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アーガスの聖典  作者: らすく
第一章 建国暦149年
18/30

17. イースタンの休日(6/6)

「ふざけるな」






 だが、そんな結末を誰もが望むわけではない。

 殺した相手が生きていた。憎い相手が喜んでいる。

 上手くいかない。上手くいかない。上手くいかない。


 嗚呼、なんとこの世は理不尽か。



 "魔法は感情に起因する"。学園で最初に習う言葉だ。

 だから、魔法使いや魔導師は冷静でなければならない。



 赤い眼が魔力を変換し始める。しかしそれは外へ向かってのものではなかった。過剰な熱量がただひたすら回路を巡り、ドロドロに溶けてなお眼窩の中を流動し続ける。

 残った左目は熱によって真っ白に煮え、最早何も見えてはいないだろう。普通の人間なら身悶えるような苦痛に苛まれているであろうクラウンは、不気味に嗤っていた。

 血の涙が頬を伝い、腕の先から地を濡らす。


 明確な異常に、アイリスの取り戻した判断力は正常に働いた。


「父上!此所に近い市民を避難させてください!」


 魔術による災害で記憶に新しいのは十数年前の北部地域の竜群事件だ。ウロメリオは偶然にもその場に居合わせ、生物の頂点たる竜達が巻き起こす魔力嵐を体験したことがある。

 それを幸運と思う日が来ようとは。あのときの記憶が呼び起こされるほどには、あの人間の蓄えている魔力の危険性を理解できた。だからこそアイリスの提案は尤もであり、同時に時間がないことまで把握できた。


「無論だ!……だが、お前はどうする」


 バルゥは既に、集まっていた館の従者達へ指示を出している。ウロメリオは自身の使命を全うせんと動き出す意識を押し退け、父として――――思えば何時振りだろうか、自分の子供を案じていた。


「できる限りの事はやりましょう。それが私の責任です」

「ならば私にもその責の端はある。お前だけが背負うものではない筈だ」

「いえ、これは私の問題なのです。ですからどうか、父も民と共にお逃げください」

「だが―――――」


 アイリスはウロメリオの言葉を無視するようにシェイラの亡骸を抱き、そうして父の前へと歩み寄った。父として意外なほどに逞しいと思える、決意の眼差しと共に。


「シェイラの身体を、頼めますか」


 断れる、筈もない。


「イースタンの領主として領民は身をもって守らねばならん。任せておけ、我が息子よ」


 ウロメリオは漸く踵を返す。民を守るために子を犠牲にするかもしれない選択をした。


「旦那様、拡声魔法の準備はできております」

「ああ」


 不思議と後悔はない。少しばかり格好つけであった妻が、ひょっこりと顔を出して胸の内から今の私に笑っていた。

 この事で、怒鳴られはしないようだ。


「我が領民よ、この声を聞く全ての者よ」


 魔法に乗ってウロメリオの声がイースタン領中に届く。それと同時にイースタンの街の鐘が数度衝かれた。

 何事かと表へ出始めたイースタン領民の耳に、年はじめの祭り以来の領主たるウロメリオの声が響いた。


「詳細は今は語る時間がない。だが現在、我が屋敷が襲撃され、その被害は街のみならず領地の広くへ及ぶやもしれぬ。…………全ての民よ!一刻も早くイースタンの街より離れるのだ!そしてあらゆるギルド、商会、王国と我がイースタンの繁栄に努める勇気ある者達に願う!どうかイースタンの民を助けてほしい!これを以て、ウロメリオ=イースタンの最期の言葉とする!」



 ふう、と一息吐いたウロメリオが額をハンカチで拭う。


「…………旦那様、最期の言葉とは」

「民の居ない所に領主がいても意味がないだろう?」

「しかし、まだ坊っちゃんが成し遂げるやもしれませぬ!」


 ウロメリオは静かに首を横に振った。


「ああいう眼を、嘗ての戦乱の時代に私は何度も見たのだ」


 死に向かう兵の眼だ。その眼をした者はどんなに優秀であろうと、帰っては来なかった。


「お前は逃げよ」

「いいえ、私はイースタン家が執事でございます」

「――――ならば良い。最後の責務を果たそうじゃないか」

「どこまでもお供いたします、旦那様」


 二人が向かう先は館の庭。

 自然と、その足取りは重くなっていた。







『――――――通常の魔力回路ではなくなっています。理論上、あの赤い眼の暴走を止める手段はもうありません』


 本から直接頭に流れ込むシェイラの声は暗い。

 民の避難はどれほど終わっただろうか。十分とも思える時間をギリギリまで使ったが、恐らく街は大混乱だろう。

 一体どんな素材を使えばこんな現象が起こせるか甚だ疑問だが、クラウンの眼窩にある眼だったものは無秩序に魔力を内側に流し続けるようになっていた。外側からの魔力の一切を吸い込む穴。取れる手段は2つにひとつだ。


 すなわち、掴んでひっぺがす。



「それで?上手くアレを奪い取ったあとはどうするんだい?」

『なるべく強い結界を張って、被害を抑えます。今できる最善の策はこれだけです』


 掴むのはアイリスが。結界を張るのはシェイラが。

 どこまで抑え込めるかわからないが、やれるだけのことをやるつもりだ。


『結界が無い場合の予想被害はイースタンの9割の消失です』

「私達が頑張ったら?」

『5割程度には』

「…………こんな時くらい、もう少し気を遣っても良いんだよ?」

『…………すみません』


 そんな話をしている間にアイリスの右手には何重にも重ねられた物理結界が展開し終わった。これで準備完了だ。


「さてシェイラ、次は英雄譚の中で会おう」

『僕、何て描かれるんですか?』

「小さな黒い魔法使いか、もしくは―――――」


 血の跡が残るクラウンの頬に左手をあてがい、右手を混沌の渦へと差し出す。





「黒い本の英雄、かな」

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