菅田の世界9
狩猟組合のテントの中は薄暗く、地面は土のままだった。
人が座る場所には敷き物があり、集まっている人達は皆車座だった。
構造物という物を限界まで排除しているという印象だ。
同じ場所に留まる事が少なく、常に移動している組織なのだろうか。それにしては敷き物の隅に積もった埃は妙だ。
「ヒグチさんはここの組合員だったりするんですか?」
「いや、ボクは狩猟なんて肉体労働はでけんから、ここに入ったんも初めてやで」
この場所のルールは自分で聞くしか無い。幸い言葉も通じるし文字も読める。なんとかなる気がした。
テントの中央には丸い敷き物の上に巻物のような物が積まれており、大柄な梟のような顔をした人物が鎮座していた。
恐らくなんらかの管理をする役目の人だろう。
話をしようとテントの中央に移動すると、梟顔の人の大きさがよく分かる。
こちらからだと見上げるほどの巨大で、前合わせの着物から飛び出した複雑な模様の羽毛塊が邪魔で顔がよく見えない。
「あの、すいません。狩猟組合に参加するにはどうしたらいいでしょうか?」
単刀直入に要件を聞いた。雑談を挟む余裕は、今の僕には無い。
巨大は音も無くゆっくりと動き、羽毛塊のあった場所がひっこみ、上から目を見開いた梟顔が降りてくる。
「ふむ。何故、狩猟を求む?」
「ここに少し滞在するつもりなので、暮らすためです」
大きな瞳の丸い瞳孔が、縦に細く閉じる。
「暮らすだけなら喰手になるという手もあるが、狩猟でなければならんのか?」
喰手と聞いて、なんとなくどんな役目か分かった。ここでは排泄物が売れるのだから、食べて出すだけの人がいてもおかしくは無い。
「自分で働いて成果を得たいんです。狩猟するには、何か条件があるんでしょうか?」
「狩猟人に資格はいらぬ。狩だけならば、我らに属する必要もない。我らは効率よく獲物を糞に変える術があるだけだ。どうだ?それでも狩人になりたいか?」
ここは国だとか法がある訳では無く、ただ仕組みがあるだけなのだ。利害が一致すれば組むし、必要なければ個で行動する。
一つルールがあるとすれば全てが人樹を中心に回っているという事だ。
「狩人になります。出来れば人樹について、基本的な事を教え下さい。僕は今日ここに来たばかりなので、何も分からないのです」
梟面の瞳の瞳孔が満月のように丸く開いた。大きな腕が手前に伸びてきて、アリクイのような鋭い鉤爪が巻物を一つつまんでいた。
巻物が敷き物の上で転がりながら開くと、ラッパのような壺のような物体が巻物から生えてきた。
「狩人ならばこれを持て。人樹の禁は三つだ。人樹に影を作るな。人樹への水の流れを妨げるな。人樹の土地に手を加えるなだ」
渡された物体は何か分からないが、人樹へのタブーがこの場所での生活スタイルの答えとなった。
影を作らず、水を妨げず、土地を触らないのであれば、テント住まいは納得だ。
「この道具はなんですか?」
「お主を認識して糞尿を集める道具だ。狩人になるなら、それで糞尿を納めてもらう。その代わりに、狩場の指示や獲物解体、取り分の分配は我らが調整する」
このラッパのような部分が吸い口という事なのだろうか。異文化の洗礼のようなものはあると覚悟していたが、結構度肝を抜かれた。
「分かりました。従います」
「菅田君、ええんか? ウォッシュレットに慣れた現代人にはきついんちゃうか? ボクやったら嫌やわー。そんな何にひっいつとったんか分からんもんで用足しなんて、怖気が走るわ」
確かにここち良い事では無い。ただ、別に耐えらないとは思わなかった。
「ヒグチさん、僕やりますよ。ここに来て、僕にも出来そうな事が見つかったんです。まずはやってみます」
僕は腕くらいの大きくがある壺を受け取った。陶器のような生物の甲羅のような不思議な質感のする壺だ。ラッパとタンクのような部分の管は、粘土のように伸びるので、カバンのように体に固定する事が出来た。
「早速、人数の必要な狩があるが、参加するか?」
「はい、お願いします」
僕の狩人としての活動は直ぐに始まった。
――
僕は、他の狩人達と共に、テント街から離れた草原までやって来た。
獲物は練魚という、宙を舞う魚らしい。水を集めながら移動するので、人樹が嫌う魚だそうなので、街から近くでも狩が許されるそうだ。
本来の狩はもっと遠方でするそうだ。何故なら、人樹の土地に狩の影響が害を成すからだ。
練魚の狩は、人によって難度が異なるそうだ。なんでも、練魚が溜め込んでいる水を如何に奪うかが重要なのだそうだ。
現物を見た事がない僕には、練魚が何処に水を貯めているのか分からないが、ぶっつけで対応するしかない。
「きたぞ」
狩人の誰かがそう言うと、小さく地面が揺れた。振動はリズミカルに、段々と近づいて来る。
草原の丘になっている向こうから、巨大な水塊が姿を表す。高さにして20mはあるだろうか、その透明な塊は、まるで巨人のように四肢があった。
水の巨人の中に、黒い神経網のような物が走っており、頭部には黒い四つ目の竜のような物が収まっていた。
頭部ある物、それがまさに練魚なのだろう。魚と聞いて、多少のオーバーサイズは想定していたが、まさかここまで大きいとは思わなかった。
僕の恐怖心がそうさせたのか、レイブレードはバリアのように僕の周囲を取り囲んでいた。
練魚の巨大な一歩が、僕と周りの狩人を津波のように飲み込む。
バリアに守られていた事が幸いして、僕は波に飲まれ事は無かったが、他の狩人達は、大量の水と一緒に流されてしまった。
狩の獲物が、多少の反撃をして来る事は想定していたが、まさかこれ程の戦力差があるとは思わなかった。
足がすくんでバリア中から動けなくなる。水はまだ僕を目掛けて流れてくるが、最初程の勢いは無いので耐えられそうだ。
視界の端に何かがチラチラする。狩人の何人かは空を飛んで練魚の周りを回っている。
練魚は空を飛ぶ狩人を狙って水柱を伸ばすが、一定の距離で形が崩れて、勢いの無い放水のようになる。
狩人達は明確な攻撃をしていない。さっき流された人達も、丘を登り戻って来ようとしていた。
練魚の巨大が、こころ無しか小さくなっているような気がする。
練魚の狩猟は水を奪う事……………そうか!
練魚は一定距離離れた水を戻す事が出来ないのだ。さっき、多くの狩人が流されたのも、空を飛んでいる狩人が何もしないのも、水を奪うためなんだ。
そう考えれば、僕が事に立ち止まって水を受け続けている事も、十分に効果がある。
それに、練魚はこちらの数に合わせて水の使用量を変えている。大勢には大量の水、単体には少量の水柱といった感じだ。
理屈が分かってしまえば、練魚の水量がみるみる減っている事が確認出来た。後、5分も耐えれば、練魚は全ての水を使いきるだろう。
地上班の狩人が殆ど戻ってきたので、僕はバリアの範囲を広げて、皆を守るように展開した。
巨大な津波が再度発生するが、今度は誰も流される無い。
そして、練魚は殆ど全ての水を使い果たして、地面に落下してしまった。
狩人の皆から一斉に声があがった。それは意味を理解するまでも無い、勝鬨だった。