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アーガスの聖典  作者: らすく
第二章 建国暦159年
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29. イースタンの亡霊(5/)

 扉を蹴破るほどの勢いでギルドホールに飛び込んできた謎の影に、その場にいた冒険者は流石と言うべきか一斉に構えを取ってそれを見やった。

 酷くボロボロで目に隈を湛えた男は膝をつき、その傍で心配そうに顔を見上げる少女――――奇妙な二人組にどう対処すべきか冒険者達が様子を窺っている。


「お、おい、あんちゃん?尋常じゃあねぇ様子だが、何があったんだ?」


 一番近くにいた冒険者が男に話しかける。

 息も絶え絶えだった男はそれに気付いて呼吸を整え、冒険者の手を借りて立ち上がった。見てみればやけに秀麗な顔立ちで、身を清めれば貴族子爵に見間違ったかもしれない。


 髪を上げて辺りを見渡し、その場の冒険者の幾人かは彼がこのところ噂に困らない"亡霊"の一人であることに思い至った。そうして誰かがその名前を出せば、吟遊詩人伝いにも知れ渡った人物であるのだと俄にざわめきが広がっていく。


「紅い眼のクラウン……なのか……?」


 覗く片目は紅く染まっている。

 クラウンは一頻り周囲の冒険者に目を配ると、不気味な沈黙を破って言った。


「誰でもいい。今すぐ大森林へ行ける奴は俺のところにきてくれ。金は言い値で出してやる。期限は今から一刻だ」


 徐にどっかと樽椅子に腰掛けたクラウンに、先とは違う冒険者がおずおずと近寄って平身低頭口を開く。


「クラウンさんはご存じないかと思われますが……現在大森林へはギルド長命令でほとんど立ち入り禁止になっているんです」


 だからその望みを叶えるものはそういないだろう、と言外に伝える。

 ぎろ、と睨まれるも彼は続けた。


「正体不明の光が見られ、あれは良くないものの兆候だと仰られまして……依頼で赴く場合、金級以上でなければいけないと」

「…………」


 すると隣で呑んだくれていた大柄な冒険者――――斧を担いだ金級冒険者は酒を呷ったあとのジョッキを机に叩き付け、突然クラウンの胸ぐらを掴む。

 酔っているのかと思いきや、どうやらその大男は全く素面であるようであった。


「おいてめぇ、さっきから聞いてりゃ何だその態度はよ?手前の話も何も無しで命捨てるような輩に俺達は見えんのかよ?あぁ!?」

「――――んな事ぁ一言も言ってねぇだろ!」


 お返しとばかりにクラウンも男の胸ぐらを掴み返し、あわや一触即発だ。


「時間が無いんだ!行くか行かないか聞いてんだよ!」

「お前に命掛ける義理のある奴なんざここにはいねぇんだよ!人が欲しけりゃ傭兵ギルドにでも行くんだな!」

「なんだとこの筋肉ダルマ!」

「やんのかクソ鳥頭!」

『そこまでです』


 空いた拳を握り締め互いが互いの頬を殴りつける直前、その間に小さな手が割込みがっしりと受け止めた。


『無意味な時間を過ごす余裕はない筈です。他者に願う時は誠意をもって行うべきではありませんか』


 正面から正論を吐かれ、クラウンははっとして手の力を弛める。大柄な冒険者の方も呆れ顔で拳を離し、また近くの樽を引き寄せて腰を下ろした。


「やっと落ち着いたか?」

「……ああ、すまん」


 クラウンも椅子に落ち着き、ラヴァトナがいつの間にか持ってきていた水入りのジョッキを呷る。胸の中の刺々した焦りがすとんと落ちていき、ようやく周りが見え始めた気がした。


『失礼しました。クラウンも気が動転していたのです』

「見てりゃわかるさ。で、何がどうなってんだ?」

『"私"が説明しましょう』



 大森林で起きたこと。魔物が大移動していること。仲間が命の危機に瀕していること。そのあたりを簡潔に言葉にし終えたラヴァトナは、じっと男の眼を見て言う。


『今必要なのは、病人と怪我人を大森林から運び出すための護衛です。現在の大森林外縁部は深部の魔物も出現しているため、非常に危険な道程が想定されます』

「なるほどなァ」


 ギルド長の判断は正しかったようだ。男はそう納得しつつ、近くに座って我関せずといった様子のパーティメンバーを見やった。

 仕事終わりですっかり休暇モードの剣士、魔術師、薬師の3人は男の視線に気付いたようで、全員嫌そうに視線を逸らす。


「報酬はいくらだ?」

『3月は働かなくて済むでしょう』


 というラヴァトナの言葉に反応したのは大斧の男ではなかった。

 男と目配せしていた魔術師の女性、銀の刺繍があしらわれたローブに身を包んだ彼女は魔晶(マナプール)の埋め込まれた杖を握り締め、男を押し退けてずいとラヴァトナに顔を寄せる。


「受けるわ!」

『…………えっと』


 今度はラヴァトナが男を見るが、にかっと笑うだけだ。


「その依頼、私たち"灰の心臓(エゥーディア)"が引き受けるわ!安心して、実力ならホルダットでも指折りなのよ!」

「おいネロー!お前勝手に――――」

「あれじゃあ決まったようなものでしょ。いつもの事だし諦めなよ、ルイン」

「………はぁ、また休みが消えていく………」


 剣士と薬師が暗い雰囲気でやり取りしているテーブルに見向きもせず、魔術師の女性ネローはラヴァトナの腕を取って外へ出ようとしていた。頭の中はお金のことでいっぱいになっているようだ。




「で、いつまでそうしてるつもりだ、紅い眼」


男は斧を背に担ぎ、クラウンの前に立つ。


「全部お嬢ちゃんに任せっぱなしじゃ男が泣くぜ?」

「……ああ、分かってるよ」


ぱんっ!


両の頬を思いきり叩く。かっと見開かれた目で宙を、その先にいる情けない自分を睨み付けた。


「―――改めて、どうか俺達を助けてほしい」


そうして立ち上がったクラウンは目の前の男に深く頭を下げた。男はとても上機嫌に、逞しい二の腕の力瘤を見せながら言葉を返す。


「"灰の心臓"リーダー、ギムレイ。正式に依頼受注だ!金級古株の力ってもんを見せてやるよ!」

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