菅田の世界10
ほぼ水を失った練魚は、水を球状に変化させ、丘を転がって逃げ出そうとしている。
服を着たシロクマのような見た目の狩人が、球になった練魚を受け止め、青肌で魔女風の狩人が水を凍らせる。
狩に集まったとき、何も説明はなかったが、恐らく練魚を狩る専門の狩人はメンバーの中核になっていたのだ。
さっきの狩の仕方を見るに、水を奪う足止め要員はいくらいてもいい感じだ。
「おめぇのおかげで、はやぐすんだ。助かったべ」
緑肌の仮面の狩人が声をかけてきた。
「咄嗟に動いただけで、偶然です。それより、これから何をするんですか? 練魚を街に運ぶんでしょうか?」
水を失ったとは言え、練魚の頭の高さは3mはある。人数はいるが、運搬ようの道具が無いので、大変な作業な気がする。
「竈門窟に練魚を運ぶべ。街に運ぶんわ手え入れでからだ」
話の内容から獲物を加工する場所があるようだ。確かに街には火の気が無かった。人樹が火の扱いを嫌がるのだろう。
青肌の魔女が練魚を包む氷に触ると、氷の底部がソリのような形状に変化した。
全面には体の大きな狩人が集まっている事から、あれを人力で引いて運ぶようだ。
「僕でも手伝い出来るでしょうか?」
「交代で引く。後から付いてけ」
僕は狩人の行列に加わって歩きだした。
――
運搬を交代しながらどれくらい歩いたか。空の色が紫色に染まり始めたので、こちらも夜になるのだろう。
景色は草原から岩場に変わっており、人の手が入った岩石が増えてきた。
鋭角に切り取られた岩が目立つようになり、巨大な一枚岩に切れ込みのような穴が空いていた。岩に開いた四角い窓からは煙が漏れており、人の営みを感じる。
岩の切れ込みは巨大で、練魚も楽々入口を通った。岩の中は鋭角にくり抜かれており、岩の作業台で、多くの職人が動物の肉や皮が加工していた。
奥は市場のように様々な品が並んでおり、取引的な事がそこら中で繰り広げられている。
食事も出来るようで、岩を加工した屋台のような店が連なっていた。
屋台の様子を見ている限り、通貨のやり取りがなされていない。いっしょに練魚を狩った狩人達も、屋台で注文だけして、料理を受け取っている。
飲食は無料なのだろうか。とりあえず屋台からの匂いで食欲が刺激され、さっきからお腹が鳴っている。
豚骨ラーメンみたいな匂いのする屋台で注文してみると、大量のスペアリブを豚汁に沈めたような料理がボール一杯出てきた。
適当に石段に座って食べてみると、肉の旨さに我を忘れて、10分程度で完食してしまった。
料理の器を屋台に返して、適当に辺りをフラフラしていた。
「オマエ、ヒマカ?」
呼ばれた声の方を見ると、いっしょに狩をした青肌の魔女っぽい人が岩の小部屋から手招きしていた。
「暇、ですかね。今はする事無いです」
「チョウド、ヨイ。コッチニクル」
指でちょいちょいと呼ぶ仕草をして小部屋の引っこんでしまった。
人通りも多いので、特に警戒も無く小部屋に入ると、青肌の魔女が全裸でうつ伏せに横たわっていた。
「ええ!!!」
全裸といっても、下半身は蛇のような形状で、腕は4本あり、全身が細かい鱗に覆われているので、あまりエロスは感じなかったが、これは、そういうお誘いでは無いだろうか。
「ナンダ? ハヤク、コシヲモンデクレ。タイカハシハラウ。アト、チョクセツハダニフレルナ。コオルゾ」
首だけ回転させ、黄色瞳でこちらを見ながら、青肌の人は待っていた。
ちょっと、いきなりの事で脳がフリーズしていたが、ようやく言葉の意味が分かった。
直接触れずに腰を揉んでくれ、一瞬とんちかと思ったが、僕に頼んでいるという事は、そういう事だ。
レイブレードを手の形に変えて腰を掴み、ゆっくりと押してみる。
「ム?、ウ、ウ。イイゾ、モットツヨク!」
「こうですか?」
「ウ、ンンン!ソウダ!ソコダ!ン、ア、ア、アンン!!」
10分程揉んでいると、青い鱗に霜のようなものが張り付き始めた。
「なんか霜が降りてきましたけど、大丈夫ですか?」
「………ヨ、ヨイ」
更に10分ほど続けると、全身が真っ白になってしまった。
「あの、完全に凍ってないですか?」
「フム、ヨイゾ。イタミガキエタ」
白くなった全身にヒビが入り、パキパキと音を立てて青い肌に戻り、そのまま滑るように地面を移動して、黒い貫頭衣に入り込むと、狩のときの姿になった。
服が大きく緩やかなデザインなので、僕と同じ四肢のある人だと勘違いしていた。
「腰痛、大変ですよね。僕も周りに同じような人がいるので、辛さは少し分かります」
「ワレニサワレルモノハスクナイ。マタタノム。サア、タイカダガ、ナニガホシイ?」
「特に欲しい物は無いんですが、この場所の事、狩人の事、そして可能なら名前を教えて頂けないですか?」
「ソンナコトデイイノカ? ナナド、キイテドウスル。マア、ワルハ、アオヒメ、ダ。ココノコトハ、ミタホウガハヤイ。アンナイスル」
「僕の名前は真です。案内よろしくお願いします」
アオヒメさんの案内で、この竈門窟の事はよく分かった。
まず、街も含めて、この辺りまでは人樹の土地らしい。竈門窟は、岩石地帯なので人樹的には価値が無いらしく、住む人が手を加えたり、火を使ったりしていい場所だそうだ。
狩で得た獲物は、竈門窟で加工され、道具や保存の効く状態になってから街に運ばれる。
食事が無償提供なのは、結局、人樹の求める排泄物の元になるからだそうだ。料理の提供者は、その働きに応じて、人樹から報酬があるそうだ。
道具類は人樹が必要としている訳では無いので、街に住む人々に売るために作られている。テントの材料は全てここから供給されているそうだ。
最後にこの国の事を聞くために、僕とアオヒメさんは竈門窟の天辺に登っていた。
内部がくり抜かれ、手動の昇降機があるとは言え、200mはある岩の頂上に到達するのは大変だった。
「ミロ。アレガジンジュノチノオワリダ」
岩石地帯の向こうは、整備された穀倉地帯が広がっていた。
「あっちは別の国ですか?」
「イヤ、コノクニノイチブダ。ワレワレハ、アチラカラノガレテキタ」
「逃れる? 凄く平和で豊かな場所に見えますよ。境界に壁がある訳でも無いですし、何か目に見えない恐ろしい事でもあるんですか?」
アオヒメさんは黄色瞳を細めて、あちら側を見ている。
「メニハミエテイル。アチラハミリョクテキスギルノダ。ナニモノモミリョウスル。ソレコソガキョウイダ」
魅力が脅威。よく分からない理屈だ。
ただ、境界の向こう側は、こちらの荒涼とした景色と比較したとしても、確かに輝いて見える。
「どうしてあちらは脅威であり、逃れる必要があったんですか?」
「テニイレタモノガカナラズウシナワレルトシタラドウダ? セイノゼッチョウデスベテウシナウ。ソレハオソロシイコトダトオモワナイカ? ソレヲシルコトガデキル。ソレガコノクニガアルリユウダ」
僕の知りようが無い常識が、この国にはあった。