菅田の世界5
焼肉屋のトイレに篭っている。自分のした自分勝手な事に嫌気がして、それとなくトイレという名目で逃げ出したのだ。
トイレは完全個室ではないので、時々外に誰かの気配を感じるが、皆、用を済ませて去って行く。
「菅田氏。大丈夫かい?」
外から魔王先生の声がする。僕を気にしてわざわざ来てくれたのだ。
「別に大丈夫です」
魔王先生は、僕のした事や、それに至った経緯を分かっているのだろう。
僕は今日初めて会った人達を試したのだ。人は異物を簡単には受け入れない。受け入れたとしても、それは異物側から納得のいく答えを得られたときだけだ。
僕は受け入れられるための答えをいつも、いくつも用意している。
今日は、あまりにもその儀式とも言える行為がなかったので、我慢出来ずに自分から暴発した。
「私の四天王はどうだった? 菅田氏の思う人達では無かったようだけど、いい人達だろう?」
「そうですね。魔王よりも王として器を感じる、いい人達だと思いました」
「そうだろうとも。私は素晴らしい四天王と出会えて幸運なんだ。いい人に出会えるなんて、人生の中でもなかなか無い事だよ。ところがどうだ。私の最近の出会いときたら幸運続きで、正直恐ろしさすらある。菅田氏に烈風先生に泉野さん、私の縁は今が最高潮かもしれないね」
「僕はそんな、いい奴じゃないですよ」
外で手を洗う音が聞こえる。
「菅田氏は、今まで出会ってきた嫌な奴より下なのかい? そんな事はないだろう。それに、いい奴かどうかは他人が決めるんだ。それなら菅田氏は、私にとってはいい奴だよ」
余に恥ずかしい言葉が続くので、思わず外にでてしまった。
「これ以上、魔王先生の恥ずかしいセリフを聞いていられないので、席に戻ります」
「お!そうか。ちょうど良かったよ、今からこの店の逸品が出るところだからね」
僕はまんまと魔王先生に説得されてしまった。
席に戻った僕は、魔王軍団の巧みな戦術で、いい感じに酔わされ、食べて呑み、沢山話をした。
―――
二次会、三次会と梯子がどんどん掛かっていき、気がつけば空が白んでいた。
何か色んな話をして、そして聞いた気がするが、今は思い出せない。
四天王の方々は始発で帰るという事なので、既に皆それぞれの帰路についていた。
「四天王会はいい集いだろ」
「そうですね……。とりあえず無茶苦茶眠いです」
飲み明かしたのなんて初めてなので、今は直ぐにでも寝床に滑り込みたい。
「我々も始発に乗ろう。駅はすぐそこだし、後ちょっとだよ」
「魔王先生は、四天王の人達に、僕の事を言い含めていたんですか?」
なんとなく、聞きたくもないけれど、気になっていた事を聞いてしまった。
「菅田氏の事を説明するのに、ロボロボ先生である事は話たけど、それ以外は何も言ってないね」
「四天王の事、信頼しているんですね」
「いやー、どうだろうね。仮に変な事になったとしても、菅田氏なら大丈夫だと思ったし、四天王も気にしないだろうから、楽しい会になるだろうな、くらいしか考えなかったけどね」
魔王先生のポジティブな考え方に呆れつつも、この人が故郷を見限ったという事実が気になった。
――
自宅に帰った僕は、切れそうな意識をギリギリで保ちながら、シャワーだけ浴びて眠った。
目を覚ましたのは、昼を過ぎた頃だった。
四天王会で長くお酒を呑んでいたので、かなり残るかと思っていたが、しっかりスッキリしている。
僕は不妨に計算されて酔わされたようだ。四天王は侮れない人達だと再認識した。
今日は休みなのだが、特にやる事もない。
なんとなく、魔王先生のところに足が向かったので、連絡もいれずに魔王宅の近所まで来た。
新しくめ古くもない魔王宅のあるアパートが見えて来たとき、魔王先生の部屋から出てくる人が見えた。
今まで見た事の無い人だった。
髪を七色に染めており、黒地に派手な刺繍の入ったジャケットに、白地の袋のように広がったパンツなのかスカートなのかよく分からない物を穿いている。
かなり気になる人物で、素性が気になる。
僕はその人物の後をつける事にした。
その派手な人は、遠くからでも簡単に見つける事が出来た。移動も徒歩なので、見失う事は無い。
この辺りは住宅街なので、特にお店など無い。行き先は駅の方かと思ったら、どういう訳か何もない方へと進んでいく。
特に目的も無く、散歩をしているようにしか見えない。ますます怪しさの増す人物だ。
「ボクの事つけてきて、なんか用なん?」
いきなり背後から声がして、驚きで背筋がビクつく。
振り返ると、今まで遠くに追っていた派手な人物が、直ぐ背後にいた。
「わあ!!」
思わず声を上げると、派手な人物が目と鼻の先まで距離を詰めてきた。
「魔王の知り合いなんか? 初めて見る顔やけど、ちょっと◯◯◯の匂いがするな」
「すいません。勝手に後をつけて。僕は菅田といいます。魔王先生とは最近知り合って、漫画の事で会ったりしてます」
「ふーん。ボクも君にちょっと興味あるわ。どや?そこのサ店で、お話ししよや」
指で刺された先には、小さな喫茶店があった。こんな住宅街の奥にある店に違和感を感じるが、確かに存在している。
「そうですね。僕も話したい事があります」
この人からは、あちらの気配がする。僕に魔王先生に接触するように話た人からも感じた、ごく微量の違和感が、この人からもするのだ。
喫茶店の扉を開くと、鈴の音のようなチャイムが鳴った。かなり古いお店なのか、店内の内装はクラシックな感じで、灯りは薄暗い。
「おっちゃん、クリソ一つ。君は何にする?」
「アイスコーヒーで」
壮年の店主が静かに注文を取って去っていった。
「そんで、ボクに聞きたい事はなんなん?」
この派手な人物は、僕が言えた事ではないが、性別、年齢が推し量れない。
さっきまでは、糸のように細い目で軽薄な男性という感じだったが、今は猫のように大きな瞳が開かれており、女性のような印象を受ける。
「もしかして、魔王先生と同郷の方ですか?」
「んー、同郷というには語弊があるけど、君達からすればあちら側の人間いう意味では、出所は同じかもな。ああ、自己紹介がまだやったな。ボクの名前はヒグチ。苗字ととっても、名前ととってもええよ。どのみちボクはヒグチや」
「ヒグチさんは、あちらの人なのに、どうして魔王先生と会う事が出来るんですか? 確かあちらの人は魔王先生の元に到達出来ないじゃないんでしたっけ?」
「ボクと魔王はあちら出身やけど、住んどる国が違うちゅう感じかな。魔王が嫌ろうとるのは、同じ国の連中や。ボクは関係あらへん。それに、ボクと魔王は、それなりに波長が合うんや」
凄く異質な人物だと感じるが、魔王先生が拒んでいないのであれば、この人もいい人なのかもしれない。
「それじゃボクも聞きたいんやけど、菅田くんはなんで魔王の事が気になるん?」
魔王先生に会って、色々と刺激を受けたが、僕の目的は変わっていない。
「僕は、あちらの世界に行きたいんです。魔王先生はあちらに戻るつもりはないし、僕を連れて行ってはくれませんが、魔王先生から得たあちらの知識を元に、いつかはあちらに渡りたいと思ってます」
ヒグチさんの大きな瞳に写り込んだ自分の顔は、まるで鏡をみているようだ。
僕の顔はいつも通りだが、その眼には不安の陰りがはっきりと見てとれた。