魔王の漫画15
「私がアシスタントですか?何故なんですか?」
「なんでかは置いといて、とりあえずペンネーム考えるか」
話の通じない人だ。独善的で傲慢だが、嫌な感じがせず、妙な魅力を感じるのは、この人が本音だけで語るからだ。
今日会ったばかりの人だが、何故かそれだけは分かる。
「いや、ペンネームってなんですか。私の名前は…」
「ストップ! 本名聞くと雑味が出る。出来るだけ印象と癖から決めるのがベスト………。よし! 君は今日から魔王双区だ! 」
なんか、とんでも無く変な名前が出てきた。
「え?その名前、が、私のペンネーム? 異常に変な名前じゃないですか!」
「今日からマオーよ。いいね。その名に相応しい漫画を描くように。以上、俺は風呂入る」
そう言って、ペタペタと足音をさせて部屋を出て行ってしまった。
「魔王さん、よろしくお願いします。先生の下にいれば、面白い世界が見られますよ」
「え? アシスタントって本当に? 私がやるんですか?」
「先生はそのつもりです。魔王さんはやりたくないですか?」
「いや、その、急だなと思って。私は漫画どころか、絵も描いた事がないし、何をやっていいのか」
「仕事は私が教えます。それに私達が描いているのは、絵でも小説でも無い、漫画です。しかも、週刊連載だ。週刊漫画を描いた事のある者など、それ程いないでしょう。だから、魔王さんは今日から漫画を描く事を始めればいい。遅いだの早いだのは二の次です。とにかく描けば始まるのです」
なんか、この人の方が先生って感じだ。
―――
私はアルバイトのつもりで神夢々先生のアシスタントになった。実際に給料も出たし、割も良かった。
鏑矢さんからは、実際に漫画原稿を完成させる手順の内、私の出来そうな事がどんどんと回ってきた。
手法や理屈が教えられる訳ではなく、ただ作業が無限に降ってくる。
それが漫画アシスタントを育てる正しい手段なのかは分からないが、私はこの漫画を描くという流れに組み込まれていく感覚が、心地良かった。
消したり、塗り潰したり、パシられたりする作業が、徐々に何かの形をなぞったり、直したりする作業に変わると、先生のやろうとしている事の壮大さを少し感じるようになった。
私は何かを創った経験が無かったから、創作という物の訳わからなさ、雷鳴のような閃き、押し潰されそうな単純作業圧などに翻弄されたが、少しずつ分かっていく喜びを得た。
飛び出して来た故郷で使っていた分かる事とは、全く別の理解を得て、漫画を描く喜び、自分の中身を紙に表現する難しさに勤しんだ。
―――――
ショッキングムーンの連載に携わっての6週間は、あっという間に過ぎた。
神夢々先生から、連載終了を伝えられた時は、何が起きたのか分からなかった。
こんなに面白い漫画が、たったこれだけで終わるのかと、心底に思った。
先生は特に変わらない様子だった。
「ま、広い世界での俺の受けなんて、こんなもんよ」
連載終了に関する事は、この一言だけだった。
正直、ショッキングムーンの続きが読めないのが、死ぬ程苦しかった。
もう、あの世界の先は無いのだと思うと、居た堪れない気持ちになった。
連載が終わればアシスタントの仕事は無くなる。私は先生の下で漫画を描く事を辞めたく無かった。
素直にそんな気持ちを伝えたら、3人で同人でも描くか、という話になった。
アシスタントでは無く、3人それぞれ描いて、一冊の本にするという事だった。
また、いつもの環境で、漫画を描ければと思い、安易に参加してみたが、このとき初めて創作の闇と向き合った。
今まであった安定した大地が、空を超える塔の先端のように感じた。
立つ場所以外は、何も無く、眼下には落下すれば確実に落命する虚空がある。
先生はいつもこんな場所で漫画を描いていたのかと思うと、涙が出て、紙を何枚か無駄にした。
私は結局、好きなアニメキャラのエロイラスト1ページしか描く事が出来なかった。
先生と鏑矢さんもエロだったが、きっちり漫画として完全していた。
本は即売会で飛ぶように売れ、商業誌での不人気がなんだったのかと思った。
その後、先生はふらっと何処かへ行ったきり、帰って来なかった。
鏑矢さんは、同人時代にはよくあったと言っていたが、流石に1週間戻らなかったので、2人で本気で探した。
警察に届け出るか本気で悩んだが、鏑矢さんの機転で、残された銀行通帳を記帳すると、残高が少しずつ減っている事が分かり、生存しているのだろうと判断した。
私には、先生が探さないでくれと言っているように思えたが、鏑矢さんは納得出来ず、捜索に躍起になっている。
私は同人誌での悔しい思いから、同人制作にハマり、鏑矢さんに色々と教えもらいながら、同人漫画を描く日々を過ごした。
回を重ねるごとに、少しずつ本が売れるようになり、私はなんとも言えない快楽の沼にハマっていた。
そんな日々を鏑矢さん見抜かれて、出版社への持ち込みを勧められた。
先生が連載していたような大手では無く、趣味趣向のトガった読者層を持つ出版社で、偶然にも連載をもらう事が出来た。
私は、前よりも更に高い塔の先に立ったが、まだ、先生の立っていた高さに至らぬ事が理解出来たので、今回は前に進む事が出来た。
――――――――
「大体こんな感じです」
「なるほどのう。それでまだ見つかっとらんのじゃな」
烈風先生の前のスープ皿は、いつの間にかカレーに変わっていた。
外は白んで来たている。一晩中語り明かしたのは、いつ以来だろうか。
「そろそろお休みされた方がいいのでは無いでしょうか?」
私は寝なくてよいが、烈風先生はそういう訳にはいかないだろう。
ただ、烈風先生の血色は良く、大きな瞳には隈一つ無い。やはり、女子中学生なのでは無いだろうか。
「わしとの話はつまらんか?」
「いえ! そういった事では無く、今日のお仕事に差し支えがあるかと思いまして」
「わしがようても、魔王はねむてえわな。ええじゃろ、今日のところはこれでしまいじゃ」
そう言うと、烈風先生は店員を呼び出した。
例によって、烈風先生では会話にならない為、泉野さんがお会計の手続きをした。
私もお支払いをしようとしたが、「黙って奢られとけや」という泉野さんの重低音ボイスに封殺された。
ファミレスを出ると、既に日は登り始めていた。
「乗れ」
泉野さんに命令され、来るに乗ると、烈風先生が助手席に乗っていた。
烈風先生が乗ってきた自転車は、折り畳まれてトランクに収納されていた。
腹に響くエンジン音と、カーブにかかるGを感じながら、車は私の家へと向かった。
あのファミレスは始めて行ったが、車だと以外に近くにある事が分かった。
私の家に到着すると、烈風先生も一緒に降りようとしてきた。
「お嬢、今日は流石に予定ありますんで、いけませんよ」
泉野さんの表情は、若干引きつっている。恐らく、烈風先生が本気で動いたら止められないのだろう。
「わがっとるわ。冗談じゃ。それじゃまたの魔王。同人本忘れるなよ」
そう言い残して、烈風先生達は去って行った。
私ら朝焼けの中に立ち尽くしていた。
「よし!!どうにか生き残ったあ!!!」
漸く訪れた安堵に、私は吠えていた。