの境界に柵の一つも無いが、まるで世界がそこから別物に変わっているように見える。
「失うって、死ぬという事ですか?」
「シンデイルノカ、イキテイルノカ、タダ、ダレモモドッタモノハイナイ」
あの畑の作物のように、人も収穫されるのだろうか。
だが、人生の絶頂を味わえるなら、仮にその先が死だとしても、その選択をする者はいるだろう。
「この国では知る事が出来るというのは? 以前までは別の国で、その事実は伏せられていたという事ですか?」
「ダレモシラベナドシナカッタ。イチドハ、セカイノチュウシントマデイワレタバショダ。ウタガウヨチハナカッタ」
「では、何故今のようになったんですか?」
「コノクニニオウガウマレタ。オウハ、アナニノマレズ、シクミヲトイタ。ソシテ、タミニシラセタノダ」
この国には、王と呼ばれる存在がいる。そして王は、かなり聡明なようだ。
「穴に飲まれるというのは?」
「コトバノトオリダ。アノシロイトウノシタニハ、アナガアル。ゼツボウシタモノハ、アナニミズカラトビコムノダ」
誰も戻って来る事の無い理想郷は、人を自死に追いやる場所のようだ。そして、その場所からただ一人戻ったのが、この国の王だ。
ここは、より強大な者によって絶妙な支配構造になっている世界なのだ。しかも、その支配者は、個人だったり場所だったり、種族だったりする。
何が一番力を持っているのか、それを僕の常識で測る事は難しいと感じた。
今は、何の話を聞いても壮大過ぎて実感が無い。今出来る小さな事から、やっていくしか無いのだ。
「練魚狩りは、加工品を街まで持ち帰れば終わりですか?」
「ソウダ。ナンニセヨ、アスマデカカル。イマノウチニ、ヤスンデオケ」
そう言って、アオヒメさんは昇降機に戻るように促した。
特にやる事も無いので、何処かで休む事にした。
アオヒメさんから、ここでの休む方もレクチャーしてもらった。
まずは、開いている部屋を見つけて、入口に皮製の仕切りを置く。この仕切りは、部屋を使用中という意味があるし、描いてあるマークで、どの狩りに所属しているのかを外に示す事が出来る。
仕切りがあれば、置いていかれ事無く、安心して休む事が出来る。
部屋は全て岩で出来ているが、寝台らしき物は何らかの加工がされており、柔らかくなっている。
体を乗せると、ゆっくりと沈み込むし、何故かほんのり暖かい。硬めのビーズクッションのようだ。
かなり歩いたので、足が疲れている。靴を脱いで素足になると、足への圧迫が取れてリラックス出来た。
お風呂についてアオヒメさんに聞いたら、存在はしているようだが、匂いを消す必要がある狩人専用の施設だそうだ。
僕の所属している狩りでは、使用する事が出来ないそうだ。
やる事が無い。普通なら、携帯端末で暇を潰していただろうが、何故か端末の電源が入らなくてなっていた。
寝るしか無いのだが、一つ懸念事項がある。
そう、トイレに行きたいのだ。
視界の端に、街でもらった汚物回収用のタンクがチラつく。
待っていても、どうにもならないので、タンクの漏瑚のような口を確認した。
漏瑚部分は、肌にピタッとくっつくようだ。緩い力で簡単に引き剥がせる。
この部分を当てて、用を足す事によって、タンク内部に汚物が回収されるのだろう。
これは、この場所で生きていく為に必要な事だ。仮にここでは無い場所で生きるとしても、僕の知らない常識に従う必要はある。
やるしか無い。この程度の事が受け入れられ無くて、どうやってこっちで生きていくのか。
「やるぞ」
僕は心を決めた。
―――
眠り、偶に起きを繰り返していると、仕切りがトントンと叩かれた。
仕切りの外にはアオヒメさんが居た。
「ソロソロデルゾ」
荷運びの時間になったようだ。僕の荷物は汚物回収タンクくらいなので、さっと外に出た。
仕切りを所定の場所に戻して、アオヒメさんの後を追うと、練魚の荷が用意されていた。
荷物は、持てるだけ持つという、緩いルールだったので、僕はレイブレードをリュックのように変形させ、持てるだけ荷物を持った。
レイブレードは僕の力の何十倍も強いので、かなりの荷物を持つ事が出来た。
街に向かってゾロゾロと列を作って歩く。気候が穏やかなので、特に大変な事も無い。
――
途中に水場に寄って休憩したくらいで、何事も無く街に到着した。
狩猟組合で荷物を下ろしていると、ヒグチさんが何処からとも無く現れた。この人は、狩りに参加せず街で待っていたのだった。
「菅田君。お疲れやね。それ使こうたん?」
汚物回収タンクを指してヒグチさんが聞いてくる。少し心配そうな表情だ。
「使いました。ちょっと抵抗あったんですけど、使ってみたら、どうという事はありませんでした」
「そうか、大変やったな。まあ、ここが嫌になったら言うてや。別の場所にも連れて行ったるし、元の世界に帰るのもありやで」
ヒグチさんは僕を心配してくれているようだ。
「今のところは心配いらないですよ。ここでなら、暫くやっていける気がします」
狩猟組合に汚物回収タンクを提出すると、親指の先くらいのサイズの銅板のような物を貰った。
恐らくは通貨のような物だ。汚物と狩猟の報酬として貰えるようだ。
汚物だけを提出した人が、大体3枚くらいもらっており、僕は10枚もらっている。7枚が狩猟の報酬だろう。
これで、どれだけの物が買えるのか分からないが、後でヒグチさんに聞いてみよう。
狩猟組合のテントから出ると、外は騒がしくなっていた。
「い、イカサマだぁ!」
練魚狩りで一緒だった緑肌の仮面の人が騒いでいる。
「何を根拠に言うとるのだ? 賭けに負けたのは、お主のせいだろう」
落ち着いた口調の方は、最初に会った猫髭の老人だった。
「出目が、どう考えでもおがしい! その盤あらためっぞ!」
仮面の人から黒いモヤが現れて、ボードゲームの盤のような物に向かって伸びる。
「負けた者がいちゃもんつけるのは、良くないのう」
猫髭の老人は、木の枝で出来た輪のような物で、黒いモヤを受け止める。あれは確か、ヒグチさんが渡した物だ。
「そ、それは!!」
黒いモヤが戻ろうとするが、時は既に遅く、枝の輪に触れていた。
次の瞬間、仮面の人の姿は、忽然と消えてしまった。
「わしをいつまでも侮るから、こうなるんじゃ。ふぉっふぉっふぉー!」
猫髭の老人は、高笑いして去って行ってしまった。
「おやー、揉め事かいな?」
ヒグチさんが、ひょっこりて人混みから現れた。
「ちょっとした口論みたいだったんですが、人が一人消えてしまったんです。ヒグチさんが枝の輪を渡した人が消したようでした」
ヒグチさんは一瞬眉毛を動かして、いつもの糸目顔に戻った。
「そうか。あの枝は人樹に繋がっているんやで。それに敵意のあるもんを当てたら、この場所から排除されるわな。ここは、人樹が支配する場所なんや。人樹に敵意を向けたら、土地から追い出される」
あれが、人樹の排除行為という事なのだろう。
「排除された人は、どうなるんですか?」
「二度とこの地に入る事はできなくなるわな。人樹にとって人樹以外は、家畜や作物みたいなもんや。害のある虫は駆除される。ここはそういう場所なんやで」
この世界では、支配者が絶対なのだ。力があれば全て思いのままだが、力がなければ従う以外に選択は無い。
僕がこの世界で、本当に自由になるには、力を得るしかない。それが今、明確になった。