16. イースタンの休日(5/6)
「シェイラ…………?」
フラフラと覚束ない足取りでアイリスはシェイラの元へ近付く。膝をついてゆっくりと抱え上げれば、シェイラの皮膚の殆どは黒く焼け焦げ、肉が溢れている。
顔を庇うことすらしなかったのか柔らかかった頬が剥げ落ち、辛うじてシェイラと判別できる程度だった。
あまりの惨い姿にアイリスは言葉を発することすら、涙を流すことすらできなかった。
ウロメリオも、昨日言葉を交わした少年の悲惨な最期に眼を疑っていた。そしてその犯人とおぼしき男に視線を移し、己の知る人物であることに気付く。
「…………クラウン=ウェストゥーム、貴殿の行いか?」
「その通りですよ。お久し振りです、ウロメリオ公」
貴族礼で返すクラウン。直前に人間を焼き殺した者とは思えなかった。
「その少年を、殺しに来たのか」
「ああ、だがついでにこの辺りを蹂躙していこうと思いまして――――――手始めに、アンタの息子からだ」
「!」
再び急速に魔力が赤い眼に圧縮され始め爆風が吹き荒れる。ウロメリオを庇うようにバルゥが立ち塞がった。
「なぜ我が子らを狙う」
ウロメリオの問いに、クラウンはただ当然のごとく答えた。
「神がそう望んでいるのさ」
―――――――心臓が握り潰されるかのような重圧。だがそれはクラウンからのものではない。
「……神は私達の敵なのか」
アイリスはそっとシェイラを地に寝かせ、ゆっくりと……それでいて確かに立ち上がる。白銀に靡く前髪の奥の瞳は不気味なほど据わり、その目頭からは一筋の涙跡が光った。
「だから君はシェイラを殺した」
右手が空を掴めば、そこから現れるのは真っ白に日を煌めかせる一本の両刃剣。
血の匂いのない装飾剣のようだが、赤い眼を通して魔力を可視化できるクラウンは思わず躊いだ。そこに集約される魔力密度はクラウンの眼のそれとは比較にならないほど高く、しかも純粋な魔力として留まり続けていたからだ。
仮に剣を形作る魔力をそのまま爆発させるだけで、下手をすればこの街の半分は跡形もなくなるだろう。そして今、そんな危険物の塊が殺意を以て向けられている。
「ならば私は、彼の守ろうとした私と、私の世界を守ろう」
創剣魔法。
アイリスだけが使える、そしてアイリスがそれのみ使える特殊魔術。魔力を一ヶ所に集め、魔力そのものを剣として扱う。
切っ先がクラウンに向けられた。
「『悪辣なる神よ』」
「それは――――!」
アイリスの魔術に共鳴してクラウンの眼が疼く。眼に刻まれた魔術回路に干渉する異常な魔力流が全身を殴り付け、苦痛に顔を覆い後退った。ぴしり、と内側から軋んだ眼に暗線が走った。
神を名乗る奴に戴いた眼に刻まれる魔法は、神代のそれをそのまま収めたものだ。故に発現した事象の規模は凄まじく、逆に外から魔法陣を壊そうと思えば、それだけの威力がなければ赤い眼には傷ひとつ付かない。
「まさか、お前も神の――――」
そんなものに干渉できるのは物量にモノを言わせた大規模魔術か、もしくは同列の魔術機構だけだ。
少なくともクラウンの理解の範疇に、自分の眼に並ぶものはそれしかなかった。
「地獄で償え」
「『耽美なる断罪の種火』!!!」
壁を成して襲い来る黒い業火。空気すら焼き焦がす熱量はアイリスを喰らい尽くさんと覆い被さり、しかしそれは白銀の剣のひと薙ぎで真っ二つに割れた。魔力そのもので断ち斬られた魔術の火は状態を保てなくなりアイリスに届く前に魔力へと再変換されて消えてしまう。
アイリスの瞳は何も映していなかった。眼前のクラウンに合う焦点はどこにもない。ただそこにある障害を排除せんと、一歩ずつクラウンに歩み寄る。
「クソが……!なんでいつもいつもお前ばかり!神の力でさえ勝てないなら、どうやってお前と戦えと言うんだ!」
胸の奥からの悲痛な叫び。憎悪と劣等感、この世界の理不尽性を嘆く言葉は、果たしてアイリスには届かない。
剣を振りかぶる。クラウンの眼は彼の命令を受け付けない。神代魔術の反動からか、クラウンは動くことすらできなかった。
魔力の流れが一瞬止まり、世界から音が消えたような錯覚に陥る。死を覚悟した冷たい感覚に、クラウンの頭は妙にスッキリとしていた。
ああ、死ぬのだと。
ふと視界の隅から何かが現れた。それはアイリスもクラウンも知る、少年の持っていた魔導書だ。
魔導書は背を下に向けてそっと開き、刻まれたスペルが光の帯となって宙に消え始める。魔術が発動したのだ。
『――――ス――――――――ゲテ――――』
微かに頭のなかに響く声。アイリスの眼が見開かれ、手に持った剣がすっと空気に融けた。
『――――――アイリス、その人を助けてあげて』
クラウンもまた、死者の声に目を………いや、耳を疑っていた。
「シェイラ………なのかい………?」
『うん。今はこんな姿だけど、たぶん戻ることもできると思う』
「………………………そうか」
宙にある魔導書背表紙にそっと手を触れる。先に身体を抱いたように両の腕で優しく抱き止めると、魔導書から立ち上るルーンの光は徐々に収まっていった。
此所に居るのだ。感じる筈のない肌熱がそこから伝わってくるような気がして、アイリスは腕枕ですやすやと眠るシェイラの姿を幻視した。
理由は解らないが、とまれシェイラは生きている。それだけで十分だ。