8. アイリスの決闘(2/5)
翌日、シェイラの試験は滞りなく進行していった。歴史の試験は筆記のみであったが、魔術と武術は筆記と実技に分かれている。
魔術の実技では、標的を指定された方法で破壊することになった。訓練所の岩が修復中のため、標的は最上級の防御陣を組まれた分厚い壁にされていた。
「ではこれより、実技の試験を始める。最初は……そうだな、例の岩を破壊したシェイラ、君にやってもらおう」
「あ、はい」
ざわ、と周囲の視線がシェイラに集まった。シェイラの受講していた講義の生徒は、彼が生徒会長の推薦でこの講義を受けていたことは知っていた。しかし、岩を砕いたのがシェイラだというのは噂に過ぎなかったのだ。改めて明言されたため、注目度は鰻登りだ。
「ええと、穴を空ける感じでいいんでしょうか……?」
「好きにしてもらって構わん。その度合いで評価を行うからな」
試験官は傷のつき具合で判断するつもりのようだ。後続のことを考えたシェイラは、なるべく壁を残すよう心がける。
「では」
掌を壁に当て、強度を測る。一般的な防壁用石材に、国家術師レベルの高度な防御魔術が施されているようだ。ひやりと冷たい表面を数度撫で、そこからきっかり2歩下がる。右手に魔導書を持ち、慣れた手付きでページを開いた。
試験官はその様子をまじまじと見ていた。彼はシェイラの講義を受け持っていたが、講義内で魔術の実践でシェイラは一度もミスをしなかったのだ。そして特筆すべき点に、術式の展開が恐ろしく早い。何かある子供だと常々思っていたが、その一端が見れるかもしれないと期待していた。
シェイラは壁に向かって人差し指を向け、親指で天を指す。まるで"銃"のように構えた。
「領域……指定……圧縮」
ぽつぽつと、確かめるように術を組んでいく。人差し指の先に魔法陣が展開され、それは何重にも重なり、壁の表面まで達した。それぞれの陣は高速で回転を始め、余剰魔力はマナとなって空気中に揮発していく。火のような赤から透明な青を越え、最早白い円盤と化した何枚もの魔法陣の周囲には、引き摺られたマナが吹き荒れる。黒い髪が風に靡き、魔導書をいたずらに捲っていた。
「『解放』」
その声は風にかき消えたが、指先の陣が物凄い勢いで撃ち出され、それらは最も壁に近い一枚に重なった。
――――――――――――!!!!
瞬間、まるで世界から音が消えたような錯覚に陥る。超高圧の"境界"は、あらゆる空間的障害を無視して壁を貫通した。表と裏の高度防御陣を十分貫けるだけのエネルギーによって、壁は綺麗に丸くくり貫かれている。衝撃波は全て壁の向こう側へ抜けたおかげで、背後の生徒や試験官に被害はない。壁だった円柱の石は、丁度壁を挟んで反対側の石壁に突き刺さっていた。
「……お、終わりました」
呆気にとられていた試験官がはっと我に返る。
「あ、ああ。もう下がっていいぞ」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ、他の生徒のもとへ戻る。しかし、生徒はシェイラが来るとそれ以上に後ろへ下がる。その顔には恐怖が張り付いていた。
「……シェイラ、先に武術の試験場へ向かっていいぞ。その……すまんが、そうしてもらえないか」
試験官は生徒の表情を見て、苦し紛れに告げる。
「……すみません」
シェイラはなるべく生徒の顔を見ないよう、足早にその場を立ち去った。
武術の実技は予想通りというか、案の定酷いものであった。それでもここへ来た当初より多少は良くなっていたし、剣の振りもスタート地点に立てるくらいには改善されていた。武術の試験官はその努力も込みで、なんとか合格を出してくれた。
先程怯えていた生徒は、人並み以下のシェイラの剣技にどこか安心していた。
全ての科目を終えた頃には昼を回っていた。一度特別寮に戻ってチーフ・バベルサに軽食をつくってもらい、さっと腹ごしらえを済ませてシェイラは外へ飛び出す。アイリスが今日の試験の一環としてクラウンと勝負する事は学園中で話題になっていた。時間は昼を越えた頃。場所は、学園の北西にある、騎士祭等で使われるスタジアムだ。既に試験を終えた多くの生徒が詰めかけ、観客席は満席に近い状態である。幸いにして未だ試合は始まっておらず、ひとつだけあった空席に滑り込み、その時を今か今かと待つ。
「おい」
「はい……って、どうしたんですか」
シェイラの肩を叩いたのは生徒会風紀のディンゴだった。ディンゴは神妙な面持ちでスタジアムのフィールドを睨んでいる。耳元でシェイラにしか聞こえないほどの声量で、ディンゴは続けた。
「お前、少し手伝え」
「え、でももうすぐアイリス……様が」
「それも込みだ。あまりモタついてられない状況でな」
丁度その時、アイリスがフィールドに姿を現した。反対から歩き出るのは、クラウン=ウェストゥームその人だ。
「……あれ?」
クラウンは腰に立派な剣を携えている。しかし、アイリスはどう見ても丸腰だった。しかもそれについて互いに言及する様子がない。
「どうしてアイリスは剣を持ってないんですか」
「いいから来い、あいつのことは心配すんな」
どうやらただ事ではないと察したシェイラは、ディンゴと共に静かにその場から立ち去る。周囲の生徒はアイリスとクラウンの一騎討ちに盛り上がっていて、気付く様子はない。
「それで、どこへ?」
歩きながらディンゴに問う。
「お前、探知の魔術は使えるか」
探知魔術は周囲のマナの流れを読み取る魔術だ。主に魔術のかかった物品の捜索や鑑定、より高度なものだと術式の特定から魔術回路を用いた人探しまで行える便利な代物である。
「一応できますけど」
「ならこの周囲一帯で人を探せ。どこか不自然に固まってる人間がいるはずだ」
「一帯って、どのくらいを?」
「学園全体だ」
それはあまりにも無茶な注文だった。一般人の探知魔術の範囲は精々腕2本分の距離である。探知魔術を生業にする専門家ならばできるだろうが……それに、人を探すには空気中のマナと人体の魔術回路を区別できるほど緻密な探知が要される。
だがそんなことは百も承知のディンゴ。風紀の人員を総動員しつつ、シェイラの貴重な魔術を使うに躊躇いはなかった。どれもこれも、囚われた生徒を探し出すためなのだから。
「……なるべく人気の無い場所でなら」
「スタジアム裏ならこの時間誰もいない。急ぐぞ」
予想通り、人一人居ないスタジアム裏に到着した。スタジアムからは歓声が一層強まっていることがわかる。どうやら試合開始が近付いているようだ。
「クラウンはこの学園内のどこかで生徒を監禁して、無傷での解放を条件にアイリスに武器を使わせない約束を押し付けやがった。クラウンが少しでも傷付けば、人質の生徒がどんな目にあうかわからないって具合だ。人質の安全が確保できるまで、アイリスはクラウンに手出しできない」
「そんな!」
「だから風紀が全力で捜索してる。互いに念信石で連絡も取り合ってるが、今だ見つかってない」
「……わかった、やってみる」
魔導書に手を翳す。輝きを放つページから溢れ出す魔法陣がシェイラを取り巻き、複雑な術式を組み上げていく。
「範囲指定……術式展開……」
"音響探知"と同じ原理で、エーテルの海をマナのパルスが伝わっていく。微細なマナの流れに干渉して跳ね返ってくる波を分析し、学園全域の魔力ポテンシャルマッピングが完了した。その結果、一ヶ所に集まった人影、さらに拘束のためと思われる術式が引っ掛かった。
「見つかりました!」
「本当か!どこだ!?」
「場所は……」
実際の学園に当てはめる。その場所は、もうシェイラが慣れ親しんだ所だ。
「……嘘」
「おい、どこなんだ!」
おそるおそる、シェイラは告げる。
「特別寮の、厨房です」
「なッ!」
ディンゴも言葉に詰まった。まさか人質が、自分達の懐で捕らえられていたとは信じがたいものだ。
「……成程、よほど俺らを貶めたいようだ」
ディンゴの長い髪が逆立つ。ぱちぱちと弾けるような音がどこからともなく聞こえ始めた。
「やっと動きやすくなった。感謝する」
ディンゴの得意とする、電気による身体強化の術式。普段あまり使わないうえ、負荷がかかるため稲妻が走るほど出力を上げたことは数えるくらいしかなかった。
「生徒会を、風紀をナメてもらっちゃ困る」
ディンゴが寮へ向けて歩き出す。シェイラは慌ててその後を追った。