魔王の漫画1
漫画を描く者は家から外に出る事があまり無い。
家から出ないから家との結びつきが強くなるのは必然だ。室内を全裸で過ごす事など当たり前なのだ。
そもそも服の締め付けという物の影響を軽んじてはいけない。その束縛がどれ程、自由な創作を阻害している事か。ふくよかな成人男性ともなれば、その損失は計り知れない。
何も公的な場で全裸にさせろと言いたい訳では無いのだ。ただ、自らの城との一体感を大切にせよと言いたいのだ。
人類はエアコンを発明して、生活環境のコントロールを手にしたのだから、全裸は生物的にも正しいだろ。
今私は、自宅で服を着るという不自由を強いられている。
こんな真っ昼間にインターホンの連打と、扉すら叩く音すらする。
漫画家だからと言って〆切から逃げるような、前時代的なコントを繰り広げている訳では無い。私は〆切を超えた事など無いのだ。
今起きている事件は、私の職業とは全く無関係の事故のようた物だ。
ドアの小さな覗き穴から外を見ると、あちらもこっちに寄っていて魚眼レンズ効果で顔が歪んでいる。
それだけの情報量だが、ドアの向こうに居るのは若い女性であり、そして全く面識が無い。
何故に扉を叩いてまでこの城に踏み入ろうと言うのか。今日日、闇金の取り立てでもここまで叩かないだろう。まあ、取り立てに合った事は無いが。
そろそろ、この騒音をなんとかしないと、ご近所トラブルになってしまう。まあ、隣の部屋に誰が住んでいるのか知らないが。
チェーンを掛けて、この安アパートの扉を開く。
さっきまで怒気に満ちていたように見えていた女性の顔がパァと笑顔に変わった。
「魔王さんですよね! あの、あなたの故郷に付いて話があります!開けて下さい!」
声のトーンから更に若い印象を受ける。飾り気の無いパンツルックなのも相まって、高校生くらいに見える。まあ、最近の女子高生の私服など知らないが。
「あなた誰ですか。人違いじゃないですか」
うっかり会ってはいけない。相手が高校生ならば、未成年なのだ。我城に未成年を招き入れようものなら、法的に弱いのは私だ。
「人違いじゃないですよ。だってほら写真と同じ顔ですよ」
そう言って携帯端末の画面を狭い隙間から捩じ込んでくる。画面の写真は確かに私だが、こんな写真撮った覚えが無い。
そうなると心当たりがある。私の故郷の者が関係している可能性が高い。
このドアを突き破って入ってきそうな女性は、中々のパッションをお持ちだ。要件だけ聞いて、早々に帰って頂くしかない。
「確かに。ではドアを開けるので手足を引っ込めて下さい」
ドアの隙間には赤いスニーカーのつま先まで捩じ込まれていた。
チェーンを外してドアを再度開くと、外からノブを引っ張られてフルオープンにされてしまった。
敷居をゴリゴリ超えて入ってくる女性は、私の1/4位のサイズだ。よく初対面の男性宅に入るものだ。ドアの鍵は開けておこう。
「上がっていいですか?」
半分靴を脱いだ状態でその質問が来た。
「上がってもいいけど汚い部屋ですよ」
「そうですか?漫画書いている方にしては片付いている方ですよ。匂いはウチの仕事場と変わらないですね」
廊下まではみ出した資料の山にごちゃごちゃした机を見て言っているのだとしたら、この女性は同業者なのだろうか。
「出版関係の方ですか?」
「いえ、漫画のアシスタントやってます。如月烈風先生って知ってます?そこで雇ってもらってます」
「き、き、き、如月烈風先生!? あの大人気漫画ブラックコードの創造神であらせられる、あの!?」
今の連載が決まって依頼の衝撃が走った。週刊連載であの鬼作画を続け、今一番勢いのある方のアシスタント様がここにいらっしゃる。
「知ってましたか。最近凄いですよねBC」
これは失礼やお怪我や体調不良に繋がる事があってはならない。
このような悪所からは、速やかに立ち去って頂かなくては、連載に影響が出てしまう。
「お忙しいんじゃないんですか? こんな所に来ていてはお仕事に影響があるのではないでしょうか。直ぐに戻られた方が良いと思います。私との話は電子的な手段でいくらでも出来るので、今日は連絡先交換だけという事でいかがでしょうか?」
私の話を無視して女性は部屋に入ってしまい、編集さん用の待機椅子に座ってしまった。
「追い返そうとしても無駄ですよ。今日は納得するまで帰りませんから」
何故ーーーー!!という心の叫びが私を立ち眩みさせた。
―
「僕の名前は菅田真です。魔王先生はこのまま魔王先生とお呼びしていいですか」
僕っ娘!?
一々突っ込みどころが現れるが、今はそれどころでは無い。いち早くご帰宅頂けるように全力を尽くさねば。
「呼び方はご随意にどうぞ。ところで用件は私の故郷の話でしたっけ。あまり話す事も無いつまらない場所なんですが、何がお知りになりたいのでしょうか?」
「否です!」
「は?」
「つまらない事などありません。だって魔王先生は異世界の方なんですよね? 実は僕もそちらの家系に繋がっているんです。僕はこちら生まれなんですが、あちらには一度だけ行った事があるんです」
「もしかして、ご実家は東北の方ですか? 苗字に中門が入る方が親族にいらっしゃいます?」
「そうです。祖母の旧姓が南中門です」
なるほど、大体状況は分かって来た。まだ北の方には古い風習が残っていると聞いた事がある。
「恐らく、菅田さんがあちらに行ったというのは、遡路の義ですね。遠縁ではありますが、確かに私の故郷に繋がる家系のようです」
菅田さんは腕を組んでドヤ顔っぽい表情を浮かべいる。
「魔王先生は、僕の事を女の子だと思っているでしょう? でも実は身も心も男子なんです!」
僕っ娘では無く男の娘の方なの!?
駄目だ、突っ込んでいてはいつまで経っても終わらない。
「いやー、それは確か気が付きませんでした。ですが、それが何か関係あるのでしょうか?」
「この女の子のような見た目は、僕があちらの血を色濃く受け継いでいると踏んでいるんですよ! どうです、間違い無いでしょう!」
別段そんな風には感じ無いが、ここは波風を立てないようにしておこう。
「私はこちらに来ている同郷人に詳しく無いので分かりませんか、そういう事もあるのかもしれませんね」
「小さな頃はこの見た目で色々大変だったんです。何故自分だけ周りと違うのか運命を呪う日々でした。でも、あの14歳の夏にあちら側を見て気が付いたんです。自分はこの世界とは違う運命を背負っているのだと」
厨二病の治癒タイミングを完全に逃した感じだ。私も厨二は大好物だ。だが、今はただ速やかな帰宅へと誘わせてほしい。
「なるほど、それで菅田さんはどのような運命を歩まれるつもりなんですか?」
「僕は異世界で暮らします。だから、魔王先生、僕をあちらに連れて行って下さい」
「それはちょっと私には判断出来ないというか、それよりまずは親子さんや、南中門の方に確認した方がいいかと思います」
「もうやりました。あまりにしつこく聞いて回ったせいで田舎は出禁になりました。根性で行こうとしても、何故か道が分からなくなるんです。これって絶対魔法的な何かですよね!」
親子さん及び親族の方々、あなた方の判断は正しい。
だが、どうする。このままでは目の前の異世界パッションを鎮める事は出来ない。個人的にやりたくは無いが、正攻法で行くか。
「残念ながら、私はあちらに行く事が出来ないんです。私はあちらからこちらに逃げて来たのです。だから、もう戻れない。あちらの事は忘れて、漫画を書いて細々と暮らすつもりです」
どうだ!事実に基づいた悲しい雰囲気。これは完璧に決まったのでは?
「安心して下さい。僕は魔王先生をあちらに連れ戻して欲しいと依頼されて来たんです」
何ー!?相手の方が完全に上手。いきなり詰みの予感がする。