魔王の漫画11
一番好きな漫画、それは迷う事の無い一択なのだが、答える相手が相手だけに、ほんの僅かに迷った。
「私が一番好きな漫画はブラックコード、あなたが今連載している漫画です」
烈風先生の視線が外れて、沈黙の空間となる。
注文していたフライドポテトがテーブルに置かれる音と店員の注文確認だけが静けさに消えていった。
「おい! いらん忖度をするな!」
泉野さんの軽い怒声が沈黙を破る。
「いや、別に忖度した訳では無く、本当にそう思っているから答えたんです」
「その場しのぎで調子のいい事言っても、簡単には帰さねぇからな」
泉野さんが胸ぐらを掴みながら威嚇してくる。
烈風先生は機械的にポテトを食べている。今までの勢いを感じない別人のようだ。いや、店員に注文を聞かれたときはこんな感じだったか。
自分の漫画を評価されるのが嫌いなのだろうか。私ならば嘘でも褒められたら嬉しい。逆に貶されたら辛い、対面なら耐えられないだろう。
「私が好きだと思う基準として、今、連載中かそうで無いかは大きな要素なんです」
死んでいた烈風先生の瞳が俄に炎を取り戻す。
「今やっとる漫画でBCより凄い漫画なんて腐るほどあろうが! それを差し置いてBCがええんなら説明出来るじゃろうが!」
烈風先生の琴線がどこにあるのか全く分からないが、とにかく私の答えが気に入らないようだ。
それは、ブラックコードという漫画の凄いところ、楽しいところ、好きなところを語りたい。だが、原作者である神を前に、私に語れる事があろうか。
もし、万が一、私の言葉で烈風先生のモチベーションにマイナスがあってはならない。
私が思うに、漫画描きとファンは出会うべきでは無いのだ。ファンの声援は漫画描きに多大な力を与えると同時に、奪う可能性も秘めている。故に、そんな悲しみ出来事が起こるくらいなら、漫画描きとファンは、漫画という世界だけで繋がる方がいい。
「せ、説明は出来ません。何故好きなのか、それを考えない日はありませんが、言葉ではそれを表せないのです。ただ、ブラックコードという世界が広がっていく瞬間に立ち会えている事は、私にとっては歓喜であり、何ものにも代え難いのです」
「そなに好きなんじゃったら、なんで今はスパピンを描いとるんじゃ? 好きだけで連載できんこたぁ分かっとる。ほじゃけど、好きでなければ描けんじゃろ。魔王の一番好きな漫画はスパピンじゃないんか? そんでBC言うんじゃたら、説明がいるじゃろが!」
烈風先生の真っ直ぐな漫画論が刺さる。自分の描いている漫画が好きか?好きに決まっている。
だが、この人は、烈風先生は、自身の放つ才気に気付いついない。
他者の好きを塗り替える漫画を描いている自覚が無いのだ。
私が自分の描いている漫画より好きだと、どんな気持ちで言ったか分かっていない。
それが、どんなに悔しくて、でも素晴らしい事なのか理解しようともしていないのだ。
そう思うと、怒りのような反骨心がムクムクて湧いてきた。
「説明はしません! ただ、漫画を好きか、面白いか判断するのは読者ですよね。つまりブラックコードが好きかどうか決めるのは私だ。あなたが、あの漫画の神であり、全てを創っていても、この読者の気持ちだけは自由にならない。だから言わせてもらう!ブラックコードが一番好きだ!大好きなんだ!最高だ!これ以上の漫画に出会った事はまだ無い!好きだ!好きだ!好きだ!好きだ!好きだ!好きだ!好きだ!好きだ!好きだ!大好きだぁぁぁーー!!!どうですか?あなたにはこの気持ちを変える事は断じて出来ない!!」
夜も更けたファミレスに私の叫びがこだまし、一瞬ざわついたが、直ぐに深夜の変なテンションの客だと判断されて、元の空気に戻った。
烈風先生は、再び覇気を失い下を向いてしまった。
何故か、勝ったという僅かな爽快感を感じていると、横から強く胸ぐらを掴まれた。
「ちょっと顔かせや豚魔王………」
泉野さんの言葉の静けさから、今までにない怒気を感じる。
「お嬢、ちょっと2人でヤニ喰ってきますんで、先に食べてて下さい」
万力のようなパワーで席から引き摺り出されて、店外の喫煙スペースへ連れていかれた。
―
泉野さんは一服すると、割と冷静な感じになった。
「おい、魔王。お嬢との会話について注意事項を話しておく。一回しか言わねーから、しっかり覚えろ」
ぶん殴られるかと思っていたが、意外な内容だった。
「その、こんな事に時間を使うより、烈風先生には早く原稿描きに戻って頂いた方がいいんじゃないでしょうか? 菅田氏の件も念書でいいので」
「魔王……、お前に言われるまでもなく俺もそう思っちゃいる。だがな、ああなったお嬢は長いぞ。こうなったら誰にも止められない。だから、説明だ」
「乱暴でも力ずくでどうにかならないんですか? 少なくとも泉野さんが一番腕力があるように思えるのですが?」
「しつこい奴だな。あの場で、いやあの店のなかで最強はお嬢で間違い無い。逃げだそうなんて考えるなよ? 直ぐに捕まって戻されるだけだ。見た目は小さいが、野性の熊が目の前にいると思え」
えっ? 烈風先生が最強? ばかなと思ったが、泉野さんは至って真剣だ。
短時間でスラスラと烈風先生の注意事項が説明される。どうも慣れた事のようで、関係各所で説明しまくっているみたいだ。
僅かな時間でサッと席に戻ると、ジト目の烈風先生がモクモクとポテトを食べていた。
「魔王の答えはよう分かった。そこまで言うならわしも信じるわ」
烈風先生のメンタルはリセットされている。泉野さんから聞いたとおりだ。
「ご理解頂きありがとうございます。ところで、元々は菅田氏の事を話す予定だったと思うのですが、その辺りの決着をつけませんか?」
メロンソーダを吸い上げている烈風先生が、チラッと泉野さんを見てから、こちらを見た。
「魔王から見て、菅田をどう見とる? あいつの仕事ぶりは、よそのもんから見てどうなんじゃ?」
「そうですね。直接漫画を描いているところは見た事は無いのですが、画力は独り立ちしてもやっていけるレベルだと思います。本人が漫画描きになりたがっていない事が残念に感じる程ですね。アシスタントにプロ意識を持つ事は、いい事だと思いますが、菅田氏が描く漫画は、是非読んで見たいと思いますし、それは叶わない事は残念に思います」
烈風先生の前のメロンソーダだ空になると、横から新しいメロンソーダがスライドして来た。泉野さんは烈風先生の事を知り尽くしているようだ。
「魔王の意見にわしも同感じゃ。菅田はアシスタントとして必要な人材じゃが、同時に漫画の世界で同じ位置に居てほしいとも思う。最近は仕事にやる気出しとったけん、遂にやる気になったかと思うたら、まさか他所に入り浸っとるとわの」
「ご迷惑をお掛けして申し訳ない」
「いや、謝る必要は無い。菅田はこのままでええ。引き続きよろしゅう頼むわ。じゃけど、菅田に何かあったら、ぶち喰らわすからな? 覚えとけよ」
烈風先生は、泉野さんにチラッとアイコンタクトした。
どうやら、烈風先生の所のヒエラルキーは、烈風先生が頂点のようだ。
「では、菅田氏の件は一旦不問という事で良いですか? 私も菅田氏が漫画の世界に居続けるように、微力ながら協力させてもらいます」
「それでええよ。ほいじゃ魔王よ。漫画の話をしようかの。魔王はショッキングムーンという漫画を知っとるか?」
私にとってその漫画の名は、久しぶりであり、懐かしく、悔しい思いを呼び起こす物だった。